クワガタムシのやりがい

佳純優希

第1話 クワガタムシのやりがい

 二学期が始まったばかりの九月、クラスに茶髪ロングの美人転校生がやってきた。

 茶髪も腰までの長さの髪もうちの中学では校則違反なんだけど(違反にならない学校が果たして国内に存在するのか)、その転校生は黒板前で高らかに告げた。

「『学生時代の友人は一生の友達』なんてのは嘘っぱちです。そういう幻想を抱いてるバカ野郎はウザイので近寄らないでください。

 私の名前は前島密です。では宜しく」

 ぺこりと、一礼。

 礼をするのは礼儀を知ってると捉えるべきかも知れないけど、その前の発言がちょっとなぁ。それと「前島密です」のトコで何人か男子女子問わずに吹いちゃってるけど、あたしのクラスに「日本近代郵便の父」来ちゃったよ。茶髪ロングの女の。

「前島さんは放課後、職員室の私の所まで来るように。担任の佐々木礼子の名前は真っ先に覚えること。席は窓際の一番後ろです」

「はい」

 美少女(に見える)は追いやられた。放課後の職員室は髪の件で指導されるのだろうけど「追いやられた」というのは、窓際の一番後ろの席はどの授業中にも先生にも指名されない見捨てられた生徒の席だから。そして、今現在「窓際の一番後ろの席」に座っているのが、あたしだ。あたしの後ろに一人増えるらしい。

     ◇

「吹きだまりの地へようこそ。日本近代郵便の父よ。長いから『父』でいい?」

 あたしはニヤニヤと笑っていたと思う。

 茶髪美人は眉をひそめた。風貌からして殴りかかってくるとかのリアクションを予想してたんだけど、粗暴ではないらしい。

「その日本の近代郵便がどうのって五年生になった頃から言われ始めたけどね、そんで詳しくなっちゃったけど、吹きだまりの地って何よ。それと呼び方『父』でいいわけないでだろ、クワガタ虫」

 おお……返事をする律儀さがあるとは。そんでツインテールのあたしはクワガタ虫か。

「その席は何の授業中であっても絶対指名されないの。見捨てられた生徒の席。窓際の一番後ろ。だから吹きだまり」

「……今までその『窓際の一番後ろ』だったのはお前だろーが。ツインテールの奴がコタツに潜ると、二束の髪がクワガタ虫のハサミみたいに出るんだよ。気持ち悪い」

 そう吐き捨てて、ドン! とイスに座った。

「あんた、重い?」

「重くねぇ! 私のイライラさを表してんだよっ!」

「あたしの名前は――」

「そんなの訊いてねーし」

 一時間目前のホームルームから寝始めてしまった。

「朝から寝てると夜眠れなくなるよ? 不眠症になると肌荒れるよ?」

 肌荒れる、の所でピクリと動いたけど、机に突っ伏したままだった。こういう人は寝てるのか寝てるフリをしてるのかどっちなのか。

 面白いクラスメートが現れたもんだ。何が面白いって、「学生時代の友人は一生の友達なんてのは嘘っぱち」……。

     ◇

 昼休み。四時間寝ていた茶髪美人は起きた。

「ずっと寝てんのかと思ったけどやっぱ起きたか。あんたでもお腹はへるでしょう。体は正直ね~」

「お前の発言にエロいものを感じる」

 眉を寄せて言う。

「そうですか。あんたのカバンペッタンコだけどお弁当入ってないわよね? パン買うなら場所教えてあげてもいいけど。それと忠告、あんたその内眉間にシワができるわよ?」

「あのな……」

「ほら、シワ」

 ――コップを落としてしまったとき、床に落ちて砕け散るまで呆然と見ている。それと同じくらいの時間無言だった。

「購買部の場所を教えてください」

 頭を軽く下げて目礼していた。本当に礼儀は「一応」知っている子らしい。

 二人で机とイスの海を駆け抜けた(早く行かないと焼きそばパンが売り切れるというあたしの発言により)。

     ◇

「わっかんねぇなぁ……」

 屋上で、焼きそばパンを二つずつ買ったあたし達は向かい合っていた。飲み物はお互いに紙パックの牛乳。給水塔の日陰の中。

「ん、何が分からないの。前島家のご両親が女のあんたに『密』って名付けた理由?」

「ちげーよ! つか、私の名前をいじった奴は今まで悉くボコボコにしてきた」

「……なんであたしには手をあげないの?」

 茶髪美人はモクモクと焼きそばパンを咀嚼し、少し目線を逸らした。

「お前、かなり目が悪いだろ? 殴るのは気が引ける。眼鏡してないけどコンタクトか」

「眼鏡もコンタクトもしてないけど」

 言っちゃったけど、これで殴られるのだろうか。

「嘘つくな。視力は?」

「両目とも0.8ぐらいかな。1.0のときもあるよ?」

 二人して無言。茶髪美人は食べる手も止まっている。

「まぁ、名前いじられたくないんだったらそう言えばいいのに。で、何が分からないって?」

「…………」

「おーい」

「……次からは殴るからな」

 帰ってこられた。

「次からは殴るって言われていじる人はいないと思うよ。あたしはあんたの踏み込んじゃいけない領域を測ってただけで」

「分からないのは!」

 踏み込んじゃいけない領域の話はスルーしたいらしい。

「お前実は成績いいだろ? 数学でも黒板の問題の答えノートにスラスラ書いてたし。なんでお前が『吹きだまり』に居るか、居たかってこと」

 そこまで喋ってガツガツと焼きそばパンを食べる。目は良いのか。中庭の時計が予鈴の一分前を指しているのがあたしにも見える。

「あー……、あたしのことはクラスのあんた以外全員知ってると思うから、訊いてみれば? 訊けるだけの社交性があれば」

「そんな社交性は無いっ! 今教えてくれればいいんだよっ!」

 キーンコーン……と予鈴が鳴った。

「社交性が無いって断言されてもなぁ。それにあんた、寝てたんじゃなかったの?」

「授業つまんないしゴロゴロしてただけ。私は私立からの転校だ。中学で習う範囲はもう全部習った」

「私立では茶髪でいいの?」

「んな訳ねーだろ。転校決まってからだ、髪をブリーチしたのは」

 あたしは「よっ」と立ち上がって愛すべき昼食を包んでいたラップを丸めてスカートのポケットに収める。

「五時間目に遅れるよ。あたしのことが知りたいならあんたが自分のことを話しなよ。誰にも訊けないんだったらさ!」

 あたしは突き放して階下へ向かった。茶髪美人こと前島密は考え込んでいるようだった。


     ◇


 事件は……放課後に起きた。

 ホームルームが終わって、前島密は再度「職員室に来るように。決して逃げないように」と佐々木先生に念を押されて、覚悟した顔つきで「分かっています」と大人しく告げていた。

 みんなで礼をして先生が去り、教室の前の扉も後ろの扉も開けっ放しになって、部活の子は部へ。帰宅部の子はのんびり帰る。そんなのびのびした時間。後ろの扉の所でこんな声が聞こえたのが発端だった。

「このクラスに私立の進学校から落ちこぼれた転校生居るでしょ?」

 あたしは、前島を見ることはしなかった。

 代わりに扉と廊下の境目に立っている人影を睨む。女生徒が三人居る。

 三人とも上級生だ。受験を控えた三年生は今も授業中だから、二年生か。ここからでは襟に付けている校章の色は見えないんだけど、間違いないだろう。

「転校生ならいますけど……」

 廊下側の席の子が応えている。その子の名前は忘れたけど、実に気まずい雰囲気が漂っている。

 横目で前島の様子を窺う。カバンを手にして目を伏せて立ち上がっていた。

「それじゃ、私は職員室寄ってから帰るから。昼休みにお前に言われた『私の話』は、また今度な」

 前の扉に向かい、嫌な話は無視するようだった。この前島の大人な対応で、事件なんかには発展しないはずだった。

「あの茶髪だろっ、転校生! なんで転校してきたか知ってるか?」

 あたしも聞きたくなかったのでカバンを持って立ち上がった。この場に二人分の耳栓があれば良かったのにと、後になってから何度も思った。

「別に広めなくていいんだけどさ、堕ろしたらしいぜ。一年のくせに彼氏との――」

 前島が投げたカラのカバンが正確に二年の女生徒の顔にぶち当たった。瞬時にあたしは思った。今の当たり方はマズイ。よく見えなかったけどカバンがくるくる回転して金属の部分が顔に当たってる。血が飛び散ったのが見えた。顔にカバンを喰らった女生徒が呻いてうずくまり、前島は怒りに身を任せて机をかき分け、女生徒の元へ向かう。

 昼休みに前島は言っていた。名前をいじっただけでも、

 ――「悉くボコボコにしてきた」

 と。

 頭が痛いなぁ。

 あの女生徒、というか先輩達、バカか? 人を傷付けたら、傷を抉るような真似して痛めつけたら報復されて当たり前じゃないの。しかも前島の怒りはまだ全然収まってないし。

「てめぇら余計な話してんじゃねーよっ! 殺されてぇかッ!?」

 あたしは机の上を走って止めに向かった。

「ちょっと待て! あんたそれ以上やったら退学になるわよっ!!」

 前島が「退学」の言葉に反応してこちらを向いた瞬間、体のデカイ先輩に背負い投げを掛けられた。女子柔道部だった。

 クラス内は騒然となった。

 床に叩き付けられた彼女は腰骨にヒビが入り……入院生活を送ることになった。それはある意味ラッキーだった。

 先輩の顔に傷を付けたことと骨にヒビを入れられたことが相殺され、どちらも退学にはならずに済んだのだ。

 先輩の顔には整形手術をしないと消えない傷跡が残り、前島は一年の終わりまで病院のベッドでの生活を強いられることになった。

 彼女は長い茶髪を切ることも黒く染め直すことも迫られなかった。

 これが彼女の転校初日に起きた事件の、悲しい顛末だった。


     ◇


 冬が訪れた。初雪が降り、寒さで手もかじかむ。この教室には大した暖房設備も無く、教室の前の方に石油ストーブが置いてあるだけ。最後尾の席のあたしとしては辛い。

 現在最後尾のあたし――の後ろの席に座るはずの彼女は長期欠席のまま。あたしの後ろの席はヤドカリ本体が抜けたヤドだけ。

 あたしは一人で授業を受けてもあんまり意味が無いと思ったので、学校を休んでお見舞いに行くことにした。

     ◇

 翌日。病院に着き、メモ帳で彼女の名前を確認。

 彼女の病室は四人部屋だった。お見舞いに持ってきたのは定番の入院お見舞いセット、フルーツバスケット。母は何も言わずに一万円札を渡してくれたので余裕で買えた。

 惚れ惚れする長い茶髪の美少女を探した。

「おい、ここだ。クワガタ虫」

 先に声を掛けられた。

「あれ? あんたあの見事な髪は?」

「茶色い髪は切って、もう後から生えてきた黒い部分だけのショートカット」

「もったいない」

「いいんだよ、もう。お見舞いだろ? それ食べようぜ」

 フルーツバスケットを指して言う。

「あたしはバナナが食べたいな」

 彼女はもう眉をひそめなかった。

「普通入院してる奴に先に選ばせるだろ……。まぁ私はリンゴ食うけど」

「皮剥けるの?」

「かじる」

「そう」

 それだけ言葉を交わして、二人で果物を味わって食べる。

「今日、学校は?」

「休んでお見舞いに来た」

 律儀な奴、と呟いてまたリンゴをかじる。

 しばらくしてリンゴの芯を捨てた彼女は、溜め息と共に言った。

「私の話をすればお前の話が聞けるんだったか。随分先延ばしになったけど」

 あたしは無言で頷く。

「まずどうでもいいことから言っとくとな、普通、中学で因数分解とか二次方程式とか習うだろ? 中学受験した私みたいな奴はみんな六年生までにそれマスターしてんだよ。中学受験はそういうのマスターしてないと合格しないから」

「どうでもいいことって言いつつあたしとは違う世界の話ですな」

「違う世界の話だからどうでもいいんだよ。言いたいのは、私の勉強が遅れるんじゃないかって心配はしなくていいってこと」

「そんな心配、してないよ? 他に気になることはあるけど」

「そうかよ……」

 彼女はベッドに横になり、「痛っ!」と小さく呻いた。

「まだ痛むの?」

「骨が痛いんじゃなくて筋肉が痛むんだろうな、多分。今リハビリしてるから」

「大変だねぇ」

「まるで他人事に聞こえるが」

「どう言われても、その痛みをあたしが代わりに引き受けることはできないし」

 ぱくぱくとバナナを食べるあたしを氷の視線で見ているのが分かる。

「おい、バナナ好きでも全部食うなよ」

「そんなに食べられないし安心して。で、あんたの話」

 彼女は天井を見詰めて悲しげに嘆息する。あたしが悲しいから、間を持たせるためにバナナを食べ続けてるって気付いてないのか。まぁ、それがばれたら何かの表情するしかないんだけど、泣くか笑って誤魔化すしかないし、そんなのは避けたい。偽りの笑顔はもう、疲れた。

「私の事情の――肝心な点は、『結果』は、あの日二年の先輩が暴露したんだけどな」

「うん」

 つまり……「堕ろした」という事実を指しているのだろう。

 彼女は寝たままあたしを見詰める。

「お前の意見はどうか知らんが訊いてみるよ。信じてた奴に裏切られたとき、悪いのは裏切った方? 裏切られた方?」

 真剣に考えてみる。

「ケース・バイ・ケースじゃないかな。あんたの詳しい事情を知らないし……そんなことまで話せなんて強要しないけど」

 ずっとあたしを見詰めていた彼女は、また天井を見た。と言うより、あたしから視線を逸らした。

「『ケース・バイ・ケース』なんかじゃねぇよ。真実は、『勝手に信じる奴が悪い。勝手に信じた私がバカだった』。それだけだ」

 声が震えて洟をすする音が聞こえているので、あたしは彼女の顔を見ずに目を伏せた。ここで凝視なんかするのは無粋だろう。

 でも話してくれて良かった。

 彼女を苦しめているのは、彼氏に裏切られた傷。他人を信じられなくなった、傷の後遺症。

 まぁ、あたしにできることは少ないんだけどさ。助けてあげることもできるか、どうか。

「あたし、帰るね」

「食ってさよならかよ。私ヒマでしょうがないんだけど、ゲームとかは?」

 あたしは立ち上がって、少しうつむく。

「お見舞いに来るのは、これが最初で最後。これだけは言っとく。あんたはあたしのお見舞いに来なくていいから。それじゃ」

 歩き始めようとして、鋭い声が飛んだ。

「『あたしのお見舞い』ってなんだよ!? やっぱお前目が悪いのか? 壊滅的に!?」

 頭の回転速いなぁ。中学受験したから? でも、少し的外れなんだよね。

「あたしは――目は悪くないよ」

 彼女がこちらを見ていて、あたしは目線を合わせて真実を告げるか迷う。

 最後にあたしは、選択した。

 彼女の目を見詰め、事実の一部だけを、あたしの話を告げる。

「もうだいぶ前からなんだけどさ、あたしにはあんたの名前が分からない。記憶できない。礼儀的には最悪だけど」

〝彼女〟は、この世の終わりを告げられたかの如くに真っ青になった。

「頭、か?」

「うん」

「嘘だろっ!?」

「ホント。申し訳ない」

 さようならはまだ言わない。

「『申し訳ない』って何謝ってんだよ! お前は悪くないだろっ!!」

 あたしは背を向けて言う。

「悪いよ。あんた『本当の友達が欲しい』って転校早々の挨拶で絶叫してたのに」

「絶叫なんかしてねーよ!」

 あたしはポケットからメモ帳を取り出す。

「あんたの発言、『学生時代の友人は一生の友達なんてのは嘘っぱち。そういうのを信じてる奴はウザイ』。これ、本当の、一生の友達が欲しいっていう叫びにしか聞こえないよ。心の叫び。頭良い子ならさ、本心を隠したいなら、もっと上手いこと生きてね。あたしは文字通り『頭の悪い子』だからさ。じゃあこれで、さよう――」

「全部嘘だろっ!? 信じねぇぞ! 私は絶対信じねぇぞッ!!」

 嘘ですと言えたらどんなに幸せだろう。もしもあたしがあと何十年も生きられる体なら。

「事実、現実を受け入れ……」

 声にならなかった。あたしだってこんな事実を受け入れたくはなかった。

 頬を伝うものがある。両手でそれを拭って、背後から聞こえる嗚咽が耳に痛い。

「 またね・・・」

 許してしまったと思いつつ、あたしは早足に病室を出、それから走って病院を出た。


     ◇


 名前の分からない彼女は、しばらくして学校に来るようになった。

 あたしが登校を認められているのは一年が終わる三月まで。それまででも調子が悪いようなら自宅で療養することを命じられている。そうなったら復学することは無い。入院治療という選択肢も無い。治癒の方法は現在解明されていないから――治らないから、最期は家族と一緒に暮らせと、そういうことだ。

 今日は三月一日。多少、呼吸に難を感じる。病が進行すれば自律呼吸もできなくなる。もうあの日病院を駆け抜けたような無茶はできない。「あの日」……とはいつのことだったか、よく思い出せない。でも彼女に言うことだけはきっちり書き留めて覚えている。それだけは彼女に伝えなければならない。最後に、やりがいをくれた彼女に感謝する。

     ◇

 数日後、彼女は「リハビリが終わってからずっと体をきたえていた」とじまんげに言った。「期末試験が終わったらふくしゅうに行く」とつづけた。あたしが「よしゅうふくしゅうしてからテストにのぞまなきゃだめだよ」と言うと、何故か彼女はひどく泣いて、「もういい」と言った。

     ◇

 数日後、みょうに静かな授業が続いてあたしはこんわくした。授業中なのに先生は座っているだけで何も言わない。「始め!」と言ったきりだった。あたしの机には真っ白な紙となにやらむずかしい言葉が書かれた紙があった。これは多分テストだ。だけど先生は間違えて大学のテストをくばってしまったにちがいない。0点にならないように名前だけは書こうと思った。そうおそわってきた。

「とうあんに名前を書かなきゃ0点だ」と。でも名前が書けても一問もせいかいしなかったら0点ではないだろうか? それよりも、あたしの名前は……?


     ◇


「クワガタ虫っ!!」

 大声で目が覚めた。あたしは寝ていたらしい。妙に頭がスッキリと冴えている。

「ご家族の方を」

 白衣を着てるから医者だろう。医者がそう言って誰かが走っていった。医者が居て家族が全員集まるという状況で、私が家の自分のベッドで寝ている……。そんな状況は多分、人生で一度しかないだろう。

 泣いているこの子の名前を、思い出さなきゃ駄目だ。

 絶対に、今、彼女の名前を!!


「あたしは、クワガタ虫じゃない。前島密、日本近代郵便の父よ……って、いじったら、殴られるんだっけ」

 奇跡だ。でも、今ので体力は限界を超えた。

 ドタドタと廊下を走ってくる音。父と母、歩いてくる祖父と祖母。そして前島はベッドに突っ伏して号泣し始めた。

「前島ぁ、あんたにどうしても、言いたいことがあって、紙に書き留めといたんだけどさ、今、パジャマだから、あの紙がどこにいったかも、わかんないよ」

 もう気付いてはいるが、あたしのノドには何かが刺さっていて上手く言葉が発音できない。酷い声だ。以前説明を受けていた、痰を除去する機械だ。「最終的には」これがないと呼吸できずに死んでしまうという機械。

 そんな段階、最終段階。

「お前のポケットに入ってた紙、見せて貰ったよ! お前のお母さんに! お前は脳が萎縮していく遺伝病で、もう助からないんだろ!? 『勝手に信じる奴が悪い』で途切れてんだけど、その続きはなんて書いてあったか教えろっ!!」

 泣き腫らした酷い顔だ。あれから、出会ってからどれほど経ったか今計算できないけど、あたし以外の友達はできたのだろうか。

「あの紙にはな」

「うん!」

「…………」

 父と母も泣いている。医者が険しい顔をしている。あたしはノドの痰を一気に吐いた。

「一度しか言わないからよく聞けバカ野郎。あたしは、悩みを打ち明けてくれたあんたを信じるよ、友達として。いいか、あたしは執念深いぞ。一生どころか、死んでも信じ続けるぞ。そんなあたしをだな、『勝手に信じる奴が悪い』って、ワルモノにしてくれるなよっ! て、言いたかったんだよ。それだけ。終わり」

 あたしは激しく咳き込んで、もう喋れないと思った。

 でも、彼女が、前島が用意していたサプライズは愉快だった。

「あんたは、あたし以外に友達、できた?」

 何とか声を振り絞って訊いてみた。これが最期の言葉になると思った。ゆっくりと目を閉じる。いつだったか「社交性は無い」と断言していた前島に訊くのは酷だと思った。


「クラスで、お前を支援する会を作った。私がみんなに声掛けて、募金とか集めた。お前の家の家計が多少助かったと、ご両親には言われた」


 閉じかけていた目を瞠った。こいつが「みんなに声を掛けた」?

「あ、はは……あっはっはっ! ゴホッ、あははは! ゴホッ、ゴボッ、あはははっ! あっはははははっ!! ゴホッ! ゴボッ!」

「おい! 大丈夫か!?」

 前島の声だ。

 あたしが大丈夫でないことは、そこの立派なヒゲの医者が充分知ってるだろうが。

「前島らしくない。らしくないけど……あんたは、きっと、その方が生きるの楽になるよ」


恥ずかしいから言わないけどさ、あたしに最後に「やりがい」を与えてくれてありがとう。一緒にコタツに入って、あたしがクワガタ虫になってるところを見せたかったんだけど無理だった。

 でも、あんたはもう大丈夫でしょ?

 あたしも、もう満足です。


(了)

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クワガタムシのやりがい 佳純優希 @yuuki_yoshizumi

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