5 『赤ずきん』

「……お兄ちゃんたち…………どうしてそんな目で、わたしを見るの?」


 赤ずきんちゃんは何とも不思議そうに僕たち四人を見つめた後、レイナの袖口をつまんでクイクイと何度か引き寄せた。


「ね、早く行こ? またオオカミさんが出てきたら……」


「え、ええ、そうね、早く行きましょう」


 レイナは曖昧に頷くと、赤ずきんちゃんに手を引かれるようにぎこちなく歩き始めた。それについて行くように、僕とタオ、そしてシェインも黙って歩き出す。


しばらくは誰も声を出さなかったために、無言の時間が続いていた。僕たちが再会した、猟師さんを倒したその場所から少しだけ歩いて集落が見えてきたその時、シェインが僕に小声で話しかけてきた。


「赤ずきんさんは、まさか、猟師さんが倒されたことに気づいていないなんてことはないですよね?」


「どうだろう……まさか、とは思うけど」


「猟師さんを倒したと知ったらもっと取り乱すだろうと思ってたんですけど……」


 シェインは少しだけ顔をしかめて、先を行く赤ずきんちゃんの方を見た。


「うん……僕も、きっと赤ずきんちゃんは泣いてしまうだろうと思っていたから。正気を保っていてくれて良かったけど、それでも不思議だよね……」


 シェインの言いたいことはわかる。つまり、赤ずきんちゃんがカオステラーで、メガ・ヴィランとなった猟師さんが僕たちに倒されるのは想定済みだと、だから彼女は慌てたり動揺したりしないのだと、そう言いたいのだろう。


 僕はそれでも尚、赤ずきんちゃんをカオステラーだとは思いたくなかった。シェインと目を合わせることがなんだか申し訳なくなって、前を見ても赤ずきんちゃんがいて、結局空を仰いで行き場のない視線をどうにか逸らすことができた。


 そのおかげなのかどうなのか。僕は、いつの間にか空に真っ黒い雲が浮かんでいたことに気づいたのだった。


「みんな! 雨が降りそうだよ!」


 僕は大慌てで他の四人に声を掛けた。できれば森の中で雨に当たることは避けたい。体温を奪われては動きが鈍り、戦いに支障が出ることくらいは知っていたからだ。


 それを聞いて全員が一度は空を見上げたけれど、真っ先に口を開いたのは赤ずきんちゃんだった。


「大変! お兄ちゃんたちが濡れちゃうわ……。わたしのおうちに、来て?」


 赤ずきんちゃんは心から心配してそう言っているようだった。


「赤ずきんさん、おうちにはお母さんもいるんでしょう? シェインたちが押しかけたらご迷惑では?」


 シェインにそう言われ、一度は困った顔をした赤ずきんちゃんだったけれど、心を決めたのか、首を大きく横に振って見せた。


「ううん、お兄ちゃんやお姉ちゃんたちが濡れてしまっては大変だから。お母さんには、わたしが言うから大丈夫だよ」


「ありがとう、赤ずきんちゃん。みんな、お言葉に甘えてお邪魔させてもらおうよ」


「エクス……」


 いまだに赤ずきんちゃんに袖口を掴まれているレイナは、振り返って僕に不安げな眼差しを向けている。


「赤ずきんちゃん、申し訳ないけど、家まで案内してくれるかい?」


「うん!」


 赤ずきんちゃんは嬉しそうに頷いた。



 それからまもなく森を抜け集落へと入った僕たちは、ひたすら赤ずきんちゃんの案内に従って歩いていた。ほんの少し前に来たときと変わっているのは村全体の明るさくらいだ。雨が近づいてきているせいか、次第に暗くなってきていたのだ。


「赤ずきんさん、ここですか?」


 ある建物の前でふと立ち止まった赤ずきんちゃんにシェインが話しかけた。


「うん、ここだよ」


 赤ずきんちゃんが立ち止まったのは、大きな家の前だった。ドアには簡素なノッカーが取り付けられている。そう、僕とタオが住人を呼び出そうとして失敗し、そのうえ背後から猟師さんに声をかけられた、その場所だった。


「ちょっと待っててね」


 赤ずきんちゃんはそう言うとその家の扉の前に立った。背が小さくてノッカーは使いづらいのか、ドアを直接叩いて中にいる住人を呼んだ。


「お母さん、わたしだよ! 雨が降りそうなの! おうちに入れて!」


 少女、そう呼びかけると、中で何か動きがあったのか一歩引いてドアノブが動くのを待った。


 そして扉がゆっくりと開き、家の中から女性が現れたのだった。


「あら、もう帰って来たの? 夜まで帰って来るなと言ったはずなのに」


「!!」


 その女性の表情を見て、僕は身の毛のよだつのを感じた。


「ごめんなさい、お母さん。でもね、このお兄ちゃんとお姉ちゃんたちをおうちに入れてあげて? 濡れて冷え切ってしまうわ」


「あらあら、お客様ね? 仕方ないわね、わかったわ。さあ、皆さんどうぞ。お入りくださいな。ほら、あなたは応接室へご案内おし」


 女性は僕たちの姿を見て表情一つ変えずにそう言った。


「はい、お母さん」


 僕がその女性を見てぞっとした理由はたった一つ。彼女が、不気味な笑みを浮かべていたからだった。



「ねえ、タオ……」


 赤ずきんちゃんの家の応接間に通された僕たちは、みんなで顔を見合わせていた。赤ずきんちゃんはと言うと、お母さんに呼ばれて「何か飲むものを準備してくるね」と言ってこの部屋から出て行ってしまっていた。


「ああ、坊主。わかってる。あの赤ずきんの母親の表情……まるで猟師と同じだな」


「え……? 猟師もあんなに気味悪く微笑んでいたってこと?」


 レイナは眉を寄せて小声でそう言った。


「ああ。この家にたどり着いてさ、ノックしても誰も出て来ねぇからしばらく待ってたら、後ろから猟師が現れたってわけ」


「なんだ、タオ兄たちは家に来ていたんじゃないですか」


 シェインはぷく、と頬を膨らませた。


「で、でもシェイン、ここが本当に赤ずきんちゃんの家なのかが確認できていなかったんだ」


「それは良いんです。なぜ赤ずきんさんのお母さんが居留守したのかが気になって」


「……なんだ、シェイン。思い当たることでもあるような言い草だな」


 シェインと一番長く過ごしているであろうタオは、彼女に思うことがあるのなら言えと促した。


「赤ずきんさんがドアを叩いていないせいだったのか……それとも、タオ兄と新人さんの二人だけしかいなかったからなのか、と」


「待って、シェイン。それって、赤ずきんのお母さんは私たち全員が揃うのを待っていたということ?」


「わかりませんけど、せっかく居留守したんですから、そのまま雨に打たれるシェインたちを締め出しても良かったわけです」


「なるほど……僕たちをここに入れてくれたのには、何か理由があるかもしれないということだね」


 僕は大きく頷いた。そこへ、応接室のドアを控えめにノックする音が聞こえた。


「どうぞ!」


 レイナがそう言って立ち上がり、音のしたドアを開けると、五人分のティーセットの乗ったお盆を危なっかしく抱えた赤ずきんちゃんがいた。


「ああ、僕が持つよ」


 僕は慌てて椅子から立ち上がって、少女からお盆を受け取ってテーブルに置いた。すると赤ずきんちゃんはまたすぐに出て行ってしまう。


「今度は、お菓子を持ってくるねっ」


そう言ってくるりときびすを返した少女の鞄から、何かが滑り落ちた。少女は急いでいる様子でそのことに全く気付かずに行ってしまったので、僕は仕方なくそれを拾い上げた。


「えっ、これは……」


「これはこれは、赤ずきんさんはもしかしたらシェインたちに何か伝えたいんでしょうかね」


「これ……あの子の『運命の書』じゃない!」


 シェインの言うのが正しいかもしれない。こんなに大きなもの、うっかり落として気づかずに行くなんて不自然だ。


「……エクス、本当に『空白の書』なのか、確認して」


「ええっ、勝手に開くのかい!?」


「いいから!」


 レイナにそう言われ、僕は渋々、表紙をめくった。すると。


「……なんだよ、びっしり書いてあるじゃねぇか」


 僕がめくったページを覗き込んだタオが呟いた。そう、彼女の『運命の書』には、少女の運命が書き綴られていたのだ。


「じゃあどうして、あの子は「白紙だ」なんて言ったんだ?」


 僕の問いには、あっという間に数行を読んだらしいシェインが答えた。


「赤ずきんさんはきっと、カオステラーの書いたこの記述を信じたんです」


 シェインは、『運命の書』の冒頭の記述を指さした。



――


【『赤ずきん』】


【この『運命の書』は、本来は白紙であったものである。】


【しかしいつのことか、悪のストーリーテラーがここに嘘の運命を記述した。】


【以来、この書の持ち主はその運命に翻弄され続けた。】


【だが、恐れることはない。】


【この書を手にした者は自由である。】


【偽の運命などに従う必要はなく、自分の道を常に自分で決定することができる。】


【また、それがこの書の持ち主の務めである。】


【この書は、『空白の書』である。】


――



「これって……」


「カオステラーはとんでもねぇことをするんだな」


 読み終えた僕たちは、口ぐちに短い感想を述べた。


「赤ずきんちゃんは素直で良い子だから、これを信じ込んでしまったのか?」


「そうかもしれないわね……」


 僕は全員が読み終えたことを確認して、そっとその『運命の書』を閉じた。


 その時だった。


「きゃあああっ!!!」


 耳をつんざくような悲鳴が、応接室の外から聞こえてきた。


「赤ずきんちゃん!?」


 僕たち四人は、慌てて部屋から飛び出した。


 声のした方へ行ってみると、赤ずきんちゃんが走って逃げて来るところで、僕たちを見つけるとすぐにシェインの背後に隠れた。


「どうしたの!? 赤ずきん!」


「お……お母さんが……っ」


「え?」


「お母さんが……悪い魔女になっちゃった……!」


 赤ずきんちゃんの指さす先を見ると、彼女の母親がいた。顔には笑みこそ残っているものの、その女性から放たれるオーラは殺気そのもので、一歩、また一歩とこちらに近づいてきていた。


「さあ、お客様? 私の邪魔をするというのなら、今ここで消えていただきましょうね」


「はぁ!? 何を言ってんだか、訳がわからねぇよ!」


 タオは赤ずきんちゃんのお母さんを怒鳴りつけるようにそう言った。


「訳がわからないだなんて……ふふっ、面白いことをおっしゃるのね。わからないはず無いでしょう。あなたたちは私を倒すためにここに来たんですもの、ね?」


「……あなたが、赤ずきんさんの『運命の書』に余計なことを書いた張本人ですか」


 シェインは女性を睨みつけながらそう呟いた。


「そうよ。私と、あなたたちが倒した猟師は愛し合っていた。それなのに、この小娘は彼を嫌がるんですもの。書に記された運命のままでは必ずこの子に邪魔をされる。だから試しに、この『運命の書』は嘘だ、と書いてやったわ」


「なるほど。そうしたら、素直な赤ずきんさんは見事に信じ込んでしまった、と」


 シェインの分析を聞いて、赤ずきんちゃんの母親は高らかに笑った。


「あはははは! そうよ! なんて愚かな子。みるみる私の言うことに従順になっていくんですもの!」


「ひとびとの『運命の書』を書き換えるうちに、『運命の書』さえいじれば天候まで操れると気づいたからですか。今日は夜まで帰って来るなと伝えたのは」


 シェインは目を伏せて溜息をついた。


「あら、賢い子は嫌いじゃないわ。その通りよ。家には帰れない。祖母の家は大荒れ……帰る場所もなく、ただただ森で大雨に打たれる。そうすれば、きっとその子は二度と帰ってこないでしょうからね」


「そんな……っ!」


 赤ずきんちゃんは母親の言うことが信じられない様子で唇をかたかたと震わせていた。シェインはすかさず赤ずきんちゃんを抱き寄せて安心させようとした。


「賢い子は嫌いじゃないけど、ちょっと邪魔なのよ。丁度いいわ。その小娘と一緒に消えなさい!」


 赤ずきんちゃんのお母さんだった女性は、あっという間に黒いコートをまとった魔女へと変貌した。次の瞬間、シェインと赤ずきんちゃんに向かって手を伸ばしてくる。


「させるか!」


 タオはその腕を払い、シェインと赤ずきんちゃんを一歩下がらせた。


「もう一つ聞きたいことがあります。よそ者の僕たちではなく赤ずきんちゃんを襲うようにと、ヴィランをけしかけたのもあなたなんですか?」


 しかしカオステラーは僕の質問には答えなかった。ただただ気味の悪い笑い声だけが部屋中に響き渡るだけ。


「もう戦うしかないわ! カオステラーを止めて、もう一度この想区を元に戻さないと!」


「うん、行こう! 赤ずきんちゃんは、安全なところで隠れていて!」


 赤ずきんちゃんは泣きそうな顔で僕のことを見つめていたが、頷いてさらに後方に隠れた。


「ふふっ、あなたたちに私を止められるかしら?」


 カオステラーは挑発的に笑っている。僕たち四人は、各々の『運命の書』に『導きの栞』を挟んだ。



――――



 僕たちはどうにかして、無事にカオステラーを倒した。


 そう思ったその瞬間。


 僕は、カオステラーの手から何かが撃ちだされたのを見た。


「えっ?」


 その直後、満足そうに高笑いをしていたカオステラーがその場に倒れ込んだ。


 しかし。


「!! おいっ、赤ずきん……!」


 赤ずきんちゃんの隠れていた場所を振り返って、タオが大声を上げた。


 慌ててそこに駆け寄ると、赤ずきんちゃんもまた、倒れ込んでいたのだった。


「これ……血……!?」


 僕は赤ずきんちゃんのすぐ近くに座って、状況を少しずつ把握し始めた。


「カオステラーは、最後に私たちに向けてじゃなく、赤ずきんに向けて攻撃した……」


 レイナはそう呟くと、赤ずきんちゃんの手を握った。


「赤ずきんさん……しっかりしてください!」


 シェインも近づいてきて、少女の傍に座り込んだ。誰の目にも、赤ずきんちゃんが瀕死の重傷であることは明らかだったのだ。


「お兄ちゃん……お姉ちゃん…………ごめんね」


 赤ずきんちゃんは、息も絶え絶えにそう切り出した。


「わたし、いつも微笑んでる人が、いい人なんだって思ってたの……猟師さんや、お母さんがずっと、そうだったから……」


「っ……」


 しっかりと僕の目を見つめた赤ずきんちゃんの目は、とても寂しそうなものだった。


「だから、ね、お兄ちゃんたち、ずっと恐い顔をしていたでしょう? わたし、悪い人なのかなって、思って……。でも違ったの。お兄ちゃんたち、とってもいい人、だから……」


 赤ずきんちゃんは、ほとんど力の入らない状態で、それでも尚、一度だけ口角を上げて見せた。


「だから、笑って? わたし、ね、お兄ちゃんたちの、笑顔、見たかったんだ……」


「そんな……赤ずきんちゃん……!」


 僕は思わず大きな声で彼女を呼んだ。そうせずにはいられなかったからだ。


「しっかりして、赤ずきん!」


 レイナも僕の隣で、しっかりと赤ずきんちゃんの手を握り、励まし続けている。僕たちの戦いに巻き込まれてしまっただけのこの子の手を、離すわけにはいかなかった。その時。


「お嬢! 早く、早く調律するんだ!」


 タオの必死な叫びが聞こえた。彼らしくない、取り乱したような言動に、僕もレイナもふっと顔を上げて彼の方を見ていた。


「でも! 赤ずきんが!」


「だからだよ!」


 レイナは断ろうとしたが、すぐにタオはその言葉も遮った。


「今のままなら、元通りにすればどうにかなるかもしれねぇ! けど……死んじまったらもう絶対に元には戻らねぇんだよ! だから、早く!」


「タオ兄……っ!」


 荒々しくなっていくタオの息遣いに反応したシェインは、慌てて立ち上がり、彼の元に駆け寄っていった。そしてレイナは。


「――っ!」


 意を決したように赤ずきんちゃんから手を離し無言で立ち上がると、彼女の『運命の書』を取り出し、その中のあるページを開いた。



「……『混沌の渦に呑まれし語り部よ』」



 レイナによる『調律』の儀式が始まったのだ。



 『調律』が終わると、僕たちは大急ぎで幾度目かの赤ずきんの想区を後にしたのだった。


 想区と想区の境目の、前も後ろも見えない混沌とした沈黙の霧の中。僕たち四人の足取りはまさに“四者四様”だった。


「結局、赤ずきんはオレらの表情がコワイっつってあんなにビクビクしてたんだな」


 タオは「たったそれだけのことだったのか」と溜息をついたが、それ以上は特に何も気にしていない様子で次に進む方向だけを見つめていた。


「ええ、そうですね。でも、仕方ないでしょう、シェインは元々こういう顔なんですし」


 シェインは一度でも赤ずきんちゃんに恐れられたのが不服だとでも言わんばかりだ。彼女もまた、それ以上は赤ずきんの想区に思い残すことも無さそうに歩いている。


「でも、そんなに私……笑顔になれていなかったなんて」


 そしてレイナは――。


「あー、そうだったな。お嬢、お前はずーっとブッサ……恐ぇ顔してたぜ」


「何て言おうとしたの!? もういっぺん言ってみなさいよ!!」


 ――赤ずきんの想区のことなど気にしている場合ではないようだ。


 傍観者・シェインは、ふぅ、と一息ついて


「いつもの通りカオステラーさんを見つけるだけじゃなく、赤ずきんさんを落ち着かせようと必死だったですから。特に、そこの新入りさんは」


 そう言って、僕の方をちらりと見た。


「赤ずきんちゃんは……」


「何です、新入りさん」


「ううん、無事に日常を取り戻せていたらいいな……と思って……」


「またその話ですか。心配なのもわかりますけど、「調律」を終えたらシェインたちはもうその想区では邪魔者なんです。そんなこと気にしてる場合じゃないです」


「ええ、タオがあそこであんな風に言ってくれなかったら状況が変わってしまっていたかもしれないけれど……きっとあの子は大丈夫よ」


「ああ、そうだと良いな」


 レイナの言葉に、タオは珍しく悲しい顔をして数回頷いた。


「…………」


「なんだ、坊主。まーだしみったれた顔で」


 タオはそう言って歯を見せて笑い、僕と肩を組んで次の目的地方面へとぐいぐい押してきた。


「いや……結局僕は、あの子を救えなかったんだな、と思って……」


「はぁ!?」


 耳元でタオの裏返った声が聞こえたかと思うと、彼は僕の顔を覗き込んだのだった。


「レイナが調律する直前、赤ずきんちゃんは僕に「笑って」って言ったんだ。でも僕は、全然そんなことできなくて……どうしてそれだけのことができなかったんだろう……。そうすることができれば、僕はせめてあの子の心を救うことができたかもしれないのに……」


 僕が情けない顔でそう言うと。


「…………これだから、新入りさんは「新入りさん」なんです」


僕から視線を外してほんの少しだけ俯いたシェインが、寂しそうにそう呟いた。






◇エピローグ◇


 朝日が差し込む明るいキッチン。そこでは一人の女性が包丁を握って朝食の準備をしていた。不意にキィ、と小さく軋む音がしたと思うとキッチンのドアが開き、そこから一人の少女が眠そうな目をこすって現れた。


「お母さん、おはよう」


 少女は女性に挨拶をすると、ふあ、と大きなあくびをひとつした。


「あら、おはよう。今日は早いのね。……どうしたの? 怖い夢でも見た?」


 女性は少女の顔が少しだけ曇っていることに気づいたのか、すぐにそう声をかけた。


「えへへ……あのね、恐ーい魔女と戦う夢を見たの。それで、わたしが負けちゃって……そういう夢。……でもね、たくさんの仲間が助けてくれたんだよ」


「それは良かったわね。……それで、その仲間っていうのはどんな人たちだったの?」


 少女の表情は始めこそ暗かったものの話すうちにみるみる明るくなってきて、女性もほっとしたようにそう問いかけた。


 少女はにこっと笑うと、満面の笑みでこう答えたのだった。


「あのね、とっても強くて優しい、お兄ちゃんとお姉ちゃんたちだったんだ!」


 穏やかな日差しの朝。雲ひとつない青空が、どこまでもどこまでも晴れ渡っていた。




「空白」の赤ずきん  完

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「空白」の赤ずきん 村前 あかね @MurasakiAkane

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