第5話 白河まひるについて
「スケベにんげん!」
同級生の男子に、こう罵られたのをよく覚えている。
うるさい、欲しくてこんなチカラを持ってるわけじゃない。
何度も思ったものだった。
「モノを透かしてなにを見るんですかー!」
「好きな男子の裸でも見るんじゃねえの!」
稚拙極まりないからかい。
気にすることはないと分かっていても、それでも、自分のチカラをからかわれるのが恥ずかしくてしょうがなかった。
その日も同じように、数人の男子にからかわれていた。
何度も聞いたような罵り文句で、同じような抑揚、同じような音量。
よくも毎日飽きもせずからかい続けるものだと、少し冷めた目でその男子を見つめる自分と、恥ずかしさで逃げ出しそうになる自分が同時に存在していた。
「ほら何とか言ってみろよ!」
「いつも何にそのチカラ使ってんだよ」
「おいあんまりからかうと裸見られるぞ!」
ぎゃははと笑う男子を見て、目頭が熱くなっていくのを感じる。
何が面白い。お前の裸なんぞ誰が見てやるものか、と怒りがこみ上げ、その後すぐに、こんな奴らにからかわれているという事実に、悲しくなる。
なんとか反論してやろうと、口を開く。
「そんなことに使わないもん」
しかし、こういう手合いは反論があると余計に面白がるもので、罵倒の勢いは余計に強くなった。
「じゃあどんなことに使うんだよ!」
「スケベなこと以外になんの役にも立たないじゃんそんなチカラ!」
スケベスケベと、連呼する方は小気味よいのかもしれないが、言われる方は不快でしかなかった。
チカラなんていらない。
ずっとそう思っていた。
どうしてこんなチカラがあるのだろう。
みんなと仲良く過ごす、それだけが小学生の自分にとっては至上命題のようなものだった。
しかし、こんなチカラのせいで、それは上手くいかなかった。
男子は自分をからかい、からかわれている自分と、女子は仲良くしてくれない。
チカラなんてほとんど使ったことはない。
悔しいことに、彼らの言う通り、こんなチカラにほとんど使い道はなかった。
せいぜいランドセルの下のほうに入ってしまった家の鍵を探すときに役に立つ、といった程度だった。
「家の鍵……探したりするときに」
自信の持てない使い道を口にして、どんどんと語尾下がりになる。
「使えねー!!」
「そんなんチカラがなくたってできるじゃん!」
言わなければよかった、と後悔する。
どちらにせよ馬鹿にされるのだ。黙って耐えたほうがいくらかプライドは維持できたかもしれない。
教室の端で、2人の男子に囲まれるようにして、ひたすら彼らが飽きるのを待ち続けていたとき……彼は現れた。
「ねえ、ちょっとその子に用あるんだけど」
2人の男子に後ろから声をかけたのは、クラスメイトの露崎結弦だった。
「は? こいつに?」
「うん、だからどいてくれない」
結弦は2人の目を交互にじっと見て、にこりと笑った。
「どいてって言ってるんだけど」
「あ、うん……」
2人はすっかり勢いを削がれたようで、すごすごと退散していく。
それを見届けて、結弦はこちらに視線を戻した。
「あのさ、僕、家の鍵をなくしちゃって」
「え? 家の鍵……?」
「うん、多分教室の中にあると思うんだけど、どうしても見つからないんだ。一緒に探してくれない?」
自分の目がまんまるに見開くのが分かった。
「な、なんでわたしなの」
思わず訊いてしまう。
結弦は基本的に誰とでも仲が良く、友達に困るような人物ではなかったはずだ。
わざわざ自分を指名する理由が分からなかった。
しかし、その質問に対して、結弦はぽかんとしたような表情を見せる。
「え、なんでって……」
結弦は、困ったように頭をぽりぽりと掻いて、言った。
「君のチカラが、必要だから?」
そんなことを言われたのは、生まれて初めてだった。
結局、結弦の家の鍵は、彼の机の中からあっさり見つかった。
私はチカラを使うことなくその鍵を発見したわけだが、彼は嬉しそうににこにこと笑って、
「助かったよ。やっぱり君のチカラすごいね。自分で探しても全然見つからなかったのに」
すぐに、それは嘘だと分かった。
彼の机の中はとても整理されていて、覗けばすぐに見つかるようなところに、鍵は入っていた。
明らかに、自分のためにしてくれたことだと、あまり考えの回らない自分にも分かった。
それはとてもうれしいことでもあったし、それと同時に、とても怖いことだと感じた。
自分はいじめられているから。
「あんまり、わたしに話しかけない方がいいよ」
自分が他人と仲良くすることは、半ば諦めていた。
しかし、他人を自分と同じところに引き摺り下ろして満足するような、次元の低い人間になりたいとも思っていなかった。
自分と話すことで、この優しい少年までもがからかわれることは、我慢ならなかったのだ。
「わたしといると、からかわれるから」
そう言って、結弦の目を睨むように見る。
彼は一瞬ぽかんとして、そして、笑った。
「気にすることないよ。だって君って可愛いもん」
口が開いた。
閉じそうにもなかった。
「へ?」
そんなことを言われたことは今まで一度もない。
そして、そんなことをさらりと言ってのける男子も一度も見たことがなかった。
「君のことからかってるやつは、きっと君のこと好きなんだよ」
結弦のその言葉で、その後の生活が、見える世界ががらりと変わっていった。
私は、白河まひるは、この日のことを忘れることはない。
確信を持って、そう言える。
「ったく……なんなの。ほんとに、なに、急に!」
1限が終わり、2限との間の休み時間。
まひるは一人で悶々としていた。
結弦の下駄箱に入っていた手紙が気になってしょうがない。
彼が魅力的な男子であるということはもちろん知っていた。まひるが一番、知っていた。しかし、今まで彼に好意を抱いている女子生徒がいるというような話はまったく聞いたことがなかったし、正直に言って、入学2か月程度で告白まで持ち込もうとするような女子がいるなどと思いもよらなかった。
そもそも、あの手紙がラブレターであるかどうかすら定かではないが、まひるの頭の中では完全にラブレターであるという結論で思考が展開してしまっていた。
「もう、誰、ほんとに、勘弁してよ」
小声でつぶやき、爪を噛む。
結弦が他の女と交際関係になることなど、想像したくもない。
かといってまひるが、自分と結弦が交際しているところを想像できるかといえばそれも難しいものがあったが、自分の中に明確な彼への好意がある以上、やはり他人に譲るつもりはなかった。
毎日同じ時間に大交差点に着くようにし、毎日同じ場所で彼を発見し、毎日一緒に登校する。
クラスが別という弊害を除いては、ぬかりなくやってきたつもりだった。
しかし、肝心なところで出遅れた。
ごちゃごちゃと考えているうちに、自分が右足で貧乏ゆすりをしていたことに気付き、まひるは溜息をつく。
「はー……なんだかなぁ」
彼女のつぶやきをかき消すように、始業のチャイムが鳴り、担当の教官が教室に入ってくる。
まひるは憂鬱な気持ちで起立し、号令係の合図と共に、気だるげに礼をした。
「で、あるからして」
数式をチョークでコンコンと叩く教官の素振りを、ぼんやりと眺める。
正直、まったく頭に入ってこなかった。
ひたすらに黒板の文字を板書し、例題は解かずに教官が答えを書くまで待った。
まひるの頭の中は結弦のことでいっぱいであった。
早く授業が終わらないだろうか。
どうせならば、放課後、食堂に行ってみようか。
誰が彼に手紙を寄越したのか、それも気になってしようがない。
そんな思考をぐるぐると頭の中で反芻させているとき。
「いてぇ!」
隣の席の男子が、唐突に声を上げた。
一斉にクラスメイトが振り向き、彼に注目が集まる。
「どうしましたか?」
教官が彼に尋ねると、彼は自分の頭上をきょろきょろと見やって、首をかしげた。
「今、だれかが俺の頭を何かで殴ったような感じがして」
「殴った?」
彼の言葉を聞いて、教官がその後ろの席の生徒に目をやると、後ろの席の彼はぶんぶんと首を横に振る。「やってないっすよ!」
「……気のせいでは?」
「いや気のせいとかいうレベルじゃなかったですって! 思いっきり! バコッて振動が!」
教官が首をかしげる。
皆も彼の言っている意味が分からずにざわつき始める。
まひるは、変なこともあるものだと思いながらも、やはり頭の中の結弦という最優先事項を排除できずに、また自分の思考の中に戻ろうとした。
その時、
「あ痛っ!!」
まひるの肩に、何かが上から降ってきたような振動が与えられた。
「な、なに!」
まひるが慌てて周りを見るが、何かが落ちてきたような様子はない。
「白河さん? どうしました?」
「いま、何か肩に、降ってきて……」
「なにも見えませんでしたが?」
教官とまひるが言葉を交わしている間に、異変が起こった。
「うっ!」
「いたっ!」
「なになに!」
「なんか机がバンッ! って言った!」
教室内にざわめきが起こる。
何やら、多くの学生に同様の衝撃が与えられているようだった。
「静かに! 静かに!」
教官が黒板をバンバンと叩いて、場をなだめる。
「未だに衝撃を受けている生徒はいますか? いたら挙手を」
教官の質問に対して、手を挙げる者はいなかった。
「おさまったようですね」
教官はつぶやき、首をかしげた。
「何かのチカラ……? しかし教室全体に影響を及ぼすようなチカラはありえない……」
小さく言って、少しの間が空く。
「……とりあえず、このまま授業を続行します。また何かあればすぐに報告するように。このことは教官会議にかけておきますから、決して騒ぎ立てることのないようにしてください」
教官は静かにそれだけ言うと、再び黒板に向き直り、数式を書き始めた。
なんだったんだろう、と小声で生徒がおしゃべりするのを横目に、まひるは妙な胸騒ぎのようなものを感じたのだった。
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