第10話 強襲
闇に沈んだヌルドの森を三人の女性が歩いている。野蛮で残酷なこの森に似つかわしくない、美しく気品漂う女性たちだ。
美しい金髪を腰まで伸ばし、真っ青なドレスに身を包んだシャルロッテ。
輝くような金髪を肩で切り揃え、真っ赤なドレスを優雅に着こなす次女のクロディーヌ。
艶やかな金髪をツインテールに結び、真っ黒なドレスを身に纏う三女のミシュリーヌ。
シャルロッテを先頭に、真ん中にクロディーヌ、その後ろを三女のミシュリーヌが歩いている。
ともすると人間の貴族に見える彼女たち。こういう女性たちが護衛も付けずに森に足を踏み入れるのは自殺行為に思える。通常なら数分もたたずに殺され、オーガやオウルベアの餌になっているだろう。だが、彼女たちに近づく物影は何一つ存在しない。それどころか、周囲数百メートルにいたるすべての生物の気配が感じられない。まるで彼女たちを怖れ、逃げ出したかのように、野性動物やモンスターの気配が消えている。
「襲いかかってくるモンスターがいないですね。つまらないです」
ミシュリーヌが退屈そうに呟く。
「奴等は危険に敏感なんだよ。殺されるというのに、ぼくらに歯向かうわけないだろう?だいたい低級な存在がぼくらの目の前に現れるだけで不愉快だよ」
クロディーヌは諫めるような口調でミシュリーヌに言う。ミシュリーヌは「ごめんなさい」と悲しそうな顔をする。
「ふたりとも喧嘩しちゃダメよ」長女のシャルロッテが笑いながらふたりを見る。「これからダークエルフの血が飲めるんだから。もっと楽しくしましょう?」輝くような笑顔で、シャルロッテは楽しそうな声を出す。
三姉妹は吸血鬼だ。それもただの吸血鬼ではない。陽光を克服し、強力な闇魔法を使い、心臓や頭部が潰されても瞬時に再生する。彼女たちは
上級吸血鬼とは、他とは一線を画した存在なのだ。
そんな存在が三人歩いている。モンスターたちはすでに三人の手の届かない距離に逃げていた。
鬱蒼とした森の奥からダークエルフの匂いが漂ってくる。
シャルロッテは口の中によだれが溢れるのを感じた。みればクロディーヌもミシュリーヌも唇を舐めたり喉を鳴らしたりしている。
(今夜は楽しめそうね)
シャルロッテは自然と歩くスピードが速くなる。
(待ちきれないわ)
「誰?」
唐突に前方から声をかけられ、三人は立ち止まった。
暗い樹々の間に、何者かが立っている。声からして女性だろう。シャルロッテは声の方に近づき、そして満面の笑みを浮かべた。褐色の肌。白銀の髪。尖った耳。ダークエルフがひとり立っていた。大事そうに水瓶を抱えている。川から水を汲んできた帰りなのだろう。
女性のダークエルフは眼を凝らして三人を見る。
「人間?」
ダークエルフは呟いていた。美しい人間だと思った。非常に整った顔立ちと煌めくような髪。上品なドレスを完璧に着こなし、気品ある雰囲気を纏っている。種族は違えど、何か上位に位置する存在なんだとダークエルフは気づいた。人間には貴族という特権階級が存在するらしい、と何処かで聞いたことがある。そういう人物かもしれない。
ダークエルフの考えは外れていない。この三人は間違いなく上位の存在だ。ただ、人間でもなければ貴族でもない。それよりも遥かに恐ろしくおぞましい存在。
(そういえば、娘のリリアが助けたのも人間だわ)
ダークエルフはリリアの母、ベルだった。ベルは水瓶の中身が空なのに気付き、近くの川に水を汲みに来たのだった。夫のビルと娘のリリアは危険だと一緒に付いてこようとしたが、すぐそこだから大丈夫、と一人で夜の森に入った。不思議とモンスターの気配が一切無かった。水を汲み帰る途中、三人に出くわした。
「この近くにダークエルフの村があるんですってね」
シャルロッテはベルの前に立つ。
「ええ、すぐそこが村ですけど」
ベルは森の奥を指差す。
それを見るとシャルロッテは満足そうに頷き、ベルの頬に右手で触れた。氷のように冷たい、まるで体温の無いような手だった。シャルロッテがベルの目の奥を覗きこむ。
(人間ってこんなに冷たいの?)
気味悪くなったベルは後ずさろうとした。だが、身体が動かない。まるで自分の身体が石になったかのように、重く、堅く、硬直している。
「吸血鬼の
シャルロッテがベルの耳元で淫靡に囁く。
(吸血・・・鬼?)
ベルの眼が見開き、呻き声が漏れ、身体が震え始める。本能が恐怖を感じ、今すぐ逃げなければと脳が信号を発する。
(今すぐ村の皆に知らせなきゃ、ビルとリリアに知らせなきゃ)
だが、身体が言うことを聞かない。指先ひとつ動かすことができない。
ベルの顔が恐怖に包まれていく。それを見たシャルロッテが口を開く。上唇から覗く二本の牙が、唾液に濡れて輝いている。
「いいわよ、その顔。恐怖は血を美味しくするの」
シャルロッテは笑い、ベルの首に咬み付く。二本の牙がベルの動脈を破り、血が吹き出す。濃厚で、豊潤で、甘いダークエルフの血液。シャルロッテはそれを啜っていく。ベルは痙攣し、まぶたを閉じ、それでも倒れることができない。
「美味しい」
口の回りを赤く汚し、血液を嚥下するシャルロッテの姿に、もはや気品は感じられない。そこにいるのは一匹の怪物。血を吸い、死を呼ぶ、恐ろしいモンスター。全身から沸々と黒い魔力が立ち上る。どんなに身なりに気を使い、貴族のように振る舞おうと、吸血鬼は吸血鬼でしかない。
ベルの血の臭いで、後ろに立つ二人の雰囲気もすでに狂暴な物に変わっている。眼が爛々と輝き、頬は興奮で上気している。
残酷な声でシャルロッテが言う。
「さあ二人とも、これからダークエルフを食い尽くしましょうか」
「来ましたよ」
リアンが緊張した声を出す。
「おでましか」
バルガスは双眼鏡を覗く。
バルガスの視界に、三姉妹の姿が映りこむ。
まだ村に入り込んだばかりで、ダークエルフは誰ひとり奴等の存在に気づいていない。もっとも気づいた所で助かる見込みもないが。
(不憫だが、これは食物連鎖って奴だ)
バルガスは薄く嗤う。
シャルロッテ、クロディーヌ、ミシュリーヌは思い思いに歩き出す。奴等は全員趣味趣向が異なる。シャルロッテは可愛らしい処女の血液を好み、ミシュリーヌは気に入った男を拷問し血を吸う。クロディーヌは特にこだわりは無さそうだが、それは裏を返せば手当たり次第食事をするということだ。一番迷惑かもしれない。どちらにせよ、これからダークエルフは全滅する。それは揺るがない事実だ。
「さて、俺たちもそろそろ行動するか」
バルガスは装備の点検をすませると、ダークエルフの村を見下ろした。
(何か村に入り込んだな)
サツキはベッドに腰掛けながらリリアの用意した晩飯を食べていた。ヌルドの森全域で採れるカゴの実と森豚の肉が皿の上に乗っている。サツキは手でそれらを食べながら、村に入り込んだ存在について考えた。
(魔力保有量はそうとうデカそうだ。夕方、俺を襲ったオウルベアとは比較にならないほど危険なモンスターだろう。ダークエルフじゃどうにもならないな)
リリアの小屋にはサツキしかいない。リリアと父親のビルは、水を汲みにいった母親の帰りが遅いと、今さっき飛び出していった。おそらく、リリアの母親は死んでいるだろう、とサツキは思った。
サツキは窓の外を眺める。
ダークエルフの村が見える。この村にどこかに、何かが入り込んだ。強大な力を持つ何かが。恐らくそいつらはダークエルフを皆殺しにするだろう。
正直サツキは異種族が虐殺されようがどうでもよかった。325年前に自分自身が散々してきた事に、文句を付けようとは思わなかった。だが、この村のダークエルフは俺を助けた。コイツらには借りがある、とサツキは思った。そしてサツキは、借りは返すものだと思っている。
「リハビリには丁度いいか」
サツキは残っている森豚の肉を口に放り込んだ。
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