花火大会みてえだな

 その日、機械都市ヨシワラの上空に現れたその脅威――その異変に最初に気がついたのは、団子屋の小僧であった。


 花街という性質上、朝はどこも人の通りが少ない。がらんとしている大通りに面した店先で、掃除をさぼり、昨日の売れ残りの団子をふところから出しほくほくとかぶりついていた小僧は、上空になにかが浮かんでいるのに気づいた。


 はじめはぽつんと、空に浮かぶなにかのゴミのように見えたそれは、そこを中心とした青紫色の雲のようなものが、徐々に、また徐々に、広がっていく。


「旦那さまあ! 空がなにやら……」


「なんだい、掃除は終わったのかい?」


 言い知れぬ不安を感じ茶店のなかに駆け込んだ小僧が、団子の仕込み中だと渋るあるじを通りへ連れ出すころには、さらに倍ほどにも広がった青紫の雲から、ポツリ、ポツリと、雨のようなものが降りはじめていた。


 機械都市を保護している被膜は、そのどす黒い水滴を、天候由来の無害なものと誤認識し通過させてしまう。


 黒い雨が、機械都市の最上階区画である花街へと降り注ぐ。


 それはまず、花街のはずれにある野原へと降り注ぎ――触れた花をドス黒く枯らし、あばら家の屋根を腐食させ、すみかへ戻ろうと急いでいた機械の野良猫の表皮をどろどろに溶かした。


「おい……」


「あの雨は、いったい……?」


 そのころには、異常事態に気づくものも増えていた。黒い雨の降る付近の機械の鳥がいっせいに飛び立ち、機械製の獣や虫たちも逃げ惑う。


非常事態警報エマージェンシー非常事態警報エマージェンシー。外敵からの攻撃を確認しました。詳細な状況は不明、現状確認中、帝国臣民の皆さまは速やかに警戒区画から避難してください。第一級警戒区画、ヨシワラ。第二級警戒区画……』


 花街のあちこちにあるスピーカーがけたたましい警報を発しはじめる。忙しい夜を終えようやく眠りについていた遊女たちも、その隣で惰眠をむさぼっていた客たちも、みな一斉に飛び起きた。


『敵影いまだ確認できず。機械都市ヨシワラはただいまより外敵迎撃モードに入ります。ヨシワラに接近する特別通行証を持たない飛行体はすべて撃墜されます。周囲の飛行体は十分にヨシワラから距離をとってください。なお、迎撃中は都市の保全が最優先され、帝国臣民の安全は保障されません。帝国臣民の皆さまは、速やかに安全な区画へ移動してください』


 スピーカーからの警告放送に追われるようにして、みな家々からわらわらと飛び出し、この区画から逃げようと大門へ押し寄せる。


 しかし大門近くでは、区画の外に出ることが許されていないのに外へ出ようとするアンドロイドの遊女たちと、それを取り押さえる武装機械兵たち、さらにその混乱をどうにかしよう声を張る者たちとで大騒ぎになっていた。


『警告。通行許可のないアンドロイドが大門に接近しています……』

「おい、機械兵どもは何を騒いでるんだ!」

「遊女どもまで逃げようとしているせいだぞ! お前らはひっこめ! 人間に道を譲れ!」

「あちきたちは死んでもいいというのでありんすか?!」

「お前らこそ、人間が死んでもいいってのか! 人間が死んだら、お前らの客がいなくなるんだ! 商売あがったりだぞ!」

「わっちらが来てくれと頼んでいるわけではないでありんす!」

『捕縛実行シマス』


 そんな阿鼻叫喚が大門から派生し、花街のあちらこちらで繰り広げられている。それゆえに――その上空に、銀色の機体が飛来したことに気づいたものは少なかった。


 その少ないなかのひとりこそは、ヨシワラの迎撃システムである。迎撃システムが放ったレーザーが白銀に輝くテンダーロインの脇をかすめ、すんでのところでそれを回避したドマイナーは額の冷や汗を指先でぬぐいとった。


「……ったく、こっちは助けに来たっていうのに、迎撃システムの野郎、相変わらず見境なしだぜ。でかさと重さと速さで脅威レベルを判断する基準、いいかげんやめさせねえとな」


「大丈夫なのか」


 ハッチがはずれむき出しになっている操縦席に乗ったドマイナーにそう尋ねたのは、テンダーロインの機体にしがみついている、無明である。


「誰に聞いてんだ。これしきの攻撃、ちょうどいいハンデってもんだろ」


「あの怪しい色の雲……おそらくはここらの土地の虫の毒を集めた毒の塊であろう。触れれば二秒で皮膚が爛れ、三秒目には神経に変調をきたし、五秒と持たずに死に至る。近づくのは得策でない」


 ヨシワラの上空に広がる青紫の雲を見ながら、無明は苦悩の表情でドマイナーに言った。


「そして、雲海和尚はおそらく、あの雲の中央付近に……」

「近づいちゃいけねえってのはわかってる」


 ドマイナーが答える。


「ならば、どうする」

「撃つ」


 ドマイナーは、無双八相を手にとった。六角堂の屋根の上におきっぱなしになっていたのを瓦礫のなかから回収してきたものである。そしてその無双八相の弾倉に、弾を込める。その間にも、機械都市が次々にレーザーを発射してきた。


「面倒だ、一度昇るぞ! 振り落とされんなよ!」

「わかっておる!」


 ドマイナーが機体を垂直方向に上昇させた。


「ぐぉ……!」

「…………!」


 無明の体にもドマイナーの体にもすさまじい重圧がかかるが、ドマイナーの口もとには笑みすら浮かんでいる。それを見た無明は、口から漏れそうになった声をぐっと飲み込んだ。


 上空へと昇り、毒の雲を上から見る。無明の予想通りその中央あたり。ぼこりと上に向かって膨らんでいるあたりに、蓮の台座に座す雲海和尚の姿があった。


「和尚……!」


「おい無明、叫ぶな。あいつ、今はヨシワラのほうに意識がむいてて、こっちには気づいてねえようだ。気づかれるとやっかいだぞ」


「……和尚のことは……しかし、なんとか……なんとか、ならぬのか……」


「言うな」


 弾へのエネルギー充填を終えた無双八相を構えながら、ドマイナーが言う。


「あらゆる手を探し尽くせばなんとかなるかもしれねえ。なんとかなるかもしれねえが、なんとかなる前に、ヨシワラは滅びる。ぶっ殺すしかねえだろ。お前まだ覚悟ができてねえのかよ」


「わかっておる! 儂とてそれくらいはわかっておるわ! だが……それを、野の花をたおるように簡単に言いおるおぬしが気にくわぬ! 儂はな、おぬしの、そういうところをこそ厭うておるのだぞ!」


「野の花にだって命はあるだろ。それとの違いが俺にはわからねえよ。お前が俺を嫌いって話なら、後で好きなだけ聞いてやるよ……くそっ、位置が悪い。ヨシワラに被害が出ないよう上から狙うのは無理だな。かといって下から近づくとあの毒にやられちまう。ギリギリ水平を狙うぞ」


「……承知」


「新米とはいえ神が相手だ。それに距離もある。最大出力で撃つ。無双八相の最大出力は、俺でも片手じゃ抑えきれねえ。だが、右がまだどうもおかしい。撃つときは言う。左手を支えてくれ」


「承知」


 無明の返事を聞いたドマイナーは、足をつかって操縦桿を操作しテンダーロインの機首をいきなり下へ向ける。ヨシワラからじゅうぶんな距離をおいた座標へ向かって降下したかと思うと、機体をぐるりと反転させた。揺れる機体の上でどうにかバランスをとっていた無明の口から、思わず愚痴が出る。


「さっきからぐるぐる回すな……なにを遊んでいるのだ!」

「これでも抑えてるほうだ。行くぞ!」


 ドマイナーの足が操縦桿をぐいと引く。さらに加速したテンダーロインが、雲の上に座す雲海に向かって猛スピードで直進しはじめた。


 無双八相をかまえるドマイナーの左肩と手を、無明が支える。


「撃つぞ! 3、2……うわっ?!」


 ドマイナーが足を動かし、テンダーロインを急速上昇させた。


「なんだ?!」

迷彩ステルスミサイルだ!」


 ドマイナーの言葉通り、一見なにもない空間に、空気を切り裂く音だけが響いていた。


 機械都市の自動迎撃システムにより発射された迷彩ステルスミサイルである。


 追尾機能を持っているそれは、テンダーロインを追って垂直方向に進路を変える。しかし次の瞬間、背後に伸びてきた青紫色の巨大な手のようなものにつかまれ、その手に握りつぶされるがごとく、空中で爆発四散した。


 ミサイルを握りつぶした手は、雲海和尚の毒の雲から伸びている。


「気づかれたか……?!」


 上空からその手を確認したドマイナーは、思わず舌打ちをする。


 そんなドマイナーをあざ笑うように雲海は、毒の雲を自分の下方だけではなく周囲四方にまんべんなく吹き出し、己の姿を雲のなかに隠した。


「あの野郎!」


 ドマイナーは一度運転席に戻り、コンソールを叩く。ディスプレイに、周囲の分析状況が映し出される。


 毒の雲にはどうやら電磁解析をはじく遮断材のようなものがまぜられているらしい。


 機械都市の上空に広がる分厚い青紫色の雲は、コンソールのディスプレイ上ではただ黒い塊としか映らなかった。


 当然、雲海が雲のなかのどこにいるかわかるはずもない。


「修羅の男! 下からなにか来るぞ……」

「回避する。どっちだ?!」

「……右!!」


 雲の一部がもこり、と盛り上がったかと思うと、テンダーロインの航路を狙い撃ちするようにして、毒の噴水が間欠泉のごとく吹き上がった。


 その吹き出しがおさまった瞬間、吹き出し口に一瞬、雲海の姿が見えるも――すぐに雲の奥へと逃げこまれる。


「くそっ、小せえ体でちょろちょろ動きまわりやがって……これじゃ、狙い撃つのも一苦労だ……!」

「ふむ……」


 なにかを考え込んでいた無明が、口を開いた。


「修羅の男……和尚を、どれほどの時間足止めできれば、その呪わしい弾を当てられる?」


「どれくらいって……」

「わずかな時間で良いならば、儂に策がある」

「そう、だな……一秒……二秒……いや、二.五秒。できれば三秒。そんだけ欲しい」

「五秒やろう」


 無明は上帯をほどくと、それを使って僧衣の袖をたすき掛けにまとめる。


「行ける、と思うたら、儂はこの機体から飛び降りる。おぬしはそのまま発射可能地点に移動し、合図を待て。合図は、その時になればわかる。飛び降りてからの時間は――おそらく三十秒もかからぬ。そのあとは、修羅の男、おぬし次第よ」


「飛び降りるって……無明、お前いったい、なにをするつもりだよ」

「この技は、一度しか使えぬ。防がれたら終わりだ。やるのか、やらぬのか」

「やるに決まってんだろ」


 ドマイナーはテンダーロインの機首を少し上げ、先ほど雲海が姿を現したあたりを旋回する。


 周囲は、なにかの予感をはらみながら、恐ろしいほどに――静かだ。


「……修羅の男、そういえば、答えをきいておらなんだ」


 沈黙に耐えかねたように、無明が口を開いた。


「答え?」

「貴様、我が奥義〝六道輪廻〟をどうやって破った?」

「どうやって、って……おい、またこいつか!」


 機械都市からテンダーロインを狙って発射された迷彩ステルスミサイルが、今度は十数発同時に迫ってきた。


「修羅の男、こちらも来るぞ!」


 雲の上面を見張っていた無明もまた声をあげる。ドマイナーが操縦桿を引く。直前までテンダーロインがいた場所を狙って、今度は三つ同時に間欠泉が吹き上がった。それを迂回するように、ミサイルがテンダーロインを追いかける。


 ドマイナーは、テンダーロインの操縦桿に足をかけながら無双八相を手にとり、その引き金を確認した。


「無明、雲海は?」

「まだ見えぬ……が、おそらく、いるぞ」

「向こうも段々こなれてきたな。攻撃が面倒になってきたぜ」

「決着は早めに、ということだな。だが、修羅の男よ――」


 無明の呼びかけに、ドマイナーは思わず顔をあげた。


「なんだ?」

「さきほどの答え、まだ聞いておらぬ」

「さきほど? なんか話してたか?」

「我が奥義を、おぬし、どうやって破った」

「ああ、それか。どうやって、つっても、そうだな……」


 すんでのところでミサイルを回避したテンダーロインの軌道を追いきれず、ミサイル同士が衝突し爆発炎上する。


 爆風で間欠泉の吹き出し口周辺の雲が一瞬晴れ――その隙間に、雲海の背後姿がちらりと見える。


「見えたぞ、雲海だ!」


「――千載一遇の好機!! 行くぞ!!!」


「ああ! そうだ無明、お前の奥義だが――」

「うむ?」

「よくわかんねえけど、気合い入れたらどうにかなったんだよ!」


「…………!」


「これでいいか?! 死ぬなよ、無明!!!」



「……修羅の男よ……儂はな……」



 無明が、テンダーロインから身を躍らせる。



「儂はおぬしの――そういうところが、なにより嫌いなのだ!!!!!」



 叫びつつ落下しながら無明は、その黒鉄の両腕を雲海に向ける。そして。


「雲海和尚、不肖の弟子の至らなさ、どうかお赦し下されませ……!」


 無明の腕全体が、ひび割れるようにして大きく開く。そして。


「最終奥義――――〝双極〟」


 開いた下腕部が肘から分離。分離したところからジェットエンジンが点火して、雲海へと襲いかかる。つまりは――


「ロケットパンチ?!!!!」


 雲海から放たれた双極は――ロケットパンチは、追尾機能付きのようだ。無明のふたつの黒腕が、雲海を追って雲のなかへと消える。


 それを確認したドマイナーもまた、テンダーロインから身を躍らせた。首もとにかけていた航空眼鏡をぐいと引き上げ目元を隠し、シャツを引き上げ口元を隠す。


「テンダーロイン! そいつらの相手は任せた!」


 テンダーロインは、迷彩ステルスミサイルを曳きながら天へと駆け昇る。ドマイナーは落下しながら、エネルギーの充填が終わっている無双八相を構えた。その体が、毒の雲へと突入する。


「…………!」


 ドマイナーは息をとめてそれをやりすごす。肌がむき出しになっている箇所が毒に触れ、鋭い痛みをドマイナーに与えるも、一瞬のこと。一秒足らずで毒雲の層を突破したドマイナーの体は、地面に向かって、なおも落下を続ける。


「雲海和尚……あんたとは、もう少し話をしてみたかったが……」


 雲の下の雨はやんでいた。ドマイナーは無双八相を上空に向かって構えたまま落下を続けている。その引き金に手をかけ、無明からの合図を待つ。そして――。


 次の瞬間、雲の一部がきらりと光る。光ったその箇所を中心として、雲中で大爆発が起こる。爆風で雲が散る。その中央に、台座に座す雲海の姿が見えた。


「……残念だ。だからよ、和尚――」


 ドマイナーが引き金を握る手に力を入れる。



「――今度は本当の、地獄で会おうぜ……!!!」



 ドマイナーの右肩に、内部が爆ぜたかのごとき痛みが走る。

 それをただ、ただ意志の力で、笑いに変える。



 発射された高エネルギー弾は白い閃光となって、その台座ごと、雲海を貫いた。



「《あああああああ……ぐああああああああああああああああっ!》」


 雲海の悲鳴が響き渡る。


「テンダーロイン……こっちだ!」


 上昇の圧力に耐えきれず自壊したミサイルたちを振り切ったテンダーロインが、ドマイナーを追うように降下する。地面まであとわずかのところで自分においついたテンダーロインの翼をどうにか左手だけでつかんだドマイナーは、右目の奥からテンダーロインへ急速上昇の信号を出した。


「《あああああああ……あああああああああああああああぁああああ……!!!!!!》」


 空では、雲海の末期の声に呼応するようにして、機械都市全体を覆うように広がっていた毒の雲が次々に爆破炎上している。


「花火大会みてえだな……」


 完全に動かなくなった右手をだらりと垂らしたまま、ドマイナーはテンダーロインの機体をいたわるように叩きながら言った。そして。


「あ……そういや、無明のやつは? 無事か?」


 ドマイナーはテンダーロインの操縦席から顔を出し、周囲を伺う。はるか向こうに、地上にむかってゆっくりと降下を続けている無明の姿があった。


 両腕を無くし、左足も折られている無明だが、その右足の下にあるらしいジェット噴射装置を使い、落下速度を器用に調整しながら降りているようだ。


「あいつ……さっきのロケットパンチといい、まだまだいいもん隠してるじゃねえか、くそっ」


 ドマイナーは、心から嬉しそうに言った。


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