成長
それから時は過ぎ、私は就職という人生のちょっとした岐路に立つことになった。けれどそう悩むことはなかった。
机の上においてあるライカの一眼レフを一瞥し、私は手元にある進路希望調査の用紙に『フォトグラファー』と記した。
それから私は挫折や困難に何度も直面した。やっぱりカメラを使った人間としてプロになるなんて無理な夢なのかと諦めようとした時期もあった。
しかしその度に私は有名な写真家、アンリ・カルティエ=ブレッソンの言葉を思い出した。
「写真を撮ること、それは、同じ照準線上に頭、目、心を合わせること。つまり、生き方だ」
私はこの言葉に勝手な解釈をした。撮りたいと思う写真、それはやはり色々な想いだったり、その人の価値観があって、だから撮りたいんだ、と。だからそれが写真を撮ること=生き方なんだって。
私はこれからも好きなものは撮りたいし、撮って記憶に残し、その写真の中に宿った思い出をみんな共有したい。そう強く思った。だから諦めなかった。
そうして私はある写真がきっかけで、晴れてプロデビューを果たすことができた。
そのある写真とは、大人になってから撮ったゼラニウムの写真だった。
あの時、母がゼラニウムは中学生みたいだと言ったことを、私は大人になるまで疑問に思い続けていた。でもそれがわかった時には、私は二十二歳になっていた。
ゼラニウムは乾燥に強い。人間で考えれば、逆境に強いという感じだろうか。そして当時私は手入れをしていたゼラニウムは赤い花を咲かせていた。
《君あての幸福》……、それが赤いゼラニウムの花ことばだ。
母はあの時、カメラやゼラニウムとの出会いが私に幸福を呼ぶとわかっていたのかもしれない。
そして現に私はいま幸せだ。カメラとともに世界を歩き、そして綺麗なもの、好きなものを写真に収め、それの写真を眺めみんなで笑顔になる。
その瞬間こそが、私の宝物なのだ。
元をたどれば、幼い頃抽選会でライカのカメラを当てたその時から私の運命は決まっていたのかもしれない。
初めて見たガラポンを興味津々に回し、そこから出てきた小さな金色のパチンコ玉。振られて広がっていくカランカランというベルの音。
その音色は関係ない人からすれば姦しいだけのものなのかもしれない。けれど、それは私にとって幸福の音、この夢を私に運んできてくれた素敵なもの。
そう今の私ならば思うことができる。
幸福と成長期と、私と ぴーえいち @pH_
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