迎えが来たぜ
「すばらしい……すばらしい力です……! 術を途中で中断したのが多少心配でしたが、こんな厄介な場所で苦労した甲斐はあったというもの……!」
墨羽が、雲海和尚を――いや、雲海和尚であった神を前に、両手を広げ、こらえきれない歓喜に身を震わせていた。
神の力か、地面から少し浮いた蓮の台座の上に鎮座している青紫色の肌をした雲海は、なんの感情も浮かばぬ表情で、ただそこに座っている。
睡蓮寺があった洞窟は天井から崩れ落ち、照りつける太陽の熱がそのまま洞窟の中を焼いていた。
周囲にあったはずの本堂やら僧坊やらは雲海のエネルギー波にまきこまれたのか、はたまた落ちてきた洞窟の天井に潰されたのか壊滅状態で、見渡す限り瓦礫の山が広がっている。
ところどころ、瓦礫の下から、突然のことにパニック状態で叫ぶ声や、助けを求める悲鳴のような声があがっていた。
「墨羽、きさまああああああっ!!!!」
エネルギー波をやりすごした無明が錫杖を手に墨羽へと襲いかかった。が、間一髪、間に割って入った雲海により、逆に後方へ吹き飛ばされる。
「お、和尚……っ!」
「和尚ではない。我らが新たな神、祟りなす毒の神ですよ。無明、人の身で神に抗するなど不可能です。無理はしないほうがいい」
「したり顔で語りかけるな、この仏敵が……!」
「おお怖い怖い。無明や、頭は足りないようですが、私がお前をかっているというのは本当ですよ。なにを考えて仏門の扉を叩いたのかは知りませんが、お前の粗暴さは、あきらかに坊主には不向き。神の偉大さを知り、私の手駒になるといい。お前が素顔をのぞかせた折のその凶暴さと技の冴え……お前が我らが神々にその忠誠を誓うならば、あの忌々しき僭王ジーンを討つこともあるいはできるやもしれません」
「わしの前でその名を口にするな! 汚らわしい!」
「おや、お前もあの男が嫌いですか。では利害は一致しているではありませんか。私についてくれば、あの男の首、いずれお前にとらせてあげましょう」
「あの男も、墨羽、きさまも、同じく儂の敵。仏の敵よ……地獄に落ちよ!」
ふたたび立ち上がり、一歩前に踏み出した無明の体が、しかしガクリと崩れ瓦礫の上へ崩れ落ちる。
「なるほど、私を地獄へ……でもその足でなにができますかね?」
墨羽が無明の足を指さした。昨晩ドマイナーに破壊された左足に、ヒビが入っている。むき出しになった配線が、ジジ、ジジ、と鈍い音を立てていた。
「ぎぎ、ぎ……が……!」
無明が、声にならない無念さに歯ぎしりをする。ぎりぎりという音が周囲に漏れる。
そんな無明の前で、墨羽は余裕たっぷりに雲海に話しかけた。
「さて……では雲海よ、まずは力試しです。この近くの機械都市を――ヨシワラを滅ぼしに行くとしましょうか」
「きさ……ま……!」
雲海が、墨羽の言葉に従って、ふわりと高く舞い上がる。それを見送った墨羽は、無明に視線を戻した。
「生まれたてとはいえ神の力をもってすれば、なあに、小一時間もかからぬでしょう。無明、お前がこれからどうするかは、雲海がヨシワラから戻ってきてから聞くとしましょう。いい返事を期待していますよ」
墨羽は笑顔で無明にそう語りかけると、次に、へたりこむ白魚と湯仁へ目をやった。
「湯仁、それに小娘――お前たちは今ここで死んでもらいますけれどね。役立たずのくせに、私に逆らいすぎました。とくに小娘、機械人形の分際で私に傷を負わせたお前の罪は重い。私がじきじきに殺してあげましょう。お前の友人とやらを殺したのと、同じ方法を使ってね……」
墨羽がそう言いながら、懐から昨晩白魚を操った機械を取り出す。墨羽が機械を動かすと、白魚の手が己の頭にかかり、ゆっくり、またゆっくりと、後ろへねじり始めた。
「や……やめ……!」
「おやめください、墨羽どの!」
「湯仁や、人の心配をしている場合ですか? 小娘が死んだら、次はあなたですよ。せいぜい小娘が長生きするよう祈ることです。人間ならば即死ですが、アンドロイドならば、そうですね。首が三回転半くらいまでは持つようですから……」
――幾多の命を奪い、数多の破壊を繰り返し、王の座を奪い取った
ドマイナーの耳に、誰かの声が聞こえた。
初めて聞いたような、ずっとそばにいたような――
――お前に生きる価値はない
――なのになぜ生きる
――なぜ生き続ける
「知らねえよ、うるせえな!」
――お前が来たせいで災いが生まれる
――なんのためにここへ来た?
「嫁を探すためだって言ってんだろ!」
――なんのために生きる?
「だから、それは知らねえって……」
――なんのためにここへ来た?
「だから、嫁を……」
――なんのために生きる?
「お前な、ひとの話を聞けよ! だからそれは知ら……」
――なんのためにここへ来た?
「だから、嫁を……!」
――なんのために生きる?
「だから――」
――なんのために
「だから!」
――なんのためにここへ来た?
「嫁を探しに、だ!」
――なんのために生きる?
「だから、それを――――探しに来たんだよ!」
周囲が沈黙する。
霧が晴れるように、周囲の景色が唐突に明るくなる。
――ああそうか、今のは、今までのは、ずっと――――
「――――俺の声だったのか」
自分の手で顔を真後ろ近くまで回した白魚の頭を、湯仁が必死におさえる。それ以上ねじられないように。
「痛い! 怖い! いや、いやああああああっ!」
「白魚どの! 白魚どの、手を、手を離し、止め……!」
「離れないでありんす……自分では止められないでありんす……!」
だが、墨羽の手になる機械により外部から操作されている白魚はその躯体能力を極限まで引き出されているようだ。湯仁には、白魚の他律的自殺行動を、ほんのわずか遅らせることだけが精一杯であった。
「墨羽! きさまきさま、きさまああああああっ!」
無明が、片足と両手で這うようにして墨羽へ襲いかかる。が、墨羽が黒衣の袖をゆっくりと動かすと、それはまるで鴉のような巨大な黒い羽に変化して――墨羽は空高くへ舞い上がる。
「うおおおおおあああああっ!!!!」
無念のゆえか、無明が絶叫する。墨羽は、そんな必死の無明をあざ笑うように、無明のすぐ近くへ舞い降りた。
「無明や、落ち着きなさい。私を敵に回してもいいことはありませんよ。お前が、僭王ジーンを――あの忌まわしきドミナジーンめをしとめれば、褒美は思うがまま。そう、例えば、元の機械帝国の領土をそっくりお前にやっても――」
「――――いま」
「……え?」
背後から聞こえてきた声に、墨羽の笑顔が凍りついた。
「俺のこと――呼んだな」
「な……」
「なにか用か」
突然、墨羽の視界いっぱいに、空色の隻眼をした大男の顔がひろがった。
「あ……お……」
さきほどまで瀕死の状態で倒れていたはずのドマイナーが、墨羽の後ろに立っていた。
だが墨羽には、背後を振り向いた覚えはない。
その通り、墨羽の体は、変わらず前を向いている。
その顔だけが――首から上だけが、ドマイナーの剛力により、強引に後ろを向かされていた。
「……おま……え……まさ……か…………」
首の骨はすでに折れている。ドマイナーが手をはなすと、墨羽の頭は、その体ごと、地面に倒れた。
「ど……ドマイナーどの!!」
「おぬし……!」
湯仁と無明が声を上げる。
「ドマイナーはん!」
両手と首とが解放された白魚が、ドマイナーに駆け寄った。ドマイナーは白魚を抱きとめながら、すでに息絶え地に伏している墨羽を見る。
「こいつ……」
「そやつめ、仏門のものではない! 神聖王国の手先よ……!」
「ああ、地獄の底でうっすら聞いてた」
ドマイナーは、右肩をおさえながら、顔をしかめる。
「どうやら意外とやるやつだったな。生半可な神術とやらは俺にはきかねえはずなんだが、さっきから右腕が動かねえ」
「え、右腕ですか? それでしたら、その男ではなく、無明どのが……」
湯仁が、そこまで言って気まずそうに無明を見る。
「……儂がおぬしを押さえつけたひょうしに、関節がはずれたのだ」
湯仁の後を継いだ無明の言葉に、ドマイナーは自分の右腕を見た。それは、たしかに、あらぬ方向にねじまがっている。
「無明、お前……」
「なんだ」
「相変わらず容赦ねえなあ。こっちは死にかけてたってのに」
「そうでもしなければ貴様を抑えきれなかったのだ……骨も少しいっているかもしれぬな」
「まあ、そういうところが、俺がお前を好きなところだよ」
「ふん……! それより貴様、いったいどうやって我が奥義を破った?」
問いただす無明の前で、ドマイナーは左手であらぬ方向に曲がっている自分の右腕をつかむ。そしてそれを、無理やり上下に動かした。
「痛て! 痛ててててて!」
「ど、ドマイナーどの!」
「なにをやっているのでありんす?!」
ドマイナーの右肩からガコ、と鈍い音がする。どうやら関節がはまったようだ。
「これでどうにか動きはするか………ったく、痛いったらありゃしねえ。さてと、無明」
「なんだ」
「お前、これからどうする」
「どうする、とは」
「このへん、かなりのやつらが生き埋めになってるだろ。ここに残ってそいつらを助けるか、それとも、俺と一緒にあの神とやらをぶっ殺しに行くか」
ドマイナーが、あたり一帯を見回したのち、再び無明の目を見て言った。
「あとは任せろと言いたいところだが、さすがの俺も、地獄から帰りたてでちょっと弱ってる。神相手に喧嘩を売るなら、無明、お前がいてくれると心強えな」
「儂は……おぬしとは違う。刹那の衝動に身をまかせ、争いの中にのみ己を見出すおぬしとは……」
「だが、あの神とやらをほうっておけば、凄まじい数の人間が死ぬぞ。こことは比べものにならねえくらいのな」
「ドマイナーどの……」
と、横からドマイナーを呼んだのは、湯仁だった。
不安とも、苦悩とも、なんとも言い切れない複雑な表情でドマイナーを見上げている。
「なんだ?」
「いえ、その……」
「なんだよ、まさかこの俺があんな野郎に負けるとでも思ってんのか? 相手が神だろうが鬼だろうが悪魔だろうが、俺がひけをとったことはねえよ」
「それはその……あの、ですが……あの方は……雲海和尚で……」
「――湯仁」
「は、はい!」
少し低いドマイナーの声に、湯仁は姿勢を正してドマイナーを見た。
ドマイナーのその顔には、なんとも理解しきれない感情が――あるいは本人にも理解できていない感情が浮かんでいるように、湯仁には思えた。
「あいつは俺が殺す。お前が俺を恨むのは自由だ。だが、経緯がどうあれ、過去がどうあれ、あいつは今、俺の敵だ。俺がそう決めた。他人にどうこう言わせるつもりはねえ。それとも湯仁、お前が力づくで、俺を止めるか?」
ドマイナーの目が、好戦的に光る。湯仁は首を横に振った。
「それは……無理です。それに、ただそうと言いたいわけではなく――」
「なら湯仁、もうお喋りは無しだ。お前のにぎりめし、うまかったぜ。だからお前は、お前の敵と戦え。ここで生き埋めになってる奴らの救助を頼む。ひとりでも多く、一秒でも早く、だ」
「は、はい……」
「白魚、お前は湯仁を手伝え。怪我しねえよう、気をつけろよ」
ドマイナーは次に、白魚のほうを向いた。白魚はなにか言いたげにドマイナーの目を見つめている。ドマイナーは困ったように頭をかいた。
「……さくっと神をぶっ殺したら、戻ってくるからよ」
「違うでありんす! わっちは……」
「白魚、そりゃあヨシワラはお前にとっちゃ、悪い思い出ばかりの場所かもしれねえが――」
「だから、わっちが言いたいのは、そういうことじゃ……」
「――だが、それでもあれは、お前の故郷だからよ」
ドマイナーの言葉に、白魚はきょとんとした表情になった。
「故郷……?」
「そうだ。あそこにゃ、ダチがいて、仲間がいたんだろ。そういうのを故郷っていうんだ。いつか懐かしく思うことがあった時に、跡形もなくなってたってのも寂しいもんじゃねえか。そう思って、せめて笑って見送ってくれよ」
「わっちは……」
口ごもる白魚の前で、ドマイナーはなにかに気づいたように空を仰いだ。
天空に、銀色の飛行物体がひらめいている。
「さて、と。無明、迎えが来たぜ。お前はどうする?」
無明はいまだ、無言である。
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