古代島国で引きこもろう
白秋
第1話
少年が気がついた時、彼は夜の雷雨の真っ只中で寝転んでいた。
「……えぇ? ちょ、うわ、なんだよこれ!? 濡れる、濡れるって!」
最後に覚えているのは家族旅行での中国のホテル。そこで宿泊し、父と同じ部屋で眠った事までだ。
ふと気がつけば周囲は真っ暗闇で、明かり一つない木々に囲まれた中に裸足ジャージ姿で一人ぼっち。
慌てて立ち上がって近くの木の傍へ駆け寄る。
「いてて、足に何か刺さっていてぇ……しっかし、これどうなってんだよ……寝てる間に誘拐でもされたのか?」
周囲には誰もおらず、雨音と雷鳴だけが耳に木霊するのみ。
「んー……よく見ると、すぐそこに道みたいなのがあるな」
コンクリートで舗装もされておらず、土が剥き出しになっているが、確かに獣道を人が通れるようグレードアップしたような道が車が通れそうな幅でずっと左右に続いていた。
そこへ。
「ん……?」
何か音がした。
段々近づいてくる。
音は規則正しく、一定のリズムでずっと聞こえてくる。
やがてブルル、という何かの鳴き声らしきものもした。
「な、なんだ、どうしよう、隠れた方がいいのか?」
少年がオロオロとしている内に、もう音はすぐそこまで近づいて来ていた。
「……馬、だな」
稲光に一瞬照らされた中、馬に乗った老人がいた。
現代日本に生まれてから初めて、少年は馬に乗って外を歩いている人を目の当たりにした。
老人が少年に気付き、顔を向ける。
傘の一つも差しておらず、ずぶ濡れだったその顔はやけに憔悴しているように見えた。
「ni shi shui?」
「は?」
いきなり知らない言葉で話しかけられた。
とりあえず、老人は温和な声で友好的な雰囲気だったので安心する。ただ気になるとしたら、老人の着ている服か。明らかに洋服ではなく、中国の民族衣装か何かのようだった。しかも衣服のレベルはそう高くない。ミシンで作られたキッチリした物でなく、手縫いによる物らしかった。
加えて言えば、靴も少し変わっている。スニーカーなどではなく、つま先が反り上がったカンフーシューズのようなものを履いていた。
「これ……もしかして中国語か? 明らかに英語じゃないし、中国旅行中に街で聞いたのと似ている……気がする」
しかし、少年は中国語ができなかった。
それでも、ここがおそらくは中国であろう事が分かってほっと安堵した。
「あー、えーっと……その……」
なんとか身振り手振りで老人に現状を伝えようとしたが、その前にある事に気付いて少年は老人を手招きした。
「こっちこっち。ヘイカモン」
「?」
不思議そうな顔をして中々動こうとしない老人に、業を煮やした少年が近寄って自分の居た木を指差す。
雨宿りしよう、と言っているのだ。
それが伝わったのか、老人は馬からゆっくり降りてノロノロと木の下まで少年の後についてきた。
そして少年は幸いまだ無事だったハンカチをジャージのポケットから取り出して、老人の濡れた頭や顔を拭う。
老人はされるがままだったが、拭ってはハンカチを絞るという事を繰り返し、ようやく終わる頃には老人の顔に感謝の色が広がっていた。
これが少年と老人の出会いだった。
その後、行く当ても無く途方に暮れていた少年は現状に不可解なものを感じながらも老人と一緒にしばらく先の宿へと向かった。
その途中で少年は自分が山の中にいた事を知る。
そして――
「……え?」
時間が経つにつれ、そして道を進むにつれて、おかしい、おかしいと思い始める少年。
少年は知った。
自分が古代中国の地に立っていた事を。
そして老人が姫昌と呼ばれ、中国の殷王朝で三公と呼ばれる王朝トップの臣下であり、西岐と呼ばれる地を治める西伯侯その人であるという事を。
西伯侯は主君であり、殷王朝の君王である紂王による長期間の幽閉生活から解放され、一人西岐へ帰る途中に少年と出会った。
そして、幽閉生活の中で精神的なショックを受けた事によってろくに物を食べれなくなっていた老人は、道中少年の世話になりながら無事、国許へ帰還したというわけだ。
言葉の分からない少年は西伯侯の城に招かれ、そこでしばらく何不自由なく滞在し、言葉を勉強している内に、城に一人の老人が招かれて来た。
呂尚。
後に殷王朝を打倒し、周王朝を建国する際に軍師として活躍した道士だ。
その老人は太公望とも呼ばれた人物だった。
少年は時代の激動に巻き込まれる。
城にやって来た仙人に仙骨を見出され、
道士となった少年は殷と西岐の戦争で数々の武将や仙道と戦い、また人間出身の仙道らから成る
病死した姫昌の後を次男の姫発が継ぎ、少年は彼の下で呂尚に取り立てられた木こりの少年、武吉共々新米武将として殷と戦う。
また新米道士としても、兄弟子であるナタクや姫昌の百番目の子供である雷震子を始めとした仲間に助けられながら、崑崙山の道士として戦い抜いた。
なんとか生き延びて殷の滅亡と周王朝の樹立を見届けた少年は、その後師匠の太乙真人の下で乾元山の金光洞に篭り、術の修行と宝貝作りに精を出す事にした。
その間、並行して仙人になるための修行もしていたが、どうにも人間としての欲が捨てきれず、二百年経った頃には諦めていた。
道士となった時点で不老になったため、少年は少年のまま、この時代に来た時とさほど変わらない容貌のまま仙界で過ごす。
かれこれ千年と数百年が過ぎただろうか。
「では、今までお世話になりました師父」
「うん、大陸の東にある島国へ行くんだってね」
金光洞の入り口で少年と太乙真人は別れの挨拶をしていた。
「はい。1400年ほどをそこで隠遁してのんびり過ごそうかと」
「そうかい。あちらの文明はまだ大陸のものには及ばないとはいえ、住まう人の術の力量は決して侮っていいものではない。くれぐれも気をつけるように」
「はい。しかと心に留めておきます。ところで、ナタク師兄は……?」
既に仙界の他の知り合いには挨拶を済ませてある。何十年、何百年かぶりに会って、ここを出て行く話をすると大抵酒宴を開かれた。おかげで少年はまだ少し昨夜の酒が残っている。
同期の武将だった武吉の孫の中で仙界に入った子がいるのだが、特にその子には何度も翻意を促された。
「あの子ならまだ洞の奥に……ああ、来たようだね」
奥の暗がりから出てきたのは少年の姿をした戦神だった。
赤の簡素な中華服を着て堂々と立つ彼を見た目で判断してはいけない。彼は仙界一の武人だ。一人で数多の宝貝を使いこなし、戦場に出ればこの中国において彼に敵う者などほとんどいないだろう。
「師兄! お久しぶりでございます」
「ああ、今日お前が仙界を出て行くと聞いて、これを作ってきた。持って行け」
「これは……」
渡されたのは弓の宝貝だった。
「お前は強いけど、油断しやすいからな。これをくれてやる。もし何かあったらここにすぐ戻って来いよ! 俺が助けてやる!」
「ありがたくお受け致します師兄」
戦神と敬われているナタクだが、その性根には寂しがり屋な部分がある。
かつての仲間達が一人、また一人と周りからいなくなっていくのが悲しく寂しいのだろう。
「師兄、確かに私はここを去りますが、輪廻の輪に還るわけではございません。またいつでもお会いできるでしょう」
「うん、今度遊びに行くからな!」
「住処が決まりましたらお知らせに戻りましょう。いつでも遊びにいらして下さい」
「よし! 約束だぞ!」
「では……師父、師兄。行って参ります」
最後に頭を下げ、少年は風遁の術で風に乗ってその場から消えた。
かつての少年、川原修はこうして中国を後にし、大陸の東にある島国へと風に乗って渡ったのだった。
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