第27話 エピローグ

 酒場の一角のテーブルの上。

 目の前にドンと置かれた金貨袋。

 いや、実際には「ドン」というよりは「トン」とか「ポフ」とかそういった程度の量しか無いし、金貨袋と言いながら中身はほとんど銀貨なのだが、今のボクにとっては大金だ。


「あぁ~、これでやっとまともなご飯が食べられる~。」


 ボクは金貨袋に頬ずりしながら言う。きっと今ボクの周りにはキラキラとした光が舞っているに違いない。少なくとも涙がキラリと光っているのは事実だ。


「……お前、本当に金が無かったんだな。」


 テーブルを挟んで目の前に座っているラスティさんが呆れ顔で呟いた。


「だって仕方ないじゃないですか~。そもそものドラゴン討伐は大赤字だったし、鼠狼の狩りは結局うやむやになっちゃったし、トーファ様には路銀をせびられるし……。」


 ボクは涙ながらに語る。特にここ数日の食糧事情は酷いものだった。自分でパンすら買えず、ラスティさんやジュゼさんに恵んでもらう日々。ラスティさんのパーティーメンバーの新人君たちに「お姉さん大丈夫?」と食糧を恵んでもらった時などは涙が出た。もちろん情けなさで。

 今回、ラスティさん達のパーティーに入れてもらって仕事をこなすことで、ようやくこうして纏まったお金を手に入れる事が出来たのだった。


……。


 ……あの一連の事件から一ヶ月が経とうとしていた。

 村一つを滅ぼした大量殺人事件。まだ人々の間で事件の噂は収まらないが、それもボク達が犯人の死体を憲兵団に引き渡した事で、収束に向かいつつある。いずれこの事件は忘れられ、おとぎ話の様な伝承として語られるだけのものになっていくのだろう。


「ところで、リズ……えっと名前、リズのままで良いんだよな?リズは元気にしてんのか?まだ屋敷の中に篭もりっぱなしか?」


「あれ?ラスティさん、この前リズの様子を見に行ってませんでしたっけ?」


 結局、僕達がよく知る『リズ』については、今までどおり『リズ』と呼ぶことにしている。彼女の名前は既に有名になってしまっているので、今更本名が分かったところで変えることは出来ないというのが実情だった。

 その代わり、もう一人の方……僕達が『偽リズ』と呼んでいた方を『ニア』と呼ぶことになった。これは、彼女達との話し合いで決めた事だ。


「いや、そうなんだけどよ……。の方だったんでな。」


「ああ、ニアさんの方でしたか……。」


「だからそっちと一緒に酒場行って飲んできた。」


「飲んで来たの!?」


「いやあ、アイツもリズと一緒に俺らのパーティーに入らないか誘ってみたんだけどな。ダメだったわ。」


「えぇ……。」


 はっはっはっ、と豪快に笑うラスティさんを見て思わず頬が引きつる。ボクはまだニアさんと喋るのは抵抗が有る。一度は殺し合った相手だ。対面すればどうしたって緊張してしまう。それに向こうも、ボク達との接触は避けている節がある。

 ……リズ、ニアさん、二人の関係と今回の事件の経緯は全てトーファ様、そしてリズ自身から聞かされている。それは今回の事件に深く関わったラスティさんとジュゼさんも同様だ。

 でも、それだって彼女は人殺しだ。彼だって彼女に殺されかけたのは同じなはずなのに、一緒に飲んだうえにパーティーに誘ったとは、いったいどいういう精神構造をしているのか。


「ラスティさんは……彼女が、怖くないんですか……?」


 ボクはおずおずといった感じで聞いた。それに対して、ラスティさんはつまらなそうにため息を吐いた。


「……まあ、まったく怖くないって言ったら嘘だわな。でもまあ……なんと言うか、俺達みたいな人間にとっては家族殺し自体は珍しくないからな。」


「え……。」


 ラスティさんの言い分にボクは言葉を失う。そんなボクを見て、彼は申し訳無さそうな、さもなければ悲しそうな表情を浮かべて続けた。


「ほら、前に俺は孤児院の出だって言っただろ?ああいう所に居ると、たまに聞くんだよ。引き取られた先の家族を殺しちまったとか、逆に家族を殺したから孤児院に引き取られて来た奴とか……。けど、殺したくて殺した奴なんて誰も居ねえ。誰も彼も、生きるために仕方なく殺しただけさ。」


「生きるため……ですか……。」


「そりゃあ俺だって何も皆殺しにする事はねえと思ったけどよ。……でも、本人達にとってはそうしなけりゃ事だったんだろ。こういうのは本人にか分からねえ事もあるからな。いずれにせよ、もう終わったなら外野がとやかく言うもんじゃねえんだよ。」


「……。」


 確かに、今の彼女達の状態についてボクは何も口を挟めない事は分かっていた。彼女達の過去に関しても、そしてこれからどうして行くのかも、それは彼女達が自分で考え、自分で決めるべきものだ。


「さて、と。俺はこれからガキ供の様子を見に行くが、お前は?」


 黙り込んでしまったボクに、空気を変えるように笑いながらラスティさんは言う。


「あ、えと……ボクはご飯食べたらトーファ様のお屋敷に行こうと思います。リズの様子も気になるし……。」


「そうか。もしリズの奴に会ったらよろしくな。」


 そう言ってラスティさんは席を立つ。


「あ、あの……!」


 突然のボクの声に、去ろうと踵を返した態勢のままラスティさんが振り向く。


「あの……ボクがこんなこと言うのもなんですけど……リズと……彼女達と仲良くしてあげて下さいね……。」


 おずおずと言う。でも、それはきっと大切な事だと思った。

 ラスティさんは一瞬きょとんとした表情になったあと、


「おう、まかせとけ!」


ニカッと陰り無く笑って親指を立てたのだった。



   ◆



 何日かぶりの、自分のお金で食べるまともな食事をとった後、ボクは直接トーファ様のお屋敷へと向かった。

 屋敷の前に立つと、雑草が伸びきり、やや荒れた様子の前庭が目に付く。以前はボクやリズが手が開いた時に手入れをしていたが、今はそれも滞っている。当然、この屋敷の持ち主であるトーファ様はそんな事に気を回す性質ではない。

 この屋敷に来るのは久しぶりだった。前回来たのは十日ほど前、治療を受けていたリズ達が目を覚ましたと聞いてかけつけた時だ。


「……。」


 少しの緊張から、ボクは玄関の前で足を止めた。リズとトーファ様だけなら兎も角、ここには彼女も居るのだ。もし彼女が出てきたらどうしようと逡巡する。まあその時はトーファ様に用事があった事にして早々に帰ろう。いやそもそもその前に、今はどちらが居るのかトーファ様に確かめてみよう。そうだそれがいい。と、気を取り直して玄関のドアに手をかける。


「何を人の家の前で難しい顔してるのよ。」


 と、突然、背後から声がかかった。


「うわぁ!?」


驚いて振り向くと、そこにはこの屋敷の主、トーファ様の姿。考え事をしていて気配に気付かなかったらしい。


「そんな所に立ってないでさっさと入りなさいな。リズちゃんの様子を見に来たんでしょ?」


 そう言ってトーファ様はさっさと自分で扉を開けて中に入っていく。ボクは慌ててその後ろに続いた。


「あ、あの!リズの様子はどうですか?」


 ずんずんと進んでいくトーファ様の背中に向かって、ボクは聞いた。


「ん~?……まあ、まずまずよ。まだ完全には程遠いけど、一応はしたから。意識もはっきりしているし、もう日常生活は問題ないでしょう。」


 ボクは前回リズに会った時のことを思い出す。あの時はまだ意識が戻ったばかりで、リズもボーっとしている感じだった。あの時よりは少しは良くなっているのだろう。


「あの、それで……、今は、ですか……?」


 そしてボクは一番気になっていたそれを聞く。しかしトーファ様の返答は期待はずれのものだった。


「さあ……?私も今帰ってきた所だから。会ってみれば分かるでしょ。」


「そ、そんな~……。」


 あからさまに弱気になったボクに、トーファ様は足を止めて振り向いた。


「あのねリヒトちゃん。いちいち嫌がってたらキリが無いわよ。これからは彼女もずっとリズちゃんと一緒に居るんだから。」


「そ、それはそうですけど……。」


「ほら!そうとなったら行った行った!彼女との親交を深めるチャンスじゃない!」


 そう言ってトーファ様はボクの後ろに回り込むと、背中を押してぐんぐんと廊下を進んでいく。


「わわわ……!待って、待ってください!」


抵抗も空しく、ボクはリズ達の部屋まで辿りついてしまう。


「じゃ、後は若い二人に任せますのでごゆっくり~。」


「え、あ、ちょっと待って……!」


 そう冗談めかしてウィンクするトーファ様。そんな彼女をボクはしがみつくようにして止めた。


「何?私は用事があるから一緒には行かないわよ?」


「えぇ……一緒に行きましょうよぅ……って、そうじゃなくて。」


 ふわふわした雰囲気を断ち切るように、ボクは真面目な顔を作る。

 ラスティさんとの別れ際の会話を思い出す。リズ達と会う前に、一つ確認しておきたい事があったのだ。


「あの……トーファ様は、どうして彼女を助けたんですか……?」


 そのボクの問いに、トーファ様は少し怪訝そうな顔になる。


「どうして……って?」


「だって、彼女は……アシェナ村の人達を殺しました。それで、リズに『リズではない』と自覚させて……それで、最後には自分の死を受け入れました。ボクは彼女が、自分が死ぬ事で村人達を殺した責任を取ろうとしたんだと思うんです……。でも、トーファ様は言いましたよね?「奪ったのなら、最低限の責任をとりなさい」って。そう言って、トーファ様は彼女を生かしました……リズに代償を払わせてまで。トーファ様は、いったい彼女に何を期待しているのですか……?」


 それは、ボクの偽らざる本心だった。あの時、彼女は死のうとした。リズの剣に貫かれるという形だったが、それが限りなく自死に近いものだったのはボクにも分かった。そして今思えば、それが一番綺麗な幕引きであるように感じられるのだ。

 客観的に見て、死以上の贖罪は無い。彼女を生かしたところで、これ以上罪を償えるのか、そもそも償う意思があるのかも分からない。それに、ラスティさんが言った様に、彼女たちの事情は彼女達にしか分からないと言うのなら、彼女達が納得する形で終わらせるべきではなかったのかと、ボクは思う。


「あ~、何か勘違いしてるみたいだけど、」


 そんなボクに、トーファ様は少し気まずそうに言った。


「私は別に、彼女に村人達を殺した責任を取ってもらいたいわけじゃないわ。私は単に、リズちゃんを助けたかっただけよ。」


「え……それは、どういう、」


「あの時……私が、あの現場に駆けつけた時点で、瀕死だったのはニアちゃんだけじゃない。リズちゃんも同じく死に掛けていたのよ。」


 それは、初耳だった。だって、あの時のリズが致命傷を負っていたとは思えない。確かに切り傷や炎による火傷は重症だった。でもそれらは即命に関わるものでは無かったはずだ。


「確かに外傷は大したこと無かったわ。でも、リズちゃんにとって深刻だったのは魂の傷。リズちゃんは、自分が「リズでは無い」と自覚した時点で、自分自身を見失っていた。いままでずっと自分を形作っていたものを突然失ったのよ?しかも、自分を形作っていた存在を自分の手で殺しかけた。……確かに、リズちゃんに自分が何者かを自覚させるという意味では効果覿面だったでしょう。でも、あんな急激に何もかもを壊すようなやりかたをすれば、魂が壊れる。事実、あの時点でもう、回復が望めない程度には、壊れていたのよ。」


「――。」


 ここに来て、初めて聞かされた真実に絶句する。


「だから、私が「責任を取れ」と言ったのは村人の死に対してでは無いわ。リズちゃんの魂を壊した事に対してよ。壊れた魂と、死に至る肉体。……私がどうしてあんな事をしたのか、理解できた?」


 そう問うトーファ様に、ボクは果たして頷き返す事が出来たのだろうか。

 責任とは、村人を殺した事ではなく、リズの魂を壊した事に対するもの。ああ、確かに、それだけならば責任を取った事になるのかもしれない。

 何も答えないボクを尻目に、トーファ様は続ける。


「そもそも、人を殺した責任なんて誰も取れないわよ。死んだものは蘇らない。失われたものは返らない。それが死霊魔術の……いえ、この世界の大原則。もう、取り戻せないものに対しての責任なんて、それこそ、時間を巻き戻しでもしない限り誰にも果たす事は出来ないわ。」


 それは、そうなのだろう。なんと言っても、村人達はもう死んでしまったのだ。彼女が何か罰を受ければ、生き残った子供達の気は晴れるのかもしれない。あるいは、今回の事件を噂している人々は、それで納得するのかもしれない。けれど、被害者である村人達はもう、何かを考える事も、想う事も出来ないのだ。


「そうね――、でも、それでも人殺しの責任を取る方法があるとするなら――それは、彼らの死を無意味にせず、未来に繋げる事でしょう。もしあの場で彼女とリズが死んでしまったら、それこそ一連の事件は、何の意味も無かった事になってしまう。そういった意味では……リズちゃん達を生かした事は、未来に繋がる可能性があるものでしょう――。」


 そう言って、トーファ様は優しくボクの頭を撫でた。



   ◆



 ボクは恐る恐る、部屋の扉を開ける。

 まず目に入ったのは午後の光が差し込む、奥行き十メートル程の部屋。年季の入った調度品。そして、窓際に座る人影。

 人影は窓の外を見ており、ボクには背を向けた形だ。室内にも関わらず、白いコートと編み上げブーツ姿。肩口まではある髪を白いリボンで纏めている。

 それは――、間違いなく、ボクが慣れ親しんだリズの後ろ姿だった。

 そして、彼女はゆっくりとこちらを振り返り、


 リズとは似ても似つかない、赤い双眸と目が合った。


「あ――、」


 体が硬直する。蛇に睨まれた蛙とはまさにこの事だと思った。

 つまり、トーファ様が取った解決策というのはこういう事だった。

 一つは、アシェナ村の人々を殺した犯人が「死んだ」と思わせるため、死体が必要だった。そして、もう一つは先ほどトーファ様が語ったとおり。

 魂が壊れかけていたリズと、瀕死の肉体だったニアさん。どちらも半分ずつ欠けていると言うのなら、お互いがお互いを補い合えば良い。


 ――故に、彼女達は、その存在を分け合った。


 体はリズのものだ。けれどその中に二人分の人格がある。そして、それぞれの人格が表に出ていられる時間は概ね半日ずつ。それはもちろん、睡眠時間も含めての話だ。それはそれぞれにとって、一日の時間が半分になった感覚に等しいだろう。


「……リズに会いに来たのでしょう?少し待っていなさい。今、ちょうど代わるところでした。」


 緊張で固まっていたボクに、ニアさんはそう一方的に話すと、そのまま部屋の隅に置かれたベッドへと向かった。

 特にボクからかける言葉は無かった。

 こうして落ち着いた彼女と話すのは、まだこれが2回目だ。ボク自身、どう接するべきか計りかねていた。


「……。」


 ベッドに横たわって目を瞑る彼女を見て思う。

 これから彼女はどうするつもりなのだろう。リズと体を共有している以上、自殺をするような事は無いだろう。

 彼女の過去に対する考えは、ラスティさんの様に許容するものやトーファ様の様に切り捨てるもの、そして多くの市民の様に糾弾するものと様々だ。そんな中で彼女が、いや、彼女達がどのような罪を追い、罰を受けるのか……そもそも、そこに罪は存在するのか……どのような答えを出したのかは、今のボクには分からない。

 ああ、でも。

 一つだけ明確に、彼女達は罰を受けている。

 先ほど彼女は「リズと代わる」と言った。トーファ様から聞いた話では、片方が表に出ている間、もう片方の意識は無いらしい。

 つまり、彼女達は、この先一生、お互いに出会う事は無い。

 もちろん文章を残して、それをお互いが覚醒した時に読めば、文通の様な事は出来るだろう。それでも、すぐ傍に居ながら、永久に直接言葉を交わす事が出来ないというのは彼女達にとっては罰に他ならないと思う。

 しばらく彼女を眺めていると、ふっと、体から力が抜けたのが分かった。そして、入れ違いになるように、また別の気配が戻ってくる。

 すっと目が開かれる。海を思わせる蒼色。その瞳の色はボクにとって馴染み深いものだった。

 リズとも久しぶりの再会だ。何と声をかけるべきか、ボクは少しだけ迷う。

 今までの、色々な人の、色々な言葉を思い出す。けれど結局ボクは、いつも通りの挨拶を言葉にすることにした。この物語の答えがどのようなものになったのか、ボクには分からない。けれど、少なくともボクが守ろうとしたものは、こういったいつもどおりのものなのだから。


「おはよう、リズ。」


 もう、何百回も交わした挨拶。きっと、自然に言えたと思う。

 リズはそんなボクを見て微笑んだ。その微笑みはボクがよく知る……何も変わらない、暖かなものだった。

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Twin soul 桜辺幸一 @infynet

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