ホラーな現象をホラーな方法で対処するキチ子さん

スパイシー

ホラーな現象をホラーな方法で対処するキチ子さん

「ほ、本当にここにするんですか?」

「はい、こんなに安い、どころか無料なんていう場所を逃す手はありませんから」


 寂れた街の寂れた場所にある、寂れた不動産屋。

 その外見は非常にくたびれたもので、ツタが窓から飛び出ていたり、妙な染みがついていたり、ヒビがいたるところに入っていたりと、夜に見たらゾッとしそうなものだった。

 その中に、引き攣った笑みを浮かべる不動産屋の主人と思しき主人と、ニコニコと笑みを絶やさない二十台前半くらいの美人な女性がいた。

 雰囲気は和やかではなく、なんだか不穏な物だった。と言っても、不穏な空気を出しているのは主人のほうで、客であろう女性の方は常に笑顔のままだった。


「も、もう一度言いますけれど、この物件は非常に評判が悪いんです。それも私のような不動産屋で一番と言われるほどにです」


 主人は上ずった声でそう言う。

 それもそのはずで、この不動産屋は曰く付きの物件、所謂訳あり物件のみを紹介している不動産屋なのだ。その中で一番となると相当なものだということがわかる。


「今までここに住んだ人は、例外なく心霊体験をした後に変死しています。助けてと言う子供の声が耳を離れないと言って自殺した方や、鏡の前で泡を吹いて倒れて死んでいた方、トイレの便器に顔を埋めて窒息死していた方や、台所でいくつもの包丁が突き刺さって失血死した方。仕舞いには、そこらじゅうから視線を感じて絶えられないと首を釣ってしまった人もいたんですよ!?」


 後半になるにつれて段々と主人の声は震えていき、本当に恐怖していることが良くわかった。それでも、女性は笑顔で主人の話を聞いていた。


「他にも……他にもたくさん死んだ人がいます! それでもあなたはここにするというのですか!?」

「はい、確かに幽霊は私も怖いと思いますけど、それ以上にお金が無いので、少しでも節約したいんです」


 いたって冷静、そして笑顔を絶やさず女性は頷いた。

 これは折れないとようやく主人も理解したようで、ため息をつきながら降参だとばかりに手を上げた。


「わかりました……貸主さんからも「もしここに住むという人が現れたら私の許可なんて取らず勝手住んでもらって良い、というかどうにかしてくれ」と言われているので、この物件は明日からあなたのものです。ですが、私はしっかりと、それはもうしっかりとお止めしましたからね!」


 何が起きても自分のせいではないと言うように、主人はものすごく念を押してから契約書を取り出した。






***






 翌日、女性はその物件へと足を運んでいた。

 持ち物はそれなりの大きさのキャリーバッグと、中身の見えない異様な大きさのビニール袋。全部でそれだけのようで、あまり余計な物を持っていないようだった。


「ここでしたよね。えっと、二一○号室はーっと……」


 重そうな荷物を持っているにも拘らず、軽やかな足取りで二階まで上がり、一番奥の部屋の前で足を止めた。


「ありました! ここが今日から私のお家ってことですね。よろしくお願いします」


 彼女はなぜかドアに向かって丁寧にお辞儀をしてから、鍵を開けて中に入った。

 部屋の内部はそれほど汚くも無く、1LDKにしてはそこそこ広い、洋風な趣のある部屋だった。


「わぁ~すごいですね、結構綺麗です! これで無料だなんて、私得しちゃいました!」


 小さくガッツポーズをしながら奥の部屋へすたすた向かう女性。

 おそらく寝室になるであろう部屋に入った女性は、ふぅと息をつきながらキャリーバッグとビニール袋を置いた。


「少し疲れましたし、しばらくは休憩ですね」


 そう言って、キャリーバッグの中をごそごそとし始めた。

 その時、この部屋に来て初の心霊現象が起きた。


「…………ア゛ア゛ア゛ア゛、ダズゲデ……オガアザン……イダイ、イダイヨォ……ダズゲデェ、オガアザン…………」


 くぐもった、十歳くらいの少女のような高い声。それに加えて、背後から地を這いずるようなズルズルといった音が聞こえ出す。

 その声と音は次第に大きくなっていき、相手を恐怖のどん底へ落とそうとする。

 そして最後の追い討ちとばかりに、腹のそこへ響くような大声を上げようとした。


「ダズゲデッ! オガアザ――――!!」



 しかし、相手が悪すぎた。



「ありました! これですこれこれ、はい、ポチッとな!」


 女性は声が聞こえていないのか、唐突にキャリーバッグから最近は見なくなったラジカセを取り出し、おもむろに再生ボタンを押す。



 流れ出したのは、苦しげにうめく人の声。



 それも一人のものではなく何人、何十人ものうめき声が混ざり合った地獄のような音だった。更に、人のうめき声だけではなくバゴッやらメキョやらパキャやらといった効果音が時々聞こえ、それと同時に短い悲鳴も上がっていた。

 しかも、それは異常なほど大音量で流され、常人ならば鼓膜が破れるのではないかというほどのもの。

 それを聞く女性はなんだかうっとりした表情になっていた。


「あぁ~、いいですねぇ。とっても癒されますぅ~」


 まさしく異常、いや、キチガイだった。

 それもそのはずで、この女性は木村千代子きむらちよこと言い、少し前に在籍していた大学で、そこに通う学生達の中で知らない人はいないほどのキチガイな女性、通称キチ子で有名だったのだ。

 同級生には『キチガイなんていう生易しい言葉では言い表せない。キチ子は人間として外してはいけない歯車を外してしまっている』とまで言わせるほどだった。


「……ア゛ア゛アア、アアァ……タスケテぇ、ミミガハジケソウダヨぉ、オカアサンぅ……」


 少女のようだった声は、もう完全にお母さんに縋る可哀想な少女の声になっていた。そしてその声を最後に、声は聞こえなくなった。


「あれ? 今一瞬変な声聞こえませんでした? ……いえ、きっと気のせいですよね」


 女性改めキチ子さんはそれだけで済まし、またもうめき声を聞いてうっとりする作業に入る。

 それから、リピートにしてあるのか延々とうめき声を流し続け、しばらくしたらキチ子さんは唐突に顔を上げて立ち上がった。


「そろそろおなかが減ってきましたね! お料理しましょう!」


 そう言うと、ラジカセを止めることなく台所へ向かう。



 すると、台所の先にフワリと浮かぶ血みどろのエプロンを着た女が現れた。



「あ、包丁とアレを持ってくるの忘れてました」


 てへと舌を出しながら、女に人目もくれず、再びキャリーバッグの元へ戻るキチ子さん。

 女は出所を見失い、困惑しながらも一旦姿を消した。


「よし、これで準備万端ですね!」


 キチ子さんはキャリーバッグからこれまた大きく変な形をしている包丁と、脇に置いてあったビニール袋を持って再度台所に向かった。


「さてまずは手を洗わなければいけませんよね」


 包丁と一緒に持ってきた三つの消毒液を使って、手を洗い出すキチ子さん。

 それをしばらく見て、キチ子さんが手洗いを止めてゴム手袋をはめた頃、もういけるだろうと再び血みどろのエプロンを着た女がキチ子さんの後ろに現れる。そして、いまだとばかりに手に持った錆びた包丁を振り上げ、




 目を疑った。




「ピギギィ!」

「ちょっと、暴れないで下さい。ずれて急所に当たって死んじゃったらつまらないです。じわじわと殺していかないと楽しくないじゃないですか」

「プギャギィ!?」




 そこには、まな板の上に生きている子豚を乗っけているキチ子さんがいた。




 持っていた包丁を腹部にあて、まるくおなかが開くように刃を進めていくキチ子さん。


「そうですよ~、そのままじっとして動かないでくださいねぇ」


 キチ子さんは子豚の首をこれでもかと言うほど強く絞めながら、満面の笑みを浮かべている。

 血みどろエプロンの女は、そのあまりの出来事に錆びた包丁を取り落とした。

 キチ子さんはそんな事露知らず、子豚の解剖を続けている。


「あ~良いですねぇ~、いい感じにおなかの中が見えてきましたよぉ。グロテスクな内臓がいっぱい……おいしそうですねぇ……キヒヒヒッ!!」


 不気味な笑い声を出し、段々とキチ子さんのイカれた本性が現れ始めていた。

 因みに、血みどろエプロンの女は『おなかの中が』の辺りでおなかを痛そうに抱えて空気に溶けるように消えてしまっていた。


 それからも子豚の解体ショーは続き、色々ごちゃごちゃして子豚を料理に使って、夕飯を食べ終わった後、キチ子さんはしばらくテレビを見ながらリビングで休憩していた。


「ひぃ……この話、怖いですね……夜寝れるか心配になってきました……あ、なんか恐怖で体が冷えたからかおトイレに行きたくなってきました……」


 言いながらキチ子さんはゆったりと立ち上がり、両手で体を抱えながら左右をキョロキョロみながらトイレへと向かった。

 電気をつけて扉に入り、鍵を閉めずに扉を閉める。


「さて、じゃあ…………」


 キチ子さんがこれから用を足そうと、服を脱ごうとした直後、



 トイレの中から真っ黒い手がキチ子さんの顔に向けて猛烈な速度で飛び出した。



 しかし、相手はキチ子さん。黒い手よりも早い速度で手を動かし、顔を掴まれる前に黒い手をがっちりと掴む。

 黒い手は驚きにびくっと振るえ、大量の汗をかき始めた。


「何ですかこれ、作り物? にしてはリアルすぎますよねぇ……動いてますし。機械か何かでしょうか…………ま、なんだかよくわかりませんが、私の家にあると言う事は私のものということで言いのでしょう!」


 意味不明な理論を展開しながら、キチ子さんは腕に力を込める。

 黒い手は、まずいとキチ子の手を振りほどこうとするがもう遅かった。



 ブチィッ!



 と言う音と共に黒い手は引き抜かれ、ビクンビクンとキチ子の手の中で痙攣している。


「あれ、まだ動いてるんですね、これは好都合です。私が用を足したあと、包丁で少しずつ切って何時まで動いていられるか試すので、そこで待っていてくださいね」


 物騒なことを言いながら、黒い手をトイレの端に置き、キチ子さんは用を足す。

 ちぎられた黒い手は、恐怖にプルプル震えながらもどうにか指の力だけで扉を開けて逃げていった。


「ふぅ、さてお待ちかねの……あれ、なくなっちゃいました。せっかく面白い玩具を見つけたと思ったのに……ざーんねん」


 キチ子さんは肩を落としながら、ため息をついた。


「それにしても、今日は移動やらなにやらで疲れちゃいましたね。そろそろお風呂に入って寝ましょうか」


 キャリーバッグを漁り、バスタオルと着替えを取り出して、キチ子さんはバスルームへと向かっていった。

 妙なリズムの聞いていると段々気持ち悪くなってくる鼻歌を、バスルームから家中に響かせながら気持ちよさそうにシャワーを浴びているキチ子さん。


 しばらくしてバスルームのドアが開き、洗面台にて髪を乾かし始める。


「あ、この鏡の縁いいですねぇ。ザ洋風って感じで、外国に住んでいる気分になってきますね」


 ニコニコ笑顔で鏡と向き合うキチ子さん。

 そして、しばらくしてキチ子さんは気付いた。



 鏡の中の自分の顔が動いていないということに。



「あれ? なんですかこれ。故障かなんかですか?」


 価値観が人間じゃないキチ子さんは、機械な訳が無い鏡にそんな事を言った。

 すると急に鏡の中のキチ子さんの口が割れ、目元が大きく曲線を描いた。それに対してキチ子さんは、


「あはははは! 何ですかその顔、本当に私の顔ですか? 面白すぎま――あはははは!!」


 腹を抱えて笑っていた。

 鏡の中のキチ子さんの顔が、驚愕に歪む。鏡の中のキチ子さんは驚いたり、泣かれたりした事はあるけれど笑われた事は無かったため、驚いてどうすれば良いのかわからなくなっていた。


「じゃあ、私とあなたで睨めっこしましょう! じゃあいきますよ~……あっぷっぷ!」


 突然そんな事を提案し、これまた突然始めるキチ子さん。

 あまりに突然のこと過ぎて、鏡の中のキチ子さんは面白い顔をしてしまう。


「何ですかそれ、面白くないです」


 急にマジトーンになったキチ子さん。

 その迫力に引き攣る鏡の中のキチ子さん。


「もう一回いきますよ。次につまらない顔したら割りますからね。では、あっぷっぷ」


 焦りながらも、鏡の中のキチ子さんは今度は間違えずに飛び切り不気味な顔をする。

 するとキチ子さんは、


「あっはははははは! おもしろいです!!」


 大声で笑い始めた。

 そして、その後も睨めっこが続き、怖がらせようと必死の鏡の中のキチ子さんは笑われ続けた。

 一時間が経った頃。


「飽きましたね。でも、もうこの鏡使えませんしどうしましょうか? 壊すのも良いですけど、この縁は気に入りましたし……」


 キチ子さんはあごに手を当てて何事か考え始めた。因みに鏡の中のキチ子さんは意気消沈した様子で口を大きく開けたまま静止している。

 そして、顔を上げたと思ったらぽんと手を打ち、キャリーバッグへと走り出す。

 再び鏡の前に戻ってきた時には手の中に筆と絵の具を持っていた。


「絵をかきましょう! どうせ家中模様替えはするつもりでしたしね!」


 そう言って絵の具の突いた筆をべたりと鏡につけるキチ子さん。

 鏡の中のキチ子さんは非常に焦った表情で、あたふたとしていた。


「ふんふんふーん♪」


 楽しそうに鏡に落書きするキチ子さん。

 しかし、なぜか使っている絵の具は赤と黒の二色だけだった。


「できましたー! タイトルは『ひまわり』!」


 おどろおどろしい絵が完成し、もう鏡だった部分はかけらも残っていなかった。かろうじて鏡の部分が見えていたときに、ちらりと見えた鏡の中のキチ子さんは泣いていた。


「ではどうせですし、寝る前に家中模様替えしてしまいましょうー!」


 そう宣言して、楽しそうにくるくる回りながら壁中に絵の具を塗りたくっていくキチ子さん。もちろん使っている色は黒と赤の二色だけ。

 二時間ほどして全ての壁に色を塗り終わり、お化け屋敷顔負けの絶望空間が完成した。


「傑作ですね! タイトルは『お花畑』です! ……あれ? でもところどころ凸凹してますけど、絵の具塗りすぎたんですかね?」


 キチ子さんは塗り終わってから壁の異変に気付いた。

 実はキチ子さんが壁に絵の具を塗りたくっている時、壁にはいくつもの目玉が浮き出ていたのだ。しかし、一つのことに夢中になると周りが見えなくなるキチ子さんは目玉がある部分もお構いなしに絵の具を塗っていた。

 目玉たちは非常に痛そうにしていたが、最後までキチ子さんが気付くことはなかった。


「ふわぁぁあ…………なんだかんだ言って、結構起きてしまいましたね。流石に限界っぽいので寝ましょう……」


 大きなあくびを一つしながら、キャリーバッグから寝袋を取り出してすぐにもぐった。


「それにしても、無料だったのに何も幽霊出てきませんでしたね。明日は出てくるのでしょうか……ちょっと怖いですね……。幽霊の事は忘れて、もう寝ましょう……」


 キチ子さんはそう呟いてから、すぅすぅと寝息をたて始めた。

 これ以降、幽霊達はその姿を見せる事は一度も無かった。

















 あれから五日後。幽霊は何もしてこなかったものの、騒音と異臭で近所から苦情が出て、キチ子さんは結局あの部屋から追い出されることになった。

 そして、以後あの部屋から『ユルシテ、タスケテ……』という声が聞こえるようになったのはまた別のお話。

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