第6話 ドラゴンキラー




 ダークエルフの村から100メートルほど離れた森の中に青年がひとり立っている。空は夕焼けに染まり、森の中には闇が広がりつつある。あと数分もすれば夜が訪れる。


 青年は一枚の布で作られた、簡単な民族衣装のような服を着ている。ルイという屈強なダークエルフが貸し与えてくれた物だ。ルイの服は青年には大きすぎて裾を引きずってしまう。それを見たリリアという少女のダークエルフが腰ひもで裾の長さを調整してくれた。


「魔力がほとんど出せない」


 自分の掌を眺めながら青年はため息を吐く。そして右腕の袖をめくり、肩から首筋までうねっている黒い模様に目を向ける。強力な呪い。身体を蝕む黒い呪術。


「黒竜め、忌々しい物を刻みやがって」


 青年は吐き捨てるように呟く。青年はこの呪術の侵食を食い止めるために、ほぼ全ての魔力を費やしている。ドラゴン族最強とうたわれた黒竜が自身の右腕と左眼を媒体に、その魔力の大半を注ぎ込んで刻み付けた呪い。極大魔法にすら匹敵する破壊力を秘めたその呪術、通常の人間ならば一秒も持たず黒い灰に変わっているだろう。しかし青年はその呪いを自身の魔力で抑え込んでいる。


 青年の名はサツキという。そしてこのサツキこそ325年前の種族全面戦争時、人族の切り札として異種族を制圧・虐殺し、ドラゴン族と対等に渡り合ったといわれる異種族殲滅用生体兵器ドラゴンキラー、その最後の生き残りだった。


 サツキはこの325年間、黒竜の呪いに犯され眠り続けていた。ドラゴンキラーに寿命はない。皮膚・筋肉・血管に刻まれた略式魔方陣は魔力が供給される限り永遠に作動し続け、サツキの生命活動を維持する。傷は瞬時に治癒し、細胞は再生し若さを維持する。心臓に埋め込まれた半永久魔力精製炉が破壊されない限り、ドラゴンキラーが寿命で死ぬことはない。


 目覚めた時、目の前にダークエルフの少女と老婆の顔が浮かんでいて驚いた。そして現在の暦を聞いて、あの戦争から300年以上が経過していることに愕然とした。


 今のサツキが自由に出来る魔力は[2500]だけである。これは一般的な人間の魔力保有量とほとんどかわらない。人造強化骨格と略式魔方陣により通常の人間とは比べ物にならないほどの身体能力を有してはいるが、それでも魔力を制限されている状態では、本来の力からほど遠い。


(全開で戦えるのは30秒だけか)


 サツキは右肩を押さえる。先ほどからサツキは黒竜の呪いを抑えている魔力を消しては戻し、消しては戻しを繰り返していた。その結果、魔力を消してから呪いが身体を侵食するまでに、ある程度のラグが発生することを掴んだ。サツキの膨大な魔力と呪いの膨大な魔力がぶつかり合い、数秒だけお互いの力が相殺する。その時間が30秒なのだ。つまりサツキは呪いが侵食を開始するまでの30秒間だけ、全力を出すことが出来る。しかしその30秒が過ぎれば魔力を一切使うことができず、回復までまる一日はかかるだろう。


 だが。


 その30秒間だけは、異種族殲滅用生体兵器ドラゴンキラーとしての本来の力を取り戻す。


 325年前、圧倒的な力で全種族とモンスターを恐れさせた禍々しい力。


 128人いたドラゴンキラー中、最強と呼ばれた生体兵器No.11の魔力。


 ドラゴン族、その頂点に君臨する黒竜を瀕死に追いやったその戦闘能力。


(ドラゴンを相手にするならまだしも)


 サツキは思う。その思いには驕りも謙遜も一切含まれていない。自信ではない。余裕でもない。それは純然たる事実だ。サツキは淡々と呟く。


「30秒で俺が殺せない生物はいないだろうな」








 リリアは闇に沈んだヌルドの森を小走りで進んでいく。今朝リリアの助けた青年、サツキが村に戻ってこない。彼は一時間前に「散歩に行ってきます」と言い残し森の中に入っていった。


 夜の迫る森は危険だとリリアは彼を引き留めたのだが「すぐ戻りますよ」とサツキは強引に歩き去ってしまった。それから一時間が経過している。


(何かあったのかもしれない)


 リリアは不安になり、いてもたってもいられず、ヌルドの森に飛び込んだ。村の周辺は比較的安全だとはいえ、夜になると餌を求め活発に動き出すオーガや、グールと化したゴブリンが徘徊を始める。もしそういったモンスターにサツキが遭遇していたら・・・リリアは悪い方向へ流れる思考を振り払った。最悪の事態を想像している暇があったら、まずはサツキを捜索することが先だった。


(それにしても)


 リリアは思う。


(警戒心が薄いなあ)


 人族は国という物を作って、その中で大勢の仲間たちと平和に暮らすという。この森から一番近いユリシール王国には人以外の種族が棲んでいないと聞いたことがある。そういう状況で生活している人族は、生命の危機という概念が薄いのかもしれない。仲間に囲まれ、モンスターの襲撃も無い、そんな平和の中で暮らせば、リリアの警戒心だって希薄になってしまうだろう。


(でも、この森じゃ、それは命取りだ)


 リリアは焦っていた。せっかく自分が助けた命が、あっけなく失われる、その事にリリアはやるせなさを感じている。助けたからには生きていて欲しい。


 確かにそれもある。しかしそれにしたって、なぜ自分がこんなにもあの人間を心配しているのか、リリアにはよくわからなかった。


 青年と会ってまだ数時間である。それなのにリリアはサツキの顔を見ると鼓動が速くなり、頬が火照り、思考が揺れ動く。全てはサツキが目覚めた時、その紅い眼を覗き込んだ所から始まっている。


 それは一目惚れという現象であったが、今まで恋をしたことの無いリリアは自分の感情に気づいていない。ただただ戸惑うばかりである。


 数分ほどそうやって村周辺を探していると、前方の茂みをかき分け、サツキが姿を現した。


 汗と草に汚れたリリアを見つめ、驚いたような顔をする。


「リリアさん、どうしたんですか」


 サツキの間の抜けたような声に、リリアは安堵し、それから怒りが沸々とわき上がるのを感じた。


「どうしたんですか、じゃないですよ!夜の森は危険だって言ったじゃないですか!それなのに全然帰ってこないから探してたんです!まったく、この中は比較的安全ですけど、それでも凶暴なモンスターはいるんですよ!少しは危機感を持ってください」


 すいません、とサツキは謝るが、その姿には悪びれた様子は一切無い。リリアはため息をつく。まだ出会って数時間しかたっていないし、種族も違うから仕方がないのかもしれないが、リリアはサツキという人物の内面をうまく掴めていなかった。サツキの発する言葉には心が籠っていない。表情も笑ってはいるが、どこか嘘臭い。サツキは厚いベールのような雰囲気で、何か重大なことを隠している。しかし何を隠しているのかリリアには分からない。


 リリアの怒りは徐々に引いていった。とりあえず、サツキは無事だった。今はそれでいい。


 サツキの腕を握ると「危険だから帰りますよ」


 リリアは歩き始める。


「危険なんですか?」


 サツキは不思議そうに聞く。


「危険です」


 ぴしゃりとリリアは言い、サツキを睨み付ける。サツキもリリアを見返す。リリアは自分の褐色の頬が赤く染まっていくのを感じ、目をそらす。心臓の鼓動が速い。


(なんなのこれ)


 リリアはうつ向きながら村へとすすんでいく。


 サツキは夜に沈んだヌルドの森の闇を眺める。この闇の中を様々なモンスターや魔物が徘徊しているのだろう。だが


(俺より危険な生物がこの森にいるか?)


 サツキは薄く嗤いながらそう思った。





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