第6話 冒険の始まりと気づき




「起き…………よかっ…………」


遥か上空で聞き覚えのある子供の声が聞こえる。

その子供とはいつ頃出会ったっけ。


「起きましたよね!! それは、まごう事なき起床の目覚めですよね!!」


目に溜まった涙は視界をぼやけさせ、覗き込む相手の顔を歪ませる。ミズキを覗き込む子供には、異様に長い耳が頭から伸びている。間違いない。この言葉のチョイスと耳の長い獣人を、ミズキは一人しか知らない。


「イテテテテテ…………ここは…………」

「よかったです!! 死んじゃうかと思ってましたよ!! 一週間も寝てるんですもん!!」


涙目のカラカルの獣人ーーナシチは、座っている丸椅子をカタカタと揺らし喜びを表現している。ナシチの怪我は完治しており、パンパンに膨れ上がった顔は、大きな宝石のような瞳と餅のような弾力がありそうな頬の部位で、童顔の子供のような顔を構成していた。さすがは獣人。化け物じみた回復力だ。

体中の火傷は若干だが治りかけている。夏の日差しに焼かれるようなヒリヒリとした痛みは、まだ全身をくまなく針で刺されているような感覚を残すが、我慢できないほどのものではない。

辺りを見渡すまでもなく、そこは宿舎だと理解できた。外の景色はアンファングのものである。おそらく、ナシチは一週間ミズキを看病したのだろう。なにがナシチをそこまでやらせるような事をしたかが、ミズキは全くもって見当がつかなかった。


「ありがとな。ジーンを倒してくれて」

「ぼくだけの力じゃありませんよ。……ミズキがいてくれたからこそです」


ナシチは微笑む。ナシチの傷の完治した顔を初めて見た。普通に、可愛い獣人の子供の容姿だ。

ミズキは拳を握る。そして、開く。


「獣人は、人間が嫌いなんじゃないのか」

「嫌いですよ。もちろん。でも、ミズキは好きです」


ナシチは丸椅子の動きを止めた。人体とは別離したように優雅に揺れ動く長い尻尾は、ハッキリとした意志を持っていそうだ。


「大概の人間も獣人が嫌いだ。うちの国じゃ獣人は外を出歩く事すら嫌煙されるのに、よく宿舎を見つけて、俺を看病できたな」

「獣と人は犬猿の仲ですからね。だけど、対策は簡単なんです」


ナシチは頭上の高く伸びる耳を指差した。すると、耳は耳としての意志を持っているかのように、クルクルと畳まれて小さくなっていく。


「こうして、フードを被れば獣だってバレません。大して鼻が良くない人間はこうやって欺くんです。尻尾はどうにだってなります」

「なるほど。器用なものだな」


悠々と蛇のようにうねる尻尾はお腹に巻きついたり、片足にぴったりと張り付いたりする。それと並行して、耳は交互に巻いたり伸ばしたりを繰り返し、ナシチは自分がいかに器用かをアピールしているようだった。


「どうして……あの時、逃げろなんて言ったんですか」


ナシチは耳も尻尾も動かすのをやめ、じっとミズキを見つめた。ナシチの顔や身体中の痣や切り傷の痕や鎖の痕は、過去にそんな事がなかったかのようにすっきりと消えてしまっていた。しかし、鎖でえぐられた頬の肉は傷痕を一直線に残したままだ。


「俺は、裏切らねえよ。信じろって言っただろ」

「ミズキ…………」


ナシチは頬を赤く染める。ミズキは天井を見つめたまま黙った。意外な可愛さに戸惑ったのだ。宿舎に嫌な空気が流れる。


「ううっ……」

「え?」


途端、ナシチ以外の声が聞こえた。それはとても聞き覚えのある低い声。背中のあたりから一気に熱が全身に瀰漫する。

ミズキは上体を起こした。冗談だと信じたかった。だが、そいつはそこにいた。


「ジーンッ!! なんでこいつがここに……ていうかなんで一緒に連れてきたんだよ!」

「大丈夫です! ボンバーヘッドはガッチリとロープで固定してますから! それに、ミズキよりも重症なはずですから」

「目覚めたら今度は殺されるかもしれないんだぞ!」

「ぼくは全快なんで大丈夫です」

「大丈夫じゃねえって! なんで持ってきたんだよ!」

「…………死にそうでしたから」

「はあ?」


ナシチの言う通り、確かにジーンはロープで身動きが取れないように全身にグルングルンに巻かれている。しかし、わざわざここに連れて、しかも一週間以上も一緒に看病するなど、散々痛い目にあったであろうナシチの行動がミズキには一欠片もわからなかった。


「こいつ、あのままにしてたら絶対死んでました。ぼくがミズキを担いでここに来ようとした時、こいつ、泣いてたんです」

「それだけで…………お前、情に流されすぎだろ。痛い目にあったこと忘れたのか」


ナシチは自分の手のひらを見つめ、緩慢な動作で拳を作って、そしてまた開いた。


「死んでほしく、ないんです。この手で殺してしまったら、ぼくは……最強にはなれない気がするんです。…………ごめんなさい」


ナシチの言葉に感慨深いものを感じた。

ジーンもそうなのかもしれない。ナシチに感化され、考えたこともないジーンの気持ちを考えてみた。鎖の聖職者の力は半端なものではない。昔からそうであった。おそらく、旅に出る前の十四歳時にはすでにジーンには壊せないものはなかったはずだった。


ーーーー俺は最強の聖職者になる!


いつ頃だったか。聖職者の力が宿ったばかりのジーンは、学校の作文か何かでそんな事を発言していた。遠い昔のようで、近い記憶。その時、ミズキはすでに強いジーンに憧れを抱いていた。初めての尊敬する人は、ジーンだった。


ーーーー神様がくれたこの力は、みんなのために使いてえ。俺は冒険者になって最強になって、世界を一周して……この俺が生まれた国を伝説の国にして見せる!!


悠々と高らかに発言したジーンは、世界で一番カッコ良く思えた。

いつからだろう。聖職者の力を町の人が疎ましく思い始めたのは。

いつからだろう。陰口を叩かれ始めたのは。

いつからだろう。ジーンが壊れたのは。

ジーンは自分を否定するもの全てを、鎖の圧倒的力で屈服させた。ジーンは自分が正義だとは思っていない。過ちは過ちとしてジーンは受け入れていた。それでも尚暴れ続けた。辛かったのであろう。大好きだった国に裏切られたのは。

いつからかジーンは弱いものを恨んだ。その代名詞が自分だった。


ーーーー聖職者のくせに弱えなんて、生きてる価値ねえだろ!!


それだけなのだ。ジーンを狂わせてしまったのは。

人を病院送りにし、民家を破壊し、自分勝手に傍若無人に暴れまわったジーンでも犯さなかった罪があった。

それは、人殺しだった。


「勝手にしろ」


ミズキは毛布をかぶった。ナシチは申し訳なさそうに耳ごとうな垂れた。そんなナシチに、ミズキは言った。


「…………俺は、冒険することにしたよ。冒険して、全ての聖職者の能力をコピーする。世界を見て回って一周するよ。そんでーーーー」


ナシチは驚愕を顔面に貼り付けた顔で、椅子から立ち上がった。


「だから…………ありがとう。看病してくれて。この傷程度なら明日からには冒険できそうだ」


何を言いたいのか、ナシチはしどろもどろに体をもじもじとさせた。なんとなく、ナシチの言いたいことは分かっている。


「ぼくも、一緒に……」

「ダメだ」


ミズキは即答した。

理由はたくさんある。

第一に力の差が歴然だということだ、ナシチは天才だ。もしかしなくても数年で幾つかの修羅場を乗り越えたら最強の称号を手にするかもしれない器がある。だが、それじゃダメなのだ。

ミズキの冒険は世界を回ること。たとえ何年何十年経ったとしても、ナシチのように焦らずに見ていきたい国がある。本当に一緒に旅ができるのならば、ナシチ以上の心強い味方はいないだろうが、それはそれでナシチに負担がかかってしまうのは明白だった。コピーだけが取り柄のミズキに、最強になるセンスを持つナシチは荷が重いのだ。

ミズキは理由を頭の中で並び立てた。いつでも答えられるように。


「……そうですか」


しかしその理由を、ナシチは聞いてこなかった。


「半分こでいいんだったな」


その日の午後、ミズキはナシチに通帳を渡した。

先ほど、ぐっすりと眠り起きる気配のないジーンを、宿舎から借りたリヤカーの荷台に乗せて警護署に持って行った。コピーはもうすでにし終わっている。この後ジーンは、アンファングの警護署から森の監獄に引き取られることになるだろう。二千万の懸賞金の額は折半した。今渡したナシチ用に作った通帳には、まるまる一千万デーレが入っている。

初め、ナシチがジーンを倒したので懸賞金は全てナシチに譲るつもりだった。しかし、ナシチはそれでは納得せず、寧ろ、ミズキのおかげだからと全てを譲ろうとしていた。さすがにそれは受け取れるわけがないので、ミズキは折半を提案していたのだ。

ナシチは通帳を受け取り、匂いを嗅いだり端っこをかじったりした。ナシチは通帳というものを知らないらしいかった。ミズキはその行動を止めさせ、通帳についてを軽く説明した。ナシチは「おぉ~」と子供のような露骨な感嘆を上げながら、ミズキの顔と通帳に視線を交互に向けた。尻尾が蛇のように蠕動し揺れる。


「ミズキはこれを、どうするつもりなんですか!? 何か買いたいものがあるんですか!? 奢ってあげましょうか」

「いやいいって、好きに使えよ」

「ミズキも持ってるんですよね! 通帳!!」


ナシチは初めての通帳に初めての高額なお金に興奮しているのか、先ほどからやけにミズキに突っかかってくる。ナシチはミズキの眼前に通帳を見せつけた。


「俺はもう持ってないよ」

「どうしてですか? 無くしたんですか?」

「違う違う。使ったんだよ。ちょっと大きな買い物にね」


数十分前、通帳から下ろした一千万と、今までコツコツ貯めてきた二百万のお金を持って、親方に会いに行った。親方にそれを渡し、ミズキは殺処分になりかけていた太腿の肉が抉れたドンリザードを買い取った。仕事にはならなくとも、こいつだけは殺処分にしないで欲しい。ミズキは親方にそう言った。一年間預かってて欲しいとも言った。

仕事にも使えない動物を預かることに怪訝そうな態度をとるかと思いきや、親方は二つ返事で承諾してくれた。そんなことより、鎖の聖職者を監獄にぶち込めたことに、親方は盛大に感謝しているようだった。

ジーンによって恐怖を植え付けられていたアンファングに、ミズキがジーンをやっつけたという噂は風のように素早く伝わっていった。道行く人に感謝を述べられ、握手を求めらたり、中には涙を流すものも少なくはなかった。この国はジーンに怯え、ジーンもまたこの国を憎んでいた。ミズキはそれを知っているがために、人々の感謝の意には少々戸惑いもあった。


「ほんと世話になった。俺もまた冒険者だ。いつかどこかの国で会えるといいな」


宿舎を出るとき、ナシチにできる限り笑顔で礼を言った。ナシチは部屋の真ん中で佇んだまま、ミズキを悲しそうにじっと見つめていた。何かもの言いたそうな目をしているが、一向にナシチは何も言ってこない。長い飾り毛のついた耳も尻尾もうな垂れている。


「じゃーな」


そう言って、ミズキは部屋を後にした。


「…………また、一人だ……」


ナシチは閑散と静まり返った部屋の真ん中で呟く。しかし、ミズキの耳には壁が邪魔して届かない。

アンファングで称えられた一日という日は、あっという間に過ぎていった。


「鎖の聖職者、コピー完了っと。さて、冒険の幕開けと行こうかね」


家の中はほとんど空っぽに近い。荷物は全て整理した。絶対に必要な必需品以外、この自分の家には何もない。必需品は最低限に選りすぐりしてリュックの中に詰めた。タオルに服に食糧に対魔獣用の高価な道具に小物類。お金も全財産を持っていく。親方に貰った最後の給料が残っていたのが満を奏した。お金を全て持っていくことに抵抗は全くなく、旅の終わりは人生の終わりと自分に言い聞かせていたため、名残惜しくはなかった。


「よし! 準備完了! 行くか」


家のもの全てを昨日のうちに売っぱらった。家の中のガラクタはゴミか本しかなかったため、売りにいくのは二回の往復で十分だった。二十五万デーレ。これがミズキの全財産だ。

始まりの町ーーアンファング。ここから出ることは夢のようだとずっと思っていた。選ばれたものしか外に出られないのだと思っていた。だけど、今は違う。ナシチとの出会いのおかげで諦めていた夢を拾うことができた。鬱蒼と茂った深緑が不気味に延々と続く森は、旅路に不安を与えるよりミズキに好奇心を強く与えた。天気は快晴。旅日和だ。

大きく息を吸って、森の香りを肺いっぱいに堪能し、吐き出した。国からでる初めての一歩は、案外重くはなかった。


「待ってください!!」

「ん?」


突如、後方から声をかけられた。その正体は、国の門を超えて四足歩行で外へ出ていき、ミズキを横切って数十メートル離れたミズキの正面に二足歩行で立ちあがった。


「ぼくは、獣の道を歩く獣人! 名はナシチ。生まれた地は不明、育ちは西のミュルの地! 恐縮ながらぼくは、ミズキの旅の御一行をさせていただきたいと思ってます!! ダメだと言われようが無視されようが、ぼくはぼくの生き方を貫き、精一杯にこの命をミズキにご奉仕させてもらいます! ミズキ……いえ、師匠!!」

「師匠?」


ナシチはその場であぐらをかき、地に両拳をついて頭を下げた。


「ぼくの命、使ってください!」

「なんでだよ」


ナシチの堅苦しい挨拶を軽く受け流したミズキに、ナシチは戸惑う。


「へ?」


おかしな声が漏れた。ミズキは微笑を浮かべる。


「なんで俺がお前の命を使わねえといけねえんだよ。お前のものはお前のものだ。好きにすればいいさ」

「だから、好きに使わせていただきます。なんと言われようと、ぼくは師匠の旅に御同行します! 最強を目指しながら」


ミズキは深く息を吐き出した。堅苦しい下手くそな挨拶のナシチに対してのため息ではなく、旅に付き添ってくれるナシチに対しての安堵の溜息だった。


「勝手にしろ」

「うわあ!! やった!!」


ナシチは顔面に満面の笑顔を作った。


「ただし! 俺は旅を急いでるわけじゃねえ。世界を見て回るんだ! 何年何十年経っても、仮に世界を一周できなくても、俺に文句は言うな! それまで最強になれなくてもいいなら、勝手についてこい」

「師匠!」


ブンブンとナシチは勢いよく首肯する。大きな瞳をキラキラと輝かせて。

いいのかよ、とナシチの最強を求める意欲が意外と鈍いんだと面を食らいながらも、ミズキは微笑を浮かべたまま、背負っていたリュックをその場に落とし、両手の関節を鳴らした。

ナシチは首をかしげる。


「師匠と呼ぶなら……これから一緒に長い旅をするなら」


足首を回した。関節の運動はもう準備万端だ。


「力の上下関係はつけといたほうがいいよな」

「なるほど!」


ナシチはバカみたいに納得し、腰を落とし臨戦体制を作った。いいのかよ、そう思いながらもミズキは笑う。

昔から思っていた。コピーの聖職者は最強だと。あらゆる種類の能力をコピーし自在に操る。万能にも程がある。辛いのは最初だけ。今の自分に勝機がなくとも、自分の実力がどんなものかを試せる機会はとても芳しい。その上、鎖がどれほど強いのか自分でも試したい気持ちがあった。


「俺は…………」


ミズキはその場で軽くジャンプをし、足に力を込め地面を蹴る。


「俺は世界を一周して、全ての聖職者の能力をコピーする!!」


ミズキは豪語し、ナシチに向かって遠慮なく間合いを詰めていく。


「ぼくは世界を一周して、最強になります!!」


そう言ってナシチも距離を縮めてきた。ナシチは拳を振り被る。見切った。ミズキもそれに合わせて振り被る。

そして、ギリギリまで振り被り殴ると見せかけて、その拳を狙いミズキは手のひらを差し向けた。


「#鎖の捕縛__チェーンロック__#ッ!!」


鎖が宙を飛んだ。確かに飛んだ。だが、飛んだだけだった。

思えば、おかしいとは思っていた。

なぜ自分にこんなチート的な能力を神からの加護で受けられたのか。なぜなんの取り柄もない自分なのか。おかしいと思っていた。


「あ……」


鎖は簡単に重力に負けダランと、ナシチの腕を絡むことなく地面に沈んだ。ナシチの拳を防ぐ手段が完全になくなった。


「え……?」


ナシチは全力で拳に加える力を弱めた。しかし、もうそのモーションからはどんなに工夫をしても引くことはできない。小さな拳はミズキの顔面を的確に捉える。拳に力が入っていなくとも、二人の間合いの詰めた速力で十分だった。

ミズキはそのままナシチの拳をもろに顔面に食らい、後頭部からいきおいよく地面に崩れ落ちた。ドクドクと後頭部から温かいものが流れ出ていく。ナシチの顔面はみるみるうちに青ざめていった。


「師匠ォォォォォォォォォォッッッ!!!!!」


神は自分にチートの能力なんて授けていなかった。誰よりも努力が必要な能力を授けていたのだ。


「グヘッ……」


変な声が出た。情けない。恥ずかしい。意識が遠のいていく。

当然と言えば当然の結果だ。薄々そんな感じだと思ってはいたんだ。

コピーの聖職者のコピーは予想通り、絶望的に劣化していた。

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