第4話 「自慢」
自慢、ですか。私のような卑小の者が、自慢などおこがましいこと。しかし、私という物語を一冊ひっくりかえし、ばさりばさりと振ってみれば、どこかの一ページ、その数行、あるいはしおりの一枚でも、見つかるやも知れません。
いや、お待ちください、……ああ、そういえば。思い出しました。私、かつてとある公国に呼ばれ、恐れ多くも公爵ほか御一同の面前で、演奏をさせていただいたことがございます。その公爵一家が、また一癖も二癖もある方々で――ああ、思い出すだけで、愉快な気持ちになります。では、そのお話をさせていただきましょう。マダム・アヤカ――ああ、お気を悪くしたのなら失敬、美しい女性への、敬愛を込めての呼び名です。この国では、別の呼び名の方がよろしいのでしょうか――とにかく、どうぞひと時、私の語りへと耳を傾けていただけませんでしょうか。物足りないようでしたら、後程一曲、お好きな曲を弾いて差し上げますから。
その公国の名は……そう、ツヴィッシェルン。――ツヴィッシェルンです。ツ、ヴィ。軽やかながらも気高く、歴史を感じる名前でしょう。――ええ、ツヴィッシェルン。地図で見かけたことがない? おや、その地図は嘘つきだ。あれほど豊かで美しく音楽に満ちた国を、地図から外してしまうとは――ああ、きっと地図の作成者が、あの地を人口に膾炙するのが惜しく、別の国の名と色で塗り隠してしまったのでしょう。
さて、私が公国を訪れた当時の君主こそ、シュワルベ五世。フルネームを、シュワルベ・スター=ナフ・ドロッセル・シュペルリング・ヴァハテル・オイレ・ツヴィッシェルン。……もう一度? ご勘弁を。他国の君主の名を呼ぶ際に、万が一にでも噛んでしまっては、大変なことになりますからね。
さて、シュワルベ五世は国民からの信頼も厚く、穏やかな、恰幅の良い、世の人々が貴族階級と聞いてすぐに思い浮かぶ全ての特徴を備えておりました。ツヴィッシェルン公国の礼服である燕尾服と、中世のような豊かなひだ襟、くるりと巻いた口ひげがお似合いのお方でございました。シュワルベ五世の腰かける王座には孔雀をはじめとしたさまざまな鳥の羽がふんだんに使われ、鮮やかに飾り立てられておりました。
シュワルベ五世の奥方はレルヒェ侯妃、澄んだ声をお持ちの麗しいお方でした。第一公子はファルケ様、第一公女はドロッセル様。どちらも幼いながらに聡明で、かつ子供らしい無邪気さと明るさを持ち合わせた方々でございます。
さて、このツヴィッシェルン公爵一家に恐れ多くもお声掛けいただき、私は親友のヴァイオリンを携え、かの公国を訪れたわけでございます。はて、何年前の話になりますでしょうか。実り豊かな小麦畑が連なる小道を通りがかれば、国の人々が顔を上げて声をかけてくださり、街の門をくぐろうとすれば門兵全員が一列に並び迎え入れられるまでの歓待ぷり。私のような若輩者もそのように扱って下さるとは、なんと心豊かで余裕のある方々なのだろうと感心した次第でございます。
さて、この公爵一家、ひいてはこのツヴィッシェルン公国のユニークなところ、でしたな。それは、彼らの持つ音楽性。音楽をこよなく愛するかの公国は、まるで歌うように話すのです。あちらでも、こちらでも、賑やかなおしゃべりは音色を持ち、街中に響き渡ります。まるで森の中で聞く、鳥のさえずりのように。
公爵一家は、その君主たるにふさわしい美声の持ち主でございます。なんでも、公爵夫人を選ぶ際には、容姿や知識と並び、いや、声こそが最も重視されるとか。
また、我々は得てして、話しすぎる者は敬遠される傾向にございますが、かの国ではそれは通用いたしません。むしろ、寡黙こそ厭われるもの、朝から晩まで町中を歌声で埋め尽くすがごとく、人々は話し続けるのです。
しかして、その美しき人々の声を、私も滞在中ずっと耳にしておりましたが、……ああ、何と申しましょうか、その、……言葉を選ばずに申しましょう、私の拙い耳では、どうにも聞き取ることが難しく。宿屋の主が語り掛ける声も、道行く人々がかける声も、私には音楽や、鳥のさえずる音色にしか聞こえないのです。いえ、これはぜひ、一度足を運んで、ご自身の耳で聞いてみるのがよろしいでしょう。私が申した意味がお分かりいただけるかと存じます。
さて、話を戻しましょう。公爵の前に立ち、わたくしは身も震えんばかりの感動と緊張の中、数曲を献上した次第。その震えは、分不相応にも公爵家に招かれたという誇りと不安よりも、どのように会話をつなぎ続けるか、といった点に端を発しておりました。会話を途切れさせては失礼にあたる故、いかに語り続けるかと、公爵一家の暮らす城へと向かう道中、腐心しておりました。
そうして、気づいたのです。公爵、シュワルベ五世の眼下で、私はこう申し上げました。
「麗しき公爵閣下、わたくしめは一人街々を流浪する旅がらすでございます。それ故、人々と交わす言葉を失って久しゅうございます。どうぞ今宵、皆様よりいただくお言葉には、音楽でお返事をさせていただくことをお許し願えますでしょうか」と。
シュワルベ五世は寛大にも深い思慮をお持ちのお方でございます。私のそのような申し出も、大きな頷きと、朗々と響く、高く澄んだお声で持って、快く応じてくださいました。
一曲を弾き終えるごとに、侯爵一家をはじめ、家臣の皆様からの盛大な拍手をいただきました。曲間に、聴衆の間で交わされる囁きは、――例えるならば、夕暮れ時に一本の大樹に集まり、一斉にその日のことを語り合う鳥のような……賑やかさを持っておりました。皆々様の盛り上がりに応えるべく、私はヴァイオリンを構え直します。一音、二音と奏でれば、途端に人々の会話は収まり、咳一つすら聞こえない静寂が、大きな広間を包みます。私といたしましては、声をかけてくださった方へのお返事のつもりだったのですが。ともあれ、予定よりも早いペースで全曲を弾ききり、アンコールにお答えする形で数曲を弾き終えたときには、私も疲労困憊、指一つ動かせない状態でございました。しかし、広間を埋め尽くすような人々の視線と熱気、そして広間の高い天井までもを満たす聴衆の声は、私にとって最大の褒章でございました。
これが卑小な私の、唯一ともいえる自慢話でございます。――ああ、そうそう。私の自慢話ですが、多少の尾ひれ――いえ、尾羽がついていることは皆様もお見通しの事でしょう。そう、公爵の燕尾服のように、ね。
ヴァイオリン弾きはかく語る 轂 冴凪 @shorearobusta
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