サンダルスキップ【完結】

成瀬なる

サンダルスキップ

 8月31日――陽炎が揺らめき、蝉があちこちで鳴いている噎せ返るような夏休み最終日。

 時間は、丁度正午だ。夏休みもあと12時間で終わりを迎える。

 課題なんて終わってないし、朝顔も8月が入る時点で枯らしてしまった、読書感想文の課題図書なんて埃をかぶっている。

 それでも、私は、夏が終わる直前のあの切なさが嫌で家を飛び出した。

 特に何をするわけでもなく、玄関においてあったサンダルを履いて、微炭酸の様に澄んだ青空に「うわあああああ」と声を上げて駆けた。

 来年の夏は高校受験で勉強漬け……そんなことは、青空に吐き出した。

 

 そして、今、とある神社に着いた。

 ギラギラと照り付ける太陽を遮断するクヌギの木。どこか幻想的な神社は、今日が8月32日なのかもしれない、なんて、私に考えさせる。

 汗で前髪が額にくっつく。首筋を汗が撫でるように伝う。のどが渇いたな。

「明日なんて来なければいいのに」

「僕も、そう思うよ」

 私のつぶやきに誰かが答え、後ろを振り向く。

 いつからいたのだろう。少し長めの髪に七分丈のシャツを着た同い年くらいの少年だった。

 少年は、何も言わず、私の隣に腰かけて、どこか儚げな表情を浮かべ、また、つぶやいた。

「今から時間が止まって、蒸し暑い夏が続いてもいいから今日が終わらないでほしい。 それが、無理だというのなら、夜になって、鈴虫がなく縁側でサイダーでも飲みながら目を閉じて……開けたら、また、今日が始まってほしい。 僕は、夏が大好きで……大嫌いだ」

 詩人のような言い回しが、名前も知らない彼を大人のように感じさせた。

 でも、儚げな横顔が、やっぱり中学生の幼さを感じさせる。

「私も、そう思うな」

 どうやら、私は、気づかぬうちに恋に落ちていたようだ。

 炭酸を飲んだ後の喉の痛みの様な刺激が胸を締め付ける。でも、嫌ではなかった。彼が言うように、時間が止まって、この胸の痛みをずっと感じていたかった。

「僕は、今日で、この街を出ていくんだ。 別に、家出とかじゃない、引っ越し。 なんだか、全てがどうでもよく感じて、ここまで走ってきた」

「一緒だね」

 小さく微笑んで言った。

「君も引っ越し?」

 と、彼は聞いた。

「違う。 私も、夏の終わりが嫌で、ここまで走ってきたの。 課題も朝顔の観察も全部放り投げて」

 彼は、無邪気な笑顔で小さく笑った。

 そのあと、私たちの会話は途切れた。ただ、クヌギの木から漏れる夏日と蝉時雨に耳を傾けて、きっと長い時間……いや、そう感じるだけかもしれないけど。

 私たちは、神社の石段に腰かけて、夏の終わりに抗った。

 

 ずっと聞こえていた蝉時雨が、ぱたりと止んだ。

 そして、蝉が2、3匹飛び立つと同時に彼が立ち上がる。

「時間だよ。 そろそろ、行かなきゃ」

 彼の言葉は、なんだか、夏を操っている神社の狐のように思えた。

 彼が、「時間だよ」とつぶやけば、夏が終わり9月が来る。

「もう、夏が終わってしまうの?」

 私は、思わず聞いてしまった。

 彼は、小さく笑う。

「違う。 僕が、帰らなくちゃいけなんだ。 それに、夏が終わっても、また、次がある。 次が終わったら、また、次を待てばいい」

 また、彼は、どこか大人のような雰囲気を出して、鳥居へと足を進める。

 私は、遠ざかる彼の背中に声をかけた。

「また……また、会えるよね!」

 彼は、足を止めずに鳥居をくぐり、右手を上げて答えた。

 私は、なんだかうれしくなって、石段をサンダルでスキップして降りた。

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