第12話 格上
ミシュリーヌはサツキから距離をとる為、後方に跳躍した。
それを追うようにサツキの蹴りが放たれる。
蹴りはミシュリーヌの右脇腹を擦かするだけに終わったが、それだけで下腹部が抉られたように吹き飛ぶ。それでも
ミシュリーヌは扉を突き破るように小屋の外に飛び出すと、後ろも見ずに走り出す。
(姉様たちに知らせないと)
サツキは小屋から出る。走り去るミシュリーヌの背中を見つけ、静かに歩き出す。
「なんだか様子がおかしいですよ」
リアンが眉をしかめる。
「どういうことだ」
バルガスは横目でリアンを見ながら問う。
ふたりは大樹から降りると森を抜け、ダークエルフ村周辺の茂みに身を潜めながら様子をうかがっていた。バルガスはダークエルフの少女に近づくシャルロッテとクロディーヌを、リアンはミシュリーヌが入った小屋を監視していた。遮蔽物を透過して魔力を視認できるリアンは、小屋の中でミシュリーヌの魔力が激しく乱れている事に気づいた。特に胸と頭部の魔力が異常なほどかき乱れている。
「それがよくわからないんですが」
リアンの言葉は突然の騒音で中断された。見れば小屋の扉を突き破り、ミシュリーヌが外に飛び出している。目だった外傷は見当たらないが、黒いドレスの胸元が破け全身に血飛沫が付着している。特に胸元から首にかけて血がべっとりとまとわり付いていた。
ミシュリーヌは怯えたような表情で、シャルロッテたちのいる方向に走り出した。
「なんだあの姿は」
「どうなってるんですかね」
リアンはミシュリーヌを魔眼で追う。魔力が滅茶苦茶に乱れている。
小屋から人影が出てきた。灰色の髪、赤い瞳、バルガスが気になり監視していた人間だった。青年の右腕は肘の辺りまで血で真っ赤に染まっている。
その姿を見た瞬間、バルガスの全身に緊張が走る。脳が危険信号を滅茶苦茶に発信している。全身に鳥肌が立つ。血管の中を戦慄が駆け巡っていく。
(あれはヤバイぞ)
一目見ただけでバルガスは確信した。
「大丈夫ですか?」
滝のように汗を流すバルガスに、リアンは不安になる。
バルガスはひとつ大きく深呼吸をすると、心臓の鼓動をなんとか鎮める。汗をぬぐい、手の震えを落ち着け、リアンにひとつの指示を出す。
「あの人間から眼を離すな。いいか、絶対に眼を離すな」
リリアは身体が岩のように動かない事に気づいた。関節と筋肉が張り詰め、指一本動かすことができない。辛うじて動く眼球を横に向けると、父親のビルもリリアと同じように硬直している。
(なにこれ)
リリアは喉を震わせるが、声すら固まってしまったのか、まったく発声できない。
「こんばんは」
女がふたり、リリアに近づいてくる。ひとりは輝くような金髪を腰まで伸ばした青いドレスの女。もうひとりは同じく美しい金髪だが、肩あたりで切り揃えている。こちらは真っ赤なドレスを着ている。どちらも非常に端正な顔立ちで、しかも鏡に映したようにそっくりだ。
「やっぱりいい匂い。処女ね」
いつの間にかリリアの目の前に青いドレスの女、シャルロッテが立っていた。身動きのとれないリリアの首筋に鼻を当て、鼻孔をひくつかせる。シャルロッテは少女の頬を舐める。リリアの肌に鳥肌が走る。
「そっちの男はクロディーヌにあげるわ」
シャルロッテが言った瞬間にはもう、クロディーヌはビルの首筋に噛みついていた。肉を食いちぎらんばかりに噛みついたクロディーヌの口から鮮血が漏れ出す。そんな状況でもビルは
「クロディーヌは食いしん坊ね」
シャルロッテは微笑む。
「やっぱりこの味はたまりません」
クロディーヌの足元にビルが崩れ落ちる。血を吸いつくされたビルは干からびたように死んでいる。
リリアの眼に涙が溢れ、頬を流れていく。目の前で父親を殺されたのだ。だが、泣き声さえ封じられている。もはやリリアの運命には死しか残っていない。
恐怖にひきつるリリアの顔を満足げに眺めていたシャルロッテが口を開く。凶暴な牙が月光に輝いている。
「シャルロッテ姉!」
牙がリリアの肌に触れる寸前、自分を呼ぶ声が聞こえ、シャルロッテは振り返った。
「あらあら、どうしたのその格好は」
ドレスが破け、身体の至るところに血を被ったミシュリーヌが走ってくる。シャルロッテの姿を見つけると彼女は足を速め、そのままシャルロッテの胸の中に飛び込んだ。
少女はシャルロッテに抱きつくと、ドレスを強く握る。その手が小刻みに震えている。いや手だけではない。全身が痙攣したように震え、その眼は恐怖に染まっている。
「急にどうしたんだいミシュリーヌ。シャルロッテ姉様の食事を邪魔するのはいただけないな」
クロディーヌの冷酷な眼がミシュリーヌを射るが、少女は気にすることなくシャルロッテに抱きつき、震える声で喋り始める。
「シャルロッテ姉、逃げましょ?ここにいたらダメです。みんな殺されちゃいます。アレはダメです。絶対勝てないです。だから逃げましょ?わたしとシャルロッテ姉とクロディーヌ姉の三人で、いますぐここから」
「
ミシュリーヌの言葉を遮るように、青年の声が響いた。ヤスリのようにざらついた、不安を煽るような声だった。
その声が聞こえた瞬間、ミシュリーヌの身体が大きく波打つのをシャルロッテは感じた。
三人の吸血鬼に向かって、青年が歩いてくる。くすんだ灰色の髪、夜の闇の中でも視認できる輝くような赤い瞳。何より目立つのが肘まで血に濡れた右腕。シャルロッテとクロディーヌはその血液がミシュリーヌのものだとすぐに気づいた。だとすれば、この青年がミシュリーヌに何かしたのだ。
「人間?」
クロディーヌが怪訝な表情で青年を見ている。
「あなた誰?」
シャルロッテが敵意を含んだ声で質問すると
「サツキ」
と青年は一言吐き捨てる。
サツキは3匹の吸血鬼を眺める。戦闘力を測ろうと思考を巡らせ、すぐにやめた。サツキからすれば3匹の差など、ドングリの背比べでしかない。殺そうと思えばなんなく殺せる。とはいえ
「魔力を使わずに
低級吸血鬼ならば心臓か頭を潰せば死ぬし、陽の光に晒せば灰になる。銀製の武器も効果的だ。肌に触れるだけで焼け爛れる。不老不死をうたう吸血鬼だが、弱点は多い。だが上級吸血鬼となると話が違う。太陽を克服しいかなる部分を破壊しようと瞬時に再生する。そういう奴等を殺すのに有効なのは光魔法だが、光魔法は聖職者と一部の魔術師だけが修めている特殊な魔法で、世界にも使える人間は限られている。それにサツキはほとんど魔法を使えない。そうなると再生速度を上回る攻撃で吸血鬼の肉体を消滅させるしか手はない。
「ぼくたちを殺す?」
サツキの発言にクロディーヌが激怒する。クロディーヌの身体の回りを黒い魔力が渦巻くのを、リアンは見ているだろう。
「人間風情が、生態系の頂点に立つぼくらにふざけた口をききやがって」
憤怒に見開かれたクロディーヌの眼球がサツキの眼を捉える。
だが、
「そんなものが効くと思ってるのか?」
サツキは平然と歩を進める。
「馬鹿なッ!どうして動ける!」
クロディーヌは驚愕し、声を荒げる。
これにはさすがのシャルロッテも眉をひそめた。今まで自分達の誘惑眼が通じなかった者など、三姉妹の主・真祖クシャルネディア様をおいて他にいない。バジリスクやコカトリスのような危険なモンスターでさえ、シャルロッテが見つめるだけで動きを縛られ何もできない。人間ならば、その眼光だけで数十人が、はては数百人が動きを失う。それが目の前の人間には通用しない。そんな事がありえるのか?
「そもそもお前らの
サツキは立ち止まる。
「誘惑眼は視線が交わった瞬間、体内に魔力を捩じ込んで相手の魔力を制圧し動きを封じるって原理だろ。それはつまり、同格の相手やお前らより遥かに強大な魔力を持つ格上の存在には通用しないって事なんだよ。わかるか?」
サツキは右肩に刻まれた黒竜の呪いを撫でる。
「だいたい吸血鬼が生態系の頂点だと?300年前はドラゴンどもの餌だったお前らが最強の存在?笑わせるなよ」
サツキは体内に怒りが溢れていくのを感じた。吸血鬼の発言は自分への、いや
そしてそのドラゴン族と死闘を繰り広げたのがドラゴンキラーだ。サツキを含む128人のドラゴンキラーだけが、325年前の戦争で奴等と対等に渡り合い、殺し、殺され、戦い抜いた。想像を絶する戦いだ。血にまみれ、泥に汚れ、死臭だけがただよう戦場で三日三晩、へたをすれば一週間以上、休むことすら許されぬ壮絶な戦いを共に潜り抜けてきた仲間たちがいた。奴等こそ英雄だ。俺の真の同胞だ。
俺たちが戦っていたのは災害そのものだ。断じてこんな吸血鬼どもではない。奴等の発言は、戦場で散っていった127名の同胞への侮辱でしかない。
「調子に乗るなよ」
サツキの声に黒く重い殺意が混じる。サツキを取り巻く雰囲気が禍々しい物に変わっていく。
魔力を使わずに殺すつもりだった。一日に30秒しか解放できない魔力を吸血鬼ごときに使うつもりはなかった。だがクロディーヌの発言がサツキの考えを変えた。
生態系最強ドラゴンがどういうものか。そしてそのドラゴンと対等に渡り合ったドラゴンキラーがどういう存在か、吸血鬼どもに刻み付けてやる。
「お前らお得意の
サツキの眼光を見た瞬間、シャルロッテの背筋に冷たいものが走った。本能がいますぐ逃げろと叫んでいた。胸の中のミシュリーヌも、息を止めサツキを凝視している。みればクロディーヌも恐怖に顔を歪めている。サツキの雰囲気の禍々しさに、三姉妹は完全に呑まれている。
何かが、何かが起きる。
「魔力で敵を制するのがどういうことか、お前らに教えてやる」
そしてサツキは黒竜の呪いに費やしている魔力を解放する。その時間は僅か2秒であったが、それで十分だった。
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