第5話 爆発物
志保をモートン氏に預けている間も、橋本に休みは無い。
寝不足で絶え間なく起こる頭痛を、こめかみに指で圧力を加えてなだめながら、イベント会場の見取り図を睨み付ける。
周囲をホテル、ショッピングモール、オフィスビルに囲まれた中庭的な作り。
元々の土地がかなりの坂な為、ここを何階か‥と認識するのは難しい。
地上なのに、隣はホテルの地下だったりするのだ。
なので、見取り図を見ていても頭がこんがらがってくる。
ホテルの正面玄関から入る一階部分がロビーで、地下1階2階は飲食店を含んだショップになる。地下2階がイベント会場と同じ階だ。
ゲストたちはホテルの部屋から地下4階部分に有る駐車場に移動し、そこでわざわざ車に乗って地上に出て隣のイベントスペースまでやって来る。車が到着するところから、イベントがスタートなのだ。
彼らが乗る予定の車が到着したという知らせを受けて、橋本は他の捜査官たちと駐車場に向かう。ドライバーの身元を確認し、爆発物が仕掛けられていないかチェックする。
車は橋本の想像とは大きく違い、小型のバスだった。確かに、子供たちが大勢いるのだから、チョィスとしては妥当なのだろう。
「遠足みたいだな」
と橋本は呟いた。
「そんな余裕、無かったでしょうからね」
と中丸が返した。
「そうだよな・・」
と軽く応えながら、身を潜め、身近な人を失いながら命懸けで生きて来た子供たちの事を思う。
「日本を楽しんで行って欲しいよな」
そう言う言葉につい力が入る。
「そうですよね・・」
中丸の言葉もいつもより神妙だ。
子供たちは、今回の犯行予告を知らない。
来日してからイベントや取材尽くめで、まだちゃんと日本を楽しむ余裕はない。
それでも、「御飯が美味しかった」「大きな建物が凄く多い」「街がきれい」「お菓子を沢山貰った」楽しそうなそんな会話が流れてくる。
「おもちゃ屋さんに行くの」「弟のお土産に欲しい」「これはどんなお菓子なの?」TVや雑誌を見せられ食い入るように見つめた後、口々に話す子供たちの姿もメディアに流れている。明後日行く予定の下町の写真もある。子供たちは凄く楽しみにしているのだ。もう安全なのだと、ホッとしているのだ。本当に、遠足なのかもしれない。
思わず眼頭に指を強く押し当てる。守らないと‥何としても守らないと。
人員を割き、バスの周辺だけでなく、駐車場の周りをくまなくチェックする。何も出ない・・良いのか悪いのか。途方に暮れた所で
「橋本!」
駆け込んで来た鴨居が橋本の耳元で
「例の倉庫から何台かのトラックが出発した」
そう報告した。
「Aは確認されていないが、D、E他計6名が3台のトラックに分乗している」
「何を運んでいる?」
橋本の問いに、緊張した表情のまま鴨居は口ごもる。
「それは・・」
お昼過ぎ、整理券が配られたために並んでいた参加者たちは解散したが、一般買い物客やオフィスで働く人たちで相変わらず人が溢れている中庭の一部で、黙々とイベントスペースが組み立てられていく。
現地の風景を描いたらしい壁がステージ上に建てられ、ステージの下には柵が並べられていく。
会場関係者を装いながら橋本たちはその作業を間近で見ている。と言うより、作業をする男たちを。つまり、要参考人物D,E。
あの倉庫から運び出されたのは、このイベントに使う大道具たちだった。D、Eの参考人物たちは設営作業を黙々とこなしている。手早くトラックの荷台から荷物を下し、しかるべき箇所に配置していく。勿論作業員は彼らだけじゃない。誰も彼も違和感なく黙々と作業をしている。
「どう言う事でしょう?」
中丸が小声で問う。
「あの倉庫は、イベントの大道具を制作管理していたと言う事なんじゃ?」
鴨居も寄ってくる。
「まだ解らない。メインで動いていたA,B他数名が見当たらないだろ」
橋本は慎重に答えるが、実際頭は混乱していた。運びこまれた荷物は全てチェックが済み、勿論車にも異常は発見されなかった。
志保は、参考人Aの自宅に向かい、彼のここ数日の動向を追っている自宅にはここの所帰って居ないようだった。
「今、3日前のAを追って移動しているけど、行先があの倉庫方面なの」
志保はそう報告してきた。勿論一人ではなく、二人の捜査員が同行している。残像が何かして来る訳じゃ無いけど、
「気を付けて」
そう伝えた。
午後2時。設営はあっという間に進んでいく。
カーペット内に入れない外れファンたちが柵の周辺に集まりだした。あわよくば・・と言う事だろう。
日本のタレントと違って、外人ゲストはサービスが良い。運が良ければあぶれたファンの所にも来てサインをしてくれたりする。
レッドカーペットが下され、脇に止まっていた3台のトラックに、D,Eを含む作業員が乗り込む。
「おい」
鴨居が身を固くしてそれを目で追う。
「あのトラックはどこに?」
橋本が会場担当者に問うと、
「撤去作業で必要になるので、一旦地下の駐車場に入ります」
と言う答えだった。余った機材などが積み込まれトラックは走り出す。
会場は、最後の仕上げに入っている。司会者らしき人物が現れ、マイクテストを行っている。
中丸も、鴨居も橋本に答えを求めるような目を向ける。このままでは、イベントが始まってしまう。何も起こらなければ良い。でも・・そう問いかける目だ。
そんな時
「橋本さん!!」
そう叫ぶ志保の声が無線から聞こえた。
「トラックが!2台のトラックが」
そう言葉が続いた。
2台のトラック。それを、B、Cが運転していて、Bの横にAが乗って居る。
「今から、30分くらい前よ」
橋本たち3人が顔を見合わせる。
2台のトラック?さっきここを出たトラックは3台。でも聞く限り同種のモノだ。
こっちのドライバーはD、E、そして更に2台にA、B、C。
「どう言う事でしょう・・?」
中丸は再度橋本に答えを求める。
「さっきのトラックを確認しろ!」
橋本は中丸にそう告げると無線に注意を戻す。
「今どこ?」
「もうすぐ坂の下あたりです。会場まで10分くらいの距離」
思いの外近くまで来ていたようだ。心なしかホッとする。
「設営を終えたトラックは、さっき会場を出た。たぶん地下駐車場だ」
橋本がそう言った途端
「違う・・」
志保が声をかぶせた。
「今、2台のトラックとすれ違ったわ。D,Eが運転していた・・」
志保の声が乱れる。そっちを追おうか瞬間躊躇ったせいだ。
「?地下駐車場に入ると聞いているけど‥?」
瞬時に深い沈黙が訪れた。思い当たった事は、お互い同じだったはずだ。トラックのすり替え。
「このまま追います!」
志保はそう端的に断言すると交信を切った。
「爆弾処理班をすぐ地下駐車場に」
橋本はそう中丸に告げ、自分も鴨居を従え移動を開始した。
先程通った通路を逆走し、ホテルの地下から駐車場に移動する。
どんな高級ホテルでも、駐車場のありさまはどこも共通して無機質だ。そんな中を、部下たちを引き連れ移動する。環境は無機質でも、停められているのはちょっとの傷でもつけようものなら法外の弁償金を請求されそうな高級車ばかりだ。
キャストたちが現れる地下4階を一巡するのに20分を費やした。けれども、こんなところにトラックが有れば嫌でも目に付く。ここにトラックは無い。
時刻は14:30を回った。15時には運よくイベントに当選したファンたちがレッドカーペット観賞エリアに放牧され始める。
中丸に指示を受けた爆発物処理班が、橋本の後ろに待機している。
「鴨居は、地下5階を確認してくれ。俺は3階を回る」
そう指示を出し、部下を二分した。爆発物処理班は地下4階の階段付近で待機。ついでに4階の監視も置いた。
3階も同じような物だった。自己顕示欲の強いドライバー達の自慢の車ばかりが並ぶ。警官の安給料の3か月分かけても頭金にもならないんじゃないだろうか・・と言うような高級車ばかりだ。
何かが違う。何か思い違いをしているんじゃないか‥?頭を悩ませている橋本に
「地下5階異常なし。そっちはどうだ?」
と鴨居の声が届く。
「3階も異常なし。教えてくれ。俺は何を見落としている?」
橋本が答えると
「聞く相手を間違えているだろ?」
と帰ってきた。
その通りだ‥と橋本は思う。
「今どこ?」
橋本は志保に呼びかけた。
「・・地下駐車場に入ったわ」
間を置き志保はそう応えた。地下駐車場・・橋本は周囲を見渡したが、それらしい車両の動きは無い。
「どこ‥?」
「・・地下3階と書いてある」
志保の答えに、思わず駆け出す。スロープを降りて来る車が有れば見える位置に。
「ここが地下3階だけど‥見えない。トラックは?」
「まだ後を追っているわ」
橋本のいらだちに動じず、志保は答えた。目の前にターゲットが居る分、橋本より余裕が有るのだろう。橋本の目には、志保が乗った警察車両は勿論トラックも見えない。
「駐車場の入り口は何か所?」
地上に残してきた中丸・・の隣に居るはずの会場担当者に確認させる。
「一か所だそうです」
一か所・・橋本は考える。一か所だったか?本当に?
足を止めずにずんずん進む。
もう一度バカ広い駐車場を一周する覚悟だ。
「トラックを降りたわ」
無線から志保の声が聞こえた。周囲にそんな気配はない。
剛健な柱の向こうの明かりを目の端に捕え、足を速める。
「入り口は‥二つ・・」
橋本は呟いた。橋本の横を、スロープから現れた小ぶりで青くてぴかぴかな高級車が通り過ぎた。
「地下駐車場の入り口は二つだ。だけど地下3階にトラックは侵入して来てない。高級車ばかりだ!」
橋本が投げつけた言葉に、しばらくの沈黙の後反応が返った。
「そこ・・ホテルの駐車場ですか‥?」
中丸の声だ。勿論、彼の言葉では無く担当者の代弁だ。それで合点がいく。
「作業トラックはホテルの駐車場にはいきません!」
「こっちには高級車は止まってないわ」
志保の声も続いた。
「地下駐車場は、つながって居ないのか?ここじゃないのか?」
立ち止まっていられず、周囲を見渡しながら橋本は問いかける。何てミスだ。
「会場真下の駐車場とつながって居るのは、ホテルの地下5階部分だそうです」
中丸が答える。
「彼らは、車を降りて移動中。5Eと書いて有るドアに向かっているわ」
志保の声。
「それがホテル駐車場に続くドアです!」
中丸の声。
「鴨居!」
橋本は走り出すと同時に叫んだ。
「別の駐車場から、そっちの駐車場に容疑者たちが移動中!5Eのドアだ!気を付けろ!」
「了解」
鴨居の声を聞きながら地下4階に駆け降りる。
「犯人は地下5階だ。5Eのドアから別の駐車場に抜けられる。そこにトラックが有るはずだ」
爆発物処理班にそう告げ、更に地下5階を目指す。
「一般客の入場待機が始まりました!」
地上の中丸の声に緊張が走る。
「くそっ」
一旦入場してしまったら、出ろと言われてもすんなりとは行かないだろう。説明を求められ、時間を食う。平和ボケした日本人にリアルに危険を悟らせるのは難しい。事が起こらないと焦らない民族なのだ。昔から。
「要参考人との接触には気を付けて下さい。爆発物の起動は遠隔操作の可能性が高いです」
4階の処理班のリーダーから無線が入る。
「追い詰めて起動されたら木端微塵・・って事か。」
思わずつぶやく。
「全員奴らをやり過ごせ。鴨居はそのまま見失わないように尾行。橋本は爆発物処理班と容疑者の車のチェック。不審物が発見され次第解除に移れ」
対策本部の指示を待つまでも無く、皆が息をひそめてA,B,Cを見送る。
「川村さん・・」
少なくとも、志保を巻き込むわけにはいかない。
「今の状況をモートンさんに伝えて下さい。配給側に状況を理解して貰おう。中丸は会場側と話してくれ」
「了解」
だいぶ間を開け5Eから現れた志保が頷く。引き続き警官二人が志保をガードする。
地上では、狭い待機スペースに整理番号順に行儀良く並べられていくファンたち。整理番号の提示と共に持ち物検査も行われる。大使が来ると言う事も有って、通常以上のセキュリティチェックだ。中庭を見下ろせるホテルの透明なエレベーターでそれを横目に、志保たちはホテル上階へと上がって行く。先程と変わらぬ豪華なロビーに、今は警備や配給の人たちが集まっていた。
そんな中に降り立った志保を見て、モートンが微笑みかけた。思わず微笑み返した志保の耳に
「コレは・・」
無線から緊張した橋本の声がこぼれる。
「トラック自体が爆弾だな、こりゃ」
そう呟いたのは爆発物処理班のリーダーだった。
志保の表情が変わったのを見て、モートンの笑顔も消える。モートンと彼の通訳と3人部屋に滑り込む。
「状況は?」
モートンも折角整えたであろう正装の首元を緩めながら志保を促した・
「爆弾が、発見されました。」
常であればその尋常ならぬ精悍さによろめいたであろう志保も、緊張気味に答える。モートンは短く息を吸い、それを時間をかけて吐き出した。その表情は神妙だ。大きな両の掌で頭を抱える。
「あぁ‥髪が乱れる・・」
と志保は思わず思う。
「やはり、あの子を狙って?まだ終わってないと言う事か?」
モートンは呻くように呟く。通訳も、ちょっと辛そうに顔をしかめて訳してくれた。
「イベントは中止に?」
担当者との中継役の中丸が、誰もが気に掛けていた事を代表して言葉にした。暫し沈黙が流れる。
「誰が解除していると思ってるの?」
流れた空気に似つかわしくない、軽快な声が応える。
「森岡?お前か?」
中丸の声にもいつも軽快さが戻る。
「規模は大きいって言ったよ。でも、構造は単純」
森岡と中丸は同期だった。警察学校時代の森岡は爆発物に関する成績がずば抜けていた。
爆弾魔に転向したら、誰も手を出せない・・と言われた男だった。
「入場までの猶予は17分だ」
橋本はそれでも?と言う不安を含んだ声で二人の会話に割って入った。
「ちょっと息抜く暇は無さそうですけどね」
森本の手は動き続けている。
「入場を若干遅らせることは可能だそうです」
中丸は隣と確認しながら答える。
「じゃ、16分後にまた」
そう言い残し森本は回線を切った。
「今、優秀な爆弾処理班が爆弾の解除をしています」
志保は、そっとモートンの肩に手を置いた。馴れ馴れしいかしら・・?と不安になりながら。
「だから、ぎりぎりまで待ちましょう‥」
自分の人生において、人に微笑みかける事なんて無かったので笑顔に自信がある訳では無かったが、志保はにっこり微笑んで見せた。
そしてたくさんの笑顔に囲まれて来たであろうモートン氏の今の状況に置いて、その笑顔のリラックス効果は有効だった。
思わずハグする。勿論友好の情を表す一般的行為として。
映画を好む志保もその辺は心得ている。居る筈だったが、それと実際の感情は別物だった。一気に体温が上がる。特に顔を中心に。志保の人生において大袈裟では無く一番動揺した出来事かもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます