第9話 予感
双眼鏡から眼を離すとバルガスは空を見た。鮮やかな夕焼けが空を覆いつつある。やわらいだ陽射しと吹き抜ける風が心地よい。大樹の中腹から見下ろす森は夕焼けに染まり、バルガスのような人間から見ても美しかった。
「退屈ですね」
リアンはあくびを噛み殺しながらダークエルフの村を【魔眼】で監視している。魔力を可視化しているリアンに望遠鏡は必要ない。何か起きれば魔力の乱れでわかる。それゆえリアンは気を抜き退屈していた。朝から何も起きてはいない。平和な村だ。だがそれも、三姉妹が訪れるまでの話だ。あの吸血鬼たちが現れれば、村は血と死体で溢れかえる。
「もっともだが、気を抜きすぎるなよ」
バルガスが横目で睨むと、リアンは背筋を伸ばした。
(まあ、こいつの気持ちもわかるが)
ふたりは仮眠を挟みつつ、朝からダークエルフの村を監視していた。村には60ほどのダークエルフが生活している。バルガスは若い女のダークエルフを探し、何人かに眼をつけた。どのダークエルフの少女も美しい顔をしている。基本的にエルフ族は皆一様に整った顔立ちをしている。それゆえ変態貴族どもに人気がある。いい金になる。
「しかし、なんでダークエルフの村に人間がいるんですかね」
「さあな」
朝から監視していたバルガスたちは、村にひとりの人間がいることに気づいた。ダークエルフと同じ衣装に身を包んだ、くすんだ灰色の髪の青年だった。最初にその人間に気づいたのはバルガスだった。双眼鏡の視界に映り込んだ青年は、明らかに肌の色が違い、体格にも差異が見られた。ダークエルフ族は男女ともに身長が高く、体格にも恵まれている。周囲のダークエルフから比べると、青年は小柄に思えた。
「人間ですね」
リアンは青年を【魔眼】で確認すると、そう言った。魔力には色があるらしく、種族によってその色が微妙に異なるのだそうだ。ダークエルフの魔力は薄い黄色で、人間の魔力は赤く見えるらしい。青年から立ち上る魔力は赤みがかっている。
「見た限り普通の人間ですね。魔力も大きくないし、魔術師や精霊使いってことはなさそうです。僕らみたいな職業の可能性もありますが、そこまではちょっとわからないですね。まあ、邪魔にはならないんじゃないですか?」
「そうだな」
バルガスはそう答えたが、青年の纏う空気に、何か危険なものを感じていた。確証はない。だが八闘級狩人の本能が、微弱ながらバルガスに警戒信号を送っていた。そういった警戒信号がいままでバルガスを救ってきた。無視することはできない。
(一応、注意しておくか)
バルガスはダークエルフの少女を吟味する傍ら、青年の動きも追っていた。青年は村をぶらつき、時たまダークエルフの畑仕事や狩りの手伝いをしていたが、特に変わったところはなかった。穏やかに時間を使っている。
(気のせいか)
バルガスはそう思ったが、青年の監視を続けた。
陽が傾き始めた頃、青年は一人で北東の森に入っていった。バルガスは森の中の青年を双眼鏡で追ったが、草木に阻まれすぐに見えなくなった。それが青年を見た最後だ。バルガスが監視していた限り、まだ村には帰ってきていない。青年の向かった先に双眼鏡を向ける。豊かな森が唐突に終わり、荒野が広がっている。
「死の荒野か」
バルガスは何となく呟いていた。
サツキは夕陽に照らされた【死の荒野】を眺めている。自然と生物が死滅した岩と砂だけの世界は赤く爛れ、それが地平線の彼方まで続いている。かつてはここから見える全てがヌルドの森だった。豊かな自然の中で様々な種族とモンスターが暮らしていた。異種族殲滅用生体兵器ドラゴンキラーとドラゴンがここで総力戦を行い、全てが消し去られた。ドラゴンの極大魔法は森を焼き、地を焦がし、生命を奪った。325年経った今でも、この土地に草木が生えることはない。いまだに黒竜の瘴気が大地を蝕んでいる。
『我にこれ程の傷を付けたのは貴様が最初で最後だろう。褒美をやる。決して消えぬ呪いだ。我が生き続ける限り、永遠に貴様を蝕み続ける黒竜の呪術だ』
サツキは黒竜の最後の言葉を思い出す。呪いを刻まれ意識が遠のく前に聞いた最後の言葉。
『たとえ生き延びたとしても、貴様は終わりだ。せいぜい苦しんで死ぬがいい』
サツキが潰した左目と切り落とした右腕、そのふたつを媒体に黒竜の魔力のほとんどを費やして刻まれた強力な呪い。
結果的にサツキは呪術の進行を阻止したが、呪いは魔力を制限し、本来の力を封じている。
「俺が終わりだと?」
背後で物音が聞こえ、サツキは振り返る。
黒い大きな影が近づいてくる。黒く太い剛毛に覆われた熊のような身体。太い腕に生えた鳥の羽根。その身体には似つかわしくない、梟のような頭。オウルベアだった。3メートル近くある巨体でサツキを威圧するように近づいてくる。
猛禽類の鋭い眼光がサツキを射る。ただの人間なら恐怖で立ち竦んでしまうような威圧感だが、サツキは動じない。それどころかオウルベアの存在自体を無視するかのように、視線を【死の荒野】に戻す。
自分から眼をそらした獲物の隙をオウルベアは見逃さない。両足の筋肉が二倍にも膨れ上がり、瞬間、オウルベアはサツキ目掛けて跳躍した。凄まじいスピードで迫るオウルベアの巨体。刃物のような嘴がサツキの首筋を狙う。こんなものを食らえば首から上が吹き飛ぶだろう。
嘴がサツキの皮膚に触れる。
その刹那、サツキは右腕を振るった。
オウルベアの上半身が消し飛んだ。
大量の血液が樹々を濡らし、地面を汚す。
細かい肉片が至るところに飛び散り、不気味なオブジェに変わる。
上半身を失ったオウルベアの下半身がよろよろと歩き、ぐちゃりと崩れ落ちる。血と臓物が地面に広がり、夕陽がそれを照らし出す。サツキはオウルベアの生死すら確認しない。俺と対峙した時点で、オウルベアは死んだのだ。何を確認する必要がある?
サツキは右肩を押さえる。この服の下には黒竜の呪術がのたくり、サツキの身体を蝕んでいる。
「俺は終わっていない」
オウルベアの血で染まった自分の右手を見つめる。その瞳には強い光が宿っている。何人もの同胞ドラゴンキラーを葬った黒竜。サツキに呪いを刻み込んだ黒竜。俺が仕留めるはずだった黒竜。
サツキは右手を強く握りしめる。
「黒竜、325年前のケリは必ず着ける」
赤々とした夕陽が沈もうとしている。吹き抜ける風に夜気が混じる。ダークエルフの村に闇が忍び寄る。じき夜が訪れる。陰惨な夜・・・吸血鬼たちの夜が。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます