そうしてまた、始まる。〜テーマ:映画〜

折戸みおこ

***

ある日の明け方、貴方は生まれました。体重3000g程の元気な男の子です。地方都市の中流家庭で貴方は育ちました。幼少期から絵を描くのが好きで、他の子が外で遊んでいても見向きもしませんでした。当然のことながら画力は人一倍早く身に付き、小学校の頃は地域のコンテストで入賞することもありました。

しかし絵が描けたって人気者でいられるのは低学年の間まで。背が伸びるにつれ、周囲は貴方を指して“ジミ”、“インキ”と言うようになりました。その言葉たちから逃れるために貴方は他の子の真似をして必死に“ミンナト同ジ”を繕うようになりました。他の男の子達がやるようにサッカーボールを蹴ってみたり、プールではしゃいでみたり。最早、貴方は何に対して必死なのか、わからなくなっていきました。

ノートの隅に落書きをするものの、画用紙や絵の具を避け続けた中学生活も半ば、貴方の母が他界しました。交通事故が原因でした。学校にいた貴方が報せを受けて病院へ駆けつけた頃には貴方の母の顔の上には白い布が掛けられていました。そのとき側にいた看護師が母の最後の言葉として告げたのは、病院に運び込まれて間もない母が朦朧とする意識の中で言った、貴方への応援でした。


「絵を、描いて」


それからというもの、貴方は家事をこなしつつまた絵を描き始めました。高校に上がった貴方は油絵を専門に技術を身につけようとしましたが、貴方の父は絵画を職にしようとする貴方に対し否定的でした。非現実的だ、さっさと諦めろ、馬鹿な夢を見て何になる、などと時には声を荒げることもありました。高校卒業後は美術大学への進学を志望しましたが、親の助けなしに進学できるわけもなく、貴方は父の言う通り、それなりに名の知れた大学へ進学しました。誰も自分の意志を肯定してくれる人などいませんでした。

大学入学後、貴方の生活は一変しました。貴方は最低限単位取得に必要な分だけ講義を受け、空いた時間はバイトに明け暮れました。稼いだお金で夜通し遊び、行きずりの人と体を交わしたことも何度もありました。家に帰ることも少なくなりました。

就職活動も無難な結果に終わらせた頃には、貴方は画材道具を全て捨ててしまっていました。さらにはこれまで描いてきた作品も、買い溜めた画集も、絵画に纏わる一切を身の回りから吐き出していました。

就職し、社会人になってからは、今度は人が変わったように黙々と働きました。そうやって遂に忘れてしまおうとしました。描いてきた日々も、見える景色の中で探し出す己の心も、そして、母の言葉も。きっとそうしてみんな生きているんだ、と、どこかで聞いたような適当な文句を連ねて働き続けました。

ただ、そんな貴方を心配する人がいました。彼女は貴方の幼馴染でした。彼女はキャンバスや絵筆や絵の具や一式全てを貴方の部屋にいきなり担ぎ込んで、貴方の手に絵筆を握らせ、涙を流して訴えたのでした。

「絵を、描いて」

一体、どれだけの記憶が、感情が、貴方の頭の中に流れ込んできたのかは貴方しか知り得ません。ただ、貴方はまた絵筆を執ったのです。

会社は辞めました。フリーターとして働きながら少しでも時間があればデッサンの練習を重ね、まとまった時間ができるとキャンバスにひたすら色をのせました。一枚完成させるまで寝る間を惜しんで描くこともありました。それでもなんとか生活できたのは他でもない幼馴染の彼女の支えがあったからでした。

彼女と二人で暮らすようになっても貴方は彼女に結婚したいとは言えませんでした。コンテストに出品しても落選を繰り返すばかり。自分なんかと一緒にいるよりも、もっとちゃんと幸せにしてくれる男の元へ行ってほしい。そう思ったのです。

三十も半ばを過ぎると、貴方は日に日に不安と焦燥に駆られるようになりました。自分はことままだと自称画家で終わってしまうのではないか。死ぬまでの長い長い間この生活を続けるとなると目眩がしそうでした。どうしようもない気持ちをぶつける矛先が彼女に向くこともしばしばありました。その度に尚更頭を垂れることが多くなりました。

だからでしょう。貴方が彼女に出て行ってほしいといったのは。

貴方は彼女の居なくなった部屋で、初めて彼女の絵を描きました。恋心も贖罪も感謝も愛情も、全てを一枚の油絵に託しました。どうか彼女に届くように。それだけを胸に全てを忘れて描き続けました。

そして、ついにこの日が来たのです。

貴方は漸く出来上がった油絵の隅に己のサインを入れ、キャンバスの裏に彼女の名を記しました。イーゼルに立て直し、できるだけ離れたところから絵を眺めました。美しい。純粋にそう思いました。訳のわからないほど底知れない満足感が、心の底から湧きあがってきたのがわかりました。

窓からは朝焼けの白い光が差し込み、どこからか小鳥の鳴き声がします。もう何日寝ていないのか、何日食べずに過ごしてきたか、判然としませんでした。少し横になろうと思うより先に、貴方の身体は部屋の壁にもたれたままずるずると座り込み、そのまま瞼を閉じました。その裏には彼女の姿がありました。貴方はもう一度その手を取ろうとして、辞めました。ただひたすらに彼女の幸せだけを願って、深い深い眠りに身を任せました…。


さて、漸く長い映画が終わりましたねぇ。まあたった40年分なのでそう長くもありませんが。え?ここはどこだって?お前は誰だって?今自分は寝付いたばかりじゃないかって?ええそうですよ。正しく言うと寝付くようにして貴方は死んだ。だから映画も終わったんです。そろそろ場内の灯りが点きます。そうしたら少し休憩を挟んでまた次の映画が始まります。そうすると、また次の生が始まる。その繰り返しです。

おや、灯りが点きましたねぇ。お立ちになって出口へどうぞ。ごゆっくり休憩なさってください。あら、してここはどこだと、お前は誰だと、まだそんなことをお聞きになるのですか。まあ言うなれば、ここは天国、私は天使といったところでしょうかねぇ。


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そうしてまた、始まる。〜テーマ:映画〜 折戸みおこ @mioko_cocoa

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