チュートリアル
第1話 「善き世界」について
『“善き世界”のために、みなさんでチカラを合わせましょう』
頭上遥か高くをゆっくりと浮遊する飛空艇が大音量で、不気味なまでに聞き取りやすい女性の声を地上に降らせている。
視覚的にも聴覚的にも雑然とする人混みの中でも、飛空艇からのその音声ははっきりと聞こえてくる。
もっとも、あまりにも聞き慣れた音声であるが故に、意識してそれを聞いている人間などほとんどいないだろうが。
街のどこを歩いていても嫌味なまでに響いてくるこの声が、この台詞が、頭にきてしょうがなかった。
それゆえに、この音声が聴こえてくるたび、結弦は過剰に反応してしまうし、いかにそれを隠そうとも微妙に態度に現れてしまう。
『みなさんの“チカラ”は、世界をより“善く”するためにのみ、活用されます』
大交差点での信号待ち。
歩行者信号が赤から青に変わるまでの時間が、結弦には妙に長く感じた。
『決して“チカラ”悪用せず、正しい社会生活を心がけましょう』
「ちっ」
本人も気づかないうちに、小さな舌打ちが漏れ、脚を小刻みに揺すってしまう。
「こら、お行儀悪いぞー」
唐突に脇を小突かれ、結弦は自分が貧乏ゆすりをしていたことに気付く。
そして、隣に
「なんだ、まひるか」
「おはよ」
まひるは軽く挨拶をして、小さな欠伸をした。
「相変わらず眠そうだな」
「逆になんで朝なのに眠くないの?」
結弦の軽口も適当に受け流したまひるは、眩しそうに掌を額に当てながら空を見上げた。
「ちょーいい天気じゃん」
「そうだな」
「イヤミな飛空艇もよーく見えるねぇ」
「……そうだな」
ミディアムショートの髪をゆらゆらと揺らしながら空を見上げるまひるを横目に、結弦は小さくため息をつく。
『“善き世界”のために、みなさんでチカラを合わせましょう』
相変わらず、飛空艇は無感情に、音声を街に降らせていた。
ある日、突然だった。
突然、人間に不思議な“チカラ”が発現した。
不思議な“チカラ”にはいろいろな形があり、本当に些細なものから、危険なものまで、いろいろな“チカラ”が、さまざまな人に発現した。
たとえば、「1秒間、物体を空中に浮かせることができるチカラ」というもの。これは、先述の「些細なもの」に含まれるだろう。
また、「触れたものを爆発させるチカラ」というもの。これは、「危険なもの」に含まれる。
こんな“チカラ”が突然多くの人間に一斉に発現したものだから、当然、世界は大混乱に陥った。
“チカラ”の扱いを誤り他人を傷つけたり、故意に自らの“チカラ”を悪事に使ったりと、世の中の治安はどんどんと悪くなったという。
そんな状況がようやく改善されたのが、結弦たちの生まれる少し前だった。
“チカラ”を自治へと使おうとする団体の勢力が拡大し、ついに“チカラ”を身勝手に行使することのできない世の中を作り上げたのだ。
現在では、この世に生まれた瞬間に、人間はそのうちに秘めた“チカラ”の種別やその強さを計測され、『ランク』がつけられる。
そのランクに沿った階級で育ち、“チカラ”を活用できる職業に就くために生きる。そういった『合理的なシステムに基づいた世界』、それが今の世の中だ。
世の中を治める立場の人間は、この世界のことをこう呼称する。
『善き世界』、と。
「朝から機嫌悪そうなのもさぁ、あれが原因でしょ」
まひるが気だるげに飛空艇を指さす。
「機嫌悪いってほどでもないだろ」
「悪かったじゃん。貧乏ゆすりしてたじゃん」
ばつが悪そうに答える結弦に、まひるはけたけたと笑って返した。
「善き世界、って何回聞いてもイヤ~な言い方だよねぇ。そりゃ、安全安心なのも大事だけどさ……っとと」
話している途中で、横断歩道の信号が点滅し始めたのを見て、二人は速足で歩道まで渡り切ってしまう。
「安全安心で嬉しいのってオトナじゃん? ウチらは多少スリリングでも、もうちょっと楽しくいきたいって思っちゃうんだよね~」
とう! とふざけたように、横断歩道からジャンプして歩道に着地したまひるは、おどけて笑いながら言葉を続ける。
「ほら、ウチら、まだ高校生なわけだしさ! 楽しいことしたいじゃん」
学校指定制服のスカートをふりふりと振って、まひるはいたずらっぽく微笑んだ。
「あんまスカートの裾上げると、また怒られるぞ」
「まーたそういうこと言う! 長いの可愛くないもん」
軽口を叩き合って、再び二人は歩き始める。
目的地は、二人の通う高校、『
現在、世界には30校の高校が存在する。
高校というものは、「人生の中で最も重要」とされるほど、重要視される期間だ。
その理由は語るまでもないが、“チカラ”の育成に大きく関わる事柄だからである。
いわゆる高校生とよばれる、15歳~18歳の期間がもっとも“チカラ”の強さや質を高めるのにもっとも大きく影響する期間と言われており、世界がそれを軽視するはずがない。
生まれながらにして決められたランクによって1~30までに分けられた高校に入学し、そこで学問を勉強しつつ、個々の“チカラ”の育成に努める。
それが、この世界での「高校生」のありかただった。
そして、結弦の通う高校は、上から数えて22番目のランクの“チカラ”を持った人間が集められる高校、ということになる。
「そりゃあさ、すんごいチカラを持ってて、バリバリみんなの役に立てる人なら、こういう世の中も生きやすいかもしれないけど」
まひるは、いつのまにか取り出した握り飯を頬張りながら、愚痴をこぼし続ける。
「ウチのチカラなんてさぁ、『物を透かして見られる』ってだけだよ? こんなチカラでなにしろっての」
「気になる男子の部屋でも覗いたらいいんじゃねーの」
「バカ、えっち」
脚を軽く蹴られて、結弦はけらけらと笑いながらまひるから距離をとった。
「まあ俺のチカラも大したことないから他人のことは言えないな」
「何さ、いまさら。同じ高校いる時点でそんなの当たり前でしょ」
握り飯をたいらげたまひるは、結弦の背中をばし、と叩いて言う。
「結弦とウチはおんなじ人生ルートに乗っかってるわけ。足掻いたってムダムダ」
「別に足掻いてないっつの」
そう答えつつ、結弦は心の中で自嘲的に笑った。
足掻こうにも、足掻ける仕組みがこの世の中にはない。
若者にとって、“善き世界”は息苦しさを感じずにはいられないものだった。
そして、その息苦しさが、『彼女』をこの世界から逃亡させたのだ。
ふと過った過去の記憶に、結弦は頭を振り、ため息をつく。
「朝から変なこと考えるもんじゃないな……」
「何、変なことって」
独り言を耳ざとく聞き取ったまひるの追及を無言で受け流して、結弦は気だるそうに言った。
「今日も、何事もなく一日終わるんだろうな」
その言葉には、退屈、落胆、といったような負の感情が少しだけ溶け出していた。
「そうかな。ウチは、なんか面白いことあったらいいなぁって思うけどね」
対してまひるは口元を綻ばせながら、そんなことを言った。
その横顔を見て、結弦も小さく息を吐いて、
「そうだな。何か面白いこと……起こると良いな」
まひるに同意を示す。
この日、彼らの退屈な学生生活を一変させるような珍事件が起こることを、彼らはまだ知らない。
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