第6話 残像と共に

 警察は、爆発処理を森岡班に託し、Aら実行犯を追う橋本班、D,Eを追う鴨居班に分かれた。そして会場を中丸に託す。

「そう言えば、俺、丸に子馬亭の全部のせラーメンおごってもらう約束してなかった?」

 緊張感を持って動く刑事たちの耳に、一番緊張を強いられているはずの森岡の気の抜けた発言が聞こえてくる。

「してたよ!してたけど、それ今言う?」

 小声で中丸が答えるが、もちろん小声にしても意味はない。皆に筒抜けだ。

「してたよなぁ〜学生時代に。何だっけ?食堂の美奈子ちゃんを誰がデートに誘うか…だっけ?教官の佐田女史が既婚者かどうかだったっけ?」

 思わず吹き出しそうになる。

「現金は賭けてないですから!」

 焦った声で中丸が叫ぶ。

「叫ぶな!」

 鴨居がすかさず諌める。

「お前ら、そう言うのは終わってからやれよ」

 苦笑しながら橋本が言うと、

「OK。…よっと。で、いつ奢ってくれんの?」

 森岡はすっきりした声で言った。

「だから!」

 と言いかけた中丸が言葉を切る。

「え?」

 一瞬皆が無言になり、次の言葉に神経を集中する。

「トラック2台分の爆弾の解除完了。今から撤去作業に移りま〜す」

 せっかくの緊張感を台無しにするように語尾を伸ばしてはいるが、

「マジで?」

 皆を代表して間抜けな確認した中丸に

「マジで♪お腹空いた♪」

 そんな能天気な返事を返して来たが

「後は皆さんにお任せします。イベント会場への入場開始まで後2分切ってるよ」

 そう促して来た。

 作戦本部のGOが出た。

「よし、A,B,C,D,Eの確保だ」

 鴨居は覆面パトカーのサイレンを鳴らし。先方を走るD,Eの乗った車を停止させた。

 橋本はAをマークし、一斉にA,B,Cを囲んだ。


「あ…」

 と、イベント会場を見下ろしていた志保が声を上げる。

 後ろからモートン氏と一緒に、待機していたイベント関係者たちが覗き込む。

「入場開始された」

 少し離れた場所で整列していた観客たちが、きれいに並んだまま会場に移動して行く。

 モートン氏が何か言い、通訳が

「日本人はお行儀が良い…と」

 そう告げた。

「お互いを監視しているようなものだから」

 志保はそう言った後、

「人と違う人がいないかどうか…」

 何気なくそう続け、ハッとして口に手を当てる。

 通訳されたモートン氏が、志保を見つめている。

「深い意味で言ったわけではないの」

 そう言ったけれど、否定しきれない思いもあった。

「歌が上手い人もいれば、踊るのが得意な人もいる。残像を見るのが上手いのは君の個性だよ。とても役に立つ…ね」

 モートン氏の言葉を通訳が伝える。

「彼は英語と日本語を通訳できる。役に立つ特殊能力だろ?君のも同じだ」

 最後にありがとう。と付け加え、通訳してくれた。

 志保の胸が熱くなる。

「川村さん!」

 そこで、突然橋本からの無線が入った。

「は、はい」

 急いで答える。

「遅くなってすみません。爆弾は撤去。犯人確保。イベントは予定通り行われます」

 いつもより、緊張感があり、けれども弾んだ橋本の言葉を皆に伝えると、拍手が起こった。

 直ぐにそれぞれが必要箇所への連絡指示に動き出し、メイク担当がモートン氏の手入れに入る。

 通訳を聞いた彼は

「ありがとう」

 そう片言の日本語で言った。

 あちこちいじられ、ネクタイも直され、窮屈そうに。

 改めてモートン氏を見つめる志保の目に熱がこもる。乱れた姿も良いが、びっちり決めた姿も素敵だ。そして映画の中で彼が演じる役も。

 本当に良かった…

 会場に向かう彼らを見送り、志保は周囲を見渡す。

 たくさんの人の流れ。そして志保にはそれが気が遠くなるほど何重にも重なって見える。残像に飲み込まれそうになる。


「きゃー!」

 と、子供達の重なる叫び声が、雑踏の慌ただしさの中に響き渡る。

「危ないから、落ち着いて!」

 彼らを従える青年が、伝わらない日本語で叫び返す。

 既に彼らを追うのを諦め、遠方からそれを眺めるモートン氏は穏やかに微笑んだ。

「飛ばすから、しっかり掴まって!」

 子供たちを乗せた人力車は、はしゃぐ彼らに合わせて競争を始めている。

「子供はどこの国でも一緒だな」

 そう笑う橋本に、

「子供は?」

 モートン氏の言葉を通訳が伝える。

「12月に産まれます」

 その通訳を聞いて、彼は満面の笑みで橋本の手を握った。

「子供は良いよ。私にも息子が一人いて、もう大人だけど、いつだって私の師だった」

 そんなやり取りを志保は微笑んで見つめている。

 今は他のものを見たくない。今目の前にある情景だけを見ていたい。

 のびのびと笑い合う子供たち。そんな平和の国の住民で良かった。彼らにそんな平和を提供できて良かった。

 平和だと言う事がどれだけ恵まれたことか、私たちは普段気付かない。今立っている場所で、過去に起こったあらゆる争いも知らない。それで良い。たくさんの血が流され、涙が流され、そして今現代に暮らす私たちにこの平和が贈られた。

 志保だけが知っている。全て見ている。何故なのかは分からないけれど。もしかしたら、地上の記憶係が必要だったのかもしれない。寂しがりやの地球の気まぐれか。創造主の自己顕示欲か。

 ありがとう…と過去に生きていた人たちに呟く。もちろん聞こえないけど。見られているとも知らないけれど。志保が見ている。


 人力車を降りた小さな女の子が駆け戻ってきて志保の手を握った。

「あれは何?」

 少女は浅草の街の象徴の大きな赤い提灯を指差している。

 子供たちの通訳が走り回りゼイゼイ言いながら説明しているのがおかしくて志保は笑った。

「珍しいね」

 橋本が近づいて来てそう言った。

「そんな風に笑うのを始めて見たよ」

 そう言われ、

「会うのはいつも何かが起きたときだから」

 志保自身、生まれてから今まで記憶になかったが、思いついたままに答える。確かに…と橋本も頷いた。


 イベントは盛大に行われ、ニュースにも取り上げられ、たくさんの寄付が集まった。子供たちの歌声に人々は酔いしれ、受けた暴力に涙した。

 そして今日、無事に観光を楽しんでいる。

 観覧車の爆破は、テロのデモンストレーションでも有ったが、敵対する部族を象徴する円のマークに見立てての事だった。

 事件は橋本たちの手を離れ解決に向かっていた。

「今回も、ありがとう」

 橋本は志保に並んで立つと素直にそう言った。認めたくなく足掻いていた事が遠い昔に思えた。

「私の方こそ」

 そう微笑んで答えた。橋本に出会った運命に感謝していた。

「のんびりしていて良いの?」

 志保が聞くと、

「いや、もう行かないと…良いかな?」

 そう落ち着きをなくした。やっと巡ってきたオフだ。わずかでも早く帰りたい。妻の元へ。

「行って」

 志保が笑い、モートン氏が笑った。

 今日1日遊んで、明日には彼らは次のイベント地へ旅立つ。

「Shiho」

 突然モートンに名を呼ばれたー志保は、隣にモートンがいる事に急に緊張を感じた。

 もどかしい思いで通訳を待つ。

「僕は、いつも人々に幻想を抱かれる。映画の中の人物のように魅力的な人間だろうと。普通の男なのに」

 志保は緊張気味に頷いた。

「だも、君が相手なら、取り繕う必要はない。そうだろ?」

 それは勿論そうだ。取り繕っても無駄なのだから。

「だから、すごく気が楽なんだ。君の前では素の自分で居られる気がする」

 通訳のニヤニヤが気に触るけど、黙ってモートン氏を見つめた。

「映画のPRツアーが終わったら、プライベートで日本に帰って来る。案内してくれる?」

 彼ももどかしそうに通訳を待っている。本当にもどかしい。

「待っています。英語を勉強しながら」

 通訳をちょっと睨んでそう答えた。だけど、通訳を待つ前に、その笑顔でモートンには伝わった。通訳をBGMにハグされた。

 志保の目には、この場所で過去に溢れたたくさんの笑顔が見えた。涙だけじゃない。苦しみだけじゃない。沢山の幸せもこの地にあった。

 ありがとう…過去の残像たちに、現代を造った全てに対して呟いた。


 それを見つめながら、志保は目を閉じて幸せに身を任せた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

残像 月島 @bloom

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ