第8話 監視




 夜が明けようとしている。窓の外の暗闇がゆっくりと薄まり、小鳥たちが鳴き始めている。


 木材で作られた土台に草葉の敷き詰められた、簡素なベッド。サツキはそこに寝転がり、天井を眺めていた。300年以上眠り続けていたサツキに、睡魔は訪れなかった。


 サツキがいるのはリリアの小屋にある空き部屋だ。ジジ様と呼ばれる老婆の小屋で目覚めたサツキは、最初ジジ様の小屋であずかるという話になったのだが、リリアが「私が助けたし、私が面倒を見ます。ちょうど空き部屋もあるし」と主張し、結果サツキはリリアの小屋でやっかいになる事になった。


 リリアは母のベルと父のビルと三人で暮らしていた。リリアの両親はリリアの行いに感動し、サツキを快く迎え入れた。サツキは夕食の時、彼らに色々と質問をされた。なぜ死の荒野近くで倒れていたのか、なぜヌルドの森にいたのか、なぜ気絶していたのか。


 サツキは全ての質問に「覚えていない」と答えた。


 ドラゴンキラーとは俗称であり、正式名称は異種族殲滅用生体兵器いしゅぞくせんめつようせいたいへいきである。サツキは戦時中、いくつもの異種族を制圧し、モンスターを虐殺してきた。人族の観点から見ると、間違いなくドラゴンキラーは英雄である。その圧倒的な力で人類を勝利に導いた。だが異種族から見るとドラゴンキラーとは悪夢でしかない。様々な土地で破壊と殺戮と血を撒き散らしてきた邪悪な存在、それはまるでドラゴン族のよう、いや異種族にとってドラゴンキラーとはドラゴン族と何ら代わらない、恐ろしい存在なのだ。ダークエルフ族もサツキの正体を知ればこうも親切にしないだろう。


 325年の長い眠りから覚めたサツキは、現在この世界がどのような状態にあるのかわからない。そういう状況で、むやみに争い事は起こしたくなかった。極力目立たないように行動しようと思っていた。自分を助け食と寝床を提供してくれるダークエルフ族には感謝している。


 だが、もしサツキの正体が知られ、そしてもしダークエルフ族がサツキに剣を向けたなら、彼は躊躇なくこの種族を皆殺しにするだろう。


 不意に咆哮のようなものが聞こえ、サツキは起き上がった。遠くの方で空気を震わせる何かが起きた。その音は数秒続いた。


 サツキはリリアの小屋から外に出る。空が白んでいる。空気に朝の香りが混じっている。


 音のした方を見る。森があるだけだ。特に変わった様子はない。だが、確かに何かが聞こえた。森の中で、何かが咆哮したのだ。








「この樹にするか」


 バルガスは目の前に生える一本の大樹を掌で叩く。樹皮が荒く、いくえにも蔦の巻き付いた大樹だった。夜の闇の中でその大樹は塔のようにそびえ立っている。


「デカい樹ですね」


 リアンは大樹を見上げ、その樹皮に手をかける。


「登りやすそうです」


「監視にはうってつけの樹だ」


 そうですね、とリアンは言いながらバルガスを見るが、不意に口をつぐむ。魔眼でバルガスの背後を睨み付けるように見つめている。


「何かいるのか」


「すいません、油断してました。オーガが一匹こっちに向かってきます。おそらく僕らの気配に気づいてますね」


「そうか」


 バルガスはホルダーからナイフを二本引き抜くと、両手に一本ずつ握る。リアンの示した方向に眼を凝らす。闇に馴れてきたとはいえ、距離があるのか何も見えない。だが草の匂いに混じったオーガ特有の渋みのある悪臭をバルガスは嗅ぎとった。俺の直線上にオーガがいる。


「リアン、先に登れ」


「オーガはどうするんです?」


「俺に任せろ」


 リアンはうなずくと、大樹を登り始める。


 バルガスはナイフを指先で回し、空中に放り、落ちてきたナイフをキャッチする。完璧なナイフ捌き。時おり射し込む月光がナイフの表面を照らし出す。


 前方の樹々の間からオーガが姿を現した。強靭な筋肉に包まれた緑色の巨体。右手に握る荒々しい棍棒。歪んだ丸顔の中に潰れたような鼻、分厚い唇、小さい孔のような眼が乗っている。その小さな眼がバルガスを見ている。餌を見る眼だ。オーガはヨダレを垂らし、舌なめずりをした。


「相変わらずお前たちオーガはブサイクで品がないな」


 バルガスは言ったと同時にオーガの顔面めがけナイフを投げる。一瞬の間をおいて、もう一本のナイフも投げる。


 オーガは飛んできたナイフを避けた。しかしそれは避けたというよりは条件反射で身体をずらしただけだった。バルガスはその動きを予想していた。もう一本のナイフがオーガの左目に突き刺さった。


「オオオオオオオオオッ!!」


 顔面を押さえながらオーガは悲痛な咆哮をあげる。ナイフと眼窩の隙間から血が溢れだし、涙のように頬を流れていく。


「デカいな。これじゃ首が狙えない。膝をつけ」


 バルガスはすでにオーガの足元にいた。両手には出血呪術のかけられた鎌を二本握っている。空を切る鋭い音と共にバルガスの鎌がオーガの両膝を深く切り裂く。肉と骨と神経を断ち切られたオーガの脚はその巨体を支えきれず、前方に倒れる。なんとか両手で上半身を支えたオーガの首に、刃物の冷たい感触が当てられる。バルガスはオーガが倒れたと同時に背中に飛び乗っていた。


「すぐ近くにダークエルフの村があるんだ。叫ぶな。近所迷惑も考えろ」


 バルガスはオーガの首に当てていた二本の鎌を勢いよく引いた。刃はオーガの首を頸椎のあたりまで切り裂いた。血が猛烈に吹き出し、気管から空気の漏れる音がする。全身を痙攣させながら、それでもオーガは腕を使い起き上がろうとする。


 そんなオーガの頭をバルガスは踏みつける。


「足掻くな。大人しく死ね」


 血の勢いは止まらない。膝からの出血も激しい。一分もそうしていると、オーガは絶命した。バルガスはナイフを回収し大樹に登る。中腹あたりの枝が密集して生えている辺りにリアンがいた。太い枝に腰掛け、300メートルほど先を眺めている。


「終わりましたか」


 バルガスの気配に気づきリアンが振り返る。


「ああ、そっちはどうだ?」


「よく見えますよ」


 空は白み始めていた。もうすぐ夜明けだ。朝まだきの中に、複数の小屋が見える。ダークエルフの村だ。


「監視にはうってつけの場所ですね」


「そのようだな」


 バルガスは村を眺めながら欠伸をした。ミカルデ村の金品を強奪し始めたのが一昨日の夜、それが終わったのが昨日の朝だ。そこからヌルドの森まで一日中歩き、さらにそこから多くのモンスターが棲み付く森を夜通し抜けてきた。まる一日半寝ていない。八闘級狩人といえど、さすがに疲れていた。枝に座り、樹皮に背中をあずけ、バルガスは眼をつむる。


「リアン、俺は先に眠る。陽が登りきったら起こしてくれ。そこから見張りを交代する」


「わかりました」


 バルガスは瞼の裏に降りてくる睡魔を感じながら思う。明日、へたをすれば今日の夜にはあの三姉妹はダークエルフの村を襲うだろう。そのどさくさに紛れてダークエルフの娘を拐い、アジトに持ち帰る。買い手はすぐに見つかるだろう。ミカルデ村で奪った金もある。すべてが終わったら王都で豪遊するのも悪くない。女を買い、高い酒を飲み、旨い物を食う。俺自身へのご褒美だ。


(悪くない)


 バルガスは心の中で笑いながら眠りに落ちていった。








(何かいるな)


 サツキは村から300メートルほど離れた森の中に生える、一際大きな樹木を眺めた。先ほど響いた咆哮のような音は、あの辺りから発せられていた。


(気配が消えたな)


 しばらくそうやって森を見つめていたが、なんの動きもない。あきらめたサツキは小屋に戻りベッドに転がった。


(まあいいか)


 彼は呟く。


「何がいようと、殺そうと思えばいつでも殺せる」




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