第11話 サツキとミシュリーヌ

「シャルロッテ姉、ここからは自由行動ですよね」


 村に入ってすぐに、ミシュリーヌが熱々とした声を出す。その顔は熱に浮かされたように上気し、眼は期待と興奮で潤んでいる。


「そうよミシュリーヌ。好きにしなさい」


 苦笑しながらシャルロッテが言うと、ミシュリーヌは赤ん坊のような笑顔を浮かべ、軽やかに歩き出す。今、彼女の頭の中には気に入った男を見つけ、時間をかけて肉体と精神を凌辱する事しか頭に無い。爪を剥ぎ、肉を削ぎ、眼球をえぐり出す。男は泣き叫び、懇願し、最後にミシュリーヌに屈服する。その瞬間、血は最高の味に変わる。唇を舐め、荒い息を吐き出す。想像しただけで身体が熱くなる。


「あの子は本当に拷問が好きなのね」


 シャルロッテははしゃぎ回る子供を見守るような、優しい眼でミシュリーヌの方を見ている。


「ぼくには無駄な行為にしか思えません」


 クロディーヌは冷たい表情を浮かべている。


「いいじゃない。それぞれ好みがあるのよクロディーヌ」


「姉様がそう言うなら」


 ミシュリーヌは建ち並ぶ小屋を覗き込みながら、獲物を物色している。一軒目、二軒目、三軒目、そして四軒目の小屋を覗き込んだミシュリーヌの視界が、ベッドに腰掛ける青年を捉えた。


 灰色の髪と赤い瞳が特徴的な青年だった。青年は手掴みで森豚の肉を食べている。青年は無防備な、緩みきった空気を身体に纏っているが、不思議と眼だけは鷹のように鋭かった。その眼がミシュリーヌを引き付けた。


(いいかも)


 ミシュリーヌはにちゃりと、邪悪な笑みを浮かべると、小屋の扉を開ける。


(楽しめそう)


 ミシュリーヌの心は踊った。


「あの子、獲物を見つけたみたい」


「ぼくもお腹が空きました」


 クロディーヌが腹部を撫でる。


 ガサゴソと茂みを掻き分ける音が響き、ダークエルフが二匹、森の中から姿を現した。白銀の髪を腰まで伸ばした少女と中年のダークエルフ、リリアと父親のビルだった。ふたりは村から川までの道を母親を探して歩いていたが、結局見つからなかった。もしかしたら入れ違いで帰ったのかもしれない、とふたりは村に戻ってきたところだ。


「あら、可愛いダークエルフね」


 シャルロッテはリリアを見た瞬間、食欲が刺激されるのがわかった。口の中によだれが溢れる。匂いでわかる。あの子は処女だ。


「いい夜ね」


 シャルロッテが言うとクロディーヌはリリアに眼を向け「姉様も好きですね」と苦笑する。


 シャルロッテはリリアに向かって歩き始めた。








「お兄さん、カッコいいですね」


 声が聞こえ顔をあげると、扉の前に少女が立っていた。大きい切れ長の眼、鋭い鼻梁、艶やかな唇。輝くような金髪はツインテールだ。上品な黒のドレスに包まれた身体、そこから伸びる手足は蝋燭のように白く、すらりと長い。美しい少女だった。


 サツキは黙って少女を見つめる。空になった皿を脇に置く。


「あれ?お兄さん人間ですか?」


 少女は驚いた声をあげる。


「ダークエルフの村になんで人間がいるんですか?お兄さんここに住んでるんですか?うーん、せっかくここまで来たのに人間の血を飲むってのも損ですけど、でもお兄さん、カッコいいし、どうしようかなあ」


「お前は誰だ?」


 ひとり悩み始めるミシュリーヌを無視してサツキは問いかける。


「私ですか?私は吸血鬼のミシュリーヌって言います」


 ドレスのスカートの端をつまみ、丁寧にお辞儀をする。


「これからあなたは私に殺されます」


 その言葉を聞いた瞬間、サツキの纏っていた空気が激変する。無防備で緩みきった空気は消え去り、鋭利で研ぎ澄まされた凶刃のような危険な雰囲気がサツキの周囲を覆っていく。魔力は封じられている。だからこれは魔力ではない。壮絶な戦場をいくつも潜り抜けてきた異種族殲滅用生体兵器ドラゴンキラーは、その身に纏う空気すら凶暴に変質している。


「あっ、でも安心してください。すぐには殺さないですよ?ゆっくりじっくり愉しんで、最後に『殺してください』って私に懇願するくらいぐちゃぐちゃにしてから殺してあげますから。心配しないでください。私、とっても馴れてるんです。特に人間の壊し方には自信があるんです。だから一緒に愉しくなりましょう?」


 ミシュリーヌは頬を真っ赤に染めながら、潤んだ瞳でサツキを見ている。もはやミシュリーヌの瞳には、脳内で破壊しつくしたサツキの幻影しか映っていない。はやく悲鳴を、懇願を、咆哮を、聞きたくてしかたがない。


 ミシュリーヌがサツキの変化に気づかないのは、人間を玩具だと認識しているからだ。上級吸血鬼エルダーヴァンパイアのミシュリーヌは、今まで圧倒的な力で獲物を蹂躙してきた。様々な種族は、彼女にとって餌でしかない。その為ミシュリーヌには警戒心というものが存在しない。自分が腕を振るうだけでほとんどの生物が死ぬ、と彼女は理解している。


 ミシュリーヌがこれまで死の恐怖を感じたのは二度だけだ。一度目は三姉妹の仕える吸血鬼の真祖・クシャルネディアを怒らせたとき。それまで絶対だと自負していた上級吸血鬼の力がちんけに思えるほど、圧倒的な魔力を見せつけられ、身動きすらとれなかった。


 二度目はジュルグ帝国領を縄張りとする一匹の人狼と対峙したとき。【同胞殺し】【魔獣狩り】等の異名を持つ人狼で、モンスターでありながら積極的に同族を殺すことを好み、時には金を積まれ帝国ギルドの依頼を引き受ける事もあるという。帝国領北西部に広がるジャルガ山岳、その山岳地帯には飛竜ワイバーンが棲み付いている。ミシュリーヌはその山岳の麓で人狼と対峙した。人狼は肩に血塗れの飛竜の首を担いでいた。眼が合った瞬間、ミシュリーヌは肉体が再生不能になるまで切り刻まれたと思った。が、それは人狼の放った殺気が見せた幻だった。


 サツキの纏った空気は上記の者たちと同質のそれだったが、人間を餌と見なしているミシュリーヌはその変化を見逃し、サツキに近づいていく。この場面にリアンが立ち会っていれば、ミシュリーヌの身体から黒く歪んだ魔力が立ち上るのを目撃したことだろう。


「一緒に愉しみましょう?」


 ミシュリーヌがサツキの前に立つ。


 サツキはベッドから立ち上がる。


 ミシュリーヌが粘液質な笑顔を浮かべ、サツキの方に手を伸ばしたその瞬間、


 サツキの右腕がミシュリーヌの左胸を貫いていた。


「えっ?」


 彼女は自分の胸元を見る。黒いドレスは破れ、血が吹き出し、白い乳房の上から青年の腕が入り込んでいる。振り返ると背中から青年の腕が突き出ている。完全に貫通している。さらに青年は血に染まった掌に何かを握っている。それはドクドクと鼓動を刻んでいる。ミシュリーヌの心臓だった。


「俺を殺す?」


 サツキは心臓を握り潰す。肉片と血液が破裂し、小屋の中を汚す。


「ただの吸血鬼が調子に乗るなよ」


 サツキは右腕を引き抜くとそのままミシュリーヌの顔をなぎ払った。


 スイカが破裂するようにミシュリーヌの頭部が吹き飛んだ。ミシュリーヌの横の壁が血と脳みそで彩られる。


 胸に穴をあけ、首から上のないミシュリーヌはよろよろと後ずさり、床に膝を付く。胸の皮膚はうねうねと蠢き、傷を塞いでいく。首から上も、たった数秒で顎まで再生している。


「急所と頭部の超速再生?上級エルダークラスかよ」


 サツキは面倒くさそうに吐き捨てる。


「お兄さん、な、なに者なの?」


 ミシュリーヌは再生された口を開く。その声には恐怖が混じりつつある。


 上級吸血鬼エルダーヴァンパイアともなると高密度の魔力が常に全身を覆い、防御壁の役割をなす。これは物理攻撃・魔法攻撃、両方に絶大な効果を発揮する防御魔法のようなもので、素手で上級吸血鬼に傷を負わせる人間など存在しない。しかし目の前の青年は素手で胸を貫き、頭部を潰した。素手の人間に二回も殺されたのだ。


「声が震えてるぞ。怖いのか?」


 頭部が完全に再生したミシュリーヌは、サツキを見上げる。


(あ、駄目だ)


 ミシュリーヌはサツキと眼が合った瞬間、悟った。自分を見下ろすその視線は、完全に捕食者の眼だった。獲物を見る眼、弱者を見る眼、敗者を見る眼。真祖クシャルネディア様が私を見る眼、飛竜ワイバーンの首を担いだ人狼が私を見た眼。


 そして眼の前の人間が私を見る眼。


(逃げなきゃ)



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る