すべては己の業が故
六角堂の入り口が開いたことで照明機能が作動したようだ。
急な明るさにまだ目の慣れないドマイナー相手に、墨羽は柔らかな口調で話しかけた。
「ドマイナーどの、ご存知ないかもしれませぬが、ここは雲海和尚が即身仏行を行われている神聖な場所。そこへ土足で踏み込むとは、いったいどういうおつもりか」
「お前こそ、いったいどういうつもりだ」
「どういう、とは?」
「白魚が、いったいなぜここにいる?!!」
「白魚? おや、どなたのことでしょうか」
「こいつだ! 間違いねえ!」
ドマイナーは、明るい照明のもとで再び腕のなかのアンドロイドへ目をやった。
見覚えのある顔立ちに、小魚の模様の着物。
ヨシワラで、ドマイナーの目の前で触られた白魚であることに、間違いはなかった。
「……ん……」
そのとき、ドマイナーの腕のなかで、気絶していた白魚がみじろぎする。
「お願いだから……もう少しだけ、寝かせるでありんす……」
「おい、白魚!」
「……え?」
目をさました白魚が、まぶしそうに両の目をこする。そして、ドマイナーの顔を見て、大きく目を見開いた。
「あちきは……ここはいったい?」
そう言って白魚は周囲をきょろきょろ見回す。
「俺と逃げてる途中で、でかい鴉にさらわれたんだよ。おぼえてねえのか?」
「あい……」
「あの男、知ってるか?」
墨羽を指差し尋ねるドマイナー。
そんなドマイナーを、呆れたような、あるいは優しく包み込むような表情で見つめる墨羽。
そのふたりを交互に見た白魚は、申し訳なさげな表情で首を横に振った。
ドマイナーはそんな白魚の頭を軽くなで、墨羽を睨みつける。
「墨羽、お前はどうだ」
「は?」
「白魚をここへ連れてきたのは、お前か?」
「おやおや……私がいったいどうやって? この寺からヨシワラまで、どれくらい距離があるとお思いですか」
「――きゃあっ!」
墨羽に対しなおもなにか言おうとするドマイナーに、白魚がしがみついた。
「なんだ?!」
「し、死体、が……」
白魚の顔が、蒼白になっている。
暗い時にはなにか散らかっているとしか気づかなかったそのあたりには、十を超える女の体が無造作に転がっていた。
「な……ッ」
ドマイナーは絶句した。
女の死体のうち、あるものは尼僧をまとい、あるものは遊女の肌着姿、あるものは何も着ていない。
しかも、暗い中でドマイナーがそれらをアンドロイドの躯体と分からなかったのも道理。彼女らの体は、あるものは胴と手足が切り離され、あるものは指が一本一本丁寧におられ、またある者は胴に対して首が後ろをむいている。
さらには、胴が縦に真っ二つになっているもの、横に真っ二つになったすえ明らかに別の躯体のパーツがむりやりくっつけられているもの、あるいは何かに踏み潰されたがごとく体の一部だけが粉々になっているもの……ちょっとした解体現場のようになっているそこは、彼女らがもし人間であれば、凄惨な殺人現場、と称されたであろう。
彼女らにとってもそれらは不本意な死であったのか、ほとんどのアンドロイドは目を見開いた無念の形相である。
そしてドマイナーは、胴体から切り離され転がっている首のひとつを見て、目を見開いた。
「あいつは……こないだ、お菊さんのところへ駆け込んできた……」
白魚はドマイナーにすがりついたままガタガタと震えている。ドマイナーはその肩を守るように手を回しながら、墨羽を睨みつけた。
「……尋ねることが増えたな。ここの大量の死体はなにごとだ?」
「死体?」
墨羽が、首をかしげる。
「死体など、どこに?」
「お前の目は節穴かよ! ここに倒れている女たちが目に入らねえのか!」
「ああ、そういうことですか」
墨羽が手元を僧衣の袖で隠し、含み笑いをする。
「ドマイナーどのは、生命活動を停止したアンドロイドの躯体のことを、死体、と呼ばれるのですね。しかし、そのような呼び方をすると、人間とアンドロイドとを混同する愚か者と思われてしまいますよ。ご注意なされませ」
「いちいち区別してるほうが面倒くせえよ! それに、墨羽、俺は騙されねえぞ」
「おや、私がドマイナーどもをいつ騙そうといたしましたか?」
「お前はまだ、俺の質問に答えてねえ」
「…………」
「この女たちの〝死体〟は、なにごとだ」
わざとらしく、ことさらに〝死体〟という言葉を使ったドマイナーに、墨羽は無言のまま返す。
「このまま答えがねえなら、お前がやったものとみなす」
「……みなしましたら、どうします?」
「理由はどうあれ、ただじゃおかねえ」
ドマイナーは、ポキ、ポキ、と両手を鳴らした。
「手遅れだったか……!!」
そのとき、墨羽の後ろから、無明がぬっと姿を現した。
さきほどドマイナーが破壊したせいで膝から下が欠損している左半身は、湯仁が杖がわりになり支えている。
「この……災いもたらすド畜生めが……!」
「ぼ、墨羽どの、これは、いったい……」
いきり立つ無明の横で、困惑した表情でそう尋ねたのは、湯仁だ。そんな湯仁に、墨羽はゆったりとした姿勢を崩すことなく答えた。
「いったい……というのは、私が聞きたいこと。これはいったいどういうことです? ここは雲海和尚が即身仏となられるための神聖な場所。無明、湯仁、お前たちのような修行の身で、私の許可なくここへ近づいてはいけないと言ったでしょう」
「墨羽どの、しかし……」
「申し訳ありませぬ墨羽どの!」
湯仁が言おうとした言葉を、無明の大声が遮る。
「そこの、災いの男にうっかり同情からの施しを行い……悪心を得たその男を取り押さえようとしたのですが、力足らずして取り逃がし……追ってきたら、いつの間にかここへ……!」
「なるほど……無明、今思えば私も、お前の言い分に耳を貸すべきところもあったようです。親切心から旅のおかたに軒下を貸したつもりが、このような事態になるとは……」
「ご安心ください墨羽どの。こやつは、愚僧めが責任持って折伏いたしますぞ!」
無明が、右手に持った錫杖をシャランと鳴らす。
「無明、お前、両足揃ってても俺に負けたくせに、片足で勝つつもりかよ。なめんじゃねえ。だいたい、俺への恨みなんかよりこの惨状が目に入らねえのか?」
「先ほどから見えておるわ! 心があれば機械もまた救うべしとの雲海和尚の尊き教えを……おぬしはいつも、もっとも罪深きやり方で踏みにじりおる……!」
「お前な、本当にいいかげんにしろ! こればっかりは俺じゃねえよ!!」
「問答無用!」
無明が、錫杖を手放し、己を支えていた湯仁も突き飛ばすようにして、ドマイナーへと飛び出した。残っている右足と、左手とを使って、這っているような跳んでいるような奇妙な動きでドマイナーに肉薄するも、ドマイナーは軽く足を引き、前に向かって突き出されている無明の首を、よこざまに蹴り飛ばす。
「無明どの!」
湯仁が叫ぶ。
「ぐっ……まだまだ!」
「白魚、大丈夫か?」
しつこく自分に向かってくる無明をいなしながら、ドマイナーは腕に抱いたままの白魚に声をかける。白魚はこくりとうなずいた。いっぽう、戦いの趨勢を見守っていた墨羽が、無明に声をかける。
「苦戦しているようですね、無明」
「だ、大丈夫です墨羽どの……すぐに……!」
「私が手助けしましょう。一度引きなさい」
「無明どの、しかし……」
「私の言葉は雲海和尚の言葉。ひいては仏そのものの言葉。仏の御心に、従うがよい」
「…………!」
無明がなにかはっとしたような表情になり、後ろに下がる。反対に墨羽は、一歩前に出た。
「あぁ? お前みてえなヒョロヒョロしたのが、俺に勝てるとでも思ってんのかよ」
「ドマイナーどの……御仁はなんでも、女性にたいそう弱いとか」
「……お前、そりゃいったいどこ情報――」
「隙あり!」
隙をついた無明の一撃を、ドマイナーは軽く上半身をひねりかわす。そして、墨羽に向かってなおもなにか言おうとするドマイナーの肩を、背後から、誰かがつかんだ。
「?!」
ドマイナーは反射的に大きくとびのき、肩をつかんだ誰かの腕から逃れる。
遊女の肌着を着たアンドロイドの躯体が、がらん、とその場に倒れこんだ。さきほどまではそこらあたりに倒れていたはずの、遊女であったアンドロイドの躯体である。
ドマイナーが振り払う勢いに躯体の耐久力がついていけなかったのか、もともと関節がねじ曲がっていた腕はひじのところから捻じ切れ、あらぬ方向へ飛んで行った。
「おい……こいつら、なん……」
ドマイナーが墨羽を見る。墨羽が袖で隠している手のなかに、小さなアンテナの伸びるなにかの機械があった。
「ご存知なかったのですか? アンドロイドというものは、外部から与えられる擬似信号で操作することができるのです」
「やめろ!!」
墨羽のほうへ向かって踏み出したドマイナーの後ろ足が、再びなにかに掴まれる。
そこに転がっていた別のアンドロイドが、まるですがりつくようにして、ドマイナーの動きを阻止していた。
「くそっ! 離せ!」
ドマイナーが下を見ると、目を見開いたままの女性型アンドロイドの顔と目があった。それはまるで、なにかを訴えているかのような苦悶の表情だ。
苦しい。
痛い。
助けて。
死にたくなかった。
例えば、そんなことだ。そして、そのアンドロイドと目を合わせたまま動きの止まったドマイナーの手に、足に、腿に、肩に、その全身に、次々に命なきアンドロイドの手が伸びてくる。
「くそっ、ちょっとまずいか、白魚、いったん離れ……」
ドマイナーは、かばうように腕に抱いていた白魚を一度降ろそうとする。しかし白魚の体はドマイナーの腕にがっちりと巻きつくように抱きついて、離れなかった。
「おい!」
「か、体の自由が、きかないのでありんす……!」
「――そうそう、この擬似信号は、アンドロイドの機械頭脳から出る命令信号よりも強いのでね。ヨシワラでも、聞き分けの悪いアンドロイドに無理矢理客の相手をさせる時には、これと同じものを使うのだとか。アンドロイドに心がある、意思がある、といっても、たかがこんな小さな機械で簡単にそんなものは奪えてしまう。魂を持たぬ存在というのは、なんとも哀れなものですね」
「てめえ……ふざけんなよ……!」
人間の使役用途で作られているアンドロイドの腕や頑丈さは、人とさほど変わらない。けれど躯体の性能ぎりぎりまで引き出されているのいるのか、ドマイナーに絡みつくアンドロイドたちは、内部がむき出しになる破壊され尽くしているその見た目からは想像もつかないような剛力で、ドマイナーの体をぎりぎりと締め上げる。
それでも、その十数体のアンドロイドを引きずりながらもドマイナーは、なおも墨羽にむかって進もうとした。だが。
「痛い痛い痛い! 痛いいいいいいぃぃぃっ!」
アンドロイドたちにはさまれ、腕があらぬ方向にねじまげられた白魚が思わず悲鳴をあげて――ドマイナーは歯嚙みしながら動きをとめた。
「…………くそっ!」
「おやおや、機械の訴える苦痛まで真に受けてしまうとは面白い……躯体が壊れそうになっていることを知らせる信号にいちいち同情するとは頭の弱いかただ。女性に弱いとの噂は本当のようですね。さあ墨羽。あとはまかせましたよ」
「ど、ドマイナーはん、ごめんなんし、わっちのことは……」
「うるせえ! お前は黙ってろ!!」
「ドマイナーはん……」
「離れねえってならむしろ好都合だ! 白魚、俺にとっちゃお前くらい、ちょうどいいハンデだってんだよ……!!」
そう叫ぶドマイナーのその首に、無明の手がかかる。
「……修羅の男よ、貴様に虐げられ、殺された者たちの、苦しみの一片なりとも知れ」
「だから、俺じゃねえって言ってんだろ! 無明! てめえの相手は後で――」
「絞め殺す」
「――――っ!」
常人ならば一瞬で首の骨が折れてしまいそうな力で締め上げられ、ドマイナーが声にならない絶叫をあげる。
「む、無明どの! 殺生はいけませぬ!」
ドマイナーを締め上げる無明の背に、湯仁がすがりついた。
「殺生は……殺生は……!」
「止めるな湯仁。たとえ我が身が修羅に落ちるとも、災い背負いしこの男を滅殺できるなら本望……」
「雲海和尚なら……雲海和尚ならば、そのようなことは望まれませぬ!」
「…………」
「ましてや、その雲海和尚が即身仏行を行なわれている六角堂でこのような……!!」
「……う……む…………」
首を締める力が緩み、急に肺へと流れこんできた空気に、ドマイナーはゴホゴホと咳きこんだ。がくりと床が膝が落ちる。その上からアンドロイドたちがのしかかり、ドマイナーはその全身を床に抑えこまれた。
その光景を見下ろす無明の顔には、迷いの表情が浮かんでいた。
「無明、なぜやめるのです」
「墨羽どの……し、しかし……」
「衆生を救わんがため、己が身を呈し災いを祓わんとする貴僧の覚悟、しかと受け取りました。その罪、この墨羽もまたともに背負いましょう。続けなさい」
「は……ですが……その……」
「墨羽どのもおやめください! 雲海和尚は……!」
「湯仁、黙りなさい。雲海和尚の名をお前が軽々しく語ること許さぬぞ。この墨羽こそは、雲海和尚が指名せし睡蓮寺の新たな宗主。それは、この寺のみなの前で雲海和尚の口からじきじきに聞いたであろう? 我が言葉は雲海和尚の言葉であると心得よ」
「で、ですが……」
「即身仏行中の雲海和尚も、貴僧の志を理解すればこそ、ほれ、このように沈黙されているのではありませんか」
墨羽が、六角堂中央にある巨大な蓮の蕾の置き物を指差して言った。
「雲海和尚が……あの中に……?」
無明の言葉に、墨羽が深く頷く。
「そうです」
「……文献にある即身仏行とは、ずいぶんやり方が違うようですが……」
いっぽう、そう言いかける湯仁を、墨羽はチラリと睨んだ。
「雲海和尚たっての願いで、私が用意させていただきました。無明や、今、あのなかから、雲海和尚はあなたのよき修練を見つめておられますよ」
「おお……!」
無明は、巨大な蓮の蕾に向かって両手を合わせた。
蕾はただ沈黙している。
いっぽう、無明の隣にたつ湯仁は、信じられないものを見た、という表情で、顔色を変えた。
蓮の蕾の少し横。いまはドマイナーに襲いかかっているアンドロイドたちが折り重なり倒れていた下に、一体だけ、ピクリとも動かない僧服姿の死体があった。
「あれ……は……」
周囲のアンドロイドたちより大柄で、僧衣からのぞく足はゴツゴツと太い。
そして、墨羽の持つ機械からの信号に反応しなかったということは、その死体はアンドロイドではなく――駆け寄った湯仁は死体の顔を覗き込み、己の口を、両手でふさいだ。
「垓憲……! なぜここに……?!」
「やっぱり……垓憲が、〝ケン〟……か」
湯仁が抱き起こした垓憲の死体を見て、ドマイナーが独り言のように呟く。
それを聞きつけた墨羽が、無明の後ろからドマイナーにむかって指をつきつけた。
「おやおやドマイナーどの! あなたさま、どうやら垓憲とお知り合いのようす。それに、行方不明になっていた垓憲がまさかここに……? なるほど、わかりましたよ」
「なにがだよ」
「ドマイナーどの、さては垓憲を誘惑し
「なんの話だよ?!」
「動揺するとはどうやら図星で間違いないようです」
「身に覚えのないことを言われりゃ驚くに決まってんだろ! 俺は知らねえよ! だいたい……考えてみりゃ、垓憲てやつが〝ケン〟なら、死体がなんでここにあるんだよ! 〝ケン〟の死体なら、ヨシワラで処分されたはずで……いや、だが、それは、アンドロイドで……あ……こいつはいったい、なんだ……?」
「嘘つきというものは、嘘に嘘を塗り重ね――無茶な上塗りを重ねた理屈はやがて破綻し、自己矛盾を起こす。ドマイナーどの、今のあなたのことですよ。あなたさまの為した恐ろしい罪はもはや白日のもとにさらされております。この上は素直に観念なさるのが、せめてもの供養。そうは思いませんか、無明」
「まったくです、墨羽どの。ありがとうございます。儂のなかでも、この男がここへきた理由がようやく腹落ち致しました」
無明が、雲海和尚に祈りを捧げていた手をおろし、ドマイナーを睨みつける。
「おい、なにも通ってねえよ! こっちはますます混乱してんだ!」
「問答無用。すべては墨羽どののおっしゃる通りであろう」
「無明、てめえ、少しは自分の頭で考えろ!!」
ドマイナーの叫びに、墨羽が微笑む。
「無明や、迷えるお前を導くことができて私は嬉しいですよ。雲海和尚もさぞや、喜んでおられることでしょう」
「はい」
「墨羽どの、無明どの……! おやめください……!」
「湯仁、おぬしは垓憲連れて、先に僧坊へ戻っておれ」
「無明どの、しかし……」
「案ずるな」
無明が、先ほど床に捨て去った錫杖を手に取った。
「儂もまた、この男の修羅にあてられ再び我を失なってしまったが……迷いは断ち切れた。我もまた仏門につらなる身。殺生のたぐいは行わぬ」
無明が再び、ドマイナーの前に立った。
「この男が滅びるは、すべては己の
シャラン、と錫杖が鳴る。
無明が背後に背負っている円環が、ぐるぐるとたがい違いに回転する。
「六道輪廻――〝地獄〟」
無明の錫杖の頭部がドマイナーの額を打った。
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