第13話 そして動き始める(第一話 了)

「アアッ!?」


 突然、リアンは右目を押さえるとうずくまった。低い呻き声を漏らしながら身を震わせている。


「どうした」


 バルガスはリアンの顔を覗きこむ。リアンは苦痛に表情を歪めている。頬を血が伝っているのに気づいた。右目を押さえる指の隙間から血がどくどくと流れていく。何が起きた?


「クソッ!魔眼にヒビが入りました!」


 吐き捨てるように言うと、リアンは右目から手をどけた。魔眼の表面は欠け、幾つかの亀裂が走っている。破片が何処かに食い込んだのか、涙のように血が流れ出ている。


「ううっ・・・最高級の魔水晶にヒビが入るなんて・・・」


「原因は、あの人間か?」


「そうです。急にあの人間の魔力が膨れ上がったと思ったら、視界が真っ赤に染まって、気がついたら亀裂が・・・」


 痛みでうまく喋れないのか、リアンはそこで言葉を切った。


(やはりあの人間はヤバイな)


 バルガスは視線を三姉妹と青年に戻す。するとそこには信じられないような光景が広がっていた。








 サツキの全身から超高密度の魔力が解放された。その魔力はサツキの周囲を満たし、光や音さえ呑み込んでしまうような、ブラックホールのように重々しい魔力だった。それでいてその魔力は触れただけで骨まで切り裂かれるような鋭利さを持ち合わせている。重く、鋭い魔力。それこそがドラゴンキラーの魔力だ。


 三姉妹はサツキから視線をそらせない。


 サツキの魔力が一瞬で身体の中に入り込んだのが、三姉妹にはわかった。


 ガクン、とシャルロッテの視界が一段低くなる。立っていられず、地面に膝を着いていた。なぜか涙が止まらず、鼻水とよだれが次から次へと流れ出ていく。さらにシャルロッテは自分が失禁している事に気づいた。地面は吸血鬼の体液で汚れていく。


 シャルロッテだけではない。クロディーヌとミシュリーヌも全身から体液を垂れ流し、放心したような表情で膝を着いている。何が起きたのか全くわからない。だが身体が言うことをきかない。身動きがとれない。恐怖だけが全身を駆け巡っていた。


「自分たちの得意技を食らった気分はどうだ?」


 サツキは三姉妹に近づいていく。一歩、二歩、三歩と。


(死が近づいてくる・・・)


 シャルロッテはもはや逃れられない自分の運命を悟るしかなかった。圧倒的な存在。シャルロッテは初めて狩られる側の気分を味わった。恐怖と絶望と、そして諦め。


(逃げられない・・・)


 シャルロッテの目の前でサツキが立ち止まる。


 冷酷な赤い瞳がシャルロッテを見ている。


「吸血鬼の一番楽な殺し方が何かわかるか?簡単な事だ。再生が始まる前に肉体を消滅させればいい。お前らを殺せる存在なんか、いくらでもいる。長寿人狼ヴェオウルフなら再生速度を上回る連撃でお前らを切り刻むだろう。死霊魔導師リッチなら極大魔法で肉体を焼き尽くす。ドラゴンにいたっては、お前らは餌だ。噛み砕かれ、胃の中で消化される」


 サツキはシャルロッテの首を掴み、ぐいっと持ち上げる。シャルロッテの目線とサツキの目線が交わる。


 サツキの指先に超高密度の魔力が集中する。その密度は凄まじく、今サツキの指先を見れば、魔眼を持たない者でも指先の魔力を視認できるだろう。その指先は、ぼんやりと赤い光に覆われている。


「俺の場合は単純だ。魔力で押し潰す」


 目の前の青年の魔力が全身を覆い尽くすのを、シャルロッテは感じていた。重く、鋭い、禍々しい魔力が肌を包んでいく。


「じゃあな」


 そしてサツキがシャルロッテの首を握り潰すような動作をしたと同時に、吸血鬼は灰になっていた。








「リアン、魔眼はまだ機能しているか?」


「痛みはありますが、ええ、なんとか」


「いいか。魔眼はまだ発動させておけ。ダークエルフの娘は諦める。俺達はこれから全速力でこの森から脱出する。お前は常に周囲を警戒しろ。森を抜けるまで戦闘行為を禁ずる。何があっても走り続けろ。あんな化け物がいる森には一秒だって滞在したくない」


 リアンが頷くのを確認すると、バルガスは低い姿勢で走り出した。リアンもそれに続く。


(あり得るのか)


 バルガスは周囲を警戒し、神経を研ぎ澄ませながらも、思考に没頭していた。バルガスの中で、先程の光景が甦る。


 青年の前で、人形のように崩れ落ちた三姉妹。涙を流し、失禁し、放心したような顔を浮かべた上級吸血鬼エルダーヴァンパイア。その三姉妹を一瞬で灰に変えた青年。最初にシャルロッテ。次にクロディーヌ。そして最後にミシュリーヌ。青年の握り潰すような動作ひとつで、三姉妹は灰に変わった。完全に死んだのだ。


(上級吸血鬼を殺せる人間は存在する。俺も八闘級以上の人間を五人集めれば殺やれる自信がある。最高位の十闘級近接職や八等級魔術師なら、一人で上級吸血鬼を殺せる可能性もある。だが、それは一匹を相手にした場合だ。三匹の上級吸血鬼を殺せる人間など存在するはずがない。それも一撃で吸血鬼を殺すなど・・・そんな事が出来る人間は、すでに人間じゃない。そんな事が出来るのは)


 不意にバルガスの脳裏に王都にある王国ギルド所有の図書館で閲覧したある資料が浮かび上がった。厳重な管理下に置かれ、持ち出すことが不可能な、閲覧制限レベル10のある資料。


異種族殲滅用生体兵器ドラゴンキラー


 と表紙に書かれた、貴重な書物。


(まさか)


 バルガスは今までドラゴンキラーに対して、懐疑的な思いを抱いていた。いくら魔法技術が発達していた325年前とはいえ、ドラゴンを殺せる人間など存在するはずがないと。


 だが、


(あんなものを見てしまうとな)


 魔力だけで上級吸血鬼エルダーヴァンパイアを制圧できる人間。


 一撃で危険度8のモンスターを灰に変える青年。


(資料には滅んだと書かれていたが、生き残った者がいるのか?)


 泥沼に沈みそうな思考を、バルガスは強引に断ち切った。今はそんな事を考えている場合ではない。とにかく一刻も早くあの青年から距離をとるのが先決だ。考えるのは安全を確保してからでも遅くない。


(とりあえず今は走るんだ。それだけ考えていればいい)


 バルガスはそう言い聞かすと、あとは森を抜けるまで走り続けた。








「動けるか?」


 サツキの問いに、リリアはぶんぶんと首を縦に振った。


 誘惑眼チャームアイの効果はシャルロッテが死んだと同時に解けていた。身体は自由だ。だが、目の前で父親を殺されたショックと、何より一瞬で吸血鬼を消滅させたサツキの魔力の余波を受け、リリアは立つことが出来なかった。


 サツキは森の奥を見た。サツキを監視するようなふたつの視線がいつの間にか消えていた。


「気配の感じからすると、人間か」


 一人は気配の消し方が雑で、村周辺の茂みに身を隠している事がバレバレだった。だがもう一人は完璧に気配を消し、視線を周囲の空気に溶け込ませるのも上手かった。あのまま行けば、サツキは監視者が一人だと錯覚していたことだろう。だが最後の最後でヘマをやらかした。サツキの魔力に動揺し、気配を漏らしてしまったのだ。


 もっとも監視者には敵意が無く、それゆえサツキは二人を放っておくつもりだった。消えたのならそれでいい。追うつもりはない。


「しかし、この森には人間が住んでるのか?」


「い、いえ、人間はす、住んでないです」


 リリアの声はうわずり、顔には恐怖が浮かんでいた。サツキへの恋愛感情など粉々に崩れ去っていた。


「ならこの森の近くに国があるのか?」


「森に一番近い国となると、たしかユ、ユリシール王国です。ヌルドの森を出るとエーデル平原があって、そこを少し進むと王国領に入ります。500キロほど先に王都があるはずです」


「ユリシール王国か」


 今のサツキにはこの世界に対する知識がない。異種族全面戦争後の世界がどう変わったのか、まったくわからない。人族はどうなったのか?他の種族は?モンスターは?そしてドラゴン族はどうなったのか?


(情報が必要だ)


 いくらかの情報ならダークエルフから引き出せるだろう。だが見たところ、この村は世界から完全に孤立している。より多くの情報を得るには、人の国に行くのが一番だ。情報は人の多い場所に集まる。人が多いのは王都だろう。


 資金も必要だ。通貨というシステムが健在なら、金は当然必要になってくる。衣服を揃えるのも、食事をするのも、そして情報を得るにも金は必要だろう。王都なら仕事も山ほどあるだろう。モンスターの討伐、貴族の護衛、異種族の制圧・・・それらはドラゴンキラーがもっとも得意とすることだ。


 空を見上げる。満天の星空が広がっている。この空だけは325年前と変わらない。


「とりあえず王都を目指すか」


 サツキはそう呟いていた。







【第一話 目覚め(了)】





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ドラゴンキラー あびすけ @abityan11

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ