第74話 狂犬の一つの誓い(1)~ナジマ・ムタリカ教授

ディノは『命の恩人』を近くの茶屋で待たせているらしい。


「一体どのような方なのです?」


「ああ……まあそりゃ、見れば分かるって。これから先、あンな凄い人には二度と会うことねえだろうからさ」


思わせぶりな言い回しだが、リサをからかうような様子ではなかった。

むしろ、その人物をどこか誇りに思っているような節すらある。

余程の人物なのだろう。


(ですが、そのような方がアーシュラ様に……)


ただ単に紹介されるだけならば問題ないが、『宵闇の女王』と関わる件となれば話は大きく変わってくる。

リサは呼吸を整えて覚悟を決めた。

何があろうと動揺せず、平常心を保とうと。


だが――。


「あっ、ディノ君! こっちよ~、こっち、こっち! あらまぁ、嫌だわ、聞いていたよりずっとずっと可愛い方じゃないのぉ~」


こちらに駆け寄り、早口かつ大声でまくし立てる中年女性にリサは絶句してしまった。

道行く人が一体何事かと足を止め、彼女とリサたちに視線を向けている。


「あらぁ~、貴女がリサさんねぇ~。お話はディノ君から色々と聞いてるわぁ~。東方の草壁島のご出身なのねぇ~。私も一度、発掘調査で行ったことがあるのぉ~。自然が豊かでのどかで良いところよねぇ~」


「は、はあ……どうも」


怒涛の勢いで迫られてしまい、我ながら間の抜けた応対しかできなかった。

年の頃は四十代半ばといったところだろうか。

小柄で、全体的にふっくらとした女性だ。

浅黒い肌の南方人で、縮れた長い黒髪を頭の後ろで結い上げている。

南方人特有の訛りがなく、言葉遣いもいかにも上流階級といったところだ。


だが、彼女の装いは『清楚な貴婦人』と形容するにはあまりにも派手過ぎた。

赤と黄色をふんだんに散りばめた花柄のロングドレスが目にまぶしい。

手にしている日傘もやはり派手で、薄い紫をベースに鮮やかな青の水玉模様だ。

黒い大きな目が、好奇の色でキラキラと輝いている。

只者ではないことは疑いようもなかった。


「……失礼しました。初めまして、リサ・タケガミと申します」


慌てて挨拶すると、


「あらやだ! 私ったら自己紹介もしないで興奮して一人で喋ってしまって! いっつもそうなのよ~、困ったものね。私はナジマ・ムタリカよ。宜しくお願いしますね」


「ナジマ・ムタリカ様、ですね……こちらこそよろしくお願い申し上げます……」


南方系の知り合いは数多いが、ムタリカという姓の人物と会うのは初めてだった。

だが、


(以前、どこかで耳にしたことがあるような……)


まだ帝都に渡る以前、いや、それどころではない古い記憶のように思えた。


「おいらは『教授』って呼ンでる。ええっと……ああ~、なンていうかな、すっげぇ偉い人」


「やだわぁ、ディノ君ったら。全然偉くなんかないわよ~」


教授――聞き慣れぬ言葉に、そしてディノの口から出るにはあまりに似つかわしくない言葉にリサは戸惑った。

喧嘩が三度の飯より好きな、傭兵仲間一の暴れ者と『教授』。

一体どういう組み合わせなのか。


(ディノがこの御婦人の『命の恩人』というのなら分からなくもありませんが)


それが逆の立場となると、まるで想像がつかない。

グウェンと同じく医師ということなのだろうか。

それにしても気になるのはムタリカという姓だ。

遠い昔、どこかで絶対に耳にしている。


少しして、リサがか細い記憶の糸を手繰り寄せて辿り着いたのは、


(……えっ? まさか……)


草壁島の中心部にある、島でただ一つの学校の教室だった。


「失礼ですが……もしかして『オコト・ムタリカ』様の御縁者の方でしょうか?」


恐る恐る尋ねるリサのこめかみを、一筋の汗が伝い落ちた。

ナジマが大きな目をより一層見開くと、


「あらっ! ご存じなのね~。ええ、私の先祖にあたりますわ」


(やっぱり! こ、これは確かに『二度と出会えない』ような方ですね……)


ニコニコと笑う彼女をまじまじと見つめてしまった。

オコト・ムタリカの名を初めて聞いたのは、学校の歴史の授業の時間だった。


長きに渡り戦乱が続いた大陸中央部を、帝国が武力によって統一した頃――。

大陸南部は、南方人の豪族による『十三氏族連合』によって収められていた。

今から遡ること五百年以上前の時代だ。

中央部を制した帝国は、南方へ支配の手を伸ばさんとしていた。

圧倒的な兵力と資源を背景に、手始めとして『十三氏族連合』に服従を求める使者を遣わしたのだが――。


十三氏族連合は急遽軍議を開くと、


「南方は我らが父祖代々受け継いできた土地。中央人などに渡してなるものか!」


「金髪のなよなよした中央人どもなど、恐れるに足らず!」


という強硬論でほぼ一致した。

中央部の戦乱に巻き込まれることなく独自の支配を続けてきた彼らにとって、帝国に臣従することなどもっての外のことだったのだ。

だが、その中でただ一人、


「帝国を侮るべからず。兵数は言うに及ばず、練度も武装も我らを遥かに凌駕し、それらを統べる将も戦乱を勝ち抜いた猛者ばかり。加えて、智略に長けた参謀も数多く擁している。しかも統一後は豊作が続き、長征を支える兵糧にも事欠かぬ。万に一つも我らに勝ち目はない。民草を護るためにも、矛を収めて恥辱に耐えるべし」


降伏を主張したのがクイヨ族の長、オコト・ムタリカであった。

族長の三男として生まれた彼は、若い頃から大陸全土を旅し、時には傭兵として戦いに参加して帝国の力を目の当たりにしてきた。

それ故の降伏論であったが、他の十二氏族は彼を『腰抜け』『中央かぶれの軟弱者』と罵り、帝国に宣戦布告した。


その結果――。


帝国の怒涛の如き進撃を受け、南方連合軍は一敗地に塗れることとなった。

氏族の長たちは帝国の武力に恐怖し、次々に降伏を申し出た。

だが、その中で最後まで帝国の精兵相手に抗し続けたのがオコトだった。

強固な城砦に立てこもり、寡兵ながらも傭兵仕込みの攪乱戦術で帝国軍を大いに苦しめたと言われている。


だが、勇戦も虚しく遂に敗れ、囚われの身となったオコトは皇帝の前に引き据えられた。

その時の皇帝との問答が後世に語り伝えられている。


「オコト、貴様は当初我らに臣従するが良策と主張したらしいな?」


「彼我の国力の差を鑑みれば当然のこと。勝てる道理が無いのであれば、戦火を避けるのが統治者の果たすべき責務である」


「ならば、なにゆえにそなたは最後まで降伏を拒んだのだ?」


「我らは緒戦で致命的な敗北を喫した。だが、あのまま為す術もなく降伏をしてしまっては、帝国の支配下において我ら南方の民は侮られ、搾取され続けるだろう。同胞の今の命を想えば降伏もやむなし、しかし我は未来の同胞のために戦ったのだ」


いささかも怯むことのないオコトの姿に皇帝は感銘を受け、


「そなたこそ誠の勇士であり賢者であるな。長子に家督を譲り、余の傍に仕えよ」


伯爵の地位を与え、その後も南方の支配においては彼の言を取り入れたという。

ムタリカ家はその後、五百年の長きに渡って南方人唯一の『貴族』として政事・軍事に関わってきている。

本来ならば、一介の傭兵が気軽に話をできるような人物ではなかった。


(続く)

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レディ・マーセナリー  加持響也 @kaji_kyoya

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