後編
ミラーハウス(壁に穴が開いている)、ホラーハウス(床が腐っている)、ジェットコースター(線路の先がない)を南雲たちは歩いて回った。
「おー見て見て! いかにも出そうだよ」
「だから来たんじゃないのか」
狛江は南雲には見慣れた一つ一つに、驚いてはしゃいでいた。
わざとらしい感じは全くしない、根が子供のままといった感じだ。
「あ」
また、彼は子供のように笑う。
「観覧車だ」
懐中電灯の明かりを向けると、さびれた鉄骨が目に映った。
小さな遊園地だったから決して大きくはない。高さはせいぜいビルの三階といったところか。
南雲が一番この遊園地で嫌いな建物だった。
「これ乗れる?」
「乗れない。万が一乗って、鉄骨がポキッといったらどうする」
「びっくりするだろうね」
「……それで済めばいいがな」
今はぼろぼろでかろうじて立っているといったような観覧車だが、かつて南雲も乗っていた。多分、五年ぐらい前だが。
「ねえ、どうして遊園地をやめたの?」
南雲の呼吸が一瞬止まった。狛江はそれを知っているのか、知らないのか。ただ不思議そうにこれを見上げている。
「……事故があったんだよ。丁度こいつで」
本来起こるはずのない事故だった。
ある日、本当にある日突然、一人の男が頂上付近で窓を割り飛び降りた。ただ目立ちたかったのかもしれない。最後の最後ぐらいという気持ちで飛び降りたのだろう。
――南雲もそれを見ていた。男の顔は逆光で真っ黒だったが、笑っているように感じられた。まるで満足したような顔は瞬時に赤に染まった。もちろん南雲の視界も、全てが赤に染まった。
「あれ以来、幽霊が出るって噂になって――つぶれた」
「……そう」
淡々とした狛江の返しに、南雲は怒りに近い不満を覚えた。
なぜ、どうしてここで死んでくれたのかという理不尽への恨みは今も南雲の中で強く残っている。
ここじゃなくて別の場所で死んでくれたら、ここはまだ人の笑いを残していたのかもしれないのに。
どうしようもなく悔しくて、意味がないと知っていても憎かった。
「でも、ここにはいないのにね」
「は」
おもわず間抜けな声がでた。慌てて狛江を見てみると、相変わらずニコニコと観覧車を眺めていた。
「その死んだ人、死ぬのが目的だったみたい。死んだら満足したみたいで――観覧車には何もいないよ」
「お前、ひょっとして霊能者ってやつか」
この男ならそれでもおかしくはない。やたら浮世離れしているし、自由業とか言っていたし。だが、狛江は肩をすくめ、
「さあね」
どうでもいいというように、それだけ言った。
この様子といい、仕草といい、きっと聞いても答えてはくれないだろう。
代わりに狛江のほうが尋ねてきた。
「南雲君はこの遊園地が好きなの?」
南雲は答えに詰まった。
答えは決まっているが、彼はそれを素直に言えるような性格ではない。
「別に、うちの土地だから守っているだけだ」
「ふーん」
狛江は気のない返事をし、そのまましゃがむ。聞いておいて、その反応はないのではないのだろうか。
と、狛江の手が一本の草を摘み取った。
橙色の袋が風に揺れている。月光がその袋を薄く照らし、ひどく幻想的な色合いに輝いていた。浮世離れした雰囲気のある狛江に、それはよく似合っていた。
「鬼灯か」
「こうやって見ていると命の花みたいだね」
「ロマンチストだな」
「夢があると言ってよ」
祖母がこの花が好きで、祖父は周りの反対を押し切ってここを『鬼灯ランド』としたらしい。どう考えてもいい名前には思えないのは、南雲だけではないはずだ。
「面白い話を聞いたことがあってね」
橙色が狛江の手の中で揺れている。
「ここにはオーナーの孫の幽霊が出るらしい」
一瞬、息が止まったように感じられた。
「……俺、御覧の通り足があるけど」
「何でも自殺した男の下敷きになって死んだらしい。それ以来、ただそこにいる。ずっと
狛江がこちらを向いた。
その顔は相変わらず笑っていて――そこで初めて南雲は彼の瞳が全く笑っていないことに気がついた。無機質な笑顔が、南雲の本能的な恐怖を逆なでした。
「知っている?」
「何を、だ」
応える自分の声が震える。が、狛江は気にすることなく続けた。
「ここの土地の
それは当たり前で決まっていることだ。でも南雲は答えることが出来ない。
口の中が乾いていて、喉で言葉が止まってしまう。
「五年前だっけ、事故があったのは」
「あ、ああ」
「にしては、おかしいよね。たった五年でこんなにもボロボロになるものなのかな」
今にも崩れそうな観覧車、腐った床のホラーハウス、濁った鏡のミラーハウス。
頭が痛いというか怖い。理性が、感情が、心が、南雲の全てが声にならない悲鳴をあげた。
「今のここの所有者はT工業、ここに工場を建てたいらしいんだけど」
聞きたくない。南雲は耳を抑えたが、そんなことはどうでもいいというように、狛江は世間話のように残酷に話を続けた。
「幽霊が出るっていうか、邪魔するらしいんだよね」
だって、ここはうちの土地じゃないか。不法侵入者は追い出さないと、ここを自分が守らないと、だってここは――
「結構ひどいって話で、僕のところに話が来たんだけどね」
狛江の眼はひどく冷めていた。
同情も哀れみも、そこには何も存在してはいなかった。
「君、知っているでしょ」
知らない、俺は何も
「もう死んでいるんだよ、南雲武志君?」
それが合図だったかのように、辺りを照らしていた灯りが消え、思わず南雲は
懐中電灯を手放してしまった。
軽い乾いた音が地に沈む。灯りを求めてそれ拾おうとして、南雲は自身の右手が変な方向に曲がってしまっていることに気が付いた。これでは拾えない。固まって変色している血が、手を侵食するように覆っている。
どうして、何で、かろうじて残っていた理性が悲鳴を上げ、消滅する。
オレ ハ モウ シンデ イタ ?
狛江が南雲の顔を覗き込んだ。
彼の眼には南雲はどう映っているのだろう。だが、彼の瞳は南雲を映してはくれなかった。
「そうだ、最後に記念。鬼灯の花言葉教えてあげるね」
その声は奇妙なうなりを伴っていた。
「偽りって言うんだって」
そこで彼の全てが終わった。
――――――
一人の男が立っていた。
めずらしい長い髪が風に入れ、右手にある鬼灯が何かを送るかのように揺れる。
「これでめでたしめでたし、かな?」
男の右手が開き、ふわりと鬼灯が地に落ちる。
まるで命のともし火のような橙色が地面を飾った。
「なんだか、お墓の前みたいだね」
ここは彼の家であり、思い出の地であり、墓でもあった。
鬼灯はただそこを彩る。
死者への道しるべのごとく、ただそこに無言で咲いていた。
鬼灯の夜 石崎 @1192296
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