女性にはめっぽう弱いとおっしゃられた



 睡蓮寺のある洞窟の天井は、マジックミラーのような構造をしている。外からは単なる岩肌にしか見えないが、内側からは外部が見えるのだ。


 太陽が昇れば、天井から空が透かし見える。いっぽうで外部の熱は遮断しているため、洞窟のなかは、一定の温度に保たれていた。


 今朝もまた、外では太陽はぎらぎらと輝いている。けれど洞窟のなかはひんやりと涼しかった。


 そして、ドマイナーと白魚が閉じ込められている六角堂の前を陣取っているのは、錫杖を抱えあぐらをかいた無明である。


 ドマイナーに破壊された左足には応急処置を施し、とりあえず歩くには支障がない程度まで修理されている。その無明が、近づいてくる誰かの足音に気づき、錫杖を持ち立ちあがった。


「……湯仁か?」


 近づいてきた、若草色の僧衣姿の見知った顔に、しかし無明は渋い表情になる。


「もうここへ来てはいかん。墨羽どのから言われなかったのか」


「はい、言われました」


「ならば、なぜ……」


「あの……飯を、つくってまいりまして……」


 湯仁が、片手に持っていた盆を前に突き出した。


 苦蕎麦の実を入れ炊かれた雑穀米のにぎりめし三つに、たくあんの古漬け、それと、手作りの豆腐におおぶりのこんにゃくが入ったけんちん汁、そして、茶碗に入った冷たい水が添えられている。無明の喉が、ごくりと鳴った。


「これはまた……ずいぶんと豪華ではないか」


「手間はかかっておりますが、大したものではありません。実は昨晩よく寝られませず……手を動かし、気を紛らわせておりました」


「面倒ごとに巻き込まれたうえ、同輩の垓憲がまさかのあのような姿で見つかったのだ。無理はない……」


「それも……あるのですが……」


 湯仁が、なにかをいいよどむ。にぎりめしの雑穀米で早や口のまわりを散らかしている無明は、気まずい表情で話を変えた。


「そういえば、垓憲の死体はどうした」


「はい、腐敗防止機能のついた桶のなかに安置しております。死後硬直がひどくて、少し難儀しましたが……いずれ荼毘に付し、ねんごろに葬ってやろうと思っております」


「裏切った同輩に対し、湯仁、おぬしはつくづく仁の厚き男よの……わずかなりといえど蓄えを盗まれ、まだ怒り冷めやらぬ僧もおる。垓憲のことは、内密に処理しておいたほうが良いかもしれぬの」


「ええ、墨羽どのからもそう言われたのですがて……実は、垓憲に盗まれたと思っていた財布や巾着が懐から出てまいりまして。どうやら手付かずのようすですので、皆にはあとで確認してもらおうとかと」


「そうであったか……ふむ、儂も垓憲とは少し話したことがあるが、修行熱心な徳厚き男と思うた。それが、結局仲間の金を盗み、あげくにあの災いの男に殺されてしまうとは。人というのは、どうしてなかなか余人には計りづらきものよな。いや、それだけ、あの男の災いの力が大きいのか……」


「……それなのですが、無明さま」


「なんぞ?」


 無明は、にぎりめしに古漬け、さらにはけんちん汁まですでに綺麗にたいらげ、水の入った茶碗を傾けている。その無明に向かって、湯仁はぐいと上半身を乗り出した。


「垓憲を殺したのは……本当に、ドマイナーどのなのでしょうか」


「当たり前だ。他に誰がいる」


「他に……ということでしたら……いえ、すみません、いま私は一瞬恐ろしいことを考えました。まさか……そんなはずは……」


「構わぬ。言うてみい」


「いえ、今の話はお忘れください。その、誰か、ということはわからないまでも、ドマイナーどのが垓憲を殺したと考えると、少しおかしいのでは……と」


「何がおかしい」


「そもそもなぜ、昨晩急に現れたドマイナーどのが、垓憲を殺している、という話になったのでしょうか」


「それは……その、あの男は、垓憲を知っていた。ゆえに、徳厚き垓憲をして、女に走らせ、盗みをさせ、アンドロイドたちを虐殺し、さらには寺をのっとろうとしていると……」


「ドマイナーどのが知っていたのは〝ケン〟という男のみ。この寺の、垓憲という僧と同一人物であるということは私から聞くまで知らなかったように見えました」


「それは……湯仁よ、お前は、あの男の巧妙な嘘に騙されたのだ」


「そう……でしょうか? それと……垓憲に盗みをさせたといいますが、奪わせた金銭を死体と一緒に放置したあげく、無明どの相手に大立ち回りをした末に堂々と死体がある場所へ戻るなど、おかしくはありませぬか」


「たしかに……が、それは、だな、あのような男はそもそも存在そのものが狂っておるゆえに……儂らからみておかしな行動をあの男が取ることにはなんの不思議もない」


「しかし……」


「それに、そうだ、墨羽どのがそうおっしゃられたのだ。間違いはない」


「実は、私が疑問を抱いたきっかけもまさにそこなのです。墨羽どのは、ドマイナーどのは女性にはめっぽう弱いとおっしゃられた……女性相手に、喋ることもまともにできない、と。そのドマイナーどのが、どうやって垓憲に女を手引きしたのでしょうか」


「む……」


 無明は腕組みしたまま押し黙った。その無明に、湯仁がずずいと膝を進めた。


「無明どの、たってのお願いです。この六角堂のなかに、私を入れてはくれませぬか」


「なに?」


「実は、他にも気になることがあるのです。それは、殺された女たちの中に……」


 湯仁は、六角堂のなかの痛ましい状況を思い出したのか、一度強く目をつぶり、ふたたび開いた。


「……あの時は私も動揺しており、それに損傷がはげしくてはっきりとは断言できませんが……あのなかに、墨羽どのが、すでによその都市へと逃がした、と言っていた遊女たちがかなりの数含まれていたように見受けられました。思えば、雲海和尚がいたころは、逃げてきた遊女たちはほとぼりが冷めるまで短くともひと月ほどは寺に滞在しておりましたが、墨羽どのが現れ、雲海和尚が即身仏行に入られたころから、寺にきたあとはそれきり姿を現さなくなりましたね。墨羽どのはそれを、遊女たちにとってこれまでよりももっといい逃亡先を見つけたのだ、と言っていましたが――」


「湯仁?! 貴様、一体なにを言うておる?!」


「世迷言です。自分でもわかっておりまする。昨晩は、この六角堂のなかの、この世の地獄のような――自分が何も知らず過ごしていた場所のすぐ近くにあった地獄のような光景に気が動転してしまいました。ですから、もう一度、落ち着いている今の状態で、中を確認したいのです。私の頭にいまある考えが、単なる世迷言、愚かな私の気の迷いであることを確認するために……」


「しかし……」


 無明はなにかに助けを求めるように左右を見る。しかし、見つかったのは、自分の左胸あたりにくっついている米粒だけであった。無明は、それをつまんで口に運びながら、声を潜めて湯仁に言った。


「……墨羽どのからは、中のふたりを逃してはならぬ、と厳しく申し付けられておる」


「はい」


 無明は自分の腰にぶらさがっていた紐をとりあげた。紐の先には鍵がついている。


「その墨羽どのだが……朝方、少し用事があると外出された。これは万一のときのためにと墨羽どのからお預かりしたもの。湯仁、お前を信じぬわけではないが、くれぐれもやっかいごとは起こしてくれるな」


「はい……!」


「あの修羅の男は、我が奥義にて瀕死の態。だがそれでもあれは決して油断がならぬ男。儂もともに中に入り、目を光らせておこう。異変を察したら、お前はすぐに逃げるのだぞ……」

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