紙製の乙女(名前はまだない)

南枯添一

第1話

 Ⅲ世イルバノティウスが紙で人間を造ろうと思い付いたのは、打ち続く干魃かんばつによる飢饉ききんに加えて、猖獗しょうけつを極めた疫病によって王国の人口が激減してしまったからである。要するに、都市機能を不全に陥らせつつあった人口の不足を、人造人間で補おうと言うのだ。

 しかしながら、これはおかしい。干魃と言えば雨乞いである。つまりは天候操作、更に悪疫退散と来れば、〝偉大なる魔術師にして王〟とかなんとか称される存在にとって基本中の基本であり、謂わば必須科目である。それが満足にこなせないからこそ、王国及び臣民が悲惨なことになっている言うのに、どう見たって、より難易度の高い上級科目である人造人間の創造かつ大量生産に乗り出すなど、明らかに本末転倒の観がある。

 実を言えば、後世に残された資料から判断する限り、イルバノティウスは2流の人材だったようだ。この時期の彼の言動には、なにかの間違いで、本来その任でない地位を与えられてしまった小人物の悲惨と言うか、現実逃避のニュアンスが濃厚に感じられる。

 とは言え、自分だけでなく臣民の目もくらませてしまえとばかりに、隣国に無益な戦争など仕掛けなかっただけマシと言うべきで、かつ王自らも現実逃避に溺れこむことまではしなかったようだ。それが如実に見て取れるのが、人造人間の材料に紙を選んだ点である。

 今でこそ、紙と言えばお手軽素材の代表格だが、当時は東方から伝わったばかりの最先端素材で、そう簡単に手に入ると言うものでもなかった。本気で人造人間の大量生産を考えていたなら、こんな素材を選ぶはずはなく、石ころとか土塊とか、そこら辺にあるものを使っていたと思われる。

 おそらく、王自身も自らの動機を本気で信じてはいなかったのであろう。

 それはともかく、紙人間の創造を宣言した王は王宮の地下に向かった。そこには〈暗闇の間〉なんぞと御大層な名前で呼ばれる魔術工房があったのである。両手にいっぱいの紙束を抱えて王はそこへ閉じこもった。紙は今日の基準で言えばかなり粗悪なボール紙のようなもので、三日三晩、王は工房から出てこなかった。

 そうして4日目の朝、小柄な男の子を抱えて、王は臣下の前に姿を見せた。子供は青みがかった灰色の、薄気味の悪い顔色をしていたが、これは元の紙の色なんだから仕方がない。額の真ん中に絵の具を塗って誤魔化そうとして、諦めた痕があった。

 この人造人間が如何なるメカニズムを内包していたのかを、残された資料はつまびらかにしない。おそらく、人間の臓器を大雑把に紙で模したものであったようだが、なんにせよ液体は苦手が紙の定めで、血液の循環はなかったようだ。代わって、動力源となっていたのがバネと言うか、ゴムで、ねじられたゴムの復元力が、子供に生命(みたいなもの)を与えたようだ。

 しかし、最初のこの子供は失敗に終わってしまった。

 集まった(暇な)臣下の前で、王は子供の胸元に手を入れて、ゴソゴソやってたのだが、ぐしゅとかぶしゅとか言う音がしたかと思うと、子供はひきつけを起こし、首が外れて落っこってしまった。王には無意味に凝り性なところがあり、ゴムを支える枠みたいな部品まで、紙を貼り合わせた角柱を使ったものだから、それが気合いの入れ過ぎで、実験時より多めに巻いたゴムの張力に耐えきれずに、潰れてしまったと言うことのようだ。

 恥を掻いた王はさすがに懲りたものとみえ、王国の鍛冶屋にゴムを張るための金属製の枠を発注した注文票が残されている。これが届いた日から、王はまた工房に籠もりっきりとなり、今度は三日の後に現れた。

 主要部品を金属で強化された子供は、ゴムを巻かれても今度は大丈夫で、首を振りながらひょこひょこと歩くことができた。これだけでは単なるゴム動力の、そこそこよくできたカラクリに過ぎないが、紙製の脳髄はきちんと動作をしていたようだ。子供は、まあ少々は入っていたものの、あまり固いことを言わなければ、日常会話で通るものを周囲と交わすことができた。

 その後、「街へ赴き、人々を励ますよう」に王に命ぜられた子供は、ひょこひょこしながら王宮を出て行き、埃っぽい街を歩き回ったせいで汚れてしまい、親切心で差し出された水で顔を洗おうとして、濡れパルプの山に変わってしまった。

 そんなことはあったものの、この成功で王は有頂天となった。結果として、元からいい加減だった当初の目的――人造人間による都市機能の再生――なんぞは、何処かに行ってしまった。

 王は東方に特使を送り、当時入手可能なもっとも上質な紙を求めさせた。大枚を叩いたとされる、この紙が雪花石膏アラバスターを思わせる純白と、絹の如き手触りを併せ持っていた、と言う時点で、王の関心がどの辺を目指していたかは見当が付く。言うまでもなく、ピュグマリオンを気取った王は、紙でもって理想の乙女ガラテアを創造してくれんとしていたわけだ。

 特使が戻ると同時に、王はまたしても地下の工房に閉じこもった。この度は半年の間出て来なかったと言うから、王の執心の具合が分かりそうなものだ。

 再び〈なんとかの間〉の扉が開いたとき、王は半年どころではなく老け込んでいたそうだが、その背後にたとえようもなく美しい、独りの美少女が付き従っていた。

 この少女の容貌に関しては種々の文献が口を尽くして褒め称えている。

 色白というのは所詮しょせん紙の色だし、体つきが小柄で、ほっそりとして華奢で殊に首が細く、手の指が長く、儚ささえ感じさせたと言うのも紙でできていたせいかも知れない。ただ、よく動く利発そうな目だとか、揃って小ぶりな耳、鼻、口の完璧なフォルムとかは、確かに相当なものだったようだ。その耳殻の描く複雑な陰影だとか、わずかに反り返る鼻梁の曲線だとかについては百万言が費やされている。その唇は今にも咲こうとする花を思わせた、とかなんとか。

 王はほぼ放心状態で、呼吸なんかしてるはずのない小さな胸が息づいたり、華奢な手が自らに向かって差し出されたりするのを眺めて、日々の大半を過ごした。もはや、時間の感覚などない。光陰は矢の如くで、昼夜は一瞬で入れ替わった。

 がしかし、曲がりなりにも王が国事を半年以上もほっぽらかしてあったのだから、傍らに侍らせた乙女をいつまでも眺めて過ごすというわけにはいかない。次から次へと陳情が訪れる。陳情の内容はもっぱら、干魃をなんとかしてくれと言うことに尽きた。実際、王国では3年以上、一滴の雨も降っていなかったのである。

 止まれ。これらの陳情を聞き流すうち、王はふと窓より空を見上げた。そこには金輪際雨なんぞ降らしてやるもんか的晴天が広がっていたはずである。けれども、そのべらぼうな青空を見上げるうち、王の脳裏を過ぎったのは、青い顔の子供の末路であった。そう、紙人間の大敵は何より水であり、雨なのであった。

 王はいきなり玉座を飛び降りると乙女を見やった。もし雨が降ったらと考えた途端、居ても立ってもいられなくなったのである。

 またしても、地下の工房に駆け込んだ王は、今度はそこから狼の心臓だの蚊の目玉だのと言った商売道具一式を詰め込んだズタ袋を引っ張り出して担ぎ、王宮の屋上に常設されている祭壇に向かった。今まで、何度となく雨乞いを繰り返しては全く効き目のなかった、王にしてはあまりいい思い出のない場所である。けれど、今回王は雨乞いを試みようなどという気はさらさらない。その逆で、封印の儀式をやるつもりなのだ。雨よ、二度とこの地を濡らすことなかれと天に命じるつもりなのである。

 干魃に苦しむ王国の臣民こそ、いい面の皮だが、もはや、王にしてみれば臣民を含め王国全部を束にしても、乙女の指の先ほども値打ちがないのだから、これはこれで致し方ないのかも知れない。

 祭壇の中央に絶やされたことのない、浄化の炎を向かって、直ぐさま王は封印の儀式に入った。儀式の詳細は不明だが、念には念を入れた王が満足するまで丸2日を要したと言う。さすがに精力を使い果たした王は、昼間にしては辺りが変に暗くなっていることにも気付かなかった。

 そうして、乙女の待つ部屋に向かおうと、王が踏み出した足のつま先の、そのわずか5ミリ先に、大粒の雨の最初の一滴が染みを作ったのである。


 教訓:壊れていないものを直してはいけない。

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紙製の乙女(名前はまだない) 南枯添一 @Minagare_Zoichi4749

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