第24話 親友

 照明で照らされた一つの小さな部屋。真っ白なキャンバスのような壁で天井と四方を囲み、正面にあたる部分は鋼の格子と透明な特殊強化樹脂による複合素材で閉ざされている。透明な特殊樹脂によって部屋の中の様子が丸見えとなり、壁に据え付けられた簡素なステンレス製のベッドとデスク、便座がある。清潔に保たれたその部屋には一人の住人。ベッドの上にまるで屍の如く横たわる一つの影。深い呼吸とともに、その体が上下する。

 

 踵が床を叩く高い音が、廊下に響きその部屋の住人の耳元に届く。やがてその足音はその部屋の前で鳴り止んだ。紺色のブレザーを見にまとったその男は、淡々と自分に与えられた業務をこなす。


「出ろ」


 男はブレザーの胸ポケットからカードキーを取り出し、部屋の正面の端にある点滅する箇所へとそのカードキーをかざした。開錠を知らせる電子音。空気の圧力を抜く音が鳴り響き、鋼の格子が上下左右に壁の中へと消えていく。透明な強化特殊樹脂の壁も同様に吸い込まれていった。


 ベッドからゆっくりと体を起こし、大きなあくびをする。そこにはブレザーの男への礼儀作法などは全くない。面倒臭そうにと立ち上がり、背伸びをする。すらりとした細身の長身。だがそれは、その施設に入るものなら誰もが着る簡素な衣服がその男の体躯の見た目を細く見せているに過ぎない。半袖から覗く引き締まった二の腕は、どこまでも洗練された無駄の一切を許さない筋繊維がその皮膚の下にあることを物語っている。それだけでその男の体の全身鍛え抜かれたものであることを知ることができる。だらしなく伸ばされた栗色の髪は、手入れが行き届かず少しくすんだ色をして、ところどころ重力に逆らい跳ねている。髪の色よりももう少し深い色をした瞳を覆う瞼は重く、襲い来る眠気で今にも閉じてしまいそうだった。


 栗色の髪の男はブレザーの男に促されて、住処であった真っ白な部屋を後にする。部屋と同様に真っ白で明るく照らされた長い廊下を、ひたりひたりと裸足が床を撫でる音と、革靴が床を叩く高い音が響き、やがて栗色の髪の男は新たな部屋へと招待された。住んでいた部屋と代わり映えしない小さな部屋。入った扉の奥には、一面透明な強化特殊樹脂の壁。据え付けられたカウンターテーブル、その前にある一脚の椅子に引き寄せられるように栗色の髪の男はその椅子へと向かう。栗色の髪の男はその椅子にゆっくりと腰をかけると、再び大きなあくびをした。


「げ、元気そうですね~、橘礼二(たちばなれいじ)君」


 強化特殊樹脂の間を挟んで対面に座る一つの小さな姿。おっとりとした口調と幼い子供が何かものを尋ねるような声色をしている。茶髪で短く整えられた髪は、照明の光でキラキラと輝き、小動物を思わせるような小柄な体躯はどこからどう見ても子供のようだった。その小さな体に纏う濃紺を基調とした白色のフリルをふんだんに使ったゴシック調の衣装はさらにその見た目を幼くさせている。どこからどう見ても子供の体をした彼女は、確かに成人を迎えたカトリーナ・リュッタースだ。 


「――ああ、誰かと思えばカトちゃん先生じゃねぇか。どうしたんだ急に? いつものダブダブの白衣はどうしたんだ? 血液検査の日は当分後じゃなかったか?」

「今日は別件です~。そ、それよりもどうですか? 今日の私~。――ふわわっ!」


 そう言って椅子から立ち上がると、その場でクルッと回ってみせる。ふわりと舞うフリルをふんだんに使ったゴシック調のスカート。身にまとう洋服は小柄な彼女にとてもよく似合っている。しかし体のバランスを崩し、咄嗟に掴んだ椅子とともに床に倒れこんでしまう。

 ガタリと大きな音を立てて床に尻餅をつき、かろうじて華奢な両腕で自分を支えることができた。だが真正面に座る礼二には、フリルのスカートから覗くカトリーナの見た目からは想像できない刺激的な色が目に映った。


「へえ、黒か。 またやけに大人っぽいな」

「ふぇ? ~~~~! み、見ないでくださ~い!」

「い~じゃねぇか、減るもんでもないし」

「こ、こういうのは気持ちの問題なんです~!」


 カトリーナはフリルのスカートを慌てて両手で押さえ込み、熟した赤いさくらんぼのように顔を真っ赤にした。強化特殊樹脂の向こう側にいる覗き魔の礼二の顔を、瞳をうるうると潤ませ、上目遣いで睨みつける。面白がって見てた礼二は、その表情を見て思わず小さな子供をいじめてるような気がして、バツが悪くなりカトリーナへと謝った。


「わ~ったよ! 悪かったって!」

「…………」

「――? おい、カトちゃん先生? おーい、いじけちゃったのかー?」


 黙り込むカトリーナへと気を使って話をかけるが、うつむいた顔を再びあげる様子はない。だがぼそりとカトリーナは口を開く。


「――ま、松葉博士には絶対に言わないでくださ~い!」

「なんで?」

「お願いします~!」


 勢いよく立ち上がり、据え付けられたカウンターテーブルを両手で叩いた。顔を紅く染め上げ、真剣な眼差しを向けるカトリーナをよそに礼二は、驚いた様子を見せることもなく、一つあくびをくれてやった。面倒臭そうにカウンターテーブルに頬杖をついて憤るカトリーナを落ち着けるように言った。


「ま~それで? 話あんだろ?」


 礼二の言葉に佇まいを直し、倒した椅子を起こしてピョンという効果音が正しいだろう、カトリーナはきちんと椅子に飛び乗るように座った。カトリーナは乱れた髪を両手の手櫛で直して、礼二に今回の訪問の目的を告げた。


「礼二くんを釈放するよう命令が出てま~す。だから今日はお迎えに来ました~」

「は? 寝ぼけたこと言ってんじゃねえよ、お昼寝が足りないんじゃねぇのか?」

「お昼寝は必要ないです〜!」


 カトリーナは礼二のからかいに本気で怒っている。が、全然迫力が伝わってこなかった。自分の体躯は年相応の背格好ではないためいつも複雑な気持ちでいた。視点を変えれば、とてもいじらしい姿なのだが、ある一部の趣味の方には大変好まれる、素晴らしいステータスの持ち主だった。だがそれがどうしても嫌らしく、カトリーナも大人として接して欲しいと心から思っていた。


「あ、あと! ちゃんと年上には敬語を使ってくださ~い! 私は一応礼二くんより年上で、お姉さんなんですよ~!」

「はい、はい。わ~ったよ。――んで、さっきの話ホントかよ?」


 礼二は話を適当に切り上げて、カトリーナが言った釈放のその真意を問いただす。カウンターテーブルから身を乗り出すようにして透明な壁へと顔を近づける。いきなり顔が近づいてカトリーナは目を見開き、頬を染める。


「は、はい、本当です~。しっかりと女王様の証書もありますよ~」

「そっか……あいつは、誠は、もういないんだよな?」


 礼二はカトリーナに確かめたかった。彼にとって忘れることができない、自らが招いた最低の記憶。今それと向かい合うには、まだ成熟仕切っていない礼二の心の準備ができていなかった。釈放されるのは大変ありがたい。檻から解放され、自由を謳歌できることは何よりも嬉しいはずなのだが、その気がかりだけがその選択を左右した。


「まだ在学してますよ~?」

「はぁ? なんでまだいるんだよ? 卒業してるはずだろ?」

「いえ~、色々とありましてぇ~」

 

 チッと舌打ちを鳴らし、彼は釈放によって得られる自由を放棄した。


「…………んじゃ、パス。いくら女王様の命令でもそれはできねぇ!」

「え~? でも、命令なんですよ~? 絶対なんですよ~?」

「だからって俺は出ていかねぇ。――それにまたいつ『暴れだす』かも分かんねぇんだ。ここでまずい飯食ってる方がよっぽどましだ」


 礼二は椅子から立ち上がり、カトリーナへと背を向けて部屋から出て行こうとする。だがカトリーナは礼二を引き止める。


「その心配はないで~す。誠くん、力をやっと使えるようになったんですよ~」


 礼二の足はピタリと止まる。カトリーナへと再び体を向け、浮かべる表情は期待に満ちわずかに頰を釣り上げる。


「ほんとかよ?」

「本当ですよ~。まだ万全というわけではないんです~。だから礼二くんには倭国女王様から特別任務です~」

「それを早く言えってんだ!」

「それじゃあ、地上でお待ちしてますね~」



 ***




 礼二が収容されていた『特別異能者収容所』、通称オルミガ・レオン


 地下100メートルの地中深くに、建造された地下6階建ての施設。逆円錐形をしており、階下へ進むほど危険度、重要度が高い異能、魔法を扱う者が収容されている。

 

 施設内外からの脱獄、及び支援を防ぐため、10メートルごとに鋼鉄とコンクリートの層が幾重にも重なり、その施設を包んでいる。地上と唯一アクセスできる手段は魔導機関を動力とした昇降機のみであり、絶対脱獄不可能の収容所となっている。『異能中の異能』を持つ礼二は、その最下層に収容されていた。


 礼二は今回特別任務を女王から与えられ、特別に出所することとなった。出所の手続きのために特別異能者を収容する部屋が並ぶ廊下を渡る。いくつかの部屋を通り過ぎたのち、一つの部屋からくぐもった声が礼二に向けられた。


『やあ、もう出て行くのかい?』

「……? あんた誰だよ?」


 礼二が収容されていた部屋と同じ、透明の特殊樹脂に正面を覆われたその部屋の奥には、身体を魔術式がびっしりと刻まれた拘束具で固定され、まるで蜘蛛の巣に囚われた虫のように、固くワイヤーで固定されていた。そしてマスクで覆われた顔はその全容を把握することができない。礼二はその拘束のされ方をみて背筋に嫌な汗がつたう。その者が持つ、異能の脅威を物語っているかのようだった。


 拘束具の魔術式が常に赤く発光し、拘束具が破壊と修復を繰り返し溢れ出ようとするその異能をなんとか押さえつけていた。


『いいな〜、僕も自由になりたいよ』

「はっ、その様子だと死ぬまでそのままじゃねぇのか?」

『…………そうでもないよ。だって……』

「アァ?」

『ふふ、なんでもないよ。君とはまた出会えるといいな』


 拘束された男はせせら嗤いのように、笑い続けていた。礼二は身の毛のよだつような思いを感じ、足早にその場を離れるのだった。


 礼二は持ち物は長財布と破龍学園の制服のみ。受け取った制服に着替え、長財布を後ろポケットへと乱暴に突っ込む。地上へとつながる昇降機へと乗り込む。登り始めた昇降機の中、礼二は久々の地上に期待した表情を浮かべていた。


 昇降機が地上へと到着する。昇降機を出ると一面コンクリートむき出しの壁の部屋。決して広くもないその部屋の片隅で椅子に座った一人の警備員が新聞を読んでいる。礼二の姿を確認すると、その部屋から出ることができる扉を指差した。警備員はしゃがれた声で『お疲れさん』と言って再び新聞に目を落とす。


 礼二はその扉に向かい、開け放った。陽光が眩しく、ついまぶたが目を覆う。少しだけ汗ばむ陽気はもうすぐ夏を迎えるだろうことを予感させる。久々に外気に触れ、閉塞された空間から開放された喜びをあらわすかのように、大きく伸びをした。

 出てきたコンクリートの建物は小型のプレハブのようなもの。その前には、カトリーナが黒塗りのセダン車の前で待ち構えていた。


「お待ちしてました~。意外と早かったですね~」

「まあ、制服と財布だけだしな、変な手続きもなかったしよ」

「じゃあ~、早速ですが行きましょうか~」


 礼二はカトリーナの促され、後部座席車に乗り込んだ。革張りのシートがとても心地良い。カトリーナも乗り込み、運転手がドアを閉めた。静かに魔導機関を始動させ、スムーズに走り出していく。


「二年、か……」


 礼二は感慨深くぼそりと呟いた。隣に座るカトリーナが不思議そうに礼二の顔を見上げる。


「どうしたんですか~」

「どうってことねぇよ。まあ誠に会うのが少し気まずいってだけだ」

「大丈夫ですよ~。誠くん優しい子ですから、ちゃんとわかってくれますよ~」


 車窓から流れる景色を見つめる。今でも思い出すのはあの時の記憶。我を忘れて、力を御しきれていなかった無力さ。大切なものを傷つけてやっとわかった自らの愚かさ。不意にあの光景が脳裏に浮かぶ。あいつは、誠はどう思っているのだろうか、ただそれだけが気がかりだった。少し気が滅入りそうな時だった。カトリーナの気の抜けた声が礼二の気をそらした。

 

「あの~礼二くん、女王様からの特別任務のことですけど~。学園に着く前にお伝えしようかな~って」

「ん、そうだったな。で、どんな内容なんだよ」


 カトリーナはタブレットを可愛らしい肩下げカバンからタブレットを取り出し、特別任務の内容を表示させ読み上げていく。


「えっと~、まずは学園への復学です~。当分学園生活再開の上で必要なものはこっちで準備しますね~。住むところは以前使っていた部屋をそのまま使えるように準備してま~す」

「…………え、それだけ?」

「えっと~、えっと~。はい~そう見たいです~」


 カトリーナはタブレットを上から下からと、あるゆる角度から覗き込む。だが困った表情を浮かべたカトリーナから出てきた言葉に、礼二はがくりと肩を落とす。


「まあ、詳しいことはまた学園で説明があるかもしれませんねぇ~」


 少し期待していた分、気の落ち込みようが大きい。大きくため息をついた礼二は、思い出したようにカトリーナへと尋ねた


「そういや、誠はどうやって力を顕現させたんだ?」

「あ、それについてはまだお話しできません~。それも学園に到着してからになります……ね」

「チッ! なんだよそれ! 一番聞きたかったことなのに……って、おい」


 カトリーナはいつのまにかこくりこくりと首を動かし、瞼を閉じていた。


「……ったく、寝ちまいやがって」


 礼二はカトリーナの寝顔を覗き込む。


「こうしてみると、ほんとガキみたいだよな」


礼二とカトリーナを乗せた車は颯爽と学園へと向けて車道を走り抜けていく。

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ニセモノ勇者の救世譚 ChanMan @ChanMan

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