私の為の物語
目が覚めるといつもと変わらぬ朝だ。
今日はデュマとデンマーク市街のメインストリートに面したカフェで待ち合わせだ。
周りにはかしましい女共や金持ちらしき男共。パリと違っていかにも暇そうな
のんびりカフェも楽しめないパリと違って、この国のカフェは居心地が良い。
「よう兄弟」
浅黒い肌の男が俺達の両肩に手を置く。
驚いて振り返るとアレクサンドルだった。
「済まねえな。荷造りが慌ただしくてちょいと遅れちまった」
「ふん、悪いと思うなら茶の一杯でも奢ってくれ。何せ俺は貧乏だ」
「勿論! お前に茶を奢るなんてのは、実に良い俺の英雄譚の一ページになるだろうからな。後の世の人間は語る訳だ。ハンス・クリスチャン・アンデルセンは駆け出しの頃は金に困っていたが、彼の友人にして敬愛すべき先達であるアレクサンドル・デュマがこっそりと高級なカフェや酒場での豪遊を教えていたってな! 俺のような放蕩作家のちょっと良い話なんて読者はいかにも喜びそうじゃねえか!」
「ふふっ、お前はいつも楽しそうだな」
「そりゃお前ダチと話しててつまらないことなんて有るかっての! ああでも奢ってやった分は次のお前の発表作品パクらせてくれよな」
「好きにしろ。俺もお前の作品は無断で真似している」
「言っておくが
「ところでなんだそのオマージュとかいう言葉は……?」
それを聞くとアレクサンドルは浅黒い顔にまた悪そうな笑みを浮かべる。
「おっと失礼! この時代にはまだこの言葉は一般化してないんだったな!」
まただ。また訳の分からない事を言っている。
「時代? お前は一体何を言っているんだ?」
アレクサンドルはついにゲラゲラと笑い出した。
「そんなことより良いのかよハンス! ハンス・クリスチャン・アンデルセン! お前の可愛い
「――――ッ!?」
「なあ兄弟、俺はお前が会いたいって言うからこうして来てやったんだぜ? まあお前をル・リエーの街から呼び出しちまったとも言うが……」
「あ、アレクサンドル? あれは夢、夢じゃないのか!? お前は、お前は何を言っているんだ!?」
「
俺の夢をこいつが知っている理由。
ここまで細かく話せる理由。
夢とは何だ? 現実とは何だ? 分からん、俺には理解できん……。
「な、なんだそれは……俺の夢を知っているのは百歩譲って良いとして、お前が魔女? そもそも男じゃないか!」
「あっ、別に俺がホモとかそういうんじゃねえからな? 俺を狙ってたなら諦めてくれよ、ハンス」
「馬鹿言うな!」
「そいつは残念。俺ほどの色男は居ないと思うんだが……まあ良い。魔女ってのはものの言い方だ。魔法を使うなら何でも魔女ってのがこの時代の言葉だろう。俺はそれに合わせただけさ。いやあ、あのアリエルちゃんってのは愛らしかったなあ。俺と遊んでくれるなら足でもなんでもくれてやるって言ったのに王子様一筋でさあ。こんなイケメンもお前みたいな優しいパパも放っといてあんなとっぽい兄ちゃんにゾッコンだなんて許せないね、本当に」
「貴様、それはどういうことだ!」
「悪い悪い! お前の娘みたいなもんだったよな。俺も本気で言った訳じゃないんだ。まあ笑って許してくれや。俺とお前の仲、友情に免じてさ。なんなら今度女を紹介してやるからさ。エジプトからパリに来たとある高貴な家の娘で――――」
その後のアレクサンドルの放言は耳に入らなかった。
この男、間違いなく俺の友であるアレクサンドル・デュマだ。
俺のように女っ気の無い男でなければ常に妻子に手を出される不安と戦わなければ付き合えないクズっぷりは間違いない。
しかし、なぜこいつがル・リエーについて知っているのか。
あまつさえ魔女と名乗るのかが分からない。
これは夢なのか? それとも現実なのか?
「アレクサンドル……お前は、誰だ?」
「それはお前の知りたいことか? 知ったところで意味があるのか? 俺のような混沌の権化の名前を」
「…………」
いいや、もうどうでも良い。こいつはデュマ。それで良い。そんなことよりもアリエルだ。彼女が無事であれば俺は良い。あの娘は俺の作品と変わらない。いいや、俺の作品と言っても良い。
俺の夢の中の存在なのだから、俺の作品――――俺の!
「アレクサンドル! アリエルを! 俺の娘を何処にやったんだ!」
「それで良い。王子様のところだ。口も利けないのに慣れないメイド仕事頑張ってるみたいだぜ?」
「口を!?」
「試したのさ! 覚悟が有るかどうか! 声と引き換えに足をくれてやった! まあお前さんに良く似て
「アレクサンドル……お前!」
「まあ待てよ兄弟、流石にお前に悪いと思ったからよ。娘さんを救う方法をお前に教えておこうと思ってさ」
「聞かせろ! これ以上つまらんこと言うと貴様を絞め殺すぞ!」
「オーケー、ちょいと落ち着けって。まあこれが簡単なんだな」
アレクサンドルは懐から短剣を取り出すと机の上に転がす。
なんだこいつは?
「これなる剣は魔法の一刺し。ありとあらゆる契約と呪いを破棄する横紙破りの不思議な剣――――オーケー? まあ小説家なんて大半が魔術師だからな、説明しなくても分かると思うけど」
頭が痛い。
深海の光景、そして無数の魔法陣が脳内で浮かんでくる。
誰の記憶だ? これは俺の記憶、じゃない。俺じゃなくて、これは本来のル・リエーの……!
「女の子を泣かす悪い色男はぶっ刺されるのが
「――――寿命?」
「おっと、口が滑った。まあ、あの人魚姫が王子様をこいつで刺し殺せば万事オッケーよ。さてな、どうする王様?」
「…………」
俺は今、狂気の中に居るのかもしれない。狂った夢の中に居るのかもしれない。
だが狂気に陥っているのだとして、俺にできるのは俺の
俺にできることはもう一つしか無いのだ。
「これが夢だと思うなら叫んでみろ、飛び起きてみろ、それで全部お終いだ。何もかもを忘れた後、何も変わらない毎日が始まるぜ?」
アリエル、
今は他ならぬ君のためにこそ俺は狂ってみせよう。
「馬鹿を言え、俺は作家だぞ? 貴様と違ってオリジナルな話も書く創作者だ! それがこんな面白いネタに首を突っ込まんでどうする!」
「てめえ!? 誰がパクリしかできない野郎だって!!」
「其処まで言ってないわ馬鹿め!」
アリエル、この世界において君を真実の意味で愛するのは俺だけだ。
それを今から証明してやろうじゃないか。
「何やら面白い趣向を用意してくれたことに感謝するぞ、
その言葉を聞くと、浅黒い肌の我が友は、三日月のように口の両端を吊り上げた。
どうやら機嫌が直ったらしい。
それと同時に俺の意識は薄れていく。
何処に消えるかはわかっている。
あの蒼海の深奥、人の身にて届かぬ狂気の彼方。
さあ、燃え尽きるような
さあ、俺の為の物語を紡ごう。
********************************************
海底の城へ戻った俺は走りだした。
水底を抜け出し、緋色の短剣を花束のように胸に抱きしめながら走り続けた。
目指す先はアリエルの居る城の中だ。
人魚だった筈の下半身は醜く八つ裂きになって蛸のような触手と化し、小さかった筈の身体は今や城より大きなものとなっていた。
街が、城が、人が、あまりにも小さい。
美しく小さな人間の街、今まさに婚礼の鐘が鳴り響く中を怪物と化した俺は闊歩し――――そして辿り着く。
「良き女も、良き男も、俺にはなれぬのだろう。醜く肥え太った自我の怪物の俺を、愛し添い遂げるものなど居ないのだろう」
王城の前で怪物に立ちふさがる見目麗しき青年。
彼が王子なのだろう。いいや間違いなく王子だ。何故ならこれは俺の世界なのだから。わが愛がねじ曲げた一つの現実なのだから。
「やめろ! ここは私の国! 私の街だ!」
「馬鹿を言え、これは俺の
俺が睨みつけると同時に青年は気を失う。
俺は彼をつまみ上げると街の隅にある打ち捨てられた古い教会へと向かう。
アリエルはすっかり惨めな姿で其処で神に祈りを捧げていた。
神など……居ないというのに。
俺は男と短剣を差し出し、アレクサンドルに言われたとおりにこの王子を殺せと命を下す。
アリエルも俺の被造物に過ぎない筈だ。ならば俺の思う通りに――――
「…………」
――――ならない。
アリエルは確かに俺の眼を見て首を左右に振った。
俺の意志に反して。
「そうか、そんなにその男が好きか」
アリエルはその言葉に強く頷く。
作品に裏切られるとはまた滑稽な作家も居たものだ。
だが不思議だ。何故俺の言うことを聞けない?
作品を無視して一人走りだす作品など、もはや作品ではない。
それは一つの人格だ。
「……ふっ、はは」
作品でなく人格だというならばこの思いは間違いなく愛だ。
作品でなく人格の娘を愛するなどそれは背徳者の感情に違いない。
俺の恋は現実に敗れ、俺の
成る程、三竦みという奴か。こいつは滑稽だ。滑稽すぎて笑うことしか出来ない。
「はは、ははははは!」
まあ良い。どうでも良い。もうどうでも良いんだ。
夢の中でさえ恋に敗れる男なんだ。
ハンス、お前はそういう男なんだ。
だからどうした。だとしても目の前に居るこの娘の美しさに比べればそんなのどうでも良いことじゃないか!
「あははははははははははははは!!」
我が娘よ、その有様は美しい。例え死すともお前はその愚かさと美しさを貫くが良い。それは俺についぞ与えられぬであろうものなのだから。
全てを諦めた俺はまた水底へと足を向ける。
もう良い。疲れた。
あの静かで穏やかな深海の宮殿で、また一人静かに人魚姫達の夢を見よう。
俺の意識はゆっくりと水底の中へと沈んでいく。
夢の中で俺が最後に見たのは、俺を捨てて次々光り差す水面へ向かう人魚達の姿だった。
ああ、無数の人魚姫達よ。お前達の思いが報われることなど無いだろう。お前達の思いに報いることができる程、人間は賢くも無ければ優しくも無い。
お前達の愚かさとこれから辿る悲劇の運命を思えば、滑稽で笑いが止まらない。だがそれでも……その有様は俺にとっては永久に届かぬ輝ける姿でもある。
もしも愛が本当に現実を歪めるのならば、俺はお前達の姿を世界に遺してみせよう。それはきっと俺にしかできないことだから。
俺は書こう。
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