全部を救えないよりは
――――どうして守ってくれなかったの?
泥水で顔が数倍に膨れ上がったお菊が、ドマイナーに言った。
青黒い肌。眼球が抜けた暗い眼窩の奥には、深い闇だけが広がっている。
「お菊さん、違うんだ」
――なにが違うの?
「守りたかったんだ、あんたを。お菊さん、俺は……」
――ほかの男と逃げるような女など、死ねばいいと思ったのでしょう。
――好きだと言えもしなかった自分のことを棚にあげて。
「違えよ、違う……多分……きっと……違う……俺は、そんな男じゃ……」
必死になにかを語ろうとするも、ドマイナーの口からはまともな言葉が出てこない。
どろどろと溶け骨までむき出しになったお菊の指が、ドマイナーの首にかかる。
ごぼごぼ、ごぼり、とドマイナーの喉の奥から水が溢れ出てくる。
その水に溺れるドマイナーに、どろどろと溶けながらお菊がのしかかってきた。
ドマイナーはそうされながらも、違う、と言った。あんたが好きだった、と言った。
――好き〝だった〟
――好き、ではない
――だから、私は死んだ
そのふたつの違いがわからないとドマイナーが答えようとすると、耳から泥水があふれてきた。
ドマイナーは泥水にもがき、苦しみ、やがて溺れて死んだ。
――――なぜ殺した
ドマイナーの前に、玉座があった。
そこに座っている全身を甲冑でかためたような男。
機械帝国が皇帝、ルドルフである。
いや、ルドルフで、〝あった〟。
賢い男だった。
勇敢な男だった。
強い男だった。
しかしその男は、すでに死んでいるはずである。
ドマイナーがその手で殺したのだ。
「お前はとっくに、耐用年数を過ぎてた」
かつてルドルフに言ったことを、ドマイナーは再び言った。
腕に鋭い痛みが走った。
ヒビが入っていた。
足の下は虚空だった。
「躯体のパーツをいくら交換しても、機械頭脳の劣化だけはどうにもならねえ。お前はそれを、帝国各地から集めた莫大なエネルギーで補完してた。エネルギーを奪い取られて困窮するやつがいるのも、滅びる都市があるのも承知の上でな」
――我が作りし帝国ぞ。我がために使ってなにが悪い
「たしかにお前が作ったもんだろう。だが、国ってのは支配者だけのもんじゃねえ。みんなのもんだ」
――わが臣民を殺しておいてよくも言う
「もう手遅れだった。お前に取り込まれた数千人を救うか、お前に殺されようとしている数万人を救うか、だった」
ドマイナーの腕が割れた。
それは虚空に吸い込まれていった。
ドマイナーは痛みに顔をしかめた。
「できれば――どっちも救いたかった」
――片方しか救えなかった
「そうだ」
――万を救うために、千を見捨てた
「そうだ」
――悔いているか
「聞くな」
――悔いているか
「……また同じ状況になったら、俺はきっと同じことをする」
ドマイナーの全身に亀裂が入った。
「全部を救えないよりは、そのほうがまだマシだからな」
――その千のなかに、お前が愛するものがいてもか
「それは――」
ドマイナーは叫びたいのをこらえながら、玉座をにらみつけた。
玉座には、ルドルフだったものの残骸だけが残っていた。
「――わからねえ、よ」
ドマイナーの全身が粉々に砕けた。
あまりの痛みにドマイナーは永遠にも近い間叫び続ける。
けれど喉も舌も砕けているがゆえに、それはどこにも伝わらなかった。
虚空から伸びてきた千の手が、ドマイナーの欠片をゆっくり、ゆっくりとすりつぶし、ドマイナーだったものは風に散っていった。
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