令和に於いて繙読の価値有りの秀作

題材の一つにオペラ的な演劇を採用しながらも大枠は三人称小説の技法を取り、悲劇的な感傷ばかりに重きを置かない軽やかな構成。

物語世界は架空都市であると前置きのある一方で、自分自身、幾つかの映画と池田理代子の漫画、或いは澁澤龍彦の書き伝える文章でしかパリを知らない人間ながらはっきりとこの都市はその地続きにある世界なのだと感じ取ることが出来ました。

丙午の女の如きファムファタール、月の金と短剣の銀、それに及く川面の煌めき。闇に浮かぶ白き肌から流れる鮮血。紅茶の湯気と、マリアンヌの髪から匂い立つカモミーユの香り。この馥郁とした情景描写に作者憎しと思わない読書家がいるものでしょうか。

また、自分のような大学で文学を専攻するような人間は大抵、語り手に騙されまいとするような、或いはオチを勝手に予想しながら読み進め、意表を突かれなかった場合は勝手に落胆するような、意地の悪い本の読み方が悲しくも身に付いているものであり、ただ筆者の語りや文体に身をすっかり預けてしまいながら文章を読むようなことはなかなか無いのでありますが、この筆者は、文体や語りと描写のバランスの心地良さはさることながら、物語の主な関係者に男性を全く関与させなかったという点において私の意表を突いてきました。
つまり、「鏡の中の月」は、谷崎潤一郎の「卍」、オペラ「道化師」の可能性の数手先を描く作品になり得ると私は捉えています。
時代を超えて広く愛される物語に匹敵するのです。

もし、このレビューを読んでくださっているあなたが同じような愉悦をこの物語に感じているのであれば、私は名前も知らない、親愛なる友人を一人得たこととなるでしょう。最高のお伽噺でした。小林さん、とても素敵な読書体験を与えてくださってありがとうございました。

レビュワー