生きながら地獄に落ちておる




 ――――助けて。




 小さな少女が黒い鴉の群れに追われていた。


 逃げては転び、転んでは逃げ、やがて黒い群れにその小さな体が覆われ尽くす。


 やめろと叫ぼうにも口がなく、助けようにも手足もない。


 次第にか細くなっていく悲鳴に絶望していく心が、ただあるばかりであった。


「俺の……俺の、せいで」


 ドマイナーの声が言った。


「俺のせいで、お前まで――」


 ――ドマイナーはん。


「俺のせいで……」


 ――違うでありんす。


「俺がいなけりゃ……」


 ――あんさんのおかげで、わっちは逃げる決心がついたでありんす。

 ――あんさんのおかげで、わっちは――


「だが……だが、俺のせいで、お前まで……俺の、せいで……!」


 小さな体を弄ぶように、カラスが目玉を取り上げた。


 次に舌。


 鼻。


 まだあどけない四肢。


 腹中。


 そして最後に頭骸。


 空っぽになった眼窩から、一筋の涙が零れ落ちる。


「やめろ……やめろやめろやめろやめろやめろ! てめえ、殺す……!! 百度生まれ変わってでも、てめえを、この手で、ぶち殺してやる……!!!!!」


 そう叫ぶドマイナーは血の池の湯でぐらぐらと釜茹でされている。


 釜の周囲では、鴉の顔をした鬼がキィキィと楽しそうな声をあげながら踊りまわっていた。





「……なにをしにきたでありんすか」


 無明と湯仁が六角堂のなかに入るなり、白魚がふたりを睨みつけてきた。同胞の壊れた躯体にかこまれ、巨大な金属の蕾の前に座っている。その膝には、無明の奥義により生きながら地獄をさまようドマイナーの頭がのせられていた。


 相手は少女の姿をしたアンドロイドである。しかし、強い怒りに満ちたそのまなざしに、無明は気後れした様子で足をとめた。


「その男……まだ息はあるか」


「…………」


 無明の問いかけに、白魚が無言のままぷいとよそを向く。


 処置無し、といった風情で頭を振る無明。その横を通り、湯仁が白魚のほうに近づいた。


 白魚が警戒心もあらわに、傍においていた剣山を手にとる。


 湯仁が、その場に立ち止まった。


「それ以上近づいたら、これで刺してやるでありんす」


「……すみません、ほんの少しの間だけ、ご容赦いただけませんか。あなたにも、ドマイナーどのにも害をなすつもりはありません。あなたの周りに倒れているアンドロイドたちを確認させてください。本当に、なにもするつもりはありません。どうか、信じてください」


 白魚が首を横に振る。


「お願いです。あなたがたふたりには、なにもいたしません。私はただ、真実が知りたいだけなのです」


「このおかたをこんな状態にしておきながら――よってたかって極悪人に仕立てあげておきながら、この後に及んで何を知りたいと言いんすか!」


 叩きつけるような白魚の言葉に、湯仁が思わずうつむく。白魚の膝にあったドマイナーの体が、ぴくりと動いた。


「湯仁! 気をつけい!」


「え……」


 背後に立っていた無明がいきり立つ。しかし、ドマイナーの体はそれきりふたたび動かなくなった。無明が、安堵の息をはく。


「無明どの……ドマイナーどのは……」


「生きながら地獄に落ちておる」


「地獄……?」


「この男にはふさわしき最後よ……この男ひとりでいったい、どれだけの人間を殺したというのか……」








 ――――どれだけの人間を殺したというのか




「十から先は、覚えてねえな」


 無明の声が尋ねたので、ドマイナーは答えた。


 大地は乾いていた。


 周囲に命はなかった。


 ドマイナーはただそこに、力もなく倒れていた。


 このまま、ただ飢え乾いて死んで、肉体は腐り、骨となり、土にかえることもなく風化して、しかしいつの間にか肉体は戻り、再び死ぬ。


 それをただ何千回も繰り返していた。


 無意味に。


 ――ひとりを殺せば犯罪者だが、万人を殺せば英雄だという。まさにこの男のことよ。


「俺は英雄でござい、と、自ら名乗ったわけじゃねえ」


 ――だが、ひとりでも、万人でも、殺人者であることに変わりはない


「知ってるって言ってるだろ」


 ――そうだこいつは、垓憲をも、殺したのだ


「そいつは……知らねえ」


 ――アンドロイドの女たちも


「アンドロイドも……女も……なにかの巻き添えで殺したことはあるだろうな」


 ――ここにいる、ヨシワラの女たちは?


 ドマイナーにそう問う声は、無明のものとは変わっていた。


「……知っててわざわざ女を殺すほど暇じゃねえ」


 ――ならば、ならば、ならばあなたは――








「――無明」


 背後から聞こえてきた声に、無明の巨体が軽く飛び跳ねたように見えた。


「ぼ、墨羽どの……」


「用事から帰ってきてみれば、お堂の入り口が大全開。よほどのことがなければ開けるなと言ったはずですが、なにかあったのですか?」


 両の袖をあわせ、手元を隠すようにしながら、墨羽は探るような目で六角堂の中に入ってくる。その墨羽を、湯仁がゆっくりと振り返った。


「おや、誰かと思えば湯仁まで……ここは、雲海和尚が即身仏行を行っている神聖な場所。許しもなく踏み入るのは、関心しませんね」


「墨羽どの。神聖な場所、といっておきながらこれらの女たちの死体を放置しておくとは、いったいどういうおつもりですか。それも、ただの死体ではない。死ぬ前に、相当にひどいめに合わされたとお見受けします」


 湯仁が、周囲の、虐殺死されたとしか言いようのない悲惨な状態のアンドロイドたちを示しながら言った。


「おや、そういえば……うっかりしていましたね。私も、あまりのことに気が動転してしまいました」


「動転?」


「そうですとも。私も、昨晩はじめてここがこのようになっていることを知ったのですから。雲海和尚が行に入られてからは私もこの中には滅多に足を踏み入れていなかったのですが、まさかその間にここがこのようなことになっていたとは……」


「これらのことは、墨羽どのは知らなかったと仰せか」


「当たり前です」


「では、これをやったのは誰ですか」


「湯仁、あなたもよく知っているでしょう。そこに倒れている男の仕業ですよ」


「しかし、ドマイナーどのは、彼女らを殺していないと言っている」


「自分の罪を認めないのは、咎人にはよくあることです。それがさらに己の罪を深めるとも知らずに……」


「墨羽どの。私はドマイナーどのを信じます。このかたは、己の罪の重さを知っておられる。殺生の罪を認めておられる。万を殺したことを認めながら、目の前の殺人を認めないかたとは思えません」


「湯仁、お前はまだ若い。そのような狂人に我々の理屈は通じないということを知らないだけですよ」


「そうでしょうか? だいたい、おかしな話です。ドマイナーどのは女性に弱い。そこなる小さな遊女の悲鳴にも抗しきれず己を滅ぼしてしまうほどに。その男が、他ならぬ女性相手に、どうしてこのような残忍な行いを遂行できましょうか」


「……それは……」


「墨羽どの。はっきりと言いたくはありませんでしたが……私は、ドマイナーどのよりももっと、これぞ犯人ではないかと疑っている人物がいるのです。それは、ドマイナーどのが我々には理解できぬ頭のおかしな人物であるというよりも、もっと、理屈の通った話です」


「ほほう……」


「湯仁、何を言い出す……!」


 無明が慌てる。いっぽう墨羽は、いっけん柔和な姿勢をくずさない。そして、そのゆったりとした歩みで六角堂の奥へと進み、いつの間にか湯仁たちの近くまで来ていた。


 それに気づいた湯仁は、片膝を立て少し後ろに下がった。


 湯仁の背後でことの成り行きを見守っていた白魚もまた、ドマイナーの頭を抱いたまま、ずりずりと後ろへ下がる。


「……無明や」


「はっ?」


「お前の言うことは正しいようです」


「なにがでしょうか墨羽どの」


「さきほどから湯仁がどうもおかしなことを語ると思えば……どうやら湯仁もまた、そこなる男の修羅にあてられておかしくなってしまったようです。ここから連れ出し、ゆっくり休ませてあげなさい」


「は、はい……」


「無明どの! 私はおかしくなってなどおりませぬ! おかしいのは――」


「喝!」


 墨羽の突然の大声に、湯仁は言葉を遮られた。


「控えなさい湯仁。たかが修行僧が、雲海和尚に後継者として指名されたこの私に逆らうとは、身の程を知らぬ。無明、ここにいればいるほど、湯仁はこの男にあてられおかしくなる。手遅れになる前に、早く六角堂の外へ追い出しなさい。湯仁のためです。力づくでかまいません」


「は、は……っ!」


 無明が、言われるまま湯仁の両腕を掴んだ。


「無明どの、お放しください! 墨羽どの! あなたはさまは、雲海和尚の後継者などではありませぬ! 雲海和尚は……雲海和尚なら……!」


「私の言葉こそはそこなる雲海和尚の言葉。それは、この寺の皆の前で他ならぬ雲海和尚がじきじきに申し渡したはず。逆らうことは仏の御心に反しますよ……ん?」


 袖に隠された墨羽の手元から、突然、カラカラカラ、という音がした。皆の視線がそこに集まる。


 墨羽が袖を広げると、墨羽の手のなかで、飾りのついた風車がくるくると回っていた。


 周囲には風車を回すような風など吹いていない。みなが不思議そうに見守る。


 そんななかで、墨羽ひとりが、歓喜の表情を浮かべた。



「これは……どこだ……どこからですか?!」



 墨羽は風車を手にしたまま、まるで気がふれたかのようにあっちこっちを向く。


 風車は、特定の方向に向くと、さらに早いスピードでカラカラカラカラと回り始める。


 風車が回るその方角には――白魚がいた。


「小娘! やはりお前か?! いったいどこに隠した!!」


「え……え?」


 ドンダンダン、と床を蹴り、墨羽が白魚に迫る。しかし、墨羽の勢いに反し、風車はその回転を弱めてしまう。


「こいつじゃないのか……? どこだ……」


 いまいましげな表情でふたたび周囲を見回す墨羽の様子を、他の三人は呆然と見守った。やがて、またも風車がカラカラカラカラと回る。さきほどよりもさらに激しい。それは、風車が、白魚の膝の借りるドマイナーのほうを向いた瞬間だった。


「こいつが……?」


 墨羽は、おそるおそるといった様子でドマイナーに近づき、横たわる体のあちこちに風車を向ける。


 その風車がドマイナーの左手にむかった瞬間、それはさらに激しく、壊れんばかりの勢いでガラガラと回った。


「手……? さては……その手袋の中に隠しているのか!」


 墨羽の手が、ドマイナーの、手袋をはめた左手に伸びる。が、なにかを思い出したように無明のほうを振り返った。


「無明! こっちへ来て、この男をおさえておきなさい!」


「は……はっ!」


 墨羽に命じられるまま、慌ててやってくる無明。


「墨羽どの、これは……」


「お前ごときが知る必要はない!」


 無明がドマイナーの体をおさえこむのを確認して、墨羽はドマイナーの左手の手袋をはずした。その下の手には、蛍ぼかしの手ぬぐいが巻かれている。


 呆然と見ていた白魚が、それをみてはっとした表情になった。


「この下か!」


 手袋を投げ捨てた墨羽が、手ぬぐいの結び目に手をかける。


「それに触らなんし!」


 白魚が、墨羽の腕に組みついた。


 墨羽は顔を不快げに歪め、つかまれた腕の肘で白魚の腹を容赦なく打つ。


「…………!!」


 白魚は、打たれたところをおさえながらその場にうずくまった。


「汚らわしい機械人形が、この私に触れるな……ひっ?!」


 叫ぶ墨羽の前で、ドマイナーの体が再びガタガタと暴れだした。墨羽は、自分に向かって伸びてきたドマイナーの右手をすんでのところでよけ、無明を叱りつける。


「無明、いったいなにをしているのですか! 今度こそちゃんとおさえておくのです!」


「は、はい……墨羽どの……」


 墨羽の豹変に狼狽しながらも、なおもドマイナーを抑え込む力をゆるめない無明。


 虚ろな目をしたまま、それに逆らい立ち上がろうとするドマイナー。


「おとなしゅうせい……!」


 ドマイナーの体を再び床に抑えつけようとして無明が力を入れた瞬間、ドマイナーの右肩のあたりが、ごき、という、なんとも嫌な音を立てた。


 見れば、ドマイナーの右肩が、おかしな方向にねじれている。


「くそ……それもこれも、おぬしが暴れるから……」


 いっぽう、お腹をおさえうずくまる白魚に、湯仁が駆け寄った。


「墨羽どの、か弱き子どもになんということをなさる! 無明どの、いま捕らえておくべきは、ドマイナーどのではありませぬ! ここのアンドロイドたちを殺したのは……そして、垓憲を殺したのも……」


「はははははははははははははははははァッ! 見つけたぞォッ!!」


 混乱する無明に必死の訴えを行う湯仁。その前で、墨羽が両手を天にかかげ高笑いをはじめた。


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