死ぬのが怖い
紡
死にたい
私は死にたい、でも死ぬのが怖い
死ぬのが怖いからリストカットをして少しでも落ち着く。でもそれを人はかまってちゃんと言う。間違ってない。だって、家族もなにも私を知ってくれない。私が苦しんでることも。私が死にたがっていることも。
しかし、周りの人は言う。それは皆同じだと。苦しんでるのも同じだと。
私はかまってちゃんで、最低なクズで、誰かに知ってほしい訳じゃない。だけど書きたい。でもそれもかまってちゃんだと扱われる。私自身もそう思う。だって、周りの人にとって、私は他人なのだから。他人に興味を持つことも無意味、他人に同情するのも馬鹿馬鹿しい。
私のやって来たこと、それは全て自業自得だ。しかし、それを人に言われるだけで無性に死にたくなる。死ねばいい。そう思っても死ねない。自分から望んで死ぬ人は死ぬときは痛いのだろうか。苦しいのだろうか。それとも、なにも感じないのだろうか。
私は不器用だ。だから、勉強ができない。しかし何故か仕事はすぐ覚え、忘れず、ミスもするときはあるが基本的にはミスをしない。
しかしそれを言ったところで家族は認めてくれないだろう。だって私は学生なのだから。
学生の本業は勉学と言われるのだから。
私は認めて貰えたことがない。それは私がバカで人に迷惑をかけるようなやつだから。
テストの順位がよくてもそれでも頑張りは認めて貰えない。
私の悪いところは、かまってちゃんで、仕事バカで勉強ができなくて、家族の言うことが聞けなくて、とか色々でてくるが、それでも、一番は私が存在することだろう。
我ながら中二病だと感じる。ナルシストとも思う。だけど、私はそう思ってしまうのだ。
私を認めてくれる人もいる。私の悪いところをいった上でそれでも私を否定せず、私のいいところを探してくれる人がいる。私はその人に依存をしているのだろう。
私の親はこう言う。「家族以外は他人だと」
私は思う。「家族すら他人だと」
私の両親はいい人なのだろう。基本的には暴力を振らず、悪いところは悪いといい。私を育ててくれたのだから。
しかし、家族が気にしてるのは世間体なのだろう。私のことをわかってるというのなら、何故私がここまで死にたがっているのかもわかるはずだ。
そして、私の父親は私の交流関係などを把握していると言う。私は思う。「気持ち悪い」と
私にとって私とは私のためのサンドバッグである。
私が生きるのが苦しいとき、被害がいくのは私だ。
私は苦しい。生きるのが、死ぬのが、家にいることが、だから死にたい
しかし私は怖い。死ぬのが、私は臆病者だ。だから死ねない。
私のいいところを見つけてくれた人はこう言う。
「あなたはあなたが思ってるほどくずじゃない。確かにあなたは人よりもクズ、だけど、それでもあなたは優しい。優しいからこそ、あなたは苦しいの」と
私は私が何が言いたいのかわかっていない。
だけど私は言いたい。私なんて、死んで当然でしょ?
死ぬのが怖い 紡 @Resentment_Mensch
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