エアコンはいらない

道草屋

エアコンはいらない

陶器のような肌に汗が滑る。

それだけで彼女は一層艶っぽく見え、真夏の太陽なんかよりよっぽど輝いて見えた。

エアコンが壊れた部屋は灼熱地獄だった。正確にはリモコンが機能しなくなったのが原因であるが、使えないことに変わりはない。

窓を全開にしてサーキュレーターの回転数は最大にしてあるのだが、モーター音の割にはやる気が空回りしているらしく、生ぬるい空気を掻きまわすだけで役に立たない。ないよりはマシだと惰性でつけているようなものであった。

だから彼女が「暑いから」と言ってブラウスを脱いだ時も咎めはしなかった。

見ているだけで暑いから祐樹も脱いでと言われたときも素直に従った。どうせ家には二人しかいない。脱ぎ散らかした服はベッドの上でくしゃくしゃになっている。

庭の木がさざめき、涼しさのかけらもない風がレースのカーテンを揺らす。振り返る彼女のうなじがぬらりと光る。

それを、ノートから顔を上げることなく、目だけを動かして、まつ毛の隙間から、そっと盗み見る。

背徳感と罪悪感とぞくぞくとした欲望が喉元までせり上がり、口の端が吊り上がる。あやうく不思議の国の猫のような笑みになる寸前で自制が働き、彼女に見られることはなく、何事もなかったかのように問題集とにらめっこを再開する。

だが、ナメクジが這ったような汗の痕を、無意識のうちに確かめてしまう。

首筋に出来た透明の道の先はなぞりたくなるような鎖骨のくぼみ。キャミソールの肩紐がずれ、下着の紐の白いレースが肌に張り付いているのが分かり、慌てて視線を落とすと、今度は胸元の陰りに溜まった水滴と変色した布から目が離せなくなる。

これでは勉強どころではない。というより、こんなに暑い部屋で勉強するのがおかしいのだ。リビングに下りれば快適な空間が待っているというのに。

それを言わないのは、彼女が再びブラウスを着てしまうのを残念に思っているからだ。いや違う、阻止したいからに他ならない。

シャープペンシルを握る手が汗ばんでいる。逃げるプラスチックの棒を力任せに握っていたため、さすがに疲れてきた。

雑念を振り払うべく親指の付け根を痛いくらいにぐりぐり揉むと、ふいに彼女の手が重ねられた。びくりとして顔を上げる。

「手、疲れた?」

「あ、うん、疲れたよ。暑くて手が滑るから」

「そっか、私も」

言いながら、揉む手が自分の左手から彼女の右手に代わる。

「いいよ、そんなことしなくて」

「私がしたいの」

「べたべたしてるし」

「私だってそう」

嫌だった? 上目遣いに問われ、慌てて首を振った。

汗と黒鉛の混ざったものが、彼女の指によって広げられる。ハンドクリームを塗りこめるような手つきがくすぐったい。

だから首を竦めて笑っているのだと、彼女は思ってくれているだろうか。

よもや自分の考えなど覗かれていやしないかと、ありえないとは思いつつ、逃げるように目を伏せる。視線だけはゆるゆると好き勝手に動く白魚の指に囚われていたが。

楽しくなってきたのか、彼女は口の端の汗を舐めとり、にっと笑った。ぶわりと毛穴が開くのが分かった。

お互いの手は一層汗で滑り、黒鉛の色が薄まっていく。

嗚呼それが、二人分の体液が混ざり合いお互いの肌に吸収され蓄積されているようだと、陶器のお人形のように滑らかで美しい彼女の肌の内側に入り込みじわじわと細胞を侵していくのを想像している自分がいる。

浅ましい、浅ましい、なんて浅ましい。

踊り出さんばかりに嬉々としている自分がいる。

おぞましい、おぞましい、なんておぞましい。

彼女を犯してしまいたいと望んでいる自分がいる。

せめてもの罪滅ぼしにと、彼女の空いた手を取りマッサージする。

「やってもらってばかりじゃ悪いから」

だがこれも、体の良い言い訳を盾にして、都合のいいように使っているに過ぎないのかもしれないとも思う。

彼女の手は自分に負けず劣らず熱かった。痛くないように、優しく、愛しみを込めて指先に力を込める。爪を立てたい衝動を抑える程度の理性はまだあった。

「ありがとう」

額に張り付いた髪の、なんと色っぽいことか。

蒸気した頬は暑さのせいだと苦笑して、ずっと気になっていたキャミソールの肩紐の位置を直してやる。

「ずれてたよ」

「あ、ほんと?」

「いくら女同士でも、気を付けないと」

「ごめんごめん、祐樹の前だとくつろげるもんだからついね。他の子の前じゃ気を付けてるって」

「ほんとかなぁ」

「ほんとだよ」

「そっかぁ」

無邪気で、無垢で、無害な笑みの仮面をつける。

その下で祐樹は、優越感と多幸感に浸る。

あと数時間で暑さも和らぐ。親が帰ってくればリビングに移動させられるのは明白。

今度は寒さを理由に肌を寄せ合えやしないかと、ありもしない想像を膨らませるにはちょうどいいくらいに、頭の中が沸いていた。





















嗚呼、私がショートパンツのポケットに、小さな電池を隠していること、あなたはいつ気づくのでしょうか。

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エアコンはいらない 道草屋 @michikusa

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