夢の終わり


「よう、目が覚めたか? ベッド借りてたぜ!」


「なんで其処にいるんだ貴様は!」 


 目が覚めると、俺は自分の部屋の中に居た。


 仕事机に突っ伏していたところを見ると俺は酒を飲んだ後原稿の執筆に取り掛かったらしい。書きかけの原稿が数枚、机の端に散らかっている。


 だがひどいのはアレクサンドルだ。部屋の主である俺を差し置いて何故ベッドで寝ている!


「固いこと言ってくれるなよ? 昨日は良い飲みっぷりだったじゃないかハンス先生」


「悪いが俺は何も覚えちゃいない」


「言っていたぜ? 愛する人の為に物語を書いたのに、書けた筈だったのに、俺の心は満たされない。もう終わらせてくれ。俺にできることはもう無い筈だから……ってよ。良い台詞だったな、今度俺の作品に使っていいか? いい感じに改変アレンジするからさ」


「構わん。酒代代わりだ好きにしろ」


「それにしても悩みは根深いみたいじゃないか兄弟。二日酔いの男で良ければ相談に乗るぜ? まあ解答は決まってるけどな。古今東西男の悩みは女を抱いて酒を飲めば解消すると相場が決まってる。酒は飲んだな? 後は女だ」


「どれだけ女好きなのだ貴様は」


「だってほら、良いじゃねえか。親父は半分黒人クレオールなのに軍の英雄でナポレオンに嫌われて軍を追い出され、俺自身は貧乏な幼少時代を乗り越えて今をときめく大作家、しかも大の女好きで世間の連中はゴシップで俺を追い立てる! 女ってのは俺の人生を飾る大事な要素って訳さ。良い女であるほど、あるいは悪い女であるほど、俺の人生は盛り上がる」


「女が好きな訳じゃないと?」


 アレクサンドルはベッドから飛び起きてまるで舞台役者のように大仰な身振りを伴って叫びだす。


「人の一生は動き回る影法師、哀れな役者に過ぎぬ。自分の出番のときだけ舞台の上でふんぞり返ったり、わめいたり。だが、その声もやがて聞こえなくなる。人の一生とは、うつけ者が唱える物語。がやがやとすさまじいばかり、ついには何のとりとめもありはせぬ」


「シェイクスピアか? そういえば貴様は好きだったな」


「そう、シェイクスピア。お前の言う通り俺は女なんてどうでも良い。だがな……女に不自由しない人生ってのは飽きない。なにせこの人生って夢舞台で良い役をもらってるってことだからな。アレクサンドル・デュマは名優として英雄を演じ、派手に生きて派手に死ぬ。それだけだ」


「本当にそれだけか?」


「ハンス、誰もがお前程複雑にはできていないんだよ。俺はそれ以外何も無い。悲しい位空っぽの男さ。俺から生まれたものを見てみろ……分かるだろう?」


「…………」


 確かに誰もがアレクサンドル・デュマを空っぽな物書き、鋏と糊を使って原稿を作る男と呼ぶ。


 だが俺はそう思わない。


 何故なら……。


「仮にお前自身が空っぽだったとしても、お前の作品こどもは空白ではない。其処にはお前自身の情念が確かに刻まれている。だからお前が英雄とやらを演じ続ける中で生み出したものは、暗闇に在る誰かの心を灯す燐寸マッチの明かりとなるだろうさ」


 アレクサンドルはきょとんとした表情で俺を見つめる。


「ありがとよ……あー、まだ少し酒が残ってるみたいだ。もうちょいベッドを借りるぜ」


 奴はそう言って布団を被ってまたいびきをかきはじめた。


 照れ隠しのつもりなのだろう。


 素直じゃない奴だ。同じくらい素直じゃない俺にしか分かってやれないだろうに。


 眠りにつくアレクサンドルの横で、俺は先程の夢を元に原稿を書き始めた。


********************************************


 数日経っても夢は終わらなかった。


 海底都市ル・リエーの人魚王と新進気鋭の恋愛小説家。


 心の中では満たされぬものを抱えつつ、俺はこの二重生活をそこそこエンジョイしていた。


 小説のアイディアは次々溢れてくるし、夢の中ではすべてのものが俺に傅く。


 美しく親孝行な娘達が居るのもまた悪くない。俺が本当に求めているものではないにしろ、心の慰み程度にはなる。特にアリエル、あの愛らしい娘は穴の空いてしまった俺の心を癒やしてくれる。


 そうだ。


 心満たされぬ故に人は夢を求め、人が夢を求める故に本は売れる。


 だが本を書く俺の心を癒やしてくれる作品は一体何処に有るというのだろうか?


 俺を哀れんだ神の遣わした作品、それがきっとこの夢なのであろう。 


「お父様大変です! アリエルがいなくなりました!」


「なに?」


 玉座の間に入ってきたのは人魚達の長姉。


 普段は明るく笑っているのに今日だけは顔面蒼白だ。


 こいつは予想外だぞ。都合の良い夢じゃないのか。


「アリエルは数日前から人間の殿方に興味を持っていたのですが、その方に会いに行くと言って……」


「言って?」


「分かりません……魔女の家に行ったのを見たと言う者も居ます」


「お前たちにも見ておくようにと言ったじゃないか!」


「勿論、私達もそれは流石に止めました! だって私達を作ったお父様の命令ですもの! 止めましたのに……あの子ったら私達の目をかいくぐって……」


 一番上の姉はその場で泣き崩れてしまう。


 考えておくべきだった。


 年頃の娘ならば自分の恋愛事情くらい父親に隠すにきまっていると。


 そして同じく年頃の娘である姉達ならばそれに協力すると。


 ありがちな筋書きなのに、なんで我が娘だけは違うと思ったのだ! 俺も愚かな人の親気分に染まってしまったというのか? ああ忌々しい!


「……人手を使って探させろ。それとその魔女に――――」


 ぐらりと体が揺れる。


 頭が痛い。


 夢の中だというのにこの不快感はなんだ?

 

「その、魔女とやらに会いに行こうじゃないか」


 俺がそう言うと同時にまた意識を失った。

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