僕の天使は恋を知らない。

水木レナ

第1話僕の天使は恋を知らない。

 津久井三春(つくい みはる)。花もかすむような美少年。高校二年生だ。

 お昼に文芸部の一室にて、本棚の間で腕を組み、いらいらと足を何度も組み替えている。

 お相手は、お目めぱっちりの化粧補正済の子。

「先輩、好きです」

「興味ないね」

「そんな、私、先輩のことずっと見てて」

「ほう。それは僕をストーキングしていたという意味か」

「ちがいま……」

「なら、なんだね。僕の何を見て、好きだのなんだのとほざくのかね」

「先輩の、すべてが好きです!」

「君はいつ、僕のすべてをみたと言うのだね。心の中は言うまでもなく、自分自身ですらわからない、僕の何を見てすべてと言うのだね」


 ばしん!


 急に津久井三春の詰問攻めが遮られた。原因は、部誌で背後からひっぱたかれたからである。

 振り返ると、そこにいたのは黒髪、三つ編み、メガネっ子という、三種の神器をそなえ、なおかつ目鼻立ちもそう悪くない、いまどきレアなキャラであった。

「なんなの? ひとんちの部室で痴話げんかって、犬もくわないっていうのよ。さっきから一歩も話が進んでないじゃない!」

「犬も食わないとは夫婦喧嘩のことなんだが、見たとこ通りすがりの君になにがわかる。なんだい、もしやストーキングしていたのかね」

「ちょうどできたての部誌を読んでいた、ここの部員よ!」

「眉が太いな」

「だまれ! この……」

 ちっちゃな拳をふるわせて、文句を言おうと細い足をふんばっている。

「部員だったら、赤の他人の会話を盗み聞きしてもいいというのかね」

「この聖域で、ツッコミオンリーの漫才など、聞きたくて聞いたんじゃないわ! うるさいけどすぐに済むだろうと我慢してたのよ!」

「そういうことか……」

 津久井三春はためつすがめつ相手をみた、と言うより看た。

「あ、君はある程度こらえ性があるが、我慢し続けると爆発するだろう。わりと、小出しに」

と、にこやかに言うが、学年色違いのネクタイは緑色。紅色の彼女の方が先輩である。

「私のことなどどうでもいいわ! 部室から出て行って!」

 蹴りださんばかりの剣幕に、天然ムーンウォークで引き下がる津久井三春。先ほどの女子はさっさと見切りをつけて出ていったらしい。

「名前、なんていうの?」

「ナンパか! 表へ出なさい!」

 ばしん、と戸を閉めて、部屋の内と外とを切り離してしまう。

 けれど、福沢志津子(ふくざわ しづこ)は、よく聞こえる耳で聞いていた。

「エ―……津久井先輩ってそうなんだ。見切りつけて正解だよ。すっごい変人」

 などと、先ほど津久井三春より先に出て行った女子が、いかにもな慰めをいただいて、友人に泣きつくのが、もう、目に見えるよう。

「お昼がまずくなっちゃう」

 頬を膨らませながら、部誌を机に置くと、弁当の包みを開いた。

ずらっと並んだ本棚以外に誰もいなくなった部室。志津子は大体、この光景に慣れてもいるから、先ほどのシチュエーションはちょっとしたイレギュラーだったのだ。

「ちょっとは場所を考えて告ってよ。たった一人とはいえ、人のいるところでさ」

 小さな弁当を空にしてしまうと、また部誌を読む。同じクラスの部長が、ミニミニコラムを書いていて、すごく面白かったのに、先ほどのやりとりが、あまりに衝撃的だったので気が動転している。

 部に置いてあるノートパソコンを開けて、ワープロ機能を立ち上げる。こんなときはネタにしてしまうに限る。

『先輩、好きです』

『なんで俺なんかを?』

『ずっと見ていました』

『俺のなにを、見ていたの? わからないよ』

(うーん。こういう感じかな)

 そこまでセリフを考えながら、キャラクターを分析し始める。

(いやいや、あの強烈さは、こういう甘さとか戸惑いなどとは完全に逆ベクトルだったわ)

 デリートする。

(ストーカーか。なんにも知らない相手から「ずっと見ていました」って言われたら、内心引くかもしれない)

 もう一度打つ。

『先輩、ずっと好きでした』

『お前誰?』

(? 話にならないな。なんだかすれ違っている。彼にしたら、初対面なんだよね?)

 ふー、と息をつきながらノートを閉じる。

(そもそも、知らない相手からの告白を、素直に聞ける男ではないんだな……)

 パソコンの上に頬をつけて、結局なにもわからずじまいだ。目をつぶると眉根が寄った。

(とりあえず、私の立場からすると、二人とも迷惑なだけの存在だったわ)

 おまけにネタにもならない。なぜあのようにつまらない男に、女が食いつくのであろう。




 ところが、次の日。

「好きです、津久井くん!」

「なんで?」

 と言う声が、またも文芸部の部室から聞こえてきた。

(なんでまたやってるのよ?! しかもここで!)

 志津子は部室手前で引きかえし、教室に戻った。

(仕方がない。お弁当一人で食べちゃおう)

 部室でも一人だったが、好きな本に囲まれて、好きにできる時間があって、それは幸せだった。




 なのに次の日。

「津久井君、つきあってよ」

「は? 僕が何に付き合わねばならないって?」

「津久井君と私が、フォーリンラブ。えへ?

いいでしょう?」

「発音が不明瞭で理解できない。ついでに何がいいのかもさっぱりだ」

「だから、あんたとステディな関係を持ちたいって言っているの」

「僕をあんたと呼ぶのはなぜだ? 使い慣れない英語を、日本語発音で唱えるのは感心しないな。面倒だから略すが、いやだ」

 福沢志津子は奇声をあげて、裏から本棚を力いっぱい、突き倒した。どさどさと本が向こう側へと雪崩を起こす。埃がたった。

「ちょっと、そういう断り方ってあり!?」

「へ? シヅ、なんであんたが」

「あ、イヅミ部長!」

 空になったステンレス組み立て式の、本棚越しの邂逅であった。

「そういう部長こそ。なんでこんなところで」

「あーあー、ガラスの仮面が床一面に……」

「ごまかさないで下さいよ」

 二人して床にかがみこむ。

(あいつ! 部長に対してまで、なんという態度! 思い知らせてやる)

 キッとして振り向くと、すでにそこに津久井三春の姿はなかった。

「あ、シヅ。ドラえもんとガラカメ、本棚にもどしといて。こちかめ戻したから」

「え……」

「邪魔した罰」

「え~~」

(こうなったらあいつに復讐あるのみ!)

 



 福沢志津子がそんな覚悟を決めているとも知らずに、津久井三春はときめきを覚えていた。

(あの女、空気読まない! 本棚の蔵書崩して怒鳴ってくるなんて、面白い。実に面白いサンプルになりそうだ)

「おい、津久井の奴が笑っているぞ」

「ドラえもんでも読んだんじゃね?」

「行くか……」

 ほう、と聞いていた津久井三春は溜息をつく。

(そう、同性間ではまるっきりと言っていいほど冴えないこの僕に、告白などおこがましいことこの上ない)

 本音はおとなしい僕ちゃんなのであった。

(だがしかし! 何もかもがこれからの男、津久井三春、今日は殺人級にすさまじいものを見た。うれしい、楽しい。幸せだー)

「おい、津久井の奴がスキップしているぞ」

「どうでもいいが、あいつを探している奴いるぞ、確か……園芸委員だ」

「なんだ、委員会か」

「あいつが土いじりなんて想像つかないけどなー」

 そうとは知らない福沢志津子、涙の出るような思いでガラスの仮面とドラえもんを本棚に並べ終わった。昼休みがチャイムで遮られ、息が切れた。運動不足である。

(復讐してやる、とは思えど……相手は一日一回は乙女の告白を袖にする男よ。いったい、どーやって?)

 またも、ノートパソコンの前でのめってしまうのだった。

(おっといけない。遅刻、遅刻!)




 石崎イヅミが三年生専用の自習室から出てきて、福沢志津子をいち早く見つけた。彼女はなにか、まごまごと鞄をあさっている。思うや、人にぶつかってペンケースやらノートやらを床に散らばらせてしまう。

(あーあ。大丈夫、じゃないやね)

「おちびちゃん、そんなにあわててどうしたの?」

 流し目で怪しい笑みを作るのは部長だ。

「速水真澄か! 移動授業だよ。もー、次なんの選択だったっけ?」

「あたし、自習~。あ、もしかしてタイムテーブル、忘れたの?」

「というより、なくした! イヅミ部長助けて!」

「ほいほい。記憶をたどると、毎週この時間帯には悦ちゃんの話題で盛り上がってたね。道原センセの古典IIじゃない?」

「感謝――」

「いやいや~。毎度のことだからねん」

 ちらちらとこちらを見る女子の目が冷たい。しかし構う間もなく、隣り校舎へと走る福沢志津子。

「ほんと、なんなのあの娘!」

「そうよそうよ。いくらイヅミがやさしいからって、絶対いい気になってる!」

 くるり。とイヅミ部長は背を向けて、

「真面目なんだよ。いくら同じクラスで部が同じだからって、間違ってもタイムテーブル盗まれたとか言わない。あゆとこいいのよん」

「なっ!?」

「まあ、あんまり陰でコソコソやられると、あたしも黙っちゃおれないんだけどねん」

「陰でコソコソって……あたしたちは別に!」

「おりこうおりこう。そうやってつるんでりゃ誰かが影を作ってくれる。いいんじゃない? 助け合い精神。グロテスクだけど」

「イヅミ~~」

「あたしはね、進学校来たくせに、自分でノートも作らずに、テスト前だけシヅに頼っておいて、裏で陰口叩く誰かさんたちが大嫌い」

「イヅミ……」

「そんな、イヅミがそんなこと言うなんて」

「やっぱり福沢が……」

「イヅミ、一年からの親友じゃん。そのあたしたちの話に耳をかすぐらい、バチ当たらないよ?」

「それをやめろっていってんのよ! あたしは!!」

 机の脚を蹴って立ち去ろうとするイヅミに、女子らは驚く。

「だっ、だって、福沢ってあちこちでいろいろ言われてるよ? 空気とか読まないし、今みたいにスカート翻して廊下走るとかさ」

「そんなの、あんたたちに関係ないでしょ」

 前方に回り込む彼女らを一蹴するイヅミ。

 どうして誰もかれも、やんわりとできないのか? それはイヅミにもわかっている。クラスの男子のほとんどが志津子のファンだからだ。

 福沢志津子。大きな黒目がちの瞳は、メガネを除けばいつもキラキラしている。今まで一度も染めたりしたことのない黒髪は、束ねたおさげ。それすら、見る人が見ればわかってしまう、パサつきのない美しい光沢の、輝くような良質の髪。アルカイックスマイル。

 イヅミは、図書館にて息をつく。

(やっぱ、シヅにちゃんと話したほうがいいのかなん……? うーん……受験前シーズンよん? 誰が誰って特定しづらいんよねえ)

と、机に両手を組んで肘をついてうなだれていると……。

 ふと、ゴミ箱の透明フィルターごしに、細かく砕かれた何かが目に入った。

(うん、図書室のシュレッダーか。考えが甘いな。コンピューター室かその他機材置き場のモノならともかく、お手軽過ぎて涙出る)

 暇つぶしに中身の破片を取り出して、つなげてみるとあら不思議。

「今日の四時限目……古典II。このキラキラペンはあたしのと同じ。察するに……いや、これしきの謎が解けないあたしではないよん」




 臨時室では、司書教諭が紅茶を淹れてくれた。なぜなら、イヅミ部長は文芸部の部誌を作るにあたって、必要資料と言っては図書委員に紛れこんで、一緒に「本の流通センター」へ行ったり、読書部との兼ね合いで読書会にすすんで参加している。では文芸部はほぼ趣味的なのかというと、逆である。彼女は文芸部存続のために、図書委員および読書部とつながっている。


「ねえ委員長、この書類に憶えある?」

「え? そそれはあー」

 明かな動揺に、手ごたえを得た。

「はっきり答えて。それによって共犯かどうか認識を変えるから」

 今まで信用してきた相手である。疑いたくはなかった。

「共犯だなんてそんな――」

「あのねこれを無くしたって言ってる子がいるの。そしてこうして図書室のゴミ箱から出てきたってことは、人為、いいえ犯罪よ」

 委員長の顔がこわばった。

「犯罪? どうして……」

「どうして? 人の鞄から物を盗ったら、窃盗でしょ。しかもシュレッダーにかけられてた。ということは、器物損壊にあたるわ」

「それは、なにかの間違いじゃ……?」

「シュレッダーを使ったのはあなたなんでしょ?」

「さ、さあ。はっきりとは憶えてないわ」

「ねえ委員長。お昼時間の担当者は割れてる。それはあたしが、読書部と図書委員に顔がきくから。そろそろまともに答えてくんない?」




『バレた……イヅミに』

『え? 福沢志津子のこと?』

『まずいよ。今日屋上に……』

『バレたああああ!?』

『あもう、結末見え始めた』

『まずいよ……』

『まずい……』

『でもだって、なんでえええ!?』

『そんなの、あたしらにわかるわけないじゃない』

『バレたって、どこまでバレたの?』

『知らないよ。図書委員長が尻尾つかまれたって』

『まっずいでしょおおおお! それ!!』




 福沢志津子は放課後になって、屋上へ行った。別段、用はない。ただ、手もとにピンクの便せんがあった。

 空は高く、トンビがくるりと輪を描いていてもおかしくはない。

(変なのよねえ。放課後、私が何時に帰宅するか、わかってるかのような書きっぷり。三年生は授業に出ない子もいるっていうのに)

 三年生は受験間近で、選択授業以外出席しないし、朝のホームルームもない。

(ピンクの便せんなんて、絶対オンナノコだと思うんだけど……)

 考えていると、屋上のドアが音を立てて閉まった。

「え――?」

 すぐに駆け寄っていく福沢志津子。

 屋上に誰か人がいる場合、ドアは開け放っておくことに決まっている。入り口からそう離れていないところにいた福沢志津子の姿が中から見えなかったはずはない。だれかが故意に閉めたのだ。案の定、内側から鍵が閉まっている。

「開かない……どうして?」

 急に背筋が寒くなった。太陽は西に向かってどんどん沈み、夏の間も白い雪に覆われていた富士の山頂へと姿を隠し、天上は紫がかった薔薇色で、一番星が光りはじめていた。

「誰か――! まだ、ここに人がいま――す! 開けてくださーい」

 このまま誰も来てくれなかったらどうしよう? 福沢志津子はふと首筋に触れた夕刻の風に身を震わせた。

(もっと大きな声で……)

 そう思った時だった。

「せんぱーい!」

 と、お花が一面に咲いたかのような、のどかな春めいた声がして、

 ばあん!

と、外開きの屋上のドアが開いた。

 そこに現れたのは、緑のネクタイに、茶色いチェックのブレザーと同系色のズボンをきっちり着こなした、津久井三春だった。

「あ、あんただったの!? この手紙!」

 それには放課後、屋上に来てください、云々と書かれている。

「知ってたら来なかったわ! 最低」

「え? それだったら、屋上のドアの前にたむろってた女子が一番あやしいと思うよ」

 がちゃん! 

 またドアが閉まる音。さすがに過敏になって、確かめにいく。鍵がかかっている。

「いつ屋上の鍵はオートマになったっていうの? なんであんたはドアを押さえておかないの!?」

「え? いやあ。僕先輩に花を見せようと思ったら、ちょうど屋上へ行ったっていうから」

 ぽりぽりと頬をかいて、照れくさそうに、しかし無遠慮に両手を差し出した。

「そう。いいけれど、これ校門前につぼみ付けてた月下美人じゃないの? もうすぐ咲きそうだった奴」

「さすが先輩」

「それを根っこごと……まさかとは思うけど、勝手に引き抜いてきたんじゃないでしょうね?」

「勝手に引き抜いてきました!」

「戻しなさい!」

「えー? 先輩知らないんですか? 月下美人って、咲いてるところ見たことあります? 夜に人知れず咲くんですよ? 清楚でしょ?」

「それを根っこから抜いてきたら、台無しでしょうが!」

「これ、もう今夜咲きますよ。園芸委員が言ってました」

「かわいそうな園芸委員……」

 頭を押さえる福沢志津子を尻目に、ワクワクした顔をして津久井三春は続ける。

「月下美人が咲いてる数瞬の間に、願い事をかけると、かなうって噂ですよ!」

「へえそう。じゃあ、今すぐここから出て家に帰りたいわ」

「お嬢様なんですねえ! あ、お姫さまかな? 門限あるんですか?」

「応える気にならない」

「あ! じゃあ、一年の校舎の方から一階へおりたらいいんじゃないですかね?」

 ふうっと、福沢志津子の肩から力が抜けた。

その手があったか、と。

 渡り廊下でつながっている一年と二年の半分が教室に属している校舎は三年と二年の半分が属する校舎と、ちょうどアルファベットのHの形になっている。屋上も簡単なフェンスで仕切られているだけで、行き来は可能だ。

(もしかして、こいつって頭いい?)

 思いながらフェンスを越えようと、足を持ちあげると、津久井三春は先に飛び越え、なにかを待ち受けるように両腕を広げて立っている。

「なに」

「だって……」

 やや困ったというような顔をして、福沢志津子を抱き上げてしまう。そのまま腰までの高さのフェンスを越えて、そっとおろした。

「スカートがちょっと微妙な長さですからね」

「ひ、一人で越えられるわよ、このくらいの高さ」

「僕、一応、男ですから」

「?」

「大好きな先輩の下着なんて見えちゃったら、悶絶ものです」

「はああ!?」

 下着なんて見えないわよ!

 福沢志津子は自らスカートをめくって五分丈のレギンスを履いているのを見せつけた。

「どう? 心配には及ばないのよ? べーだ」

「うーん。大胆な。それではご要望にお応えして僕のボクサーをお目にかけましょう」

「へ?」

 かちゃりとベルトを外し始める。

「ちょちょ、ちょーっと! なにしてんの、あんたは!」

 直後に福沢志津子は津久井三春を突き飛ばしていた。月下美人は放り投げられて、無残に転がった。

(え? なんでこんなに簡単に……ていうか、軽いわね。ちゃんと食べてるのかしら)

 細い両腕を改めて見つめてしまう。津久井三春はまだ転がっている。

「あんた、おおげさ!」

 それを福沢志津子は踏む。

「あいてっ」

 悲鳴をあげてごろごろと転がる津久井三春。

「わざとね? わざとでしょ! わかるんだからー!!」

「あいててえ! 待って、まっ、ちょっとおおお」

 と言っていたが、じきに笑い始めてしまう。

「あはは。そうですね。わかっちゃいますよね……」

「なによ! なんだってずっと転がってるのよ!」

「だって、先輩のキックって仔猫がじゃれてるみたいなんですもん」

「顔、踏むわよ!」

「かわいいなー。先輩、僕いたくもなんともないです!」

「からかってるの!?」

「それで全力なんですか? え? 本当に?」

「うっさい!」

 津久井三春の挑発に乗って、蹴りを入れ続ける福沢志津子。

「ひえええ! おたすけをー」

「この! 痛くなくても屈辱を与える方法ならあるんだから」

「へえ、どんな?」

 すっかりくつろいだ姿勢で寝そべる津久井三春。

「これよ!」

 福沢志津子はつま先を相手の顔面に入れようとした。鼻を狙っている。軽く入っても、鼻血を吹くこと必至だ。

 だが、その動きがピタッと止まる。

「な……卑怯だわ!」

 津久井三春は顔の前に、放り出されていた花を構えている。

「ふふふ。先輩、花ごときになにを動揺してるんです?」

「だって、それは月下美人じゃない! 園芸委員に返しなさいよ!」

「残念。この花は校門の外に植えられていたもの。すなわち、園芸委員は関係ない。近所のマンション住まいの方が植えたのだろう」

「一応学校の敷地内でしょ!?」

「そうは言っても、事実だからなー」

 鈴虫の鳴く声がして、涼しい風が吹いてくる。

「うう、夕方の風がすうすうする」

「帰れば?」

「帰りたいわよ。帰りたいけどッ」

「ア……あー(なんだろう?)」

「あ! もう、つぼみが膨らみかけてるじゃない。その花!」

「え? いります?」

 津久井三春が無造作に花を差し出す。

「え? だってそれじゃ、ご近所のマンションの住人さんが!」

「学校の敷地内のもんでしょ? だれのものでもないんだから。こんなの一生に一度ですよ、たぶん」

「え、ええー? どうしようかな」

(どうしようかなって!)

 津久井三春は、全身を震わせて笑いをこらえていた。

「じゃあ、僕から願いを叶えてもらいましょうか」

 へ? という顔をしていた福沢志津子は、ようやっと気をとりなおす。

「そそうよね。あなたも根こそぎ持ってくるからには、相応の願いがあっても不思議じゃないわ」

 そういう福沢志津子をチラッと見る。

「なによ。その含み有りそうな顔つきは」

「いえ。それでは遠慮なく」

 だんだんとふくらみを増す月下美人に、やさし気な視線を贈る津久井三春。

「僕に、やさしくって、先輩みたいにかわいい、恋人ができますように! 以上」

 と言って、貴重な花を屋上から放り出す。

「えええー!? たったそれだけ? ていうか、なんで下に投げ捨てるのー!? 貴重な花!!!」

「先輩が僕の願いを取り消さないように」

「しないわよ! というより、あんたに恋人何てできるわけないと思う」

「そうですか? ここで黙って、先輩が「わたしでよかったら」とか言って抱き着いてくれたら、叶うんだけどなあ」

「あんた連続三日、毎回女子を振ってたじゃない。理想高いの?」

「ええ。高いと言えば高いですね」

 福沢志津子はおそるおそる聞いてみた。

「それって、どんな?」

「少なくとも学校に化粧してくる一年生とか、話したこともないにも関わらず、交際を迫る女子とか、年上をかさにきないひと」

 イテテ、と福沢志津子は頭を抱える。

「潔癖で、人見知りで、反骨精神が強いことはわかった。でもあんた、人との距離感ものすごくあるのに」

「先輩は別ですよ」

(え……?)

 少し強めの風が吹いてきた。彼女はスカートがひらめこううとするので、押さえた。

「僕の言うこと、わかります?」

「全然!」

「そこがいいんですよ」

「あんたどうかしてるんじゃないの? どうして私が、あんたに抱き着いたり、理解したりしなくちゃいけないのよ」

「そりゃまあ、その方が僕がイニシアチブをとる側にまわれるから?」

「はあ?」

「今現在そう言ってる先輩には、好きな人いないでしょ? アタックし甲斐があるなって」

「???」

「願いは最終的なものですからね。それまで僕にも片想いの醍醐味を味合わせてくださいよ」

「趣味悪!」

「えーそうですか? 女の子の趣味はわるくないですよ? ただ……」

 追う方が好きなだけですよ、と福沢志津子を出口へといざなう。彼女は、悔しいけれど、エスコートはじょうずだと思った。


                END

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僕の天使は恋を知らない。 水木レナ @rena-rena

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