第5話
知らなかった。
あんなに華やかで誰もが羨む身分の裏側に、そんな悩みがあったなんて。
俺は、俯く馬川に言った。
「なぁ、俺と一緒に…やり直さねえ?」
「え?」
馬川は、はっとして顔を上げた。
「もう一度、ゼロからやり直すんだ。お前は、医者でも研究者でも何でもない。夢を探している一人の女性。もう、華やかな身分も、ブランド物の服も、必要ないだろ?自分の本当の夢を見つけろよ。俺も、一緒に手伝うからさ。」
「本当に…。」
馬川は、虚ろながらも聞いた。
「本当に、こんな私と一緒にいてくれるの?」
「ああ。」
俺は、高校の時に言いたくて言えなかったことを言った。
「だって、俺、昔からお前のことが好きだったから。」
馬川の頬に涙が伝った。
あれから三年。
もうすっかり『ホース抗体』というワードは風化している。
俺は、何とか小さな出版社と契約することができ、ローカル誌の連載小説を執筆している。
一応、小説家になる夢が叶ったのだ。
決して有名ではないが、もう俺は有名な研究者の華やかな生活を羨んだりはしない。
自分の身の丈に合った生活をするのが一番幸せなのだ。
そして今日も、一つの作品を仕上げる。
『馬をうらやんだロバ』という作品だ。
イソップ寓話『馬をうらやんだロバ』の二次創作で、かなり荒削りな文章だが、また一つ作品を残したことに満足する。
その時、妻がお茶を運んできた。何やら、ニコニコしている。
「ねぇ、私、夢が叶ったかも。」
「え?本当?ってか、お前の夢って、何だったっけ?」
俺にとっても夢のようなことだが、わざととぼけた。
「もぅ!母親になるって夢じゃない。」
もうすっかり体調もよくなり、昔の綺麗な風貌を取り戻した亜紗見は、自分のお腹を見て微笑んだ。
馬をうらやんだロバ いっき @frozen-sea
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