第7話 魔眼
「思ったより早く着きましたね」
リアンは目の前に立ちはだかるヌルドの森を見つめながら、そう呟いた。太い樹木と生い茂る草々。森は夜の闇の中に沈んでいる。
バルガスたちは予定よりも早くヌルドの森に到着していた。徒歩の予定だったが、途中見つけた村で馬を奪い、エーデル平原を一気に駆け抜けてきた。予定よりも一日早い到着だが、遅いよりはいいだろう。
バルガスは森の茂みに顔を突っ込み、鼻孔をひくつかせる。夜気に混じって渋みの強い悪臭と、癖の強い獣臭が鼻腔に入り込む。この独特の臭いには覚えがある。オーガだ。オーガは身長三メートルを超える緑色の巨体と樹木をなぎ払う程の怪力を持った肉食性のモンスターだ。正面切って挑むと恐ろしいが、オーガは知能が低く動きも遅いため搦め手が通用する。そのため危険度も4と低く設定されている。
もうひとつの臭いはオウルベアだ。熊の身体から梟ふくろうの頭が生えている、なんとも奇妙なモンスターだ。硬質な毛皮に覆われた二メートル超の巨体、猛禽類特有の視界の広さ、腕の毛は鳥の羽根のようになっていて、滑空するように素早く移動する事が出来る。雑食性で口に入るものなら何でも食べる、貪欲な食欲を持っている。こちらはオーガよりひとつ下の危険度3に分類される。
バルガスとリアンからすれば難なく殺せるモンスターたちだが、夜の森という状況だと話が違ってくる。暗闇はバルガスたちの視界を奪う。空には煌々と輝く月が浮かんでいるが、鬱蒼とした森の中にまでその光は届かない。何よりこの森を縄張りとして生活している為、地形は圧倒的にモンスターに有利だ。
また、モンスターの数もわからない。一頭ずつ相手に出来るならまだ良いが、もし現れたのが群れをなすオーガだったら?危険度が低いとはいえ、暗闇の中でモンスターの集団に遭遇する、それは死に直結する。
それにバルガスの嗅覚が捉えなかっただけで、他にも様々なモンスターがこの森の中を徘徊しているだろう。二人でこの森に入るのは、あまりにも無謀に思える。
「リアン、【魔眼】の調子はどうだ?」
茂みから離れ、右目を掌で押さえているリアンにバルガスは問いかける。
「しばらく使ってなかった割りに、いい感じですよ」
リアンは当てていた掌を外す。右目の虹彩に複雑な模様の魔方陣が浮き上がっている。夜の闇の中に、その眼は青い幽光を漂わせる。
「精巧な【魔眼】だな。いくらしたんだ?」
「さあ、ガキの頃に両親が作らせた物なんで詳しくは知りませんけど、たぶん金貨500枚はしたんじゃないですかね」
その金額に、バルガスは思わず笑ってしまう。金貨500枚といえばユリシール王国の王都に店を構える大物商人の一年間の稼ぎに匹敵する。平民なら三、四年食っていけるだろう。
【魔眼】とは魔方陣の刻み込まれた義眼を意味する。魔方陣の種類によって様々な能力を義眼に宿すことができる。製作には熟練の魔術師と腕の立つ義眼職人が必要で、さらに魔水晶と呼ばれる特殊な鉱石を用いる為、非常に高価だ。とてもじゃないが、平民の手の出せる代物ではない。
魔方陣を物体に刻み込む技術、かつては魔方陣を直接人体に刻み込む事が可能だったという。魔法技術の頂点を極めた約300年前、人族はその技術を使ってドラゴンキラーと呼ばれる生体兵器を造り出した、とバルガスは王国ギルドの文献で読んだことがある。バルガスはその記述に懐疑的だった。バルガスはドラゴンとアスピスの混血と呼ばれる飛竜ワイバーンをジュルグ帝国領の山岳地帯で見たことがある。全てを咬み砕く凶悪な顎、岩のように頑強な鱗に覆われた身体、太陽を遮る一対の翼・・・正直、圧倒的だった。山をえぐり村を焼き空を征する。ドラゴンはあれよりも恐ろしいと言われる。そんな生物と人間が対等に渡り合うことなど可能なのか?
もっとも、その技術は種族全面戦争終結と共に失われた。戦争は人族の人口の60%を奪い、様々な魔法技術も消滅したといわれる。だからドラゴンキラーが本当にいたのかどうか、誰にもわからない。
しかし、とバルガスはリアンを見ながら思う。
(薄々気づいてはいたが、やはりこいつは貴族の出身か)
リアンは腰が低く軽い喋り方をする若者だが、時々その振る舞いや立ち姿に凛とした物が混じることがある。そういう時のリアンには品位と教養が感じられ、普段の姿からは想像もできないほど厳かな雰囲気を纏う。バルガスはそういう彼の気配を感じとり、貴族だと当たりをつけていた。
(もっとも、コイツが自分から身分を明かすことは無いだろう)
そもそも貴族が冒険者のような危険な職に付くことはあり得ない。貴族は自分の領地から吸い上げた金で遊び暮らしている奴等がほとんどで、もちろん国に奉仕し政治に関心の深い貴族もいるが、それは少数派だ。貴族は非常に世間体を気にする人種で、自分達の血筋から冒険者のようなやくざな職業に就く者を輩出する事を赦さない。つまりリアンはもう貴族ではない。没落したか、あるいは絶縁を叩きつけられたか。
(後者だろうな)
犯罪ギルド【ダムド】に入るような人間はバルガスを含めまともな人種じゃない。リアンはこの【ダムド】に入って様々な犯罪に手を染めてきた。殺し、奪い、踏みにじる。その全てを、リアンは楽しそうにこなしている。リアンは破綻者なのだ。おそらくそれが原因で貴族を追い出されたのだろう。
「見えるか?」
「よく見えますよ。色々なモンスターがいますね」
リアンは森の奥を見つめながらバルガスに言う。
リアンの【魔眼】は魔力を可視化する事が出来る。全ての生物は魔力を有している。魔力とはただ生活しているだけでも身体から漏れ出すものだ。リアンはその漏れ出す魔力を見ることで森のどこにモンスターがいるのか把握できる。また魔力の大きさでそのモンスターの危険度を計ることも可能だ。一見地味に思える能力だが、どのような状況でも危険をいち早く察知できるリアンの能力はこういう職業では重宝される。
「よし、これから俺達は北東にあるダークエルフの村を目指す。お前は常に周囲を警戒しモンスターの位置を把握しろ。極力モンスターを避けながら進み、やむを得ない場合だけ戦闘する。まあお前がしっかり働けば、モンスターとの戦闘は一度も起きないだろうがな」
「まかせてくださいよ」
リアンはにやりと笑い、腰に差したロングソードを叩く。
バルガスは革のベストに収められた13本のナイフと腰に下げている2本の鎌を確認する。全てが狂暴に輝くほど研がれ、さらに2本の鎌には出血呪術と呼ばれる、切りつけた相手の皮膚と血管の治癒能力をいちじるしく低下させる呪いがかけられている。この鎌で切られた者は出血多量で死ぬことになる。バルガスは満足げにうなずくと
「行くぞ」
ふたりは森の中に足を踏み入れた。
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