ただ、どの説においても共通している点として



「わっ、源右衛門さん!」

「まだ起きちゃだめっすよ!」


 大量の本をかかえたキンとギンがふすまをあけるなり、畳の部屋の中央にしかれたからっぽの布団を見つけ、隣の部屋へかけこんだ。当の源右衛門はと言えば、その部屋で文机に向かいなにごとかの書きつけをしている。


「おやキンにギン。重かっただろ、ご苦労さん。本をそこへおいたら、くりやへ行って、酒でも出してもらっておいで」


 源右衛門が、右手の筆を止めずに言った。


「おや、じゃないっすよ源右衛門さん」

「お医者さんが、あと一ヶ月は安静にしているようにって言ってたじゃないですか!」


「大丈夫、大丈夫。あの毒雲騒動のときに転んだ怪我は、ただの打ち身さ。医者からは、それよりも気の病が問題だ、浮世の憂鬱は一度忘れて楽しいことばかり考えるのが一番の養生だ、と言われているよ。今のアタシにとって楽しいこととは、つまりはこれさ」


 源右衛門は、かきつけをしていた紙をキンとギンに見せた。


「なんすかこれ? なんて書いてあるんですか?」

「源右衛門さん、俺たち字は読めないっすよ」


 紙をのぞきこんだキンとギンが、首をひねる。


「おや、そうだったのかい。じゃあ今度お前たちには字の読み書きを教えてあげるよ。これはねえ、ドマイナーの旦那との約束ごとなのさ」


「アニキの?」

「アニキがどうかしたんすか?」


「この間……たしかまだ全身ボロボロで絶対安静のころだったかねえ。布団に寝っ転がった状態のまま、まじめくさった顔で言われちまったんだよ。お菊が命をかけて逃がしてきたように、辛い思いをしている女たちを、どうにか助けてやれないか、って」


 源右衛門が、どこか楽しそうな、誇らしげな表情で言う。


「はじめはあたしも断ったんだがね……売春なんてもんは人類で一番古い職業だ、無理を通して道理を引っ込めてもどうせ長続きはしないよ、ってさ。でも、あの旦那のあの目で睨まれちまってさあ。〝とにかくやってみなきゃわからねえだろ。お前にはまだ命ってもんがあるってのに、やる前からもう諦めてんのかよ〟って……そう、あの、五月晴れの空みたいな目でじっとにらみつけられながらそう言われると、ついあたしもムキになって〝おやおやなんだい、この油屋源右衛門をお見くびりかい〟なんて応戦しちまって」


「わかりますよ源右衛門さん!」

「アニキってそういうこと言いますよね!」


「そこでいきなり肩をつかまれて〝やっぱりな源右衛門、お前ならできると見込んで言ったんだ。助かる。頼む〟なんて言われちまうと、もうあとには引けなくてねえ。あの旦那のやたらと居丈高な態度、いったいどこのお殿様を相手にしているのかと思ったよ。まあ、ともあれ、なんにしたって考えるだけはタダだからさ。療養中の無聊のいい慰めくらいにはなるだろう、と、今いる遊女たちに商売をやめさせるにしても、問題はその後でどうやって稼ぐか。ここを楽しみに来ている野郎どもの有り余る血の気はどこにどうやって逃がしたもんかって、ねえ。もやもや考えながら、色々調べてみたら、逆にあたしのほうが面白くなってきちまって……もう少し早く、こういう考えかたができていたら、お菊も……」


 源右衛門が、軽く鼻をすすりあげる。


「げ、源右衛門さん、大丈夫っす!」

「俺たちがついてるっすよ!」


「ははは……すまないねえ、妙に湿っぽくなっちまって。ああ、そういえば、その旦那はどうしてる? もう出たのかい?」


「はいっす!」

「一刻ほど前に、椿屋へ、白魚ちゃんを迎えに行ってます!」


「それにしちゃあ帰りが遅いね。右肩の痛みとやらがひいたとたん、あの旦那ときたらまたもでずっぱりの鉄砲玉だよ。ちゃんと迎えには行ってるのかねえ」


「アニキのことだから、より道して団子でも食ってるんじゃないですかね」

「あっ、そうだ! それに違いない! アニキ、ずるい!」


「これこれ、キン、ギン、想像で勝手に怒るんじゃないよ。お前たち腹が減ってるなら、どれ、饅頭でも買って……おや?」


 財布を取り出した源右衛門の耳に、なにやら騒がしげな声が届く。


「表通りのほうかねえ……? キン、ギン、ちょっと見てきてくれるかい」







「――――で?」


 名妓楼〝椿屋〟の最上階からドマイナーは窓の外を眺めていた。遠くで枝を広げる桜は、その花びらの大半がすでに散り、葉桜に変わろうとしている。


「その後、なにか分かったか」


 問われて、アルラマージが答える。


「申し訳ありません、残念ながら、大鴉に変化できる墨羽という男、という情報だけでは……その者が旧神聖王国の者だったのなら、名前のほうは確実に偽名でしょうし」


「神を作るとかいってたぞ。調べるとまではいかなくても、お前の元の知り合いにでも心あたりいねえのかよ、王子サマ」


「それもまた、元、ですので。たしかに、新たな神を作るような強力な交神術を行使できる家柄というのは、旧神聖王国のなかでもかなり限られているはずです。ですが、残念ながら僕では寡聞にして知らず……恐縮です」


「うーん……知らねえものは仕方ねえが……どうも気になるな」


「その墨羽という男の死体があればもう少し調べられたのでしょうけれど」


「そうなんだよなあ……止めをさしたと思ってたんだが、まさかあれで生きてたとは……」


「あるいは、死して後は死体が消滅するような神術を、肉体に施していたのかもしれません」


「消滅?」


「ええ。神術行使者の体には、交神の〝聖印スティグマ〟が隠されています。たとえば魔法大国などに死体が渡ってしまいますと、その神術が盗み取られる恐れがありますので」


「じゃあアルラ、もしかしてお前も、死んだら体が消滅すんのか」


「さあ、それはどうでしょう。それはさておきドマイナー、お菊さんの死の真相は、本当に伏せておく、ということでいいんですか?」


「…………」


「源右衛門さんはおそらくこの先ずっと、折に触れ、お菊さんの死の原因が自分にあるんじゃないかと自分を責め続けますよ」


「……お菊さんが逃がし屋をやってたのが原因のひとつだったってのは、嘘じゃねえだろ」


「それはそうですが、実のところは、心中ではなく殺されたんでしょう? しかもそのとき恋人の垓憲さんは……あるいは、恋人ですらなく、お菊さんの、いえ双方の片思いであったのかもしれませんが……すでにべつの場所で殺されていて、垓憲さんにそっくりのアンドロイドに連れ出され、殺され、もろとも掘に投げ込まれたということですよね。アンドロイドたちのために力を尽くし最後は好きな男と手に手をとってあの世へ行った、という話とは、かなり事情を異にすると思いますが」


「隠すことが正しいのかどうかは、俺にもわからねえよ」


 ドマイナーはふたたび窓の外を見る。広場いっぱいに枝をはりめぐらせる桜の木の、さらに向こう丘の上には、お菊と、密かに隣に埋めてやった本物の垓憲の遺体と、寄り添うように眠っているはずだ。


「だが、今さらそれを源右衛門に言ってもしかたねえだろ。どちらにせよお菊さんはもう死んじまったんだ。人生は一度だけだぜ。つらい現実を知ってるのは俺たちだけで十分。あとに残されたやつのためには、せめて綺麗な話を残してやったほうがいい。そうは思わねえか……」


「……ドマイナー、あなたなにかちょっと変わりました?」


「ん?」


「失礼いたしますぅ」


 廊下へと通じるふすまが開いて、鋼鉄製ゆで卵こと椿屋の遣り手婆が姿を現した。


「白魚の出立の用意ができましたえ」


「おう、ありがとよ。けっこう時間かかったな」


「そりゃあもう……まったく、源右衛門さんたっての頼みだからしかたなく手放しますけどなあ……本人もどうしても言うからしかたないけどなあ……足抜けしたアンドロイドを折檻もなく不問に処すいうのも相当に特例やったんやけどなあ……あのなあ、ひとくちにアンドロイド言うても、その出来栄えはさまざまや。顔だけはそりゃあ注文通りにできますけど、白魚みたいに賢くて勘のいいアンドロイドは、同じ値段を出したから言うてももそうそう手に入るものじゃないんどすえぇ。あの子は、いずれ雪乃輪をも超える名花魁になると思うて、大事に育てとったのに……」


「だったら、アンドロイドだとかどうとか言ってねえで、もっとみんなを大事に扱えよ。これからはさらに、そういうことが増えてくはずだぜ」


 往生際悪くぶつぶつ言う遣り手婆に、ドマイナーはニヤリと笑った。


「アルラ、じゃ、俺は行くぞ。お前はゆっくり花魁どもといちゃついてろ」


「はいそうします……って、ドマイナー、行くってどこから行くんですか」


 廊下へと通じるふすまではなく、部屋の奥の窓枠を乗り越えようとするドマイナーを、アルラマージは呆れた顔で見た。


「ここから出ちゃ悪いかよ」


「前言撤回です。あなたときたら相変わらずですね、ドマイナー。べつに悪くはないですが、いいかげん廓のなかを通り抜けるくらいはしたらどうですか? 廓のなかが女性だらけだからといって、いきなり襲いかかられるわけでは……」


「うるせえな! そういう理由じゃねえよ! どこを通ろうと、俺の自由だろ!」


「ここには何度も来ているんですから、そろそろ慣れてくださいよ。そうやって女性を避けてばかりいるから、あなたはいつまでたっても童貞なんです」


「黙れ!」


「おやおや、こちらたいそうな男前はんやと思うとったら、まさかの童貞はんどすか」


 遣り手婆が口をはさむ。


「わ、悪いかよ」

「もちろん、なーんも悪いことあらしません」

「……だよな」


 思わぬ肯定に安堵の表情をうかべるドマイナー。


 そんなドマイナーに遣り手婆は、まるでペンキを塗りたくったようなやたらと濃いアイシャドウで覆われている片目を、バチバチと二、三度開閉した。

 どうやらウィンクのようだ。


「ですから、次は夜に、この遣り手の部屋の窓へ忍んでいらっしゃりませ。この遣り手が手取り足取り腰取りで、女のいろはを教えてさしあげますわ。昔の血が騒ぎますなあ」


「いや、ちょ、それは……俺は、初めては自分が決めた女と……わあ!」


 窓枠に足をかけていたドマイナーが足をふみはずし、屋根の上から転がり落ちる。


「……なんてなあ。ほーんと、かわいらしいおかたどすわ」


 遣り手婆がケラケラと笑った。


 椿屋の一階では、いきなり上から落ちてきたドマイナーに、通行人たちが騒然となっている。


 皆と一緒になって野次馬にきた白魚が、落ちてきたのがドマイナーであることに気づき、顔色を変えた。


「ドマイナーはん、大丈夫でありんすか?!」

「だ、大丈夫だ……」


 先日骨折した右肩をまたもしたたかに打ち、ドマイナーはさすがに顔をしかめながら立ち上がった。


「待たせたな、忘れもんはねえか?」

「あい」


 白魚は、両手にからはみ出るほどの風呂敷包みを、ドマイナーに見せる。


「意外にあるな」


「わっちのものは大してないんすが、姐さんたちがあれもこれも持って行けと……」


「へえ、いい仲間だな。じゃ……行くか」


「ドマイナー!! 大丈夫ですか?!!」


 そのとき、廓の最上階から顔を出していたアルラマージがドマイナーを呼んだ。


「アルラ、お前まで余計な心配か。あれくらいで怪我するような俺じゃ――」


「ドマイナー、あなたひとりで女性をエスコートするなんて、大丈夫ですか? 相手はか弱い女性なんですから、荷物は当然あなたが持つんですよ? あと、歩く時にいつも通りの大股早足でずかずか歩くのはダメですからね。一緒に歩く白魚さんはあなたよりはるかに小柄なんですから、その歩速を見ながら相手に気を使わせない程度にペースを調整して……ああ、ドマイナー、やはり心配です。白魚さんのことは、僕が送っていきましょうか?」


「――アルラ、お前たまには、本気で俺の心配をしろ!!」


 アルラマージに向かってこぶしを振り上げたドマイナーは、白魚が持っている手荷物を少し迷うように見てから――それをひょいと取り上げ、いつもより少しゆっくりめのペースで歩き出した。


「あ、ありがとござりんす……」


 白魚が後を追いながらドマイナーを見上げる。


「その、本当に、ありがとござりんす……」


「別に、こんな荷物くらいいくらでも持ってやるよ」


「そうじゃなくて……その、ヨシワラへやっぱり戻るってことですとか……他にも……本当なら、もっと早くお礼を言おうと思っていたでありんすが……」


「お前がそうしたいって言ったことを手伝っただけだろ。大した手間じゃねえしよ。それより、源右衛門から聞いたぜ、今回のこと」


「え?」


「見舞いの時に、俺と源右衛門と話しているのを聞いて――それを手伝いてえ、どうしても自分にやらせろって、食い下がったんだってな。源右衛門とこの強面の用心棒に囲まれながら、こう、ピンと背筋をはってよ。なりは小さいくせにいったいどこの女侠客かと思ったって、源右衛門が話してたぜ」


「ここはわっちの、故郷でありんすから……もう、蛍火みたいな目にあう仲間が出ないように、力を尽くすつもりでありんす」


「そうか……白魚」


「はい」


「お前は、偉いな」


「そんな……!」


 白魚があわてて両手を振る。

 その時、ドマイナーの腹がぐうと鳴いた。


「あ、そういや腹減ったな。よし白魚、源右衛門ちに行く前に、メシでも食ってくか」


「え? え? でも……」


「大丈夫だって。頑張った褒美に、なんでも好きなものおごってやるよ」


「ご褒美、でありんすか?」


「そう、なんでもいいぜ。なにがいい?」


 そう言いながら白魚の方をふりむいたドマイナーは、白魚の頬が、少し赤いことに気がついた。


「なんだ、ちょっと暑いか? なら、ひやし飴でも飲むか。その場合、俺は酒……」


「ど……ドマイナーはん!」


「なんだよ」


「その……褒美というなら、ひやし飴よりも、欲しいものがあるのでありんす」


「やっぱり団子か?」


「そうじゃなくて……」


 口ごもる白魚の反対側から――ばたばたと騒がしい足音が近づいてきた。


「アニキぃっ!」

「大変ですうっ!」


 源右衛門の家にいるはずの、キンとギンである。


「なんだお前ら、なんか源右衛門からの頼まれごとがあるとか言ってなかったか」


「それは終わったっすよ! それより、アニキ!」

「源右衛門さんちに、アニキを訪ねてきた人が……」


「俺を?」


「なんか、ジーンさまがどーしたとか」

「ヘイカがなんちゃらとか」

「顔が真っ白なヒゲだらけで、頭つるっつるのしわっしわで……」

「ロレンスさん、て言ってました」


「…………!」


「一緒に、なんかみたこともないぎらぎらした鎧を着て槍を持った人たちが来たんすよー」


「俺たちは絶対人違いだと思うんですけど、源右衛門さんは、アニキのことだろうって」


「ドマイナー!!」


 椿屋のほうから、アルラマージが駆け寄ってくる。


「アルラ……ロレンスが来てるぞ?!」


「どうやらそのようですね。親衛隊も一緒のようで……椿屋の上から見た限り、この区画の要所をすでに抑えられているようです」


「もしかして俺を捕まえるためか?」


「他になにがありますか? さすがはロレンス、予想以上に早かったですねえ」


「予想以上……? おい、アルラ、お前なにか知ってるだろ」


 ドマイナーの詰問に、アルラマージは両手を胸の前に開き、答えた。


「いえですねドマイナー。先日お菊さんの遺体を引き取る際に、それを特例的に認めさせたと言ったじゃないですか」


「おう」


「特例的措置、どうやってとってもらったと思います?」


「……おまえが、うまくやってくれたんだろ? その……たとえば、そういうことを担当している役人が女で、お前がうまいこと口説き落としたとか……」


「機械都市の行政は都市そのものの機械頭脳により運営されています。さすがの僕も、都市をまるごと口説き落とすのはちょっと。それに、そんなややこしいことをするより、いい方法があるでじゃないですか」


「まさか……」


「はい。彼こそは新王ジーンなり、これは新王ジーンの御意志である、と告げれば、それで解決ですよ」


「おい!」


「その真否について王都に照会がいくのは計算のうちだったのですが……ロレンスがここまで完璧に準備を整えて、この速度でヨシワラまで到達してくるとは。いやあ、さすがはロレンス。神官職においておくにはもったいない手際……」


「関心してる場合か?! そういうことはもっと早く俺に言っておけよ!」


「怪我をして静養中のあなたに余計な心配をおかけしてはいけないかなあって」


「お前が花魁どもとまだまだ遊び足りなかっただけじゃねえのか?」


「それも否定はしません」


「そういうことは嘘でもいいから否定しろ! とりあえず逃げるぞ!」


「あっ、待ってくださいドマイナー、大事なことが終わっていません」


「なんだ?」


「僕、まだ、雪乃輪たちに別れを告げていなくて……」


「あーっ、もう、好きなだけやってろ!!! 俺は逃げる! ロレンスのじいさんに、王都へ帰らなきゃここで死ぬと土下座しながら脅されて、逃げ出せる自信はねえからな!」


「ああ、言いますね、やりますね。そういうことしますよねえロレンスは……しかたがない、行きましょうか」


「――ドマイナーはん!」


 源右衛門の家とは真逆の方角へ駆け出そうとするドマイナーを、白魚が呼んだ。


「あ、そうか。白魚、悪いな! あとはキンとギンに送ってもらってくれ」


 ドマイナーが、持っていた手荷物をキンとギンに押し付けるように渡しながら、ふと何かに気づいた表情になった。


「あー……でも、ひやし飴おごっやるって約束したもんな」


「え?」


「別のがいいって話だっけか? どっちにしても今は時間がねえんだよな……」


「ドマイナーはん、わっちが言いたいのは……」


「……しかたねえ、また今度! また今度来た時に必ずだ、約束する!」


「今度……?」


「……白魚、お前さては、俺の言うこと信じてねえだろ。約束をばっくれたりはしねえぞ、俺は」


「信じてないわけではないでありんす! あの、そうではなしに……」


「そりゃあ俺のことをなかなか信じられねえのも無理はねえが……そうだ!」


 ドマイナーが、白魚に向かって右手の小指を差し出した。


「え?」


「ヨシワラで約束するとき、たしかこんなことするんだよな」


「…………」


「えっ、アニキ?」

「白魚ちゃん?」


 キンとギンが声をあげるのをよそに、白魚は無言のままドマイナーの指に自分の小指をそっと絡める。


「そんで、こうだよな。ゆびきり、げんまーん」


「必ず……また、会いに来てくだしゃんせ」


「指切った! よし、これで安心だろ?」


 白魚がうなずいたのを確認したドマイナーは安堵の笑みを見せると、あとは後ろも見ずに駆け去っていく。


 アルラマージが、何か言いたげな表情でそのあとを追う。


 残された白魚の背後に立つキンとギンは、どちらからともなく顔を見合わせた。


「なあ、ギン……」

「なんだよ、キン……」

「白魚ちゃんとアニキが今やってたアレってさ……」

「うん……」

「遊女が……本気になった相手とやるって、アレ……」

「……だよなあ……」

「アニキ、わかっててやったと思うか……?」

「いやあ……絶対わかってないと思う……」

「だよな……」

「うん……」

「アニキはそういう人だよな……」

「そういう人だ、アニキは……」

「だよな……本当に……」

「うん……残念だ……」







「――今のジーン陛下は、戴冠式を最後まで済ませておられぬ、いわば不安定な身の上」


 畳の部屋の中に並ぶ、白銀、白銀、また白銀の鎧たち。


 聞けば、旧神聖王国では〝親衛隊〟を名乗っていた、王国最強の騎士団だという。しかし今それを率いているのは、噂に聞く新王ジーンではなく、長い白髭に皺だらけの頭もまばゆい、ロレンスと名乗る老人であった。


「自由な気風のおかたゆえ古くからの決まりごとに縛られることを厭われますが、そうは言われましてもすべてはそのご身分が安定してからのこと。こたびは力づくでも連れ帰る所存です。ご協力感謝いたしますぞ、源右衛門どの」


「いやいや、顔をあげてくだせえ……まったく只者じゃあないと思っちゃいましたが……」


 頭を畳にこすりつけるロレンスを前に、座布団の上に座した源右衛門は、まだどこか呆然とした表情で首を横に振る。


「まさか、あの旦那がねえ……」


「そうとはなかなか信じてもらえない気さくさがまた、魅力のおかたでもありましてな……今の状況も、陛下の御意志ならば尊重すべきではないか、という意見を持つ者もおり、なかなか我々のほうも一枚岩とは行かず……ところで、陛下は、ジーン様はどこまで行かれたのでしょうか。少し遅いような……?」


「そんなに遠くはねえはずですが……家のものを迎えに行かせましたので、心配はいりませんや。旦那、いえ、陛下が戻られるまで、どうぞお茶でもおあがりください。なあに、すぐに戻って来ますよ」


「そうであればいいのですが……このロレンス、なにやら妙な胸騒ぎが……」



 庭では、水をためた鹿おどしがカコーンと小気味のいい音を立てる。



 そのはるか上空を、銀色の機影がぐるりと大きく円を描き――いずことも知らぬ彼方へと飛び去っていった。













 ――――さて。



 これより後、油屋源右衛門は病を得て亡くなるまでの十年あまりを、各地で意に沿わぬ身売りを強要されている者たちの保護救済に努めた。


 その相手は人種出生性別を問わず、時代を先取りいちはやく花街制度を廃止した機械都市ヨシワラは、各地で保護された者たちが力を合わせた結果、癒しと娯楽の一大エンタテイメント都市として長く大陸に名を知られることとなった。覇王ドミナジーンの伝説的戯曲を数多く上梓したことで知られる流浪の劇作家、金銀兄弟による心中ものの傑作〝お菊と垓憲〟は、この頃にヨシワラで生まれたものである。


 源右衛門の死後、彼に代わりそれらの活動を取り仕切り、後世まで繋がる形で発展させたのは、源右衛門の変節当初より右腕を務めたある女性アンドロイドである。

 元遊女であったという彼女の名は、あいにく後世には伝えられていない。

 当時のアンドロイドの性能限界である二十年をこえてなお精力的に活動していた彼女だが、仕事のほとんどを後進にゆずり半ば隠居生活に入っていたある日、ふらりと姿を消し、そのまま行方知れずとなった。


 その最後については〝活動の反対派の手により殺された〟〝寿命を悟った本人が引き取り業者を呼んだ〟〝行きずりの男に岡惚れしてついていった〟など諸説ある。〝かつて約束を交わした人間の男が迎えにきた〟などというロマンティックな俗説はその信憑性はともかく人気が高いが、つまりはどれもが故事伝承のたぐいであり、後世おいてなにが真実であると断定はいたしかねるところである。


 ただ、どの説においても共通している点として、彼女が最後に目撃された際、その傍らにいた相手は――――













 ――――惚れ惚れするような偉丈夫であった、と伝えられている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

DT覇王ドマイナー ヨシワラ純情伝 @bahiro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ