第3話






 修はまずユリがまだ無事なのを確認し、護衛に宝貝パオペエの力士を置いて、それから川を上って行った。

 やがて山に入り、木々と緑が鬱蒼と生い茂る森の中を通り、谷を抜けたその先。

 途端に開けた視界に飛び込んできたのは、緑色に濁った大きな湖だった。

「……何かいるな」

 手に持った宝貝パオペエの弓を持ち上げる。

 問答無用で襲ってくるような相手なら即座に反撃する構えだった。

 気を引き締めて周囲を確認し、修は歩き出す。

「ん……これは道、じゃないな。何か引きずったような跡があるな。ゆるやかなカーブになってる。これは水蛇とやらの体でこすられてできたのか?」

 湖の畔まで来て、修は息を吸った。

「湖に棲まう蛇神よ、話がある! 出て来い!」

 こういった大妖怪相手には下手したてに出ても、よほど友好的な気質でない限り、舐められるか無視されるか門前払いを食らうかだ。

 ならむしろ挑発した方が取っ付きやすいというのが修のやり方だった。

 自分の力にそれなりに自信を持っているが故の行動だ。力の足りない者がすれば、一度やっただけでパクリと食べられておしまいである。

”……”

「出てこないとあらば無理矢理にでも引きずり出すが、どちらが望みか!」

”……威勢のいい小僧だ”

 湖面が大きく波打った。

 湖の中央が大きく盛り上がり、そこから緑色をした蛇の頭が伸びてくる。

 蛇の頭は四つあった。

(うわ、八岐大蛇やまたのおろちってこんな感じなのかな。こっちは四つ首だけど)

 加えて蛇は巨大だった。

 体の太さは電柱十本以上束ねたほどで、また地上に出た頭はずっと天へと昇り続けてなお終わりが見えない。恐ろしい体長だ。

 鱗は緑色。二本の牙は鋭く、間から真っ赤な血のような舌が覗いている。

 やがて数百メートルほど体を湖上に出した所で、四つ首の大蛇おろちは湖から這いずり出てきた。

 蛇の体が揺れる度に湖は盛大に波打ち、溢れ、地鳴りが轟く。

 修はゆれ続ける大地の上、押し寄せてくる水を前に口の中で呪を唱え、片手で印を組む。

 途端、修の前面に炎が迸り、壁となる。押し寄せてきた水は一斉に蒸発し、水蒸気と化した。

 まるでミストサウナのようだが、実際は人間に耐えられないほどの高温となっているため、中に入ればまず火傷やけどでは済まない。

ッ!」

 修が素早く指を別の印に組みなおして呪を唱え、気合の声を上げると同時に今度は風が巻き起こった。

 高温の霧は清涼な風で全て吹き飛ばされ、霧散していく。

 水蛇はやっと体の半分を湖から出し、修の術をつまらなそうに見ていた。

”ほう、ただの猿ではなさそうだな。面妖な術を使う。何用だ”

 声には侮蔑の感情がありありと篭っていた。

「用件は一つ。今後、二度と人間にいたずらに害を為すな。そして、よければ私と友好を結ぼう」

”……それだけか”

「ああ。友好を結んでくれれば、何か困った時にお互い助け合おうじゃないか。返答は如何に」

”…………ハハハハハハハハ! 猿と、このわれが友好! 友好だと!! この見渡す限りの大地全ての頂点に君臨する吾と!? 紅鬼姫を部族ごと追い返し、かの銀毛双尾の妖猫も、大桜の女郎蜘蛛とておいそれと手を出せぬ吾に! 非力で矮小な猿ごときが!!”

「……」

”身の程を知れッ!!”

 大蛇の四つの頭が口を開け、一斉に襲い掛かってきた。

 修は大体この展開を予想していたため、さほど落胆もせずに身軽な身のこなしで地面を、空を蹴ってチョコマカと大蛇の口から逃げ回る。

”ほう、猿らしく飛び回るのは得意と見える。だが、いつまで続くかなァ――!”

 シャアアアアアア!!

 吼え猛る大蛇。

 伸びて来る大口は牛を丸呑みできる程に大きく、また速い。野球の剛速球もかくやというほどに。それが鞭のようにしなり、次々と獲物に休むヒマを与える事無く縦横無尽に襲い掛かってくる。

 時にはその口からは毒霧や溶解液、圧縮された空気砲が目にも止まらぬ速さで吐き出されてくる。

 正に怪物、大妖怪だった。

 だが。

「んー、やっぱり言葉だけでは無理か。大陸だったら酒とか何か価値ある手土産を用意できたんだがなぁ……今は移動中で手持ちがないし、仕方ない。ここは手っ取り早く実力行使で捻じ伏せるか」

 修は未だ無傷。

 その事実に次第に大蛇のプライドが刺激されていき、更なる猛攻へと変わっていく。

 そんな中、修が構えたのは弓。

 大陸を出る際に、師兄のナタクからもらった戦神謹製の宝貝『火水王弓』だ。

 ナタク曰く、弓の使い方は。

「第一の機能――」

 弦に番えしは、木の枝。それに術で火を点け、射る。

 すると放たれた木の枝の火は瞬く間に膨れ上がり――

”何! 金と黒のまだらの獣!? なんだこいつは!!”

 火は燃え盛る大炎へ、大炎の中から突如として虎が飛び出して来た。

 大蛇は初めて見る猛虎の姿に思わず怪訝そうな声を出す。

「さ、さすがナタク師兄の宝貝……一体だけでごっそり力を持っていかれた。この私でも出せて二体が限度か、これは。これを師兄は三体も出したのか……やはり別格だな」

 赤い瞳の猛虎は大蛇へと疾駆し、強靭さとしなやかさを兼ね備えた屈強な肉体から爪牙を繰り出す。

 対する大蛇は逆に虎を丸呑みにしようと大口を開け、牙を光らせた。

 猛虎と大蛇の衝突。

 大蛇が先手だった。

 勢いのまま猛虎の背と腹に牙を突き立てようと、ギロチンの刃のように素早く、鋭く、無慈悲に食い破られる――はずだった。

”!?!?!?”

「ガアアアアアアア!!」

 猛虎の肉体に突き刺さった牙、そこから溢れたのは血ではなく――炎。

 それは勢いよく噴出し、大蛇の頭の一つを一瞬で灰へと変えた。

「この火水王弓から生まれた虎は、虎と火の属性を併せ持つ。虎の姿をしているが、中身は神をも焼く仙術の火だ。相応の備えをしなければ……そら、消し炭だ」

 火水王弓の第一の機能、それは火を弓に番え、射れば火の虎を生み出し、また水を弓に番えて射れば、空ける水の龍を生み出す。それ以外は剛弓の矢として飛んで行くだけだ。

 生み出された龍虎は一体一体が大妖に匹敵する力を持つ。その分、扱う者が限られる高出力の宝貝だった。

 なお第二の機能は一度だけしか使えない最終手段なので、実質第一の機能しか使う事はない。

 大蛇は予想外の痛手に慌て、残り二つの首がまごつく。

 猛虎はその隙を見逃さず、すかさず残り片方の首の根元に爪を振り下ろした。

 大蛇の鱗は硬く、またなめらかだ。大木を小枝のように軽々とぶち折る紅鬼姫の剛拳でさえ、この鱗を砕くのは苦難を極めた。殴っても殴っても拳が滑り流されるのだ。

 如何なる暴力であろうとも、正確にクリーンヒットしなければ鱗を貫く事あたわぬ。それが大蛇自慢の鱗だった。

 例えそれが爪だろうが、正確に突き立てなければドジョウのようにツルリと逃げられる。己の体を傷つけられる相手などもはやいない。この見た事の無い獣だろうが、爪であるなら同じ事。

 そう大蛇は思っていた。

 それが。

”ギ、ギィィィx----!?”

 猛虎の爪は炎を吹き、鱗を薄くコーディングして滑らかさの元となっていた体液をいとも容易く消し飛ばし、そのまま鱗を割った。

”そんな、そんなっ! 吾の鱗があああぁぁぁあああぁぁ!?”

 猛虎は前脚に力を込め、勢いのまま二本目の首を千切り飛ばした。

 大蛇の首は残り一本。

 初めて大蛇の瞳に怯えの色が浮かび上がる。

”ヒッ”

 慌てて湖の中に逃げ込もうとUターンするが、猛虎が先回りをした。

 高らかに跳躍し、首に噛み付いてそのまま己の体重の千倍以上はある大蛇を地面に引きずり倒す。

「よし、虎よそのまま押さえつけておけ」

「ガウッ!」

 大蛇は必死に暴れている。

 胴体が波のようにうねり、その度に轟音が山彦となって響き、人が立つのが困難なくらい地面が激しく揺れる。

 だが猛虎の牙は外れない。

 ならばと、大蛇は己の尾で猛虎を絞め殺そうとするが、猛虎の全身から吹き上がった炎でやはり消し炭にされた。

 いよいよ打つ手がなくなった大蛇は必死に暴れた。

 死が目前に迫っていると嫌が応にも理解させられたのだ。

「さて、蛇神よ。これが最後だ。私に従属を誓え。そして人間に害を為すな。それさえ守れば解放しよう」

 枯れ葉のように静かに大蛇の頭の上に立った修は、優しく穏やかに、しかし冷徹に勧告した。

「さもなくば、その首落とそうぞ」

”…………”

 大蛇は途端、暴れるのを止めた。

 猛虎は油断無く赤い目を光らせ、大蛇を押さえつけている。

 修はただ大蛇の返事を待つ。

 わずかばかりの沈黙。

 そして大蛇は口を開き――

”断る! 千年を越えて君臨せしこの吾が、誰が猿に媚びへつらうものかッ! そのような屈辱、この身のはらわたを切り刻まれる以上に耐え切れぬわ!”

「そうか。では誇りを抱いて今生に別れを告げよ。さらばだ、大いなる災厄の蛇神よ」

 修が道服の腰帯に下げていた瓢箪ひょうたんと竹筒の内、竹筒の方を手に取って栓を抜く。

 宝貝『青宮筒』。一見ただの竹筒に見えるが、実は擬似生命体の宝貝であり、ほんのわずかだが人語を解し、意思を持っている。

 中は亜空間となっており、筒口に近づけた物はマイクロサイズとなって中に吸い込まれる作りになっている。

 逆に取り出す時はこの筒に声をかければいい。そうすれば筒が言われた物を取り出してくれる。

「青宮筒、崩穿槍を」

 嬉しそうにピカピカ竹筒が数回明滅し、筒口から槍が飛び出してきた。

 崩穿槍。それは修が作り上げた戦闘用宝貝。

 力を込めた槍で突いた物は分子レベルで崩壊するという代物だ。

 それを手にし、穂先を大蛇の頭へ狙いをつける。

 そして振り下ろそうとした時、大蛇が暗い、暗いわらい声を上げた。

”……ハハハハハ、この吾がただで死ぬと思うたか、愚か者め! のこのこと近づいてきおって。せめて貴様も道連れにしくれるわ!”

 大蛇の開いた口、その目と鼻の先に小さな小さな水球が浮かぶ。

 瞬間、水球は直径約100mの巨大なドーム状へと膨れ上がり、修を中へと捕らえた。

 次に水球の内部が渦巻き始める。

 その内部の圧力は牛や馬を軽く捻り切り、鉄骨をもぶち折られるほど強烈なものだった。

 大蛇の全身全霊、命を振り絞っての自爆術。己の命の炎を燃やし尽くしてでも、修を、この傲慢な猿を仕留める心積もりだった。

 やがて渦が治まり、水球は力を失って地面へとぶちまけられる。

 25万トンを超える水量。それら全てが湖へと流れ込んでいく。

 洗いざらい押し流して行く山地の津波の後、そこには無傷の修が槍を片手に変わらず在った。

”何故だ……何故生きている。あれで生きていられる者などいないはず……あの赤き目の獣はこうして消し去ってやったというのに……何故……何故……”

「……簡単な答えだよ。私はあの虎より強い。ただそれだけさ。なんだ、術者本体が弱点だとでも思ったか? 生憎だが私もそれなりに強いぞ。虎がいなくとも、お前を討つのに十分なくらいには、な。何しろ道士になってから時間だけはあったからな、体を鍛え、ナタク師兄や雷震子兄様と武術を競い、こっそり下山しては五虎大将軍やら色々な武将と矛を交えたりしてたからな。先ほどの術は素晴らしい威力だったぞ。私も少々ヒヤリとしたくらいだ。だが、私の剛体と『甲天布』を破るには至らなかったな」

”そんな、バカ……な…………”

 大蛇の目から光が消える。

 悠久の時を生きた、この地の数々の大妖怪の頂点に君臨していた蛇神はこうして永遠の眠りについた。

「さて、これで一先ずは解決か。この地の主だったみたいだから、空いたこの地に今度はどんな妖怪が出てくるか知らないが、穏やかなやつである事を願おうか」

 とりあえず証拠として大蛇の頭の一つでも村に持ち帰ろうかと考えていると、後ろに誰か近づいてくる気配を感じた。

 振り返ると、何やら大仰な弓と青銅の槍で武装した屈強な体の少年がいた。

 少年は口を一文字に引き結び、足と手は震えながらも目だけは闘志を漲らせ、湖に向かって力強く叫んだ。

「蛇神よ、どうしてもユリを生贄に欲しいというのなら、まずこのタイチを食ってからにしろ! ……って、ありゃ?」

 そこでタイチが見たのは、蛇神の無残な死骸とその傍に立つ変にキレイな格好の少年、修の姿だった。

「……」

「……」

 タイチの叫びは蛇神に届くことは無く、山彦となって木霊していた。


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