30 第三部 保存される少女『!』



 どこかで誰かの悲鳴が上がった気がする。


 眠りについたアスウェルが訪れたのはレミィの心の中だった。

 地下牢の階段の途中だ。

 夢の中の屋敷にもこんな場所があったのか、と思いながら下っていく。


 嫌な予感がする。

 心が繋がっている影響なのかおそらくそれは的中するように思えた。


 アスウェルは走った。

 聞こえてくるのはレミィの悲鳴だった。


「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

「……、めて、……なさい。ごめんなさい。もうしません。だから……、許して。ごめんなさい……」

「いやっ。やめて……ください。ボードウィンさん」


 アスウェルは足を止めてしまった。

 聞こえて来た名前は聞き間違いではない。


 奴隷契約を結ぶと、相手に悪い影響を及ぼす事ができる。

 契約主は優位に立ち、奴隷にされた者は逆らう事などできなくなる。


 そんな状態に置いてレミィを弱らせているのは、ボードウィン。あいつが犯人なのか?

 そう結論が出かけるが、もう一つ声がきこえる。


「違うだろう。レミィ。彼の名前はボードウィンじゃなくてアスウェルだ。ほら、いつもみたいに呼んであげなよ。

アスウェルさんって。それで君にしていることを止めるように懇願してごらん」

「や……やめてください、アス……ウェルさん。う……ひっく、ぁう……」

「えらいえらい、君を虐めるアスウェルはひどい奴だね。許せないよね。いいかい君を酷い目に合わせるのはアスウェルだ、君をこんな風に痛めつけるのもアスウェルだよ。だからちゃんと間違えないように覚えなきゃいけないね。ほら僕が言った通りに続けてごらん」


 声が小さくなる、ささやくような声の後に聞きなれたレミィの声が続いた。


「ごめんなさい、アスウェルさん、許して。ぶたないで、ごめんなさい、痛い事しないでください。ひっく、うぅ……っ、ごめんな、さい。ごめんな……さい」

「よくできました」


 ライト。あいつだ。

 レミィに話しかけているのは。あのライトの声だ。


 殺してやる。

 レミィの奴隷契約の相手はライトだったのだ。

 あいつが、あいつのせいで、レミィは……。

 その牢屋の前で言って、鉄格子を殴りつける。


「ライト……っっ!」


 中にいるのは鎖につながれたレミィと、レミィに顔を寄せてささやいているライト、そしてただ立っているだけの(おそらく以前心の中で見たレンたちと同じような存在なのだろう)ボードウィンだった。


 ライトはアスウェルの方を見向きもしない。

 あいつはボードウィンの幻を使ってレミィを痛めつけ、その恐怖心をアスウェルへ錯覚させようとしていたのだ。


 その悪影響でレミィは、おそらく無意識だろうが現実でもアスウェルに恐怖を抱くようになってしまった。


 アスウェル達の記憶には、ライトがレミィの真名を知っているという情報はない。

 だが、おそらくレミィやアスウェルの記憶を引き継がせない巻き戻りキャンセルで、真名を知ったのだろう。そしてレミィと奴隷契約を結んだ。


「ほら、怖い人が来たよ。レミィ」

「ひっ……あ、ぁう……」


 ライトは怯えて縮こまるレミィを抱きしめて、態度だけは優しく接して惑わしている。


「ああ、可哀想にこんなになって。可哀想、可哀想……。本当に可愛いくらい可哀想で、そして滑稽だね? レミィ」


 煩い。口を閉じろ。


「ライトっ、お前は……っ、殺してやる。お前だけは、絶対に殺してやるっっ!」


 牢屋は開かない。アスウェルは中へ入れない、近づけない。

 鉄格子の隙間から銃で狙いをつける。だめだ、レミィと近すぎる。


「もうそろそろこの周回も終わりだし、幻なんかに痛めつけさせるのもまどろっこしいかな」


 ライトがわずかに身を離した後、何かを打つ音が響いた。


「……ぁっ」


 抱きしめていたライトが唐突にレミィの頬を張ったのだ。


「もうちょっと頑張らないとね、大切なあの人に伝えなきゃいけない事があるんだろう」

「……ぅっ」


 もう一度、今度は反対側から。


「忘れちゃったんだから、もう一度教えてもらうために頑張らないとさ、ほら」

「……ぁうっ」


 さらにまた一度。


「頑張れ、アスウェルの為にね。おっと、アスウェルは君を傷つけるおっかない人だったか。じゃあ誰の為に頑張ってるんだっけ。まあいいや、とりあえず、頑張れよ」

「ぃ……っ、うぁぁ……っ、ゃぁ…………」

「ライトぉぉっ! やめろっ、殺す! 殺すぞっ! 殺してやるっ、離れろ! そいつから今すぐ離れろ……っ!」


 こいつはどこまで人の心を踏みにじれば気が済むんだ。

 だが、ライトはこちらの言葉などまるで聞かない。


「滑稽だよね、ここで聞いても現実で覚えていられるわけがないのに、あいつへの助けになるようなヒントを教えてやるって言ったら、馬鹿みたいに騙されちゃってさ」

「……ぁぐっ!」


 そして何度目になるか分からないそれで、レミィを腕の中から突き飛ばした。。


「うああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 何で俺はこんなに無力なんだ。

 こんなに近くにいるのに、どうして助けてやる事が出来ない。

 家族も、妹も、そしてあいつも……。

 俺は、守れないのかっ!

 俺は、俺は……なんで、何の為に、今まで……。





『……ウェルさん。アスウェルさん……』





 目を覚ます。

 アスウェルは座った姿勢のままで寝ていたというのに、今は少女の膝に頭を乗せた態勢で横になっていた。


「大丈夫、ですか……。すごく、うなされてました」


 普段なら色々言いたいことはあったと思うが、今はそんな事を言う気にはなれなかった。

 手を伸ばす。

 レミィの、柔らかくて温かな頬に触れた。


「すまない。俺は……、俺……は……」

「どうして? ……泣かないで、ください」


 小さな手で頭をゆっくりと撫でられる。

 守らなければならない存在に慰められるなど情けないにも程がある。


 だが、我慢などできなかった。

 全てが足りなくて、全てが理不尽で、それを思い知らされて、今だけはいつも通りにふるまう事などできなかったからだ。


 涙など、久しぶりに流した気がする。











 逃避の行く先。

 たどりついた帝国は最悪の状況だった。


 奴隷契約の件からも分かるとおり、帝国に住む人間は魔人を下に見ている。

 今の帝国では、魔人狩りが起きていた。

 ある有力な貴族が魔人に殺された事がきっかけで起きたそれは、三日三晩続いて、もっとも緊張感が高まっている状況だった。

 アスウェル達はそんな中に来てしまったのだ。


 魔人狩りは、もはやターゲットは完全な魔人だけではなくなっていた。疑わしきは罰せよと考える者や、この際に都合の悪い人間を消そうとする人間達の思惑がからみあっていて、ただ通りを歩いているだけでも危険に曝されてしまう。


 そして、案の条。アスウェルたちは目を付けられてしまった。

 走る。逃げる。

 初めの内は暴徒と化した人々から逃げていたというのに、いつの間にか帝国の兵士達からも追われるようになっていた。

 状況は圧倒的不利、向こうの方が人数は多く。帝国のどこにでもいる。

 逃走は長くは続かず、終わりが見えるのも時間の問題だった。


「逃走中の魔人を発見、至急応援を」


 追ってくる兵士達は増え続ける。

 途中から魔人としてではなく、レミィ・ラビラトリという魔人をそうだと分かって追っている気配が伝わって来た。

 他の人間がいても、騒動があってもまるで見向きもしない。


 逃げるアスウェル達は、袋小路に追い込まれた。

 当然、捕まってやるわけにはいかない。何があっても。

 復讐ともレミィの事とも何の関係もない人間を手にかける事に、胸が痛むのは最初だけだった。

 すぐにその余裕もなくなる。


 血まみれになりながら、袋小路から別の道へ逃げようとしたその先、道の先で。

 そこでなんの偶然かそいつらと出会ったのだ。


「貴方は……?」


 かつて暴走した列車の中で、死神と渡り合った貴族の少年とその使用人の少女。

 そして前回、フィーアの言った頼れる仲間としてあのドールコレクターの屋敷の外で待機していた者達だ。

 名前は確かラッシュとリズリィ。


 しかし会ったのは、元の時間と、一つ前の巻き戻りの最後だけであって、この巻き戻りでは初対面だ。

 それなのに、まるでこちらに見覚えがあるかのような顔をする。覚えているのか?


 ラッシュは手にしていた武器の構えを解いた。

 自分たち以外は敵だったこの状況で、そんな事をされても、アスウェルにはそれが何のつもりかはしばらく判断できなかった。


「西へ行け、スラムがある。入り組んだ構造を上手く生かせば追手を撒けるかもしれない」

「早く行きなさい」


 背中を向けて去っていくそいつらにアスウェルはどういう表情をしたのか分からない。

 レミィがいなかったら、銃の引き金を引いていたかもしれない。

 結局はこちらから何か言葉をかけることはなく、状況にせかされるままその場を後にした。


(テキストメモ)助けてもらった事はあるが、その二人は帝国の人間という事も事実だ。

(指示)指示には従わない方が良いと忠告する。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054882786238/episodes/1177354054882807925

(指示)指示に従って逃げた方が良いと提案する。


 アスウェルは迫りくる人間達の気配を感じて判断する。

 言われた通りの方へ。

 けれど、所詮はただの小細工だった。


「アスウェルさん、人の声、が……」


 数の力の前には個の力など及ばない。

 追いついた帝国兵に早々に追い詰められ、アスウェルは地に倒れ伏した。

 戦闘になって怪我を負った影響で、意識がもうろうとする。どこか体に大きな穴でも開いているのか、血が流れ出ていくのを感じる。


「目標を確保。研究所へ移送する」


 目の前でレミィが、捕縛されてどこかへと連れていかれようとしている。

 駄目だ、それは許しては駄目だ。

 そう思うのに、思考がそれ以上続かない。頭が働かない。

 景色が途切れる。ねじれていく。歪んでいく。


 レミィは奴隷にされるのだろうか。

 それとも、禁忌の果実と繋がり、協力する事もある奴らは実験台として扱うのか。

 どちらにせよ捕まった後の末路など碌なものではないだろう。


「……っ」


 アスウェルは腕を動かして銃で狙いを定める。

 もう動けないと思っている帝国兵達は、とっくにアスウェルから注意をそらしている。


 あいつが壊れたまま生きる未来など、必要ない。

 あいつが不幸になったまま続く世界など、必要ない。


 思い返してみれば馬鹿な事だと思った。

 だが、追い詰められ、視野の狭くなった俺はその方法が良いのだと思っていた。


 もしかすれば精神がつながっていることで、荒れ果てたレミィの精神を通じて良くない影響が及んでいたのかもしれない。

 ただ一つ確かなのは、もうこれ以上レミィを苦しませたくはない、と思った事だ。


「レミィ。俺はお前を……」


 もうやり直せない。

 これで終わり。

 さよならだ。


 アスウェルは、レミィに銃の狙いを定める。


(指示)止める

https://kakuyomu.jp/works/1177354054882786238/episodes/1177354054882807949

(指示)止めない


 ……そして、引き金を引いた。






 アスウェルはその瞬間、大切な人を自分の手で殺してしまった。











 ……。


「遺体の損傷は最小限です、頭部のごく一部にとどまります」


「そうか、ならば急いで処置を施せ、人形にするだのとわけの分からない要請が取り下げられたからな。すべての臓器を取り出せる。第三計画の生き残り、その最高傑作のパーツがあるならば、あのナトラとかいう少女の予備としては十分機能するだろう」



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