正義の行く末

湖城マコト

正義の味方に憧れた二人の少年

 ――将来は正義の味方になる。


 二人の少年がそんな夢を掲げたのは、小学校低学年の頃だった。

 口数少なく大人しい性格だが、誰よりも優しかった月島つきしま数馬かずまと、快活な性格で、行動力を持った海藤かいとうなごむ

 性格的には対照的だが、二人は同じ志を持つ親友同士だった。

 きっかけは、当時放送していた特撮ヒーロー番組の話題で盛り上がったこと。ヒーローという存在――正義の味方は二人の憧れであり、お互いを引き合わせてくれた絆でもある。

 ヒーローの話題で盛り上がる度に、二人は口を揃えて「将来は二人で正義の味方になろう」と誓い合った。

 この時点ではまだ、それは夢というよりも、テレビの中のヒーローに対する無垢な憧れに過ぎなかった。

 成長していくに連れ、特撮ヒーローから離れていく子供も増えてくる。二人も例外ではなく、いつしか番組を視聴するのを止めてしまったが、根底にある「正義の味方になる」という夢そのものは消えてはいなかった。

 むしろ、大人に近づくにつれ、夢の形はより具体性を帯びてくる。

 法を守る警察官だったり、人命を守る医療関係や消防関係の仕事だったり。現実的な意味での正義――人助けを行える仕事に就こう。夢は、そういった形へと進んで行った。


「数馬。小学生の頃に、二人で話した夢を覚えているか?」


 中学の卒業式の日。学校の屋上で和が切り出した。

 父親の仕事の都合で、数馬は一週間後にこの街を離れることが決まっており、高校も別々となってしまう。

 こうして互いに顔を会わせて夢を語り合えるのも、もしかしたらこれが最後かもしれない。


「もちろん覚えているよ。『二人で正義の味方になる』だよね」

「今になって思い返すと、少し恥ずかしいけど、あの頃の俺らは、小さいなりに真剣だったよな」

「うん。本気で正義の味方になりたい思った」


 屋上の柵に腕をかけ、生まれ育った街を二人で見渡す。


「流石にヒーローそのものにはなれないけど、俺の根っこはあの頃から変わっていない。俺は将来、警察官になろうと思う」

「うん。凄く、和らしいと思うよ」


 正義感の強さはもちろんのこと、和は体格も良く、中学三年生時点で身長はすでに180センチに達している。強くなりたいという一心で、小学生の頃から柔道の道場にも通い、精神と肉体の両方を磨き上げてきた。そんな和が警察官を志したのは、必然だったのかもしれない。


「数馬は、将来はどうするんだ?」

「僕も根っこは変わっていない。だけど、まだ夢と呼べるようなものは無いのが現実だ」


 数馬の中の、正義の味方になりたいという思いは変わらないが、自分の思い描く正義を貫くためには、どういった職業につけばいいのかがまだ分からなかった。とはいえ、焦っているわけではない。数馬はまだ15歳。将来を考える時間は、まだまだ残されている。


「見つかるといいな。お前なりの正義の形」

「うん。きっと見つけてみせるよ」


 歩む道は違うかもしれないが、正義の味方を志した者同士の友情は変わらない。

 お互いの未来に幸あれと、二人は拳を突き合わせた。


 それから15年――




「それじゃあ、俺はこれで上がります」


 同僚に一声かけて、海藤和は職場である警視庁捜査一課を後にする。

 ここ数日は事件の捜査で泊まり込むことも多かったが、事件が一応の収束を見せ、この日は早めに上がることが出来た。明日は久しぶりの非番だ。

 和が警察官になり、もう10年以上が経つ。少年時代より根底に根付く、正義の二文字が揺らいだことは無いが、それでもこの仕事をしていると、色々と考えさせられることもある。

 極悪非道な殺人鬼を相手にすることもあれば、優しさのあまり犯罪に手を染めてしまった人間を逮捕しなければいけない時もある。人間性という意味では、全ての犯罪者を悪と切り捨てることは出来ない。

 だが、この社会には法律という絶対的なルールが存在する。法を犯してはいけない。そして、警察官は法を犯した人間を捕まえなければいけない。

 法律順守。それこそが和の辿り着いた、一つの正義の形であった。


「少し飲んでいくか」


 疲労感は否めないが、幸いにも明日は非番だ。最近は急がしくて馴染みの店にも行けていなかったし、今日くらい飲んでも罰は当たらないだろう。

 そう考えて、和が行きつけの店がある繁華街の方へと歩いていると、


「和。もしかして、海藤和かい?」


 背後から声をかけられ、和が振り返るとそこには、


「お前、もしかして数馬か?」

「そういう君は、やっぱり和だ。久しぶりだね」


 和の視線の先には、ダークグレーのスリーピースのスーツに、ブリーフケースを携えた月島数馬の姿があった。

 お互いに30代に入り幾分か老けたが、共に正義の味方を志した友人同士。その顔を見間違えるはずがない。


「本当に久しぶりだな。中学を卒業して以来じゃないか」

「うん。15年振りくらいだね」


 お互いの顔を見ているだけで、小、中学校生時代の記憶が鮮明に蘇る。中学卒業以来疎遠になっていたとはいえ、互いに大切な親友同士であることに変わりはない。


「数馬。俺はこれから飲みにいく予定なんだが、もし時間があれば少し付き合わないか? 久しぶりに会えたんだ。色々と話したい」

「僕は構わないよ。こっちへは仕事の関係で来ているんだけど、今日の分の仕事は終わって、後はホテルに戻るだけだから」

「なら決まりだな」


 和は指を鳴らし、その表情には笑顔が覗く。アラサー男の一人暮らしに加えて、刑事という職業だ。心の底から楽しいと思える出来事は、随分とひさしぶりだった。




 二人は路地の一画に佇む、和の行きつけのバーへとやってきた。落ち着いた印象の店内は、思い出話に浸るにはピッタリだ。


「噂には聞いてるよ。和は今、警視庁で刑事をやってるらしいね」

「まあな。実を言うと、昨日までは泊まり込みで仕事だった」

「大変そうだね」

「大切な仕事だし、大変だと思ったことはあまり無いな」

「やっぱり、和はヒーローだ」


 サラリと言ってのけるあたり、和は変わっていないなと数馬は思う。自身の生活よりも、誰かの平和のために時間を割く。それは誰にでも出来ることではない。


「数馬は今、どんな仕事をしているんだ?」

「見ての通りのしがないサラリーマンさ。今回もそうだけど、出張する機会も多いからなかなか大変だよ」

「でも、そのおかげで再会出来たな」

「違いないね」


 再会を祝し、二人は15年前のように拳を突き合わせた。


「お前と肩を並べて話していると、童心に帰った気分になる」

「二人で正義の味方になる。それが、僕達の誓いの言葉だったね」

「あの言葉、忘れたことは無かったぜ」


 だからこそ、今の和があると言ってもいい。あの誓いは、刑事としての和を形成する重要な要素の一つだ。


「僕も忘れたことは無いよ。僕の仕事は、直接人助けをするわけではないんだけど、給料の一部を定期的に養護施設に寄付したりはしているんだ。僕なりの正義のつもりでね」

「お前は優しいな」


 数馬らしい正義の貫き方だと和は思った。心優しき親友は、15年経っても変わっていない。そのことに、とても安心した。


「今夜は語り尽くそうぜ――」


 和が陽気に数馬の肩に触れるも、そんな楽しい時間に水を注す音が、和の上着のポケットから響いた。


「電話?」


 表示された番号を確認すると、それは職場の同僚からのものだった。正直、嫌な予感がした。


「海藤だ」

『海東さん。事件です』

「分かった。俺もすぐに向かう。場所を教えてくれ――」


 幸い酒はまだ飲んでいなかったし、事件と聞いて黙ってはいられない。

 胸ポケットから取り出したメモ帳に目的地を書きとめると、和は複雑な表情で同僚からの電話を切った。


「……すまん仕事だ。おれから誘ったのにすまんな」

「仕方がないさ」

「本当にすまん」


 頭を下げると、和はメモ帳からページを一枚切り取り、手短に何やら書き記し、数馬へと手渡した。


「俺の連絡先だ。いつになるか分からないが、機会があったら飲み直そう」

「そうだね」

「それじゃあ、俺はこれで」


 約束を交わすと、和は足早にバーを後にした。


「……ごめんよ、和」


 ネクタイを緩め、数馬は木目調の天井を見上げた。


「君の仕事を増やしてしまった」


 


「海藤さん。呼び出してしまい、申し訳ありません」

「気にするな。それよりも害者は?」


 連絡を貰ってから15分程して、和は事件現場となった高層マンションの一室を訪れていた。

 被害者は、リビングのソファーの上で力尽きていた。天井や壁には血が飛び散り、白一色だった室内に気味の悪い彩りを与えている。


「被害者は、根城ねじょう誠司せいじ35歳。死因は、鋭い刃物で頸動脈を切られたことによる失血死と思われます」

「犯人に繋がりそうな物は?」

「一つあります。犯人が意図して残していったようですがね」

「どういう意味だ?」

「これを」


 海藤が手渡されたのは、一枚のメッセージカードだった。表面には処刑台を模したエンブレムが描かれており、裏面には黒い下地に白い文字でメッセージが記されている。


『法の裁きを逃れた大罪人が、また一人この世から消えた。私は悪を絶対に許さない。正義の名の元に、私はこれからも罪人を裁き続ける』


「……処刑人の仕業か」

「手口も一致していますし、何よりも被害者が」

「法の裁きを逃れた者だった」

「はい。被害者の根城は、過去に5人の女性を殺害した容疑で逮捕されていますが、証拠不十分で不起訴となっています」

「そうか……」


 今回の犯行は、処刑人の仕業で間違いないと思われた。

 正体不明の殺人犯――通称「処刑人」。奴は、法の裁きを逃れた悪人だけを狙い死という罰を与えている。

 最初に処刑人の関与が疑われたのは今から9年前。代議士である父親の権力を使い、殺人の罪から逃れた男が殺害された事件が始まりとなる。この9年の間に処刑人が手を下した罪人は、これまでに303人。今回の殺しも処刑人の手によるものだとすれば、304人目となる。

 その素性は一切不明。年齢や性別。果てには全ての事件が一人の処刑人によるものなのか、あるいは複数人存在しているのか。謎は多い。

 法を逃れた許しがたい罪人たちに罰を与える処刑人の存在を英雄視し、正義の味方と呼称する者もいる。それは警察関係者でも例外ではなく、口に出さないまでも、処刑人の存在を必要悪と見なす者も少なくない。

 

 だが、海藤和は違う。


「……正義の味方が、法を犯してはいけないんだ」


 例え相手が罪人であろうとも、殺人を正当化してはいけない。ましてや、正義の味方などと崇めてはいけない。

 無論、そういった存在を生み出してしまった責任は警察にもある。現在の体制や捜査方法にもきっと問題点はあるのだろう。法で裁けぬ罪人が存在するということには、力不足を感じざるおえない。


 だが、そういった身内の問題点を顧みた上でも、和はあえて強く誓う。


 正義の味方が、法を犯してはいけない。


 処刑人を絶対に捕まえる。それもまた、和の正義なのだ。




『出張、お疲れ様です』


 宿泊しているビジネスホテルへと戻った数馬は、職場の同僚に定時連絡を入れていた。こちらでの仕事は全て果たした。後は本社に戻るだけだ。


「次の仕事は、もう決まっているか?」

『月島さんさえ問題無ければ、今週中にもう一仕事お願いしますが』

「構わない。僕が戻るまでに情報をまとめておいてくれ」

「分かりました……」


 同僚の声が微かに小さくなった。何やら不安を含んでいるような声色だ。


「どうかしたかい?」

『仕事を振っている私が言うのもなんですが、少し働き過ぎじゃないですか?』

「この仕事は僕の天職だ。辛いと思ったことは無い。それに、仕事が多いということは、それだけ世の中に悪がはびこっているということだ。黙ってなんかいられないよ」

『気持ちは分かりますが、あまり働きすぎると体を壊してしまいますよ?』

「その時はその時さ。僕の代わりは幾らでもいる。僕は処刑人の一人にしか過ぎないからね」

『……それでも、たまには休暇も取ってくださいね』

「ああ、心配してくれてありがとう」


 優しく礼を言うと、数馬は通話を切った。


「和。これがボクの正義の形だよ」


 親友から手渡された連絡先のメモを眺めて、数馬は苦笑した。

 共に正義の味方を志した二人の少年の行き着いた先は、警察官と殺人犯。まるで対極だった。

 和は絶対に数馬の行為を認めないだろうが、それでも数馬の方は、一方的に昔の約束を果たせたつもりでいた。


『将来は、二人で正義の味方になろう』


 和は法に基づき犯人を捕まえ、数馬は法から零れ落ちた罪人を裁く。それはある意味では、二人で正義を遂行しているとも言えるのではないか?


 もちろんそれは、自分にとって都合の良い解釈だと数馬は理解しているし、自分は正義の味方では無く、ただの殺人犯であるということも自覚している。

 正義に酔うには、数馬は優しすぎた。


「和。もしも君が僕の正体に辿り付けたなら、その時は僕を逮捕してくれて構わない」


 和の正義に基づけば、数馬は当然悪である。どうせ捕まるなら、その時は和の手で終わらせてもらいたい。それが、数馬の細やかな願いだった。


 二人の少年が志した、正義の味方になるという夢。

 始まりは同じだったはずなのに、二人の持つ正義という名の線は、決して交わることの無い平行線となってしまった。


 交わることのない二つの線は、どこへ向かっていくのだろう?




 了

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

正義の行く末 湖城マコト @makoto3

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ