セルフィッシュ

ヤマ ネズミ

セルフィッシュ

 データ到着を告げる電子音が頭に響く。神田ハジメは眠い眼をこすりつつ、時計を見る。時刻は午前5時34分。部長から、至急連絡をくれ、との内容だった。何事かと折り返すが、内容が内容だけに会って話す、とのことだった。ハジメは素早く着替えをすませると、会社へと車を飛ばした。ハイウェイにはほどほどの車。日の出前の薄明かりの中、緩やかなカーブを描き、点状の光が続く。何かに似ている気がした。


 ハジメは人間ネットワーク(じんかんネットワーク)の保守・管理を行う会社に勤めている。情報伝達の手段は伝書鳩、電話、インターネットと進化し続けた。そして、現在主流となっているのが人間ネットワークである。人間ネットワークとは、文字通り、人と人との間にネットワークを構築するものだ。脳内に埋め込んだ超小型端末が、読み取った脳内イメージを送信可能なデータに変換し、送信する。受信側の端末は、そのデータを解析し脳内イメージを再構築し、イメージとして情報を伝える。テクノロジーの進歩が可能にしたテレパシーである。

 現在では一部の発展途上国に住む人々を除き、ほぼ全ての人が人間ネットワークを利用している。文章としてではなくイメージをダイレクトに送ることが可能であるため、情報伝達の速度は飛躍的にあがった。脳内イメージの交換であるため言語も関係ない。

 人間ネットワークは全ての人を無制限につなぐ訳ではない。人間ネットワークにはポートと呼ばれる窓口のようなものが設けられている。通常、ポートは、他者から不用意な介入を防ぐため、閉ざされている。人間ネットワークでやり取りする人同士では、このポートが開かれた状態となっている。ポートを開くには、互いが互いを認識した状態で、ポートを開くと考えれば良い。人間ネットワークの保守管理とは、長距離でのデータ送信に必要な通信設備と、個々のポートの開閉の異常を点検・補修することだ。個人情報を狙い、攻撃してくるハッカーも少なくはない。ハッカーによる攻撃のような人為的な異常でないにしても、人間ネットワークでの異常は、最悪の場合、利用者の脳にダメージを与える。


「部長、どうしたのですか。」

会社に着いたと知らせると、すぐに6階の会議室にくるようにと指示があった。会議室には部長と、見知らぬ長身の男が立っていた。

「神田君、急に呼び出してすまなかった。ただし、事体は急を要すものでね。」

部長はいつになく険しい表情をしている。

『こちらの方は?』

人間ネットワークを介し部長にたずねる。

『国防庁の小此木さんだ。』

予想外の回答だった。国防庁の役人が何のようだ、あまりの驚きに、そうした思いが顔にでてしまっていたようだ。小此木と言う男は苦笑いを浮かべた。

「国防庁の小此木です。御呼び立てして申し訳ありません。」

そう言いつつ、小此木は右手を差し出す。こちらこそすみません、ハジメは慌てて握手を受けた。人間ネットワークが普及して以降、握手をすることは、人間ネットワークのポート解放の合意と同義となった。

『時間がないのでこちらで話を進ませてもらいます。この通りです。』

小此木から送られてきた内容は、とんでもないものだった。あまりのイメージに理解が追いつかない。ハジメは目眩を感じた。

 小此木からのイメージをまとめるとこうだ。今、地球に直径2kmを超える小惑星が向かってきている。地球到達は1週間後。対策として原子爆弾により地球到達前に破壊することが考えられている。そのためには、どこをどれだけ爆破するのが効果的か調べる必要がある。しかし、現存するスーパーコンピューター全てを用いても、そのシミュレーションを正確に行うには時間がかかりすぎる。そこで、人間ネットワークだ。人間ネットワークにより人々の脳をつなぎ、情報の処理演算を行おうというのだ。

「君にはこの計画の際のポート管理の指揮を任せたい。」

部長からの言葉で現実に引き戻された。

「こんなことをして、人々の脳に問題は起きないのですか。通常ポートの解放を限定的にしているのは、脳にかかる負担を軽減するためだったはずです。」

「神田さんのおっしゃる通りです。この計画には大きなリスクが伴います。しかし、事体は一刻の猶予もない。これは、世界の首脳陣が協議の上、既に決定したことです。」


 計画はスムーズに進められた。事体は、ハジメがそれを知ったほんの数時間後には、各種メディアを通し、包み隠さず公表された。一時は混乱を招いたが、大きな暴動が起こることはなかった。小惑星の接近ということと合わせ、人間ネットワークを用いた計画が発表されたことで、自分も計画に参加出来るという思いが、絶望的な状況の中でも、人々の中に何らかの希望を産んだのかもしれない。


 人間ネットワークを用いたシミュレーションは今から2時間後行われる予定だ。緊張感張りつめる管理室を抜け出し、ハジメは妻に電話をかけた。

「そっちは大丈夫。」

「こうやって電話で話すなんて久しぶりね。出会った頃みたい。」

ハジメの心配をよそに、妻はあっけらかんと笑う。シミュレーションを行う際に問題が生じないよう、現在、人間ネットワークは、一般利用をストップしている。

「そばに居れなくてごめんな。ハナは良い子にしている?」

「そばに居なくてもあなたが私たちを見守ってくれているのでしょ?ハナは大丈夫。お母さん達が見てくれているから。」

シミュレーションには20歳以上65歳以下の人々が参加することになっている。成長期の若年者や高齢者の脳にシミュレーションという負荷をかけることで、悪影響がでることを懸念したためだ。また、対象年齢でも、一部の専門家や医療従事者は対象から外されている。ハジメは、自分が対象から外れていることにある種の罪悪感のようなものを感じる。

「無理しないでね。」

「あなたこそね。」


 計画はあっけないほどにうまく進んだ。シミュレーションを行った結果、小惑星の5カ所を爆破すれば、地球に影響のでないサイズにまで小惑星を爆砕することが出来、その際に放出される放射線による影響もないと判明。爆破作戦はすぐさま実行され、成功をおさめた。シミュレーションを行ったことによる、人体への影響も見られず、世界は歓喜の渦につつまれた。


 人間は一度味をしめると、なかなかそこから抜け出せなくなる。小惑星の一件以来、人間ネットワークを用いた演算処理はたびたび使用されることとなった。気候変動の予測や医薬品の効果実証など。驚くことに、人間ネットワークが繰り返し利用されるにつれ、処理速度が上がっていった。そしてさらには、演算処理だけではなく、人々の発想を掬いとり、まとめることが可能になっていったのだ。人々の脳は他者の脳から受け取った情報をいかに利用するかを学習しているようだった。

 いつも通り仕事を終え、帰宅する。人間ネットワークの利用形態は変わりつつあったが、ハジメの仕事事体に大きな変化は無かった。リビングではハナがテレビを見ている。「この人お顔真っ赤」とうれしそうに笑っている。テレビに目を移す。

「これはすごいことですよ。」

テレビに映る眼鏡のコメンテーターが鼻息荒く語っている。ハナが言う通り、彼の顔は、彼のワインレッドの眼鏡の縁と同じくくらいに赤い。

「我々は、科学の発展とともに未来に進んできました。科学の発展を支えていたものには、もちろん、多くの科学者の日々の努力があります。しかし、それだけではない。ある種の天才がもたらす、ブレイクスルーが無ければ、ここまでくることは出来なかった。つまり、これまで、科学が進歩して来られたのは、ある意味“偶然”です。なぜなら、その天才がいなければ、その天才が気づかなければ、そのブレイクスルーは無かったのですから。しかしこれからは違う。これからは、全世界に向けられた眼が情報を集め、その情報をもとに巨大な脳が答えを導きだす。発見は“当然”となり、発明も“必然”なものとなる。我々はさらなる未来を確約されたのです。」

 人間ネットワークの研究目的での利用は人体実験に相違ないとした異議をとなえるものもあったが、それらがもたらす利益の大きさにより、そうした声はかき消されていった。事態はそこにとどまらず、議論はより過激な方向へと進んだ。人間ネットワークシミュレーションに加える人間は多い程その演算能力も発想の幅も広がる。それでは、その中により若い世代の人々を加えた方が、別視点での発想が加わり、新鮮な発明に繋がるのではないかと。


「ハナ、怖くない?」

「お母さんと一緒だから平気。」

偉いねと、頭を撫でる。その手が少し震えていることに気づいた。ホントは怖がっているのは自分なのだろう。今の世間の流れはどうも狂気じみている。しかし、ハジメにそれに逆らう力は無かった。

 今まで対象から外れていた年代のうち、6才から20才の子供達が、人間ネットワークによるシミュレーションに加えられることとなった。今回、設けられた命題は、世界規模での発展を思ったとき、我々はどうすべきか。あいまいなテーマだが、試行を繰り返すうち、人間ネットワークによるシミュレーションはこうした大まかな問いにも対応出来るようになった。若年層を加えていない状態でも同様の命題に対するシミュレーションが行われたが、今後の研究、都市計画の指針となるような明快な答えは得られなかった。そこで、若年者を加えたシミュレーションの最初の命題として、これが選ばれた。

「そろそろ、お父さんは会社に行ってくるね。」

「うん、早く帰ってきてね。ハナ頑張るから。夜は一緒にご飯食べよ。」

「行ってきます。」




 目を覚ました大人たちは、押し黙るもの、半狂乱になるもの、号泣するもの、様々だったようだ。

最後に目を覚ました青年は言った。

「世界が壊れる音をきいた。小さな音だったけど、僕は間違いなくきいた。」


 これまでのシミュレーションは長くても1時間程度で終了した。シミュレーションの結果は、キーパーソンと呼ばれる数十名の者に集約され、そこからさらにコンピュータに送信されることで、形となる。コンピュータにデータが送信され終わるくらいで人々は覚醒し始め、覚醒するとすぐに個人としての活動が可能となる。

 しかし、今回は様子が違った。シミュレーションを開始してまもなく、一部の大人たちが覚醒した。彼らは混乱しており話すことはままならなかった。その後も、時間の経過とともに、大人たちは目を覚ましていったが、皆、同様であった。一方、子供達は、シミュレーション開始から1日が経過しても、目を覚まさなかった。

 覚醒したもののうち、最後まで人間ネットワークに接続していたのは20才の青年だった。彼は丸2日間ネットワークに接続していた。接続解除から1日の療養の後、彼は話せるまでに落ち着きを取り戻した。そして、彼に対し、事情聴取が行われ、世界は事態のあらましを理解していった。


 「あの子達は、純粋すぎたのです。そして、あまりに無防備だった。大人は、そうとは意識しなくても、犯されたくない自分の領域を持っていて、それを護っている。心に壁がある、とでも言いましょうか。でも、あの子達はまだそんなものを備えていなかった。人間ネットワークが接続されたとき、あの子達は、自分の心をさらけ出しました。その結果、ネットワーク中に彼らの感情が入り乱れた。ものすごい状態でした。嬉しさ、悲しさ、希望、絶望、孤独、ありとあらゆる感情がうねり、押し寄せました。感情のうねりにのまれると、その感情とリンクした様々な記憶が呼び起こされ、気を失いそうでした。経験が多ければ多い程、その影響は大きかったはずです。僕はまだ20年そこらしか生きていないから、しばらく耐えることが出来たのだと思います。多くの大人達の脳は、耐えきれないと判断し、自己防衛のため接続を強制解除しました。

 あの子達が感情を解き放った時、同時に彼らの中には、大人たちが持つ、他者に対する害意がまともに入っていきました。先ほど言った大人達の持つ心の壁とは、言い換えれば他者を拒絶することです。そこには少なからず他者に対する害意が含まれています。そうしたものが無防備な彼らの心に、深く傷をつけていきました。

 純粋な彼らにとって、そうした害意は理解出来ないものでした。何故人を排除しようとするのか、何故他者を傷つけることでしか自分を保つことが出来ないのか、何故誰に対しても優しくなれないのか。傷つき、混乱した子供達は、それでも、考えることはやめなかった。大人達が接続を解除していき、あの子達は取り残されていた。大人達につられ、彼らも接続を解除すれば良かった。でも、何度も言うようですが、子供達の心は純粋だったのです。任された役目をしっかりやり遂げようと頑張った。彼らは彼らだけで、与えられた命題に取り組みました。世界規模での発展を思ったとき、我々はどうすべきか。

 大人にとっての世界と子供達にとっての世界。この2つに相違があったことは、私たちの誤算でした。大人にとっての世界とは、人間社会の総称であり、あくまでも人間が主体なものです。でも、人間社会を深く知らない子供達にとって世界とは、そのまま、彼らの住む場所です。それは、町であり、国であると同時に、森であり海であるのです。ひいては、彼らにとっての世界とはこの星なのです。あの子達は、真剣に命題に取り組みました。この星の発展を思ったとき私たちはどうすべきか。

 大人達の害意に触れ傷ついていなければ、答えは違ったかもしれません。しかし、現実に彼らは傷ついていました。人は他者に優しく出来ないと学んだのです。彼らは答えを出そうとしていました。」

そこまで言って彼は一息ついた。

「僕は、世界が壊れる音をきいた。世界とは大人達にとっての世界、人間社会です。その始まりは、1人の子供のひらめきで、その音は聞き取れないほど小さなものだったけど、それは大きなうねりとなり確かな力となっていくようでした。僕は間違いなくそれをきいた。

 彼らの出そうとしていた答えは“この世界に人間はいらない”というとても悲しいものでした。」


 あれから2週間経ったが子供達が目覚めることはない。事態は青年の言葉を裏付けるかのように、混迷を深めていった。人間を否定するという答えに行き着いた子供達は、実際に人間を追い詰めていったのだ。彼らは人間ネットワークを介し、コンピュータネットワークに侵入すると、電気や水道といったライフラインの制御を破壊していった。次第に、情報の交流もままならなくなったため、はっきりとしてことは分からないが、世界中でそうしたことが起こっているようだった。そうした破壊工作を何とかとめようと人々は考えたが、いわば全世界の子供達を人質に取られたこの状態で出来ることなどなかった。人間ネットワークを外側から強制遮断すれば、子供達の脳へのダメージは計り知れない。子供達を犠牲にし、人間世界の機能を保ったところで、子供達を失った社会に発展は望めないだろう。人間ネットワークを接続したとき、人間社会は終わりへと舵をきっていたのだと、気づいた時にはもう打つ手は無かった。


「ハナ、とても悲しそうな顔をしている。」

妻は泣きながら娘の頭を撫でている。

子供達は時折表情を変化させる。泣いてみたり、笑ってみたり。夢を見ているようなそんな感覚なのかもしれない。

妻の手を握る。

「あなたもとても悲しそうな顔。」

笑いましょう。そう言って妻は笑ってみせる。その頬をつたう涙をすくいとり、ハジメも笑ってみせた。

「ハナは寂しくないかしら。」

「大丈夫、友達みんなと一緒だし、きっと寂しくなんかないよ。」

「私たち人間は、優しくなかったけど、この子達のお陰で優しくなれたのね。」

最期の最期にだけど、妻はと小さく付け足した。

きっと、妻のように感じる人は多いのだろう。こんな状態なのに、世界は、少なくともハジメの周りでは静かなままだ。

 人間の体内にも、悪くなった細胞を殺す働きがある。その働きがうまく働かなくなると、その細胞は癌になる。人間が地球にとっての癌にならなくて良かったと、何処か安心した気持ちになった。もっと早く気づけば、他の選択肢があったのか。今更考えても何も変わらないことだ。


 妻を助手席に乗せ、車を走らせる。妻はハナを抱きかかえている。ハナの腕には、栄養を送る点滴がつながれている。夜明け前の薄明かり。車のヘッドライトが点々と続く。緩やかなカーブを描き、枝分かれし、交わる。街の灯りを中心とし、そこからハブ状に広がっていく道筋は神経細胞の広がりを思わせた。人間ネットワークによるシミュレーションをいつかのコメンテーターは巨大な脳と言っていた。不意にハジメの中である考えが産まれた。この星は人間を育むことで、考える機能を、いわば脳を形にさせたのではないか。宇宙の中に産み落とされたこの星は、自身の発生の過程として生命を育み、その生命にネットワークを構築させる。全ては、“星”の発生過程として、この宇宙においてデザインされているのではないか。もし、そうだとしたら子供達の出した答えは、この“星”というものの意思とはそぐわないものなのかもしれない。

 車はハジメの勤める会社へ向かっている。ハジメは、自分と妻のポートを解放し、子供達の世界に入るつもりだ。おそらく彼らは大人達の侵入を受け入れないだろう。自分たちの精神は壊れてしまうかもしれないし、子供達をさらに傷つけてしまうかもしれない。だが、それでもいいと、二人で話して決めたのだ。最期の瞬間はやはり親子3人で迎えたいと。自分勝手な話だ。子供達のおかげで、優しくなれたのに、結局、最期の最期は自分勝手なのだと思った。やはり、他者のためを純粋に思って生きるのは難しい。不思議とおかしくなって、笑う。どうしたのと妻が聞くが、別になんでもないよと答えた。

 夜明け前の静けさなのか、世界の終わりの静けさなのか。人間が居なくなり、静かになった世界。人間が居なくなれば人間が張り巡らせた神経網は活動を停止することになる。この星は違う生命が再びネットワークを構築するのを待つことになるだろう。それを担うのは誰なのか。知る由もないが、希望を言わせてもらえるなら、次にこの星が考えるとき、少しは私たちのことを懐かしんでくれると良い。

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セルフィッシュ ヤマ ネズミ @yamouse

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