第2話






 その日も少女アヤは一人、山に入って木の実や山菜を土器の壷に入れていた。

「よいしょ、よいしょ」

 年は13で、やや小柄で貧相な体つきをしており、まだまだ幼さを残した少女だ。

 ただ異様な事に、目元以外の顔を全て覆い隠すように布を巻いていた。

 服は粗末な白麻の貫頭衣一枚で、腰の辺りを藁紐で縛っている。何度も擦って洗ったであろうそれはひどくあちこちが擦り切れていて、けれど繕う事もできないくらい困窮した生活を送っていた。

 そもそも大陸と違って貨幣すら無く、未だ物々交換の時代であるこの島国の地方は自給自足が原則だ。村全体で村人同士が支えあい、水田の世話や織物、狩り、山菜取り、木の伐採からの薪作りなどを行っている。

 幸いまだずっとずっと東にある朝廷という一大勢力から役人が送り込まれていないので、米や特産品を遥か東まで運んで納める租税や一年に一度二ヶ月ほど開墾などの作業にタダで従事させられる労役などは無い。もう少し北の方に行けばあるらしいが。

 そんな相互協力社会の中、アヤは孤立していた。

 周りには誰もいない。

 アヤ一人だけだ。

 村に帰った所で、村に入る事は許されていない。

 少し前までは皆と一緒に土器を焼いて作っていたり、ひたすら藁を編んで藁草履などを作ったりしていたのだが、数日前に突然頭痛と共に高熱を出して倒れ、熱が引いた後に顔全体に赤いブツブツができてからは村から、家族からすらも隔離された生活を送っていた。

「あたし……どうなっちゃうんだろう……」

 つい最近も交流のあった近くの村の一つが、アヤと同じようになった村人が続出し、半分以上が亡くなった。生き残った者も、決して元の姿には戻らなかった。

 この村でも初めて、異常が露わになったのだ。

 緊急の村長会議が開かれ、アヤは村はずれに一人離れて暮らす事に決まった。

 治療方法はおろか、対処療法すら不明で、いつどうなれば完治かも知らず、しかもいつ拡大するか分からない。

 その余りにも人間離れした姿は、悪神や怪物が乗り移ったと村人達が信じるほどで。

 話し合いの中では、アヤを殺して山に埋める案や、縛って山に放り出して獣に食わせる案が多数を占めているのが現状だ。

 村全体を守るため、異常は迅速に切り捨てる。

 それがこの村でできる一番の特効薬だった。

 そして、村人が、数日前まで一緒に暮らしていた家族が己を見る目と表情から、アヤは己の運命を悟るには十分すぎた。

「あたし……死んじゃうのかな……痛いの、怖いな……」

 アヤを守ろうとしてくれる人は一人もいない。

 村に近づこうとすると棒で殴られる始末。

 ここから逃げたとしても狼や猪などの獣に襲われて死ぬだけだ。

 だから自分の処遇が決定するまで、アヤは一人空きっ腹を抱えて恐怖と飢えと寒さで震えながら集めた藁の上で眠っていた。

「……ん?」

 ふと村の方を見ると、歓声が上がっていた。

「おお! やったな!」

「すごい! これはしばらくごちそうが食べられるぞ!」

 そこでは、男衆が大きな猪を二頭も仕留めて運んでいるのが見えた。

「いいなぁ」

 その中には村長の息子タイチの姿があり、その隣には婚約者である村一番の美貌と評判の若い娘ユリもいた。二人とも身を寄せ合って幸せそうな笑顔だった。

 村長は村一番の大きな田んぼを持ち、村一番の大きな家に住み、たくさんの使用人を抱えている。困窮した村人には有り余った食料を貸し出し、その対価として家財や家畜、子供どれいを頂いていき、そうして繰り返すことで富をどんどん膨らませて村一番の権力者になっていったのだ。

 そんな村長の財産の大半を受け継ぐ長男であるタイチは財力だけでなく、力自慢の勇猛な男子だった。大人三人分の働きをし、弓と槍を巧みに使いこなして村の中では狩りでも決闘でも負け知らず。

 今回の狩りでも、収穫である二匹の内の一匹を仕留めたのはタイチその人なのだ。

 喜びに湧く村人達。

 その直後、息を切らせて山を下ってきた一人の男性の報せによって村人達の笑顔は凍りつく事になった。

「山におる水蛇の神様が……ユリちゃんを寄越せと言っとるだ……」




 川原修が仙術で風や雲を乗り継ぎながら海を渡り、ようやく見えた陸地に目を輝かせる。

「やっと着いたか。風遁や雲遁もいいけど、こう遠距離だと霊獣が欲しくなるな。話相手にもなるし」

 湾を越え、山を越えた所で修は考えた。

「さて、住処はどの辺りにしようか。やっぱり静かに暮らすなら孤島か山奥だけど、さていい所はあるかなー。ん?」

 広い川に沿って上流を目指していると、川の真ん中に木で組まれた台があり、その上に一人の少女がいた。

 少女は台に両手両足を縛られ、声を上げて泣いていた。

「なんだ、イジメか?」

 不憫に思った修は風遁から飛び降り、音も立てずに軽やかに着地した。

 少女は修に気付いていない。ただ泣きじゃくっていた。

「あぁ、あぁ、助けよや、いとほし、いとほし、かしこし」

「……」

 微妙に自分の知っている言葉と違う事に身構える修だったが、すぐに気を取り直して最後の一歩を踏み出す。

(大丈夫、隋に来ていたこの国の人と会話の練習した。問題はない。問題はないはずだ。現地人とのファーストコンタクト、川原修行きます!)

「ど、ど、どどどうした、そのように泣いて?」(※以下全て翻訳済みでお送りします)

 ビクリと少女の体が震える。

「だ、誰ですか……?」

「…………こほん。ああ、とりあえずその縄を解こうか」

 そのまま無造作に台へと近づく。

「か、川の上を歩いて……!?」

「なぁに、水遁の術さ。私は道士だよ」

「ど、道士……ですか? 道士とは? 鬼や妖怪の類ではないのですか?」

「うん、ここからずっと西に行った先、海を渡った先の大陸から来た。名は川原修という。よろしく、お嬢さん」

「うみ……? うみとは一体……」

「見渡す限り一面の湖さ。塩っからいがね。さ、これでもう動けるだろう、縄は解いたよ」

「い、いけません!」

「え?」

 突然の剣幕に、修は鳩が豆鉄砲を食らったような顔になった。

「だめ……なんです。あたしは……あたしは、神様への生贄なのですから……村のためにはこうするしか……うっうっ……」

「ふむ。生贄……ね。詳しい話を聞いても?」

 少女はほどかれた縄を力なく握り締めたままポツリポツリと話し始めた。

 川の上流の湖に水蛇の神様がいて、気まぐれに洪水を起こすので村が困っている事。

 そのせいで大人子供が何人も流され、作物も何度もダメになった事。

 洪水の後には田畑に転がってきた大岩や流木などの片付けもあり、それだけでも心折られるには十分だ。

 村ごと移動する事も考えたが、まず遠くに移住先を見つけられるのかという問題。他にも、そこまで移動する体力と食料、また移住した後に再び畑や水田を開墾・整地する時間と労力があるのか。もし移住しても、その次の年が不作であれば飢え死にする事も十分有り得る。

 だからここを離れるわけにもいかず、村は例え悪意ある戯れであろうとも水蛇の要求に従うしかなかった。

 これまでも酒や牛を要求された事はあるが、今回ついに人間を、少女を要求され、村人達は悲壮な覚悟で少女、ユリを差し出したという事だった。

 その話を聞いた修の胸中に浮かんできたのは、怒りと憐憫だった。

「ひどいな。しかし、洪水を起こす水蛇か……ふぅん。聞く限り、中々力の強い水蛇みたいだね。災害レベルで洪水を起こすとなると、名のある妖怪レベルか。もしそれ以上の力を奮えるとなると、格としては土地神ヌシクラスも考えられるな」

「は、はあ……?」

「けれどまあ、なんとかなるかな。昔は三回鏡に照らされたら血だけになって死ぬ鏡とか、やぐらを越える大棍棒を軽々と振り回す白猿の妖怪とかを相手にしたけど、それらに比べればまぁ優しい方だろう。ああいった連中とはそうそういきなり出くわす事もないだろうし」

 戦神ナタク曰く。

 川原修は油断しやすい。

「よし、私がなんとかしてみようじゃないか。水蛇に直談判して人を襲うのを止めるなら良し、止めないなら首を落としてこよう」

「はい?」

 と、少女ユリを置いてきぼりで話を進めて行く修はそこで一つアイデアが閃いた。

「あ、そうだ。ちょうど今、悠々自適ひきこもり生活を始めるに当たって身の回りの世話をしてくれる人を2,3人程探してたんだ。君、料理洗濯掃除裁縫といった家事はできる?」

「ええと……はい。できますが……あの、道士様? さっきから何を……?」

「なら交換条件といかないかい。ええとユリちゃん、私が水蛇の所におもむいて人に危害を加えるのを止めさせる。その代わり、今度作る予定の住処に住み込みで私の世話をして欲しい。どうかな」

「……」

 ユリは黙って首を横に振った。

「水蛇の神様は、それはもう恐ろしいお方です。丘を見上げるような巨体に、一度体を動かせば雷鳴が轟くような地鳴り。あの方を前にすれば、どんな人であろうと怯え、逃げ惑う事でしょう。どうか、どうかお止しになって下さい……そして余計な事をして水蛇様のお機嫌を損ねる事のないよう、もうお帰り下さい……どうか……」

 それ以降ユリはもう、修を引き止めるばかりだった。

 修は仕方なく、一先ずユリの村の方に足を向けてみた。

 そしてユリの両親、及び村長に対してユリに話した事をそのまま同様に話をしてみたが。

「バカ言うでねえ!」

「水蛇様はおっかないだ……おらの牛を丸ごとぺろりと食べてしまうだ……」

「機嫌を損ねると洪水起こされて作物が全部パアになってしまうんだで! 頼むから余計な事はするな! この木の鋤で頭カチ割るど!」

 やはり反応は芳しくなかった。

「では、試すだけ試してみても構いませんか。決してこの村の悪いようにはしませんから」

 それでも粘り強く食い下がり、やがて村長とユリの父親は投げやりになって言った。

「ああ、やれるもんならな……もしやれたらユリでも何でも持っていくがええ」

「よし、確かに聞きましたよ。では行ってくるとしましょうか」

「ちょっと不思議な力があるからといって、水蛇様に敵うわけがねえべ……いいか、オラ達は忠告したかんな……まったくタイチといい、こいつといい……」





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