第26話 ~そして最後に、リズ・シルノフ・アジリエートの場合~
――木々が燃えている。
夜の闇にゆっくりと溶けていく煙を、私は地面に仰向けに倒れながらぼんやりと眺めていた。
「あ、あ――。」
嘆きが聞こえる。視線を下げると、そこには最愛の少女の姿。その手には白銀の剣が握られ……その刃は私の腹部を貫いていた。
彼女にとって、私は仲間を殺そうとする仇敵だ。だから彼女は私に刃を突き立てた。それは、当然の事だ。それにも関わらず、彼女の口から漏れたのは現実を否定する言葉だった。
「そんな、嘘、嘘、嘘、嘘――」
ニアは私に覆いかぶさりながら、何度もそう呟く。その表情は絶望に染まり、瞳からは大粒の涙が零れ落ちた。
「どうして」とニアは言った。「どうしてこんな事になったのか」と。私はその言葉の理由を正確に理解していた。
「……この結末は……必然です。やはり貴女は……私よりも強かった。」
そうだ。元より、彼女は私よりも強かった。ニアという少女はリズよりも優れていた。詰まるところ私は、それを証明したいがために彼女と戦ったのだ。
ニアは私を模倣する意味など無かった。いや、仮にそれに意味があったとしても、私を完全に模倣するなど不可能だった。なぜなら、私という存在は『ニア』という少女の存在なしでは語れないから。ニアが自分自身を否定した以上、私を完全に模倣する事など出来はしない。それほど、ニアという存在は私にとって大きなものだった。
「違う、違う、違う……!だって……だって貴女ならあのまま私を斬れたはずです!私の剣がこうして貫ききる前に、私を斬っていれば……!なのに……どうして!どうして剣を止めたのです……!」
ボロボロと涙を零しながらニアは言った。
――彼女の言う事は確かに事実だ。炎の壁を目隠しにした上での、正面からの突進。ニアの刃は、私が反応するよりも早く、確かに私に届いた。ただ、その差は皮一枚程度の本当に僅かな差だったのだ。たとえ彼女の剣が先に届いていたのだとしても、そこから相打ちを狙う事は十分可能だった。少なくとも、致命傷を避ける事は出来たはずだ。それでも――
「……たとえその差が僅かだったとしても、勝敗は明らかでした。その上で生き足掻いたところで、いったい何の意味があるのでしょう――。」
……結局の所、ニアには私を殺す覚悟なんてこれっぽっちも出来ていなかった。私を殺さなければ仲間に危険が及ぶ。その事実を目の前にしてただ必死で剣を振るっていただけ。仲間が死ぬか、憧れた人間を殺すか。その二者択一を前にして、追い詰められた彼女が出した答えは相打ちだったのだ。
私を行動不能にして、自分は死ぬ。そうする事で、少なくともこの場では仲間を救い、私の目的も達成させる。それしか道は無いと、ニアは考えた。
馬鹿げた事を、そして無責任な事を、と思う。あれだけ、「私を殺さなければ仲間が死ぬ」と思ってもいない嘘で煽ったのに、彼女はその程度の答えしか出せなかった。
まあ、追い詰めたのは自分だ。そして、その程度の答えしか出せなかったニアの純真さに思わず微笑みがこぼれる。
ああ、――でも、彼女の事は笑えない。だってそれは、私の方だって同じだったのだから。
◆
――私とニアは、アシェナ村の村長の娘として、この世に生を受けた。同年に生まれたとは聞いているが、どちらが姉でどちらが妹かは分からない。そもそも同年に生まれたとは言っても、私とニアは双子ではない。
腹違いの姉妹。
私は村長の正妻が生んだ子供であり……ニアは妾の子供だった。
アシェナ村に一夫多妻の慣習は無い。そして、その小さな村において村長の尊厳というものは存外に重要だった。つまり、ニアはその存在そのものが村にとっての汚点だったのだ。
かといって、ある意味で道徳的な、私から見れば保身的な村長はニアを殺す事も出来ない。ニアの母親がニアを産んですぐに亡くなっていたので、無闇に追い出す事も出来なかった。故にニアは、ずっと村の片隅で石を投げられながら生きていく……そんな存在だった。
一方私はと言えば、そんなニアを気に留める事すら無かった。ニアと私ではあまりにも立ち居地が違いすぎたのだ。村長の正妻の娘。それだけでも注目される存在だが、それに加えて私にはあらゆる方面での才能があった。
『神童』、『天才』
物心が付いた頃には、私は既にそう呼ばれていた。特に剣の才能にかけては呼び名の通り神がかっていた。村の主な収入源であるアスライトの採取は狩りによって成り立っており、獲物を狩るための剣技に秀でているという事は、村の中では絶対的な優位性だった。
ニアが村の隅で生きていたというのなら私は中心。二人の距離はお互いを知るにはあまりにも遠すぎた。
……少なくとも、私はそう思っていたのだ。
ただ、時折、彼女と目が合う事があった。
彼女は私をじっと目つめていた。
……その姿に、私は少しだけゾッとしたのを覚えている。あの、私の事を隅々まで観察するような眼差し。強いて、あの頃私がニアに抱いた印象を挙げるのならば……「気持ち悪い」だった。
そうして、しばらく時が経ち、十五歳の成人を待たずして、私は村で一番の剣士になっていた。村で最も強いと言われていた大人も私に敵わない。狩りに出るのは成人してからという慣例だったが、私は特例として狩りに出る事を許された。しかも大人の後ろをついていくだけではない。最前線で戦う人間の一人として、だ。
最初のうちは、それが嬉しかった。狩りで最前線に出られるのは一人前の証だ。獲物を狩れば、大人達は私を褒め称えた。それが楽しくて、私はどんどん強い獲物を狩るようになった。
ただ、強い獲物を狩るようになったというのは、私がそれを選んだから、という理由だけではない。それよりしばらく前から、アシェナ村の周辺では獲物の数が激減していた。それが環境の変化によるものか、それとも私達が乱獲しすぎたからなのかは定かでない。けれど、狩り易い獲物はほとんど居なくなり、アスライトを採るためには、より山の深くへ、強い魔獣を求めていく必要があったのだ。強い魔獣ほどアスライトの保有量は多いが、それでも狩れなければ意味が無い。日に日にアスライトの採取量は減っていき、村は衰退の道を辿っていたのだ。
……故に、その流れは必然だったのだろう。私が成人になって少し経つ頃には、ついにアスライトを持つ魔獣を狩れるのは私だけになった。もう、村の大人たちが狩れる程度の弱い魔獣は山から居なくなったのだ。
それに合わせて、私の周りの大人たちの態度が変化していった。大人たちは狩りに出ても、全てを私に任せるようになった。彼らは魔獣を狩る事を端から諦めている節があった。酷いときには援護すらせず、魔獣と戦う私を置いて一目散に逃げ出す事さえあった。そして大人たちは言った。「リズに任せておけば大丈夫だ。」と。
当然ながら私は憤慨した。アスライトを採取出来なくなって困るのは大人達も一緒なのだ。それなのに、私にだけ全てを押し付ける彼らを次第に許せなくなっていった。
そして、私にとっては決定的な出来事が起こった。
それは、村で日常的に行われている剣の修練の最中だった。わたしはやる気の無い大人に腹を立て、ついに相手に怒鳴った。「何故やる気を出さないのか」、と。
しかし、その相手は目を逸らして答えた。「修練を積んだところで、どうせお前ほどには強くなれない」と。そう言って、私の前から立ち去った。
周囲に居た大人たちも気まずそうに下を向いていた。その言葉を聞いた時の私の感情は怒りではなかった。告白すれば、私は、その言葉に絶望したのだ。
「置いていかれた」と思った。いつの間にか、大人たちは自分の力で生きていく事を諦めていた。ただ私の後ろについていって、零れ落ちた糧で日々を生きながらえる。そんな諦観が村を支配していたのだ。それに、私は気付いていなかった。つまるところ、私は大人たちに良い様に使われる、生贄だった。
修練場に独り残され、私は膝をついた。村の中心にいたはずの私。しかし今や、その周りには誰も居なかった。順風満帆だったはずの私の人生は、いつのまにか周囲に何も無い、孤独な絶海になっていたことに気付いたのだ。大人たちが私を讃えていたのは、私を思い通りに動かすための打算だった。私はいったい何のために命をかけて狩りに出ていたのか。全て、分からなくなった。
……そんな時だ。
私の耳に、剣が風を斬る音が届いた。大人達はすでに居なくなった後だ。誰が剣を振っているのかと目を向けると、そこには一人の少女が居た。
それが、ニアだ。
ニアは一心不乱といった様子で、修練場の隅で独り剣を振っていた。何を思ったのか、私はそんな彼女に近づき、試合を申し込んだ。
……いや、告白しよう。
私は一人残っていた彼女で憂さを晴らそうとしていたのだ。味わった絶望感を振り払うために、彼女を叩きのめす事で負の感情を発散しようとした。
だが、彼女と剣をあわせた瞬間、私は目を見開いた。
彼女は、強かった。
叩きのめすなど思い上がりも甚だしい。確かに、私よりは弱いかもしれない。けれど私以外の大人達では相手にならない程に強い。
その剣技が、私の技を模倣したものである事はすぐに分かった。彼女は、私の跡を追っていた。大人の誰もがわたしに追いつくことを諦めた中、彼女だけがその歩みを止めなかった。あの、不気味と思っていた眼差し。それはその実、ただ私から目を逸らさずに居てくれた証だったのだ。
一合打ち合う度に、私は歓喜に震えた。たった独りの旅路だと思っていた人生。しかしたった一人、私の後を追いかけてくれた人が居た。その、事実に。
きっと、この娘は一角の人物になる。私はそう確信した。剣の強さは村での地位に直結する。けれど何故、今まで彼女は皆に虐げられて来たのだろう。私はそこで初めて、その事に疑問を覚えた。そして、彼女の事情を調べて回り、その理由を知った。彼女が私の姉妹だと知ったのもその時だ。
……けれど、彼女が今まで迫害されていたとしても、結果をだせば状況は一変するはずだ。そう考えた私は、ニアが狩りに出られるよう差配した。狩りに出るのはニア一人。誰かが同行すれば、その人間がニアの成果を横取りする事は目に見えていたからだ。
……ああ、そうして。
結果から言えば、その私の思惑は最悪な結末へと繋がった。
私は、彼女が狩から帰って来るのを心待ちにしていた。彼女にとっては初めての一人での狩り。そこで彼女は大きな成果を挙げるだろう。そして、その成果を見て村の住人達は彼女の事を見直すに違いない――。
そんな、私の妄想どおりにはならなかった。
代わりに私が見たものは、真っ白に雪が降り積もった広場に、赤黒い染みとなって横たわる彼女の姿だった。
駆け寄り、抱き上げた彼女の体は余りにも軽く、冷たかった。息は降り積もる雪すら払えないほど弱弱しく、すぐにでも治療しなければ死に至るのは明白だった。
――どうして、こんなことに。
彼女は、成果を挙げた。
――どうして、こんなことに。
それにも関わらず、村の人々は彼女を認めず、あまつさえ殺そうとさえした。
――どうして、こんなことに。
ああ、結局、その行為に大した理由など無く。
――どうして、
ただ、気に入らなかったからだという事に気付いて。
私の村人達への不信は、殺意へと変わった。
変わらなくてはならないのに、頑なに変化を拒絶する臆病者。自ら成果を生み出すのではなく、他人が成果を挙げるのを、ただ呆然と口を開けて待ち続ける無能共。ニアを屑と罵るのならば、それ未満のお前達はいったい何なのだ。薪にすらならないと言うのなら、とくこの世から消え去ってしまえ――。ニアの体を抱きしめながら、私は憎悪の炎を灯したのだ。
……。
とは言え、その憎悪をすぐさま形にする事はなかった。村人への殺意は決定的なものだったが、その感情には冷静な思考も伴っていた。ありていに言えば、彼らを怒りに任せて殺す事は、あまりにもデメリットが大きすぎた。
かと言って、ニアと二人で村を捨てるのも困難が予想された。アシェナ村はそれ自体は小さな村だが、それでも鉱山地帯で強大な勢力を有するアジリエート一族に連なっている。村の主軸たる私が村から出て行こうとすれば、私の父である村長は一族の力を借りてでも私の行動を妨害するだろう。故に、私は村の中でニアを守っていかなければならなかった。もはや、ニアが自力で村での地位を獲得する事は不可能だと理解した。
――私が、守らなくては。
私は、常にニアの傍に付くようになった。共に剣を打ち合い、狩りに出た。村の中での窮屈な生活。しかし、その僅かな期間は、私にとっては生まれて初めて「楽しい」と言えるものだったと、今では思う。村人から賞賛されるよりも、ニアが傍らに居るその時間の方が遥かに価値あるものだったのだ。
――そうして、その日が訪れた。
ある日のこと、私とニアは狩りのために山の中へと入った。その日は獲物が無く、私達はいままで踏み行った事の無い、森の奥深くへと入った。
……そして、あの魔物(タラスク)と遭遇した。
タラスクは剣士にとっては最悪の相手だ。その亀の甲羅にも似た鱗はあらゆる物理攻撃を弾く。加えてアシェナ村の周辺に住む魔物の表皮にはアスライトが蓄積しているため、魔術が効き難い。刃も通らぬ、魔術も効かぬ相手。
敵わない。瞬時にそう判断した。今の装備で戦って勝てる確率は三割以下、ともすればもっと低いかもしれない。
タラスクと目が合う。私は危険を察知し、後ろに跳ぼうとした。
――しかし私の後ろには、ニアが居る事を思い出した。
ニアを守らなければ。しかしリスクがあまりにも――いや、ニアなら自衛可能か?あるいは――
迷いが生まれ、一瞬、跳ぶのを躊躇う。そして、その躊躇いが命取りだった。次の瞬間には、私の体は木っ端のように宙に舞っていた。軽く十メートルは吹き飛ばされ、木に激突する。立ち上がるどころか腕一つ、指一本動かせない。
目の前に、棒立ちになっているニアが見えた。「逃げて」と言おうとして、呼吸さえままならない事に気付いた。タラスクは、ニアに狙いを定めている。そして咆哮と共にニアに突進した。
一瞬、ニアが僅かに振り返った。私と目が合う。あの、私をじっと観察する目。その視線を受けて、私はあの気味の悪い感覚を思い出した。
全身に悪寒が走る。
そして……そして、私は。ニアが、何かを覚悟したのを感じた。
タラスクが迫る。その巨体に触れた木々がはじけ飛ぶ。避けなければ、ニアも私と同様の末路を辿る。視線を前に戻したニアは跳躍せんと足に力を込め――。
――そうして、私は、本当の奇跡を見た。
あろうことかニアは、タラスクへと踏み込んだ。全体重を乗せた一歩。防御を捨てた渾身の一撃。わずかでもタイミングがずれれば、そしてわずかでも怯めば死に直結する特攻。私では絶対に選ばない……いや、選べない選択肢。その無謀とも言える一撃をもって、ニアはタラスクの迎撃に成功した。
タラスクが吼える。それほどの無謀を伴ったニアの一撃は、しかし、タラスクの突進を逸らしこそすれ、ダメージを負わせるには至らない。ニアは弾かれる体をなんとか支えながら、タラスクへと振り返る。そんなニアにタラスクは再び襲い掛かる。
……それを、いったい何度繰り返したのか。
一撃ごとにニアの剣の精度が上がっていくのが分かった。私が戦えば、勝率は三割以下。ニアであれば、果たして一割に届くかどうか。その十分の一の確率を、ニアは積み重ね続ける。
いつ終わるかも分からない綱渡り。わずかでもバランスを崩せば死に直結するそれを、しかし、ニアは渡りきった。
私であれば、そもそも勝率が半分を切れば勝負を避ける。そして避けた結果、私はこうして地面に横たわっている。故に、ニアの成し遂げたそれは、私では成し得ない偉業だった。
気付けば、傷だらけになったニアと、動かなくなったタラスクがあった。ニアの体は髪も、服も真っ赤に染まっていた。血に染まっていない箇所を探す方が難しい。返り血よりも、自分の血のほうが圧倒的に多い。
その場に力尽きて倒れたニアを背負って、私は山を下った。
か細い彼女の吐息を首筋に感じながら、私は涙した。私はずっと、ニアは私の後ろを追いかけてきてくれているのだと思っていた。
……なんという思い上がりだろう。彼女は私の後ろなどには居ない。
彼女は私の前を進んでいた。私は、剣の天才だ。だが、彼女の才能に比べたらなんと些細なものか。
ニアの才能。それは力でも、速さでも、技術でも、頭の良さでもない。誰かのためにわずかな可能性に全てを賭けられる覚悟。そしてその可能性を手繰り寄せる、感覚に頼らない確かな積み重ね。
それは即ち、地上における星の輝き――奇跡を起こす才能だった。
私は涙しながら思った。人々からの賞賛は私などではなく彼女にこそ、与えられなければならないのに、と。
……。
……そうして私たちはなんとか村へと戻り、ニアも一命を取り留めた。後日、倒れたタラスクを見て、村人達はそれを私が倒したものだと騒ぎ立てた。ニアが倒したのだと言っても聞く耳を持たなかった。むしろニアが私の足を引っ張ったのだと罵った。
……。
……それは、良い。いつもの事だ。しかし、一つだけいつも通りではない事があった。
山から戻ってからというもの、ニアの様子がおかしかった。話しかけても、何故か反応が悪い。名前を呼んでも、こちらに気付かない。初めはタラスクとの戦いの後遺症かと思っていた。しかし、戦いの傷が癒えてからもそれらの症状が良くなる事は無かった。
そして、私は間もなくその原因を知る事になった。正確には、彼女が何を失ったのかを知った。
ある日、村の人間が私の名を呼んだ。
『リズ』と。
当然、私はその声に振り返り……そして、その場に居たニアも――。
言葉による説得は無意味だった。何度、彼女に『貴女はリズではない』といっても、彼女の症状は治らなかった。
このままでは、『ニア』が消えてしまう。私を真似る事を止めさせなければならない。
……だから私は、ニアを私から引き離す事にした。ニアがこれ以上、私を観察し、真似出来ない様に。
引き離すのであれば、それは村の中では意味が無い。離れるならば、村の外。村の人間の手の届かない場所だ。幸い、と言うべきか。ニア一人ならば、居なくなっても騒ぎ立てられることはない。
私はその次の新月の夜、ニアを村から逃がした。幾許かの路銀と……私が使っていた、アスライトの剣を渡して――。
そうして、ニアは私の前から居なくなった。予想通り、ニアが村から居なくなって騒ぐ者は居なかった。私がアスライトの剣を紛失したのが騒ぎになった程度だ。
そして一方で。私は、再び独りきりになり、生きる目的を失った。
剣の修練は続けた。狩りも続けた。自棄を起こさず、村の掟にも従った。けれど少しずつ……確実に、私の気力は失われていった。そして、二年も経つ頃には、私も獲物を狩る事が出来なくなっていた。
もともと、獲物自体少なくなっていっていたのもある。でもそれ以上に、私が村人のために戦う意味を失ったというのが大きい。
そして村人達は……気力を失った私に対して陰口を叩くようになっていった。自分達も獲物を狩れないのを棚に上げて、言うのだ。怠慢だ、才能があるのだから責任を果たすべきだ……と。
私がニアの話を聞いたのは、そんな時だ。いや、正確に言えば、それはニアの話ではなかった。
「リズ・シルノフ・アジリエートを名乗る人物が、王都の剣術大会で優勝したらしい。」
そんな噂話を行商人が運んできたのだ。
しかし、私はここに居る。つまり、私以外の誰かが私の名前を騙っているのだ。
私は、それがニアだとすぐに理解した。そして同時に私は絶望した。ニアはまだ、私の真似をしたままだという事に。
ニアの症状の進行は、私が思っていたよりもずっと深刻だった。あるいは、ニアと揃って活動していると言われている死霊魔術師が症状を進行させたのだと思った。
村の人間の何人かも、彼女の正体に「もしかして、」と気付く者が居た。その推測は、半ば確定した真実として村人の間で広まった。王都の剣術大会での優勝。それは即ち、こと剣術に限るならば、世界最強の称号に等しい。
村人達は言った。
「なぜ名前を騙っているのかは分からないが、あれはあの『ニア』だ。」と。
村人達は言った。
「王都の剣術大会で優勝する程の腕ならば、きっとリズよりも強くなっているに違いない」と。
村人達は言った。
「やる気の無いリズに代わって、ニアを村に呼び戻してはどうか」と。
村人達は言った。
「そうだ、それが良い。きっとリズに代わってよく働いてくれるだろう――。」
その夜、私は村人達を殺した。
血に塗れた私の剣を前にして、命乞いをする者も居た。
「例えニアを呼び戻したとしても、お前を蔑ろにするつもりは無い。村一番の剣士は代わらずお前なのだか――」
その言葉を、私は最後まで聞かなかった。なんて滑稽な勘違い。村人は、私が、村での地位を失う事を恐れていると思っていた。だが私はそんな事に興味は無い。ただ、貴様達がニアに干渉する事が許せない――。
……。
全てが終わり、燃え盛る家々を眺めながら、私はこれからどうするかを考えた。きっと私は殺される。このまま待てば、捕まって死罪になるのは間違いない。さもなければアジリエートの一族からの制裁を受けるだろう。
けれど、私自身には村人達を殺した事に罪の意識は無い。故に、罪を償う事など端から考えに無い。そんな事を理由にして殺されるのは御免だ。死ぬと言うのなら、それは、心残りを全て片付けた後だ。
心残り……それはやはりニアの事。
『リズ・シルノフ・アジリエート』
私から離れてなお、彼女はそう名乗り続けている。私は、それを正さなければならない。あの日見た奇跡を、私なんかのために消せはさせない――。
◆
「嫌だ、嫌だよぅ……リズ……。」
私に縋りつき、泣きじゃくるニアの姿は、親を失った幼子の様だった。まるで、私が居なければ生きていけはいけないと言う様に。
……そんな事は、あるものか。私なんかが居なくても、ニアは生きていける。
それにたとえ彼女が心折れたとしても、彼女は一人ではない。トーファと、あの狩人の少女。
私は初め、彼女達がニアを利用しているのだと思っていた。トーファと言えば世界有数の死霊魔術師として名高い。そしてそれほどの死霊魔術師ならば、人間の魂を他人のものに書き換えるなど造作も無いだろう。だから、当初の私は、彼女がニアを害しているのだと思っていた。ニアの魂を壊し、リズとしての存在を定着させ、その人格を利用しているのだろうと。
だが、今ならそれが私の誤解だったのだと分かる。トーファ、そしてあの狩人の少女。彼女達は命を賭して戦っていた。状況が不利であろうと、実力が劣っていようと引こうとはしなかった。……ニアのために。
……ニアが突き立てた剣によるものの他に、体の芯に残る痛みと脇腹から流れるドロリとした感触があった。決着と言うのならば、もう、とっくについていたのだ。狩人の少女から受けた最後の一撃。あれは、紛れも無く致命傷だった。ただ、気力だけでここまでもたせただけの事だ。明らかな実力差がありながら、決死の覚悟をもってその差を埋めた。それが出来る彼女達ならば、正しくリズの理解者になってくれるはずだ。ただ今までは運が悪かっただけのことだったのだろう。リズの症状は私が考えていたよりもずっと深刻だった。誰に唆される事は無くとも、ニアは自分自身を失っていた。
……でも、それももう終わりだ。私と剣を交える事で、ニアは自分がリズでは無い事を思い出した。ニアが思い描く『理想のリズ』と実際の私との差を知らしめるために、「リズを殺して入れ替わる」などという嘘を吐き続けた。挙句の果てには「ニアの仲間を殺す」とまで言って、生きる気力を失っていたニアを奮い立たせる事までした。
いや、後者はともかく、前者は結果的には言葉通りになったのかもしれない。私は、彼女に巣食ったリズ・シルノフ・アジリエートという幻想を殺したのだから。
これでもう、心残りは無い。こうしてニアの強さを証明し、殺してもらう事さえ叶った。私は、私のやるべき事を、終えた。満足だ。
私は最後に、泣きじゃくるニアの頬に手を伸ばす。腕は鉛のように重く、その重さがこれが本当に最後なのだと告げていた。たった数十センチの距離が余りにも遠い。それでもなんとか、彼女の頬に触れる。手の感覚はとっくに麻痺していて、彼女の温もりを感じられない事だけが、少しだけ寂しかった。もう、声を発する事も出来ない。その代わりに、出来うる限り穏やかに微笑み返す。
「嫌、嫌、嫌!!!待って!置いて、いかないで……!」
ニアの、あまりにも悲壮な叫び。でも、それに応えることはもう出来ない。頬に添えた手は、一筋の血の跡を残しながら滑り落ち――
「悪いけど。簡単になんか終わらせないわよ。」
ガチリ、と。
聞き覚えのある声に意識をわしづかみにされた。
「……ぁ。」
私とニアがその姿を捉えたのは同時だった。夜空の闇に舞う灰金の髪。魔術の残り火に照らされて輝く赤色の瞳。
当代一の死霊魔術師、トーファがそこに立っていた。
「トーファ!トーファ!助けて!リズを……!リズが……!」
ニアがトーファに縋りつく。トーファはそんなニアを見て僅かに頬を緩ませるが、しかし次の瞬間には底冷えのする冷たい表情を作った。
「……二人とも時間が無いから単刀直入に言うわ。全てを助けるのは無理よ。」
その断定に、ニアの肩が震える。
「でも、全部は無理でも半分だけ路を拓く事なら出来る。……死ぬはずの人間の半分。それを誰かが補えば……ね。貴女は、その対価を支払う覚悟はある?」
トーファはその冷たい目でニアを見据える。どれだけ覚悟があったとしても、並の人間ではたじろいてしまうだろう。それに――
「あります!私が支払う!何を持って行ってもいい、だから――」
ニアは即答した。それを見たトーファは、ため息をつきながらその表情を崩す。
「でしょうね。貴女なら、そう答えるって分かっていたのに。」
少し意地悪だったわね。そう言いながら縋りつくニアの横を抜け、トーファは私の目の前に立った。気付けば、私の心臓の鼓動はとうに止まっていた。それにもかかわらず、意識がまだ落ちない。意識はおろか、自分の存在全てが空中に固定されているような強烈な違和感。それが、トーファが私に施した延命措置だと気付く。
「貴女に拒否権は無いわ。はっきり言って、私は貴女に興味は無い。けれど……奪ったからには、最低限の責任を取りなさい――。」
そう言って、彼女は私に突き立っている剣に手を添えた。「トーファ」と、ニアが心配そうに声をかける。そんなニアを振り返ってトーファは言った。
「大丈夫よ。最初の最初に言ったでしょう?『死なない限りなんとかしてあげる』って。」
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