第4話 Cinemactor Charlie Morton

 そこからは、ひたすら、時間との勝負だった。

 都心の駅で川村氏を降ろし、用意されたボートで容疑者を追う。

 川を上りながら、志保が遠い一点を見つめる。

「あそこです」

 彼女が指差したのは川沿いの倉庫だった。

 そして今度はその倉庫から出てきた人物の後を追う。地道な作業だった。

 ボートの操縦をしている男には、我々が何をしているのか、全く理解出来なかっただろう。

 観覧車爆破の実行犯をAとし、彼をボートで送迎していた男をB、それ以外にも出入りをしていた男たちC,D,Eのモンタージュが作られた。


 倉庫を中心にマークしながら、泳がせる。

 仮に既に爆弾が仕掛けられている場合、下手に刺激をするのはまずい。

 志保はまず先日下町で見かけた男の行動の残像を捕まえた。

 一度見ているので、時期が特定しやすかったらしいが、良くは分からない。彼女がそう言うなら、そうなのだろう。

 何度か、彼らはこの地を訪れ、下見をしている。

 中でも目を付けたのが遊覧船乗り場らしい。けれどもその先の作業を行った形跡は見られず、まだ爆弾設置を実行しては居ないようだった。

 これで、第3の予告地は今の所危険はない。今後の張り込みで実行しようとすれば押さえられるだろう。

 問題は第2の予告現場に絞られた。

 志保は、何度も何度も現れる男たちの残像を、行き先を突き止めながら潰して行く。

 その候補となった地に、確かに何度も男は来ている。けれども肝心の爆弾らしき物を設置するような行動が見られない。

「他にも仲間が?」

「でも設置しているらしい動きはないわ。彼らは一様にこの広場に注目しているのに」

 志保は今も容疑者の男を見つめているらしい。


「橋本さん、川村さん、お疲れ様です」

 そう言って、中丸が従えて来たのは、このイベントスペースの責任者と、映画の配給会社の責任者。

「ちょっと一緒に来ていただけますか?」

 配給会社の責任者にそう言われ、我々はすぐ背後にあるホテルへと向かった。

 彼らが向かったのはロビーでもカフェでもなく、迷うことなく乗り込んだエレベーターは静かに上階を目指して動き出す。

 明らかに、高級なこのホテルの中でも特別な部屋の部類だろうと思われる、一般客は足を踏み入れる事も出来ない落ち着いた重みの有るフロアに降り立ち、むしろ緊張しながら、彼らに従い唯一のドアの前に立つ。

 ノックがされた途端ドアが開いたので、中の人物は待ち構えていたのだろう。

「お待ちです」

 ドアを開けた小柄な男がそう言ったのでも解る。

 そしてドアが大きく開かれ、我々は中に押し入れられた。

「チャーリー・モートン!?」

 紹介される前に、志保はそう呟き息を飲んだ。

 中に居た背の高い俳優のように整った顔のその中年白人男性は、まさしくハリウッドの映画スターだったのだ。

「熱心に調べていらっしゃいますが、危険は発見されましたか?」

 柔らかい彼の呟くような英語を、先の小柄な男が訳す。

 中丸も知りたそうにこちらに視線を送る。

「今の段階では、まだ、発見出来ていません」

 志保に視線を送りながら橋本が応えた。

 一同が苦い顔をした後、通訳から答えを聞いたモートンが遅れて頷いた。

「それは、危険はないという意味ではないのですか?」

 イベントスペースの責任者は、堅物そうなイメージを損なわない厳しい重い声でそう尋ねて来た。

「違います」

 橋本は即答する。

 早まった結論で、捜査への協力が得られなくなるのは困る。

 橋本の返答を受け、モートンが話し出す。我々はワンテンポ遅れて通訳からその意を知る。

「今回のイベントの持つ意味合いは大きい。日本からの支援も期待している」

 彼は続けた。

「でも、危険があるのなら、避けたい」

 彼の意見はそうだったが、配給会社側は違うらしい。

「ここは日本です。そんなテロとは無縁の国ですよ」

 準備に元手が掛かっている。何としても映画の興行を成功させたいのだろう。

 中止はハナから考えていないようだ。

「トラブルは警察の方で事前に回避していただかないと」

 スペース側ニュアンスも彼らとは微妙に違っている。

 居心地悪そうに目を泳がせていた志保にモートンが視線を向ける。

「あなたは、捜査に協力している民間人だと聞きました」

 そうなのですか?という風な疑問文だ。

 志保がちらりとコチラに救いを求める目を向ける。

 橋本も、注目している二人の責任者をチラと見る。

「捜査手段については、明かすわけにはいきません」

 彼の問いに答えてはいないが、そうとしか答えられなかった。

「そうですか」

 気分を害すでもなく柔らかい声で答えた後、

「良かったら、コーヒー飲みませんか?」

 彼は紳士的に志保に声を掛けた。それから橋本にも目を向ける。

 つまり、3人で・・と言うことだ。通訳は別として。

 不満顔を隠さない興行の決定権を持つ二人を部屋の外の、それでも優雅な濃茶の革張りのソファーに中丸とともに残し、橋本と志保はモートンと通訳の後に続いてバースペースに移動する。

「アルコール・・と言うわけには行かないでしょうから」

 モートンはいたずらっぽい笑顔で言った。

 なかなかお茶目な男らしい・・と橋本は感じたが、志保は先刻承知らしい。

「さて・・」

 彼はリラックスしたように深く椅子に座ると、まず一口コーヒーをすすり、それから口を開いた。

「まず言って置くよ」

 一旦区切る。

「日本では一般的ではないようだが、私の国では、特殊な能力のある一般人が捜査に協力するのは全く珍しいこと・・と言う訳ではない」

 モートンは、通訳が話し終えるのを待って続けた。

「特に私はこう言う摩訶不思議な世界に生息する人間だ。そう言う特殊な例がただでさえ集まって来る」

「Purple Stranger.」

 志保が思わず声を上げると

「That's right」

 モートンがウインクしながら志保を指さす。志保の頬がかっと赤くなったのを橋本は見逃さなかった。

 数分間だけ過去に行き来できる男が、人生に苦悩した末、警察の捜査を手助けするために能力を使うという、5年位前にモートン氏が刑事役で製作されたマイナー映画だ・・と志保が説明してくれた。

 なるほど、志保が惹かれる訳だ・・と橋本は納得する。

「アレは、ある特殊能力から発想を得て作られた創作ですが‥」

 そう、言い置いてから、モートンは改まって続ける。

「好奇心で聞いているわけではなく・・勿論それも有りますけど、私としてもイベントはやりたい。子供たちも張り切っている。沢山の関係者の期待も背負っている。先日の事件のことは聞きました。皆が警戒するのも当然だと思う。だが、次のターゲット・・もとい、真のターゲットが我々のイベントだとあなたたちが確証しているそのソースが信頼できるかどうかを私は知りたい。この大きなチャンスを諦めるほど確実な物だと納得できたら、私は会社や会場がなんと言おうと、警察に協力をするつもりです」

 そう言い終わって通訳の日本語をBGMに橋本を見つめた。

 つまり、何の説明もしないのであれば、協力は出来ない・・と言うことだろう。

 橋本は、志保を見る。

 熱に侵されたような志保だが、今の事態を失念はしていないらしい。

「帽子は・・TVの後ろです」

 モートンを見つめたまま志保が突然そういった。

 橋本はぎょっとしたが、通訳はきょとんとしている。

「あなたが、どこまで上手く訳してくれるか・・によるのですが・・」

 志保が話しかけたのは、通訳の小男だった。

「信じる信じないじゃなくて、今は出来るだけそのままの言葉で訳してくれますか?揶揄したりせずに」

 それを聞いて、橋本は、志保が話す気なんだ・・と理解した。

「時間がないので、手っ取り早く協力を得たいんです」

 志保が橋本に確認するように言った。

 それがTVの裏の帽子の話とどう結びつくのかは解らないけど、真実を打ち明けるという大きな賭けに勝算があると志保は感じたのだろう。

 橋本は黙って頷く。

 その間に、モートンにせっつかれた通訳が、志保の言葉を訳している。

 モートンは、淡い色の瞳を輝かせて、長い足で大またにTVの前まで歩いていくと、その後ろに長い腕を突っ込み、黒っぽいキャップを引っ張り出すと、まるでマジシャンがマジックを決めたかのようなポーズでこちらにそれをアピールして見せた。

 そして、さて・・というように座りなおし、期待を込めた瞳で志保をじっと見つめる。

 志保の頬はまた赤く染まり、瞳をわずかに俯かせた。

「私に見えるのは、残像です」

 志保の言葉に一瞬躊躇してから、通訳が仕事を始める。

「この場所が存在してから今までの全ての物や人の流動が、今起こっていることと同じように同じ場所に重なって見えています」

 通訳の彼は一瞬、えっ・・という顔をして、それでも頭の中で単語を整理しながら、メモを使って確認しながら、モートンに伝えた。

 伝え終わった顔は満足そうだった。

 モートンに何か言われ、頷いている。2,3やり取りしてからこちらに向く。

「今も?一秒前の事も?」

「1秒前も10分前も10年前も・・」

 志保はそう答えてから、

「12年前には、ここはまだ出来ていなかったみたい」

 そういって小さく笑った。

「Oh My God!」

 橋本でも聞き取れるようにモートン氏が言った。

「昨日、女優の大川麻衣さんが尋ねてきてますね」

 志保が言って

「えっ」

 橋本も驚いた。志保は絶対に自宅に招きたくない客だろうなぁ・・と改めて思う。

「何もしてないよ」

 目を大きく見開いて、大げさなジェスチャーをするモートンに

「解ってます」

 志保は微笑む。

「OK~」

 モートン氏は部屋を見渡し、自分を宥めるようにそう言った。

「OK、解った」

 通訳はやたらと緊張したように、彼の一言一言を丁寧に通訳してくれるが、この辺の単語くらいなら、通訳がなくても橋本にも通じる。

「事件の話に戻ろうか」

 突然モートンは言った。

(もう信じたんだ・・)橋本はその柔軟性に驚いた。

 あれだけうじうじ目を背けて悩んだ自分が馬鹿らしく思える。

「彼女の力を持ってして、何が解っているのか、どう考えているのか」

 ただの好奇心の塊じゃない、仕事の顔に戻っている。

「観覧車を爆破した犯人は複数の外国人と1人の日本人で、あなたたちのイベントを爆破しようとしている。・・が、まだ爆弾は仕掛けられていない」

 どうせ通訳されるのだから・・と橋本は簡潔に述べた。

 志保の力を信じたなら、四の五の説明するより、こっちの見解を信じてもらうしかない。

 モートンは確認するように志保を見た。

 志保は頷く。

「ふうん・・」

 という風に大きな手の平に頬を乗せる。顔が半分ひしゃげても男前は様になる。

「狙われている場所は?」

 両手で顔を包みながら通訳を促す。

「アリーナのイベント会場」

 橋本が答える。

「まだ、仕掛けられてはいない」

 志保を指差す。

 黙って頷く。

「今会場は?」

 彼の問いに、

「今日はアリーナの一部でワインの試飲会が行われています」

 そのまま通訳が答えた。

「イベントの設営はいつから?」

 そのまま動きを止めて投げかけられたモートンの問いを、首をひねりながら通訳する。

「当日の朝からだわ」

 答えたのは志保だ。


 空が白み始めた。
 遂にイベント当日。まだ、爆発物は確認されていない。
 

 見当違いだったのか、考えられない手段が使われ見落としているのか、「こちらの動きが察知され計画を変更したのでは…?」

 と言う説が有力だった。


 流石に追い詰められた表情で、志保はビルの窓から会場を見下ろしている。
 最後の手段として、会場を見下ろせるすべてのビルをくまなく歩き回った。
 徹夜だったのは我々だけでなく、イベントに参加する熱心なファンはすでに会場に並び始めている。その中にも彼らの仲間は居ないようだった。


「少し休んだ方が良いのでは?」

 と、モートンが自分の部屋を提供してくれた。


「そうさせて貰ったら?少しでも休まないと。開始前にもう一度回ろう」
 ホテルの部屋は彼女には落ち着かないだろうが、そんな事を言っている余裕はなかった。
 充血した目は、常人以上にめまぐるしく色々なモノを写しているのだから。


 志保は豪華な部屋を堪能する余裕もなく、指し示された広いベッドのなめらかなシーツの上に倒れ込んだ。
 目を開ければ、数時間前までそこに居た彼の残像が生々しく見えるだろう。
 今は、疲れていて良かった・・と思った。そうでなかったら、とてもここで休む事なんて出来ないだろうから。
 うつらうつらしながら考える。
 観覧車爆破の時、現場に実行犯の日本人は居た。
 今回も、必ず来るだろう。そして他のメンバーも。
 明確な目的を持っているなら尚更、間近で確かめたいはずだ。
 見つけるチャンスはまだある。


 この後、イベントに参加する一般人の列は増える。
 整理券が配られれば一旦解散になるだろうが、その前に会場の設営が始まる。柵を並べ、舞台を作り、レッドカーペットを敷く。
 象徴的な何かが飾られるかも知れない。それは、朝から始まって、遅くともファンを入場させる時間までには終わる。
 特殊効果の確認やマイクテストも行われるだろう。
 業者もたくさん出入りする。
 大使も来るならセキュリティチェックも厳しいだろう。


 自分に出来るだろうか。不安は心にのしかかる。


 その時、フワッと目の上が心地よく温められて思考が中断された。
 気持ち良い。
 そうだ、休むんだった…そう思い出した。
 ベッドの傍らに控えめに腰をかけながら、モートンがそっと温めたタオルを置いたのだった。

「あなたが頼りです‥」

 志保の寝息を確かめて、モートンは静かに囁いた。


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