何をブツブツ言っているのですか

「……いったい彼は、何をブツブツ言っているのですか?」


「己の罪を悔いているのかもしれませぬ……いや、そうであれば良いのですが、所詮はこの男のこと。たとえ己が手で世界を破滅させようとも、後悔などという殊勝な感情とは無縁でしょうな」


 アンドロイドにおさえつけられたままぴくりとも動かないドマイナーを見下ろしながら、無明が言った。少し後ろから墨羽が覗きこむ。湯仁はすでに垓憲の死体を背負い、この六角堂から去っている。


「なんとも不思議ですね。無明、お前が使った先ほどの技、いったいどういうものなのですか」


「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上……我が奥義〝六道輪廻〟は、六つの迷いの世界のうち、その魂をもっともふさわしき世界へと送り申します」


 無明は、視線をドマイナーから墨羽のほうへと移しながら答える。


「しかして迷いの世界とは、己の心のなかに存在するもの。この男、体は無事ですが、その魂はすでに――己の心が作り出した地獄の、燃えさかる業火に焼かれておりましょう。それで己が罪を悔いて死を選ぶならまだ良し。しかして悔いる心なきこの獣めは、苦痛に耐え切れずただ無意味なる死を望むでしょう。それが哀れと、これまでこの奥義を使うは控えておりました……ですが」


 無明は、墨羽にむかって、膝を折った。


「しかし、愚僧のその甘さが、こたびの事態を引き起こし申した……慚愧の念にたえませぬ」


「顔をあげなさい無明、失敗は誰にでもあることです。殺生の罪を犯さぬどころか、罪深き相手に最後まで救済の機会を与えるとはなんとも見事。聞けば無明、そなた修行のために各地を放浪しているとか。しばらくはこの寺に逗留し、我が右腕として衆生の救済に努める気はありませんか?」


「ありがたきお言葉……少し、考える時間をいただければ」


「急ぐことはありません。目下の問題は、これこのように解決したのですから。まったく、神をも恐れぬ愚か者とは、まさにこのこと……」


 墨羽はドマイナーにむかって唾を吐き捨てた。ドマイナーの体は、外部からのコントロールを失ったアンドロイドたちの躯体の山の下敷きになり、かろうじてその頭部が見えるのみだ。墨羽はさらにドマイナーに近づき、その頭の上へ己の足を下ろす。その足を――にゅっと伸びてきたドマイナーの手がつかんだ。


「ひいっ!」


「墨羽どの!」


 尻もちをついた墨羽の足をなおも掴むドマイナーの手。無明はその手を、錫杖の先で突いた。ドマイナーの手が離れ、力なく床に落ちる。


「む、無明、動きましたよ?! どういうことですか、これは……!」


 無明が、床に倒れるドマイナーの髪をつかみ、頭を上に向かせた。左側の青い目は虚空をさまよっている。そして、右側の機械の眼窩の奥では、色とりどりの光が、忙しく点灯していた。


「まったく、かえすがえすも面倒な男よ……墨羽どの、申し訳ありませぬ」


「お前の奥義とやらが、きいていないのではないですか」


「その答えは、否、でございまする。この男の生身の体は、確かに己が作り出した地獄に落ちております。しかし……我が奥義は、人の認識処理に対して効果を発揮するもの。機械相手にには効果を発揮いたしませぬ。この男、体の大半は生身ですが、右目だけは機械製。それゆえに右目だけは地獄送りにできず、しつこく現世であがいているようです」


「つまり、この男の脳の大半は地獄の幻のなかでもがいているものの、右目だけは現実を認識していて……それで私の足をつかんだ、と、そういうことですか」


「然り」


「では、ここはやはり、ひといきに――」


「いや、このままで問題はないかと思われまする。人の頭は、二つの現実を同時に受け入れられるようにはできておりませぬ。いずれ完全に地獄に取り込まれるか……あるいは、認識のずれを処理しきれず、脳が壊れるか。どちらにしても結果は同じ。いらぬ殺生は御仏の心に背きます。我らはただ、こやつが己の罪の重さに押し潰されるさまを見ていれば良いことかと……」


「なるほど」


 墨羽が鷹揚にうなずく。地面に倒れ伏していたドマイナーの体が、もぞもぞと動いた。


「――ッ!」


 墨羽が大きく飛び退いた。


「無明っ! 無明おっ! やはり駄目ではありませんか! ここは一息に……!」


 無明もまた、ドマイナーに向かって錫杖をかまえる。ドマイナーの肩が上にあがり――体の下から、おかっぱ頭の禿がひょこりと顔を出した。


「貴様……」


「きゃっ!」


 自分を睨みつける無明と目があった白魚が、巣穴に逃げ帰る小魚のごとく、再びドマイナーの体の下に頭を隠す。十数体のアンドロイドの躯体と、ドマイナーの巨体とが折り重なったそれは、小柄な白魚にはちょうどよい巣穴のようだた。無明はそんな白魚のようすを見て、表情を和らげる。


「娘、怯えるでない」


「…………」


「そのように儚い身であの修羅の男の虜となるは、さぞや恐ろしかったことであろう。もう大丈夫だ。さあ出てこい」


 白魚が、ドマイナーの下から、伺うように無明を見上げ、再びなかに引っ込んだ。


「……いけませぬなどうも、儂はどうも子供に怖がられてしまうほうで……墨羽どの、お願いできますか」


「ふふふ、いいでしょう。さあ白魚、こちらへおいで」


「…………」


 白魚は答えない。ドマイナーの下から、じっと墨羽を見つめた。


「どうしました? 私たちは、あなたの味方です。信用していいんですよ。なにも心配しなくていい。さあ、安心して出ていらっしゃい」


「……わっちの、名前」


「え?」


「わっちの名前を、なぜ知っているでありんすか」


「あ、そ……それは、その男が呼んでいるのを聞いたからですよ。そうですよね、無明」

「はい」


「…………」


「何を疑っているのか知りませんが、大丈夫ですよ。さあ出ていらっしゃい」


 墨羽がむける笑顔を、白魚は無表情のまま見上げ、ドマイナーの体の下にふたたびひっこんだ。


「……あと」


「なんですか?」


 躯体の奥山から聞こえる白魚の声に、墨羽は少し苛立ちをにじませながら返事をする。


「ここは、どこでありんすか?」


「睡蓮寺というところです。衆生を救わんがため、僧たちが集まり厳しい修行を行っている場所ですよ。さあ、いらっしゃい」


「あんさんは……」


「そういえば名乗っていなかったですね。私は、墨羽。この寺を預かる、いわば最高責任者とでもいったところでしょうか」


「あんさんは……どうして、わっちがヨシワラから来たことを知っていたでありんすか」


「え?」


「さっき、わっちのことについて〝この寺からヨシワラまで、どれくらい距離がある〟云々と言っていたでござんしょう。わっちがヨシワラにいたことを、なぜご存知でありんすか。わっちは、あんさんに、そうと名乗った覚えはありんせん」


 白魚の問いに、墨羽が絶句する。無明が、墨羽と、白魚のいるあたりとを交互に見た。


「……ヨシワラの遊女たちは、独特の廓言葉をしゃべる。その喋り方を聞けば、どこから来たかなどわざわざ尋ねるまでもない。そうでしょう、墨羽どの」


「そ……そうですね、まったくその通りです。ふふ、わかりきったことを聞かれると、つい答えに窮してしまうものですねえ。無明、お前の賢さには、つくづく助けられます」


「墨羽どののような立場のかたからそのようなお言葉、なんともったいない……」


 無明が向かって軽く頭をさげる。墨羽はそれを満足そうに見やった後、白魚がいるほうへ向き直った。


「さあ、おしゃべりは終わりです。私もこれでなかなか忙しい身の上なのでね。仔ウサギを巣穴から引きずりだすとしましょうか。無明、念のため、そのやっかいな男のことはお前が抑えつけておきなさい」


「はっ!」


 墨羽に言われるまま、力を失ったドマイナーの体を無明の錫杖が上からおさえつける。墨羽はゆっくりとドマイナーのほうへ近づくと、その体の下に手を差し入れ、中をまさぐった。


「逃げ回るお魚さんを、見つけま……っ?!」


 何かをつかんだ、と思うや、墨羽が慌てて手を引き抜く。その手の甲には、規則正しく並んだ無数の穴が空いていた。ざっくりと深く刺されたその傷の奥から、じわじわと血が滲んできた。


「墨羽どの?! 大丈夫ですか!!」


「大丈夫なわけないでしょう! この娘、いきなり……」


「あんさんのことは、まるで信用ならないでありんす!!」


 墨羽たちがいるほうの反対側から、剣山を手に持った白魚が這い出す。


「この、小娘っ!」


 剣山に刺された手を押さえた墨羽が、我を失った様子で白魚を追う。その視界を、いっぱいのアンドロイドの躯体が遮った。


「墨羽どの! 危ない!!」


 墨羽の体を、無明が引き倒す。その直後、墨羽の体があったあたりで、ドマイナーの右の拳が唸りをあげて空を切った。アンドロイドたちに押しつぶされていたはずのドマイナーが、その躯体をはねあげ、そこに、立っていた。


「無明! この男、お前がおさえておきなさいと言ったでしょう!」


「不覚……! ついそちらに気をとられた瞬間を狙われまして……しかしこの男、我が六道輪廻をくらいながら、なおもこれほどに動き回るとは……」


「感心している場合ですか!」

「申し訳ありません。墨羽どの、下がっていてくだされ」


 その眼前には、ここには存在しない地獄の光景が見えているのか――虚ろな眼差しであらぬ方向を向いたままのドマイナーに、無明がその錫杖をむける。


「恐るべきはお前の持つ修羅の業の、その深さよ。やはり一撃にて葬り去って――」


「ドマイナーはん!!」


 立ち尽くすドマイナーのもとに、白魚が駆け寄った。ドマイナーは、壊れたからくり人形のような緩慢な動きで、ゆっくりと首を動かした。


「しら……うお……?」

「はい!」


「どこだ……? どこに、いる……?」


 虚ろな瞳のドマイナーが、虚空を見つめたままあえぐように呼びかける。


「ここにいるでありんす! わっちは、目の前にいるでありんす!」


「俺……から……」

「大丈夫でありんすか?!」


「俺から……離れんな……」

「いるでありんす! わっちはここに、いるでありんす、ドマイナーはん……!」


「危ねえ……から……」

「はい……!」


「お前ひとり……ひとりくらいは……俺が……守って……やる、から……」

「離れないでありんす……」


 立ち尽くすドマイナーの体に、白魚がしがみつく。


「大丈夫でありんす、わっちはここに、ずっといるでありんす……!」


 無明はしばしの逡巡ののち、錫杖をおろした。


「無明! いったいどうしたのですか?!」


「……墨羽どの。やはり、その、いかにこの男の精神が強靭でも、今日明日中に決着はつきますことと存じます」


 無明は、言いづらそうにつっかえつっかえ語る。


「そのころには、この娘もまた正気を取り戻しておりましょう。恐ろしいことが続いて、どうやらこの娘もかなり混乱している様子。このうえ残酷な光景を見せこの娘の心を痛めつけるのは、仏の御心に従うこととは思えませぬ」


「……しかし……」


 墨羽は返事をしぶりながら刺された箇所を抑えていた手の平を上に向ける。そこには、点々と血の跡がついていた。


「……わかりました無明。お前がそういうのならば、この場はお前にまかせましょう」


「は……」


「とどめを刺す必要はありませんが、この男とこの娘をこの六角堂から逃がしてはなりません。お前が入り口に立ち、厳重に見張っておくこと。わかりましたね」


「は……!」


 深く頭を垂れる無明に大きくひとつうなずいて見せた墨羽は、剣山で刺された手の甲をふたたびおさえつつ、六角堂から出て行った。


 残された無明を、ドマイナーにしがみついたままの白魚が睨みつける。


「……そう、怖い顔をするな。それにしても……」


 無明は困ったように錫杖の遊環をしゃらんと鳴らし、白魚から目をそらすと、虚空を見つめたままそこに立つドマイナーへと視線を移した。


「この男、これほどの力を持ちながら、刹那の衝動に振り回されなにも成さぬばかりの人生か。なんとももったいない話よの……修羅の男よ、おぬしいったい――」











 ――――なんのために生きておる?





 誰かが尋ねるので、ドマイナーは答えた。


「知るか」


 首から下を永久凍土に埋められている。


 首から上は野犬の群れに食われている。


 その野犬たちは、これまで殺した人間たちと同じ顔をしていた。


 食われては再生し、再生しては再び食われ、それの繰り返し。


 永遠に終わることはない。


 これが、己の心が作り出した幻影だということはわかっていた。


 わかっていたが、逃れるすべはなかった。


 ――その力、なんのために使う?


 そう尋ねる犬は、無明の顔をしていた。


「生きるためだ」


 ――人の生など儚きもの。それに執着するとはなんと愚かな。


「うるせえ」


 ――貴様のせいで、世に災いがもたらされる。死してもその災いは消えぬ。


「死んだあとのことまで知るか」


 ――なんという無責任ぞ。


「俺はいつだって目の前のことでせいいっぱいなんだよ」


 ――今しか考えぬ偏狭な視野に見合わぬ、強大な力。ゆえにこそおぬしは災いをもたらすもの。


「今しか考えなくて悪いか。てめえは、今を生きずにいつを生きるつもりだ」


 ――愚かな。


「うるせえ!」


 ――なんのためにここへ来た?


 声が、風のように響いた。


「知らねえよ!」


 ドマイナーの答えに、野犬たちが再びドマイナーへと襲いかかる。


 首から上を、あとかたも残さずに喰らい尽くされる。


 食いはぐれた野犬たちが、口々に吠えた。


 ――なんのためにここへ来た?


 ――なんのために生きる?


 ――なんのためにここへ来た?


 ――なんのために生きる?


 ――なんのために――


「……嫁を……」


 涎に塗れた野犬の牙にくわえられている顎の骨が、カタカタ鳴った。


「………………」


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