第5話 眠り姫と真実

 暫く歩き続ければ、城はすぐそこに佇んでいた。アリスの言うとおり、その城はいばらに覆われている。不気味な雰囲気がするのは、いばらの所為か、中に居るであろうカオステラーの所為か。

 エクスは持っていた剣を手にとり、扉を塞ぐいばらを切り刻んだ。そうして、扉を開ける余裕ができれば、扉へと力を加えて、城の中へと目をやった。そして、顔を顰めた。いつかの城を彷彿させる世界が、そこには広がっていたのだ。

 その様子を見ていたレイナたちが、エクスと同じように、城の中へと顔を覗かせた。


「こ、これは……」

「ヴィランたちが、踊ってる……?」

「これも、カオステラーがやってんのか……?」

「おそらく、そうなんじゃないですかね」


 城の外からではどうしようもないと思い、エクスはゆっくりと、扉の中へと体を滑り込ませた。レイナたちも、それにならって城の中へと入る。


「カオステラーは、一体何が目的なの……」

「分かりませんが……ヴィランが踊っている様子は、いささか不気味ですね」

「そうだね……」


 シェインの言葉に同調していると、この空間に、靴音とは言い難い、独特な足音が響いた。まだ人の姿を保った人間が残っているのか、はたまたカオステラーか、と顔を上げれば、いつか見た覚えのある、そして先程脳内で思い浮かべていた少女が、そこに居た。

 少女は、何も言わずにそこに居た。やがてゆっくりと笑みを浮かべ、口を開いた。


「……お城へようこそ。一緒に楽しみましょう?」

「あ、なたは……」

「いばら姫、だな?」


 驚きに目を見開いているレイナの言葉に、タオが続けた。目の前の少女は、いばら姫……百年の眠りにつく呪いを与えられる少女だった。一度だけ見たことのあるその容姿と、まったく同じである。


「いばら姫……ああ、そう呼ばれるみたいね」

「やっぱり……ここはいばら姫の想区なんですね。このヴィランたちは、どういう状況なんです?」

「どういう状況……? 見ての通り、舞踏会よ。あなた達も踊りましょう?」


 いばら姫は、そう言ってくるりと一回転。着ているドレスが、ふわりと舞った。けれど、それに釣られるような人間は、この中には居なかった。


「お断りよ。このヴィランは、お城の人たちなのね……?」

「……ええ、そう。だって、夢の世界なのに、何もしないなんてつまらないでしょう? それに、あなた達も、せっかくお城へ来たのに何もなかったら呆気にとられちゃうと思って」

「要らない気遣いをどうも……ヴィランを操れるってことは、貴方がカオステラーなのね」

「カオステラーが何かは知らないけど、素敵でしょう。何でも思い通りにできるんだから……」


 その言葉に、いばら姫がカオステラーに憑依されていることを確信した。想区を思い通りに弄ることができるのは、ストーリーテラーと、混沌を生み出すカオステラーだけである。


「そりゃ、たしかに素敵だな」

「でしょう? だって、あなた達も笑ってたじゃない。会いたいと思ってる人にまた会うことができて、幸せだったでしょう?」

「……シンデレラたちがここに来たのは、いばら姫が呼んだからってこと……?」

「カオステラーの力が、他の想区にも影響を与えるなんて、聞いたことないけど……」

「まあ、どうやって連れてきたのかはさほど問題ではないでしょう。いばら姫さん、お眠りの時間はもう終わりですよ……!」


 シェインの言葉をきっかけに、エクスたちは空白の書を手にした。この場に居るヴィランを、そして目の前のいばら姫に憑依しているカオステラーを倒して、この想区を調律する。それが、いつもの流れだ。

 けれど、シェインの言葉に、いばら姫の雰囲気が変わった。どことなく、怒りを抑えるような……そんな雰囲気だ。ぼそぼそと何かを言っているが、その声はあまりにも小さすぎて、エクスたちでは拾うことができなかった。


「さい……うるさい……っ!」

「……?」

「夢の中でくらい、自由にしたっていいでしょう!?」

「えっ」

「っ、シェイン!」


 その言葉とともに飛んできた光の球に、シェインは慌ててバックアップをして避けた。

突然の攻撃に、こちら側にも緊張が走る。


「だって……っ、運命の書なんて、あんな嘘まみれのもの、信じられるわけないじゃない!!」

「い、いばら姫……? ねえ、落ち着いて……」

「それって、どういうこと……」


 いばら姫の言葉に困惑するエクスたちを横目に、いばら姫は顔を歪めながら続けた。


「『百年の眠りにつく』……『百年後、王子さまにキスをされて目覚める』……運命の書に書かれた、そんな言葉……あなたたちは信じられる?」

「それは……」


 いばら姫の問いかけは、空白の頁を与えられた自分達には、答えられないものだった。もし、自分の運命の書が、空白じゃなければ……きっと、その運命の書に従って生きていくだろうとは思う。けれど、実際にそれを体験することは、エクスたちには不可能であった。


「……どうして、そんなことを言うんですか? 運命の書なんですから、信じる以外の術は無いと思います」

「は、随分と簡単に言ってくれるのね……私の運命は、嘘つきなのよ……! どうせ死ぬのに、幸せな未来を見せて騙そうとしたのよ!」

「だから、それがどういう意味なのかを教え――」


「百年も眠っていたら、死んでしまうに決まってるじゃないッ!!」


 シェインの言葉を遮るようにして、ホール内に響き渡った怒鳴り声。運命の書が信じられないと言ったいばら姫のその言葉は、あまりにも悲痛な色をしていた。



 いばら姫が、自らの未来が記された運命の書を信じられなくなった理由は、彼女の過去にあった。

 初めて運命の書に目を通したとき、いばら姫は、その運命を信じてやまなかった。いつか出会うであろう、顔も知らない王子を夢見て、運命の書によって約束された幸せな未来を、誰よりも、何よりも、心待ちにしていた。


 現実を目の当たりにするまでは。


 いばら姫が、運命の書を読んだ数年後。よくいばら姫のお世話をしてくれた高齢のメイド長が、亡くなったのだ。最初は、その事実を受け入れることができなかったいばら姫だったが、気持ちを整理して、なんとかメイド長の死を受け入れようとしていたときだった。


「八十も生きたおばあさんは、長生きでしたね。寿命、ですか」


 見ず知らずの人間が、そう言っているのを聞いた。いばら姫は思わず、他人が相手だというのに、声をかけてしまった。それが、全ての始まりだった。


「寿命って、八十生きたら長生きって、どういうことですか」

「どういうことも何も、言葉の通りですよ。人には寿命があって、八十年も生き続けたおばあさんは、長生きなんです」

「……そう、ですか」

「ええ、そうなんです」


 質問に快く答えてくれた相手は、優しく微笑んでいた。しかし、いばら姫は、一刻もはやく自身の運命の書を確認したかった。

 呼び止めた他人と別れて、自分へと与えられた部屋へ戻ると、すぐさま自らの運命の書を開いた。例の、自分の運命が書かれた頁を、ひたすら探す。

 何度も読み返す。同じ文章を、読み返し、読み返し、読み返し……また読み返し、そして、運命の書を閉じて、壁に投げつけた。

 あの人いわく、人には寿命があるという。

 あの人いわく、八十年も生きれば長生きなのだという。


 ならば、私の運命は?


 百年の眠りにつき、やがて王子さまのキスで目覚める私の運命は、どうなるというのだ。

 その時、いばら姫は運命の書の残酷さに築いた。気付いてしまった。

 叶いっこない未来を夢見るなんて、馬鹿げている――と。



 いばら姫の過去を聞いたエクスたちは、顔を曇らせた。寿命があり、そして八十年生きることが長生きだと言うのならば、いばら姫はどうなるのか。おそらく、いばら姫の憶測通り……眠っているうちに、死んでしまうだろう。


「人間は、百年も生きられないの。こんな運命、信じられるわけない! 私は、眠っているだけで死んでしまうのよ!」

「!」


 いばら姫の目からは、涙が溢れていた。その涙は、頬を横切り、やがて地面に落とされる。


「お眠りの時間はもう終わり? そう、だったら、この悪夢から私を助けて……! 現実の、夢じゃない世界に、私を連れて行って……っ」


 持っていた杖を構えたいばら姫に、身を固くした。空白の書を手にして、導きの栞を挟む。そうすれば、自分は光に包まれて、ヒーローとコネクトする。レイナたちも同様、ヒーローとコネクトし終えていた。


「……みんな、行くわよ」

「分かってます……!」

「ああ……」

「……この悪夢を、終わらせる……!」

「いばら姫……あなたを倒して、この想区を調律するわ!」


 目の前のいばら姫――カオステラーは、頬を伝う涙を雑にぬぐって、杖を強く握りしめていた。


「それができないのなら……ここで、永遠の眠りについてもらうわ」





 勝敗が決まるのには時間を要した。城にいるヴィランが、一斉にエクスたちへ向かってきたため、肝心のカオステラーを倒すことができなかったのだ。

 そして、エクスたちは城中のヴィランを倒し終え、カオステラーと対峙していた。既に何度か攻撃をしていたため、互いに満身創痍。どちらが先に動くのか、と、相手の様子を伺っている最中である。

 そこで、シェインがふいに口を開いた。


「シェインたちは、あなたとは別のいばら姫に、会ったことがあります」

「……?」


 突然シェインが話しだしたことで、いばら姫は「何が言いたいの」と苛立ったような声を上げた。けれど、シェインは気にせずに言葉を続けた。


「彼女は、眠っていた百年の間に変わりきった街や文化に驚き、そして城に閉じこもってしまいました」

「……」

「あなたが眠る百年のうちに、何があるのか……シェインたちには、分かりません。それでも……自分の運命を、信じてみてはどうでしょう?」

「……無理よ。どうやって信じろって言うの」

「それは……」

「信じられないなら、無理に信じようとしなくても良いんじゃないかな」

「は……」

「ちょ、新入りさん!?」

「坊主!?」

「エクス、何言ってるの……!」


 ふいに発したエクスの言葉に、シェインたちは大慌てである。あまりにも大きすぎた反応に、エクスは思わず「ごめん」と言った。


「……ただ、百年の眠りから目覚めた時に、目の前に素敵な王子様が居るって、ほんの少しでも、希望を抱いてくれたら嬉しいなって……思って」

「……なに、それ……結局、運命の書を信じろって言ってるじゃない」

「あっ」

「……あなた、バカなの?」

「え、えっと……」


 呆れた様子で笑ったいばら姫に、先程までの刺々しい雰囲気が薄れていったのを感じた。エクスはそのまま、言葉を選びつつ話を続けた。


「うん、バカだよ。だから、君に、ほんの少しでも良いから、幸せな未来を期待してほしいんだ」

「……呆れた。本物のバカね」

「あはは……」


 ひどい言われようである。しかし、事実なのは否定できない。そして、いばら姫が呆れて笑ったのを、エクスは見逃さなかった。


「今更信じるなんてできないわ。だって、人には寿命があるんだから」

「あ……そのことなんだけど」

「……?」


 いばら姫の言葉に、口を挟んだレイナ。おずおずと手を上げてから、言葉を発した。


「人の死に方も、ストーリーテラーによって決められているの。だから、あなたの好きなメイド長さんが亡くなったのも、運命の書で決められていたことなのよ」

「えっ……」


 レイナの言葉に、驚きの声をあげたいばら姫。そして、様子を見ていたタオが会話に参加してきた。


「そういえばそうだな。特別なことがない限り、人は運命の書に沿った人生を歩む。死に方も、運命の書に書かれてるはずだ」

「で、でも、あの人は寿命だって……」

「ずっと気になってたんですけど、あの人って誰なんですか?」

「……名前は知らない。褐色の肌をした、銀髪の女の子だったわ」

「っ!?」

「それって……!」


 いばら姫の口から出た、ある人物の容姿。自分達にとって、その容姿の人物には覚えがあった。いつしか出会った、盲目の少女……


「その人の言葉は、信じちゃダメです。相手の思うつぼですよ……まあ、だからこうなったんですけど」

「え? え……?」

「……あなたの言う女の子は、いろんな想区で混沌を撒き散らしては、その想区を消そうとしている集団の人間なの。だから、その……」

「……私は、騙されていたの……」


 状況についていけていない様子だったいばら姫だが、レイナの一言で全ての糸が繋がったらしい。力無くそう言ってから、握っていた杖を下ろした。

 そして、自分を嘲るような口調で言った。


「……ふふ、バカだわ、私。知らない人の言葉は、簡単に信じちゃダメだって……小さい頃、お母様に教えてもらったはずなのに……」

「状況が、状況でしたから。仕方ありませんよ……シェインも、いばら姫と同じ状況でその言葉を聞いていたなら、信じています」

「そう……ねえ、あなた。えっと、レイナさん」


 ふいに、いばら姫からレイナへと向けられた目に、レイナは「ええ、なに?」と小さく首を傾げた。

 いばら姫は、一度目を伏せてから、ゆっくりレイナを見据えた。


「この国を、想区を、元に戻すことができるんでしょう?」

「ええ……できるわ。それが私の役目だから」

「……ずっと悪夢だと思っていたの。眠ったら、最後……後は、死しか待っていないって思い込んで……でも、その悪夢を生み出していたのは、他ならない私だったのね……」

「…………いばら姫」

「お願い。この悪夢を、どうか……!」

「……ええ。後は私に任せて……」


 そう言って、レイナは一冊の本を取り出した。開かれたのは、いつもの――調律の際に開く頁である。

 いばら姫は、ゆっくりと目を閉じた。その表情は、どこかのつっかえが取れたような、すっきりとしたものだった。


「それじゃあ、始めるわよ……」

「……」

「――『混沌の渦に呑まれし語り部よ。我の言の葉によりて、ここに調律を開始せし……』」


 レイナの持つ本から、光が漏れる。蝶が舞い、カオステラーの力によって変えられてしまったこのいばら姫の想区は、次々に修復されていった――





「いばら姫さん、大丈夫ですかね……」

「きっと大丈夫だろ。眠ってから、どれくらい時間が経ってるか分かんねえから、ちゃんとは言えねえけど……百年経ったら、王子が起こしに来てくれるさ」

「うん、そうだよ。僕らも信じよう……いばら姫が目覚めて、幸せに暮す未来を!」

「ええ、そうね。それが一番だわ!」


 この想区――いばら姫の想区のカオステラーを調律した一行は、深い霧が広がる森に来ていた。ここが、沈黙の霧へと繋がっているわけである。

 シェインはいばら姫が気がかりなのか、この森へ来る途中に何度も同じ言葉を口にしていた。


「それじゃあ、行きましょう。混沌に呑まれる世界を救うために……あいつらを、止めるために」

「ああ」

「はい」

「うん、行こう。また次の想区へ……」


 そうして、調律の巫女一行は、再び霧の中へと足を踏み入れた。だんだんと、感じていた音や温度が消えていく。

 想区を去る間際――エクスは、少しだけ足を止めて、いばらの城があった方向へと顔を向けた。そして、レイナたちの後を追うようにして、霧の中へと進んでいった。

 あの城で眠る少女に、幸せな未来が待っていることを祈りながら……

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眠れる森と夢の時間 五月七日 @tsuyuri57

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