生まれてきたからには
墨羽がかかげた手には、小さなでこぼこした金属の塊がある。
白魚の同輩の蛍火が逃がし屋のお菊から預かり、それを白魚が預かり、さらに白魚がドマイナーに預けたものだ。
よく見ればその金属の塊は――目の前の、巨大な蓮の蕾によく似ていた。
雲海和尚が中で即身仏行を行っているという、六角堂の中央に安置された、金属製の巨大な蕾に、である。
「墨羽どの、いったいそれは……?」
墨羽の突然の豹変にまだついていけぬ様子の無明を、墨羽は横目でじろりと睨む。
「……まだまだ力を貯めるは可能なれど、面倒だ。この小汚ない寺も……面倒な坊主たちも……!」
「な……墨羽どの?! もしや、墨羽どのまでこの修羅の男にあてられて……」
「目をおさましください無明どの! 私は正気、そして墨羽どのも……これこそがこの男の正気なのです! この男は、はじめから……」
「《去ね》」
墨羽の口から、その場にいるものには意味が聞き取れないなにかの言葉が発せられる。次の瞬間、墨羽を中心とした衝撃波のようなものに、墨羽の周囲にいた湯仁、無明、白魚、それにドマイナーの体が弾き飛ばされた。
「こ、これは、一体……?!」
手も触れず弾き飛ばされた不思議に湯仁は愕然とするも、それをやった墨羽のほうは少し不満気な表情だ。
「おやおや、全員壁に叩きつけてやろうと思ったのですが……やはり、ここらの土地では、神術のききが悪くて困る」
「〝神術〟?! では今の言葉の響き……やはり……〝交神語〟……!」
無明が、尻もちをついた姿勢のまま呆然とした表情で墨羽を見る。
「な、なぜ……墨羽どのが異教の技を……?!」
墨羽はそんな無明を、侮蔑の情を隠さぬ笑顔で見下ろした。
「無明、お前は見た目によらずなかなか物を知っている。知恵はないが知識だけはあるようですね」
「なっ……!」
「なんですかその顔は。お前ごとき猿が我が術の名を知っていたことをほめてやっているのですよ。もっとも〝異教の技〟とは聞き捨てなりませんね。我が神聖なる〝交神術〟は、魔法やら機械やら奥義やらとかいう得体の知れないものとはまるで違う。正しき血統を受け継いだものが、神より任じられてはじめて行い得る、大いなる奇跡。それを行使する栄誉をあたえられた私が――もとよりこのような〝邪教〟に本気でその身を堕としているとでも?」
「邪教?!」
「我らを守護するいと麗しき神々は、我らが選ばれし民を教え導きたもう。いるかいぬかもわからぬ仏とやらを探してああでもないこうでもないと問答にあけくれ、あるかないかもわからぬ救いを求めるお前たちの、なんと浅ましきことか……選ばれることなき民とは、まこと哀れなものですね」
「ふざけるな貴様あっ!」
無明が、錫杖を手に墨羽へと躍りかかる。しかし、墨羽が小さな金属の蕾をかかげ再びなにごとかを唱えると、無明は再び弾き飛ばされた。
「控えよ下郎! 新たな神の誕生なるぞ……!」
「神……?」
「墨羽どの……!」
倒れた無明と、墨羽とを交互にみやる湯仁へ、墨羽は不快感もあらわに言った。
「湯仁や、もはや私をその汚らわしき仮の名で呼ぶでない。そもそもは、どこぞの女よりもお前こそが垓憲に信用されていれば、こんな面倒なことにはならなかったのです」
「垓憲?」
「そう、私の企みに気づいたあの垓憲めを始末したまでは良かったのですが……私に気づかれる前にこの神術の〝鍵〟を盗み出し、どこかへ隠してしまったのですよ。殺してからそれに気づいたもので、この三日というもの、僧坊の中やらヨシワラやらあちらこちらを探し回り……まったく、骨が折れました」
「……もしや、僧たちから金を盗んだのも……?」
「金など目当てであるものですか。私はこの〝鍵〟を探していただけですよ。金を盗んだのは、あくまでも私物を散らかしたことのカモフラージュ。私の考えでは、湯仁、お前が――垓憲と仲のよかったお前が預かっているものと思ったのですがねえ。どうやら垓憲は友人よりも女を選んだようだ。さすがは邪教の生臭坊主。女人禁制のはずが、節操というものを知りませんね。ともあれ、垓憲の手からお菊を経て蛍火とかいう遊女の手に渡ったことをつかんだまではよかったが、そこから行方がわからなくなって、一時はどうしようかと思いましたよ」
「蛍火……?」
その名前を聞いた白魚が、思わず顔をあげた。
「そう、白魚、なんでもお前とは姉妹のように仲が良かったとか。顔は可愛いが、頭の悪い子でしたねえ。こっちはすでに鍵があの子に渡っていることをつかんでいるというのに、知らないでありんす知らないでありんすとそればかり。腹が立ったので――ほら、昨晩お前にも使った機械を使って――自分で自分の首を捩じ切らせてやりました」
「…………っ!」
「痛い怖い助けてと、機械の分際で大騒ぎ。あれはなかなか、見ものでしたねえ」
「墨羽どの!」
口を押さえるようにしてしゃがみこんだ白魚の前で、湯仁が叫ぶ。
「湯仁、もはやその名で呼ぶなと言ったでしょう。まったく、神に見放された猿どもはこれだから困る……もっとも、あの、お菊とかいう女が、垓憲から捨てるように頼まれていたこの探索術のかかった風車を捨てずに持っていたのは助かった。バカも時には役にたつものですね」
墨羽が、皆の前でひとり笑う。
「せっかくなので、調査用に発注していた垓憲の顔をしたアンドロイドを使って、じきじきに殺してあげました。もういらなくなった機械人形の処分にもちょうどよかったですし、なにより、愛した男に裏切られ殺される女の顔というのはいつ見ても良いものですからね……」
「墨羽どの! 正気に戻られませい!」
「無明や。私はずっと正気ですよ」
墨羽が、見せつけるように、風車を自分のほうに向けて床にさす。風車は、墨羽が持つ蕾の形をした金属の塊――墨羽が〝鍵〟と呼んだそれを向きながら、くるくると回った。
「さて、そろそろ喋るのも飽きてきました。お前たち下賤のものに、本当の力、真に頼るべき〝神〟というものを拝ませてあげるといたしましょうか」
墨羽は、小さな金属の蕾――墨羽自身が〝鍵〟と呼んだそれを持って、巨大な蕾の前に立つ。そして蕾の鍵を巨大な蕾に向かって差し出すように掲げると、再び交神語での詠唱をはじめた。
「《尊き方よ、法と秩序を司る神々の長よ、この地において新たな眷属をたてまつる……》」
墨羽が手にしていた小さな蕾が、ゆっくりと開きだす。それに応じるように、六角堂の中央に置かれている、巨大な蓮の蕾もまた、ゆっくりと開きだした。なかから現れたのは――――
「和尚……!」
「雲海和尚……!!」
ひらいた金属の蓮の花上には、僧正の正装をまとった雲海和尚が結跏趺坐の姿勢で座っていた。
「これはこれは……屑どもの首魁も少しはましな姿になったものです」
雲海の、肉はこそげ落ち、骨の上に皮一枚がはりついているかのような状態だ。肌は枯れて、色は腐った青紫色。
左手に持った鈴が軽くゆれ、ちりりん、と小さく鳴った。
「ふふふっ。いかに非常時とはいえ、このように恵み少なき地で邪教に染まったものを神として祀るは、異例のこと……ましてや、この土地の毒を効率よく集めるためとはいえ、機械などという汚れた力を借りるなど本来あってはならないこと。ありがたく思いなさい」
墨羽が、陶然とした表情で雲海を見つめる。
なにか特殊な力場が発生しているのか、蓮の花が開くその周囲に無明や湯仁は近寄ることができない。みなが見守るその前で蓮の花びらが完全に開くと、今度は、中に座る雲海のまぶたが、ゆっくりと開きはじめた。
「雲海和尚!」
「和尚、儂です、不肖の弟子、無明にござります! おわかりになりますか……?!」
「わかるわけがありません。今から三月前、この蓮の蕾に座したときに、雲海はその心を我らに売り渡したのです。我らが法と秩序の神の奴隷となることに同意したのですよ……」
「雲海和尚が……自らの意思でお前ら異教の軍門に下ったと言うか? ありえん!!」
「いやまったく。せっかく神にしてやろうといっているのに、なにが〝自分はまだ死ぬ気はない、命の限り、助けを必要とする者に手を差し伸べたい〟ですか。なんの力もないたかが人間が、まったく生意気な……」
そう語る墨羽の体が、雲海和尚から――和尚であった〝もの〟から発せられた白い光に、打たれたように揺らいだ。
墨羽は軽くよろめくもすぐに体勢を立て直し、蓮の台座に座す雲海を睨みつける。
「まったく、この雲海という男、しつこくて困る……まあ、それだからこそ、良い祟り神になる素質があると選んだのですが……雲海よ! 我らが神に従わないつもりならば、お前の弟子に、そこの遊女、この寺にいるもの全てを、また生きながら解体してあげますよ! ここらに転がっているのはしょせん機械人形。私もお人形相手にうっぷんを晴らすのは、そろそろ飽きていたのです。一人の解体には三日三晩を費やすとしましょうか。弟子どもが、どうか殺してくれもう殺してくれと懇願しながら悲鳴をあげるさまを見たいのですか?」
「な……墨羽どの、なんということを……」
「己ひとりの命を投げ出し、死しては地獄に落ちるも顧みず、どうにか弟子だけは救ったつもりが――結局すべてが水泡に帰すのです。さあ、どうしますか、雲海!」
「墨羽……! きさまあ……っ!」
「はははは! 無明、雲海和尚の名を出せば一切の疑いを抱かぬお前の蒙昧さ、まこと好ましかったですよ。私にとってはね!」
雲海が、花弁の開いた蓮の台座から、無明と墨羽とをじっと見つめる。そして、諦めたように、その両目を閉じた。
「そうそう、それでいいのです。さあ、いよいよ神の誕生です。恵み薄きこの地に災いをなす、醜く汚れた神! 邪教の猿どもにふさわしい祟れる神! さあ、我らが偉大なる神に祝福を! 目覚めよ――《目覚めよ、仇なす毒の神、雲海》!」
交神語の語りかけに呼応して、再び雲海の目が開く。その目は禍々しく、黒紫色に光り――同時に、雲海を中心としたすさまじいエネルギーの渦が発生した。
六角堂の屋根が、壁が、その周囲がなぎ倒される。
嵐のなかで、高笑いする墨羽。
歯噛みする無明。
呆然とへたりこむ白魚。
それをかばうように座る湯仁。
そして、生きながらその精神を地獄に送られたドマイナーは――うつぶせに倒れたまま。
気がつけばドマイナーは、白い光に包まれた空間に横たわっていた。
「……死んだか」
――まだ生きておる
「そりゃ……残念」
ドマイナーがまぶたを閉じる。再び、声がした。
――生きるのはつらいのか
「まあ、それなりにな」
――ならば死ぬか?
「いいや……」
――なぜ
「…………」
――お前は、なんのために生きておる
「……知らねえな」
――意味のない生に、つらさはないか
「べつに……生まれてきたからには死ぬ時が来るまでは生きる。そういうもんだろ」
――虚しくはないか
「…………しかたねえだろ」
――殺してきた者への償いか
「…………」
――救えなかった者への贖いか
「…………そんな…………」
ドマイナーが、ふと目をひらいた。
なにか優しいまなざしに見守られているような気がした。
「そんな大した人間じゃねえよ、俺は……ただ……」
――ただ?
「ただ……生きられるだけは生きるって、約束しちまったからよ……」
――お前の花は未だ石のなか
「あ……?」
――念じよ
――見つけ出せ
「お前……」
――儂にはもう時間がない
――お前の人生に幸あらんことを願う
――さらば、若き獣よ……
「お前、もしかして……?」
ドマイナーが顔あげる。
そこにはもう誰もいなかった。
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